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- アルバイターの事情 -



 どこぞの派閥のエージェントさんの働いているケーキ屋は、実はゼラムで一番人気がある。
 味も種類も他の店の追随を許さず、店員の教育も行き届いているからだ。
 そんな店員のひとり、パッフェルは、今日も今日とてかわいいメイドさん衣装に身を包み、休み時間を狙って遊びに来た少女にケーキをご馳走していたりした。


 濃い茶色の髪が、彼女の咀嚼に合わせて軽く揺れる。
 ケーキに向けられた双眸は、本人は“黒”と一色で済ませるけど、見る者が見れば、深く優しい夜の色。
 一切れ一切れ、慎重に――幸せそうに食しているのを見ていると、自分まで表情がほころぶから不思議だ。
 半分ほど胃におさめたところで、ふと、その瞳がパッフェルを見上げた。
「パッフェルさんは、おなか空いてないんですか?」
「それがですねぇ」
 製作失敗しちゃったケーキの処分は、実は店員の任務なんですよー。
 笑顔でそう云ってみせると、少女の顔が奇妙に歪む。
 笑い出そうとしてるのか、それとも、想像して胸焼けがしたか。
 普通出すより少しだけ多めにレモンを利かせた紅茶で口を湿らせて、「あははは」と、ことばに詰まったときの照れ笑い。
 それから、小さく首をかしげて、
「……あたし、きっと、ケーキ屋でだけは働けないと思います」
 とかなんとか、至極真顔で云うものだから。
「ぷっ」
 思わずふきだしてしまったら、むぅ、と、拗ねた視線が迫る。
 でも、片手にフォーク持ったままじゃ、迫力なんて全然ない。

「……さん」
「はい?」

 結局追及を諦めて、再びケーキにフォークを刺したところに呼びかけた。
 手を止めて、再びパッフェルを見る一組の夜色。
 そこに映る自分は、組んだ両手に顎を乗せ、心なし目を細めて、至極楽しそうに微笑んでいる。
 そうして、その表情のまま、パッフェルは告げた。
「でぇと、しましょうか」
「――――ごふ。」
 の名誉のために注釈しておくが、ケーキを噴きだしたのではなく、喉に詰まらせてむせた音である。



 パッフェルさんて、ほんと、人からかうのが好きですよねえ。
 聖王都の片隅にある導きの庭園の、さらに一角。
 ちょうど良くつくられた木陰の下で云うに、パッフェルはやっぱり笑ってみせた。
「本当は、午後の配達もあんまりありませんでしたし、これはお暇をいただこうかなって思ってたんです」
 で、ひとりでふらふらするのもなんですから、さんをお誘いしたという次第でして。
「だったら最初から、デートじゃなくってお散歩とか云ってくださいよ」
「あららー。私、さんとだったらデートでも逃避行でもどんとこいですのに〜」
「ぱっふぇるさんっ!」
 裏返りかけた声で、顔真っ赤にして、が叫ぶ。
 通行人が振り返ったことに気づき、それでよけいに赤面。
 くすくすくす。
 おさえきれない笑い声に、ちょっぴり恨めしそうな視線が送られる。
「……」
「昔話を――」
 抗議の視線をさらりと流してつぶやけば、それはとたんに疑問の視線に早変わり。
「昔話など、してみたいなあ、と思いまして」
「むかしばなし?」
「ええ。……デグレアで、私とさんが初めてお逢いしたときのお話を」
「――……、ああ!」
 ぽん、と手を打って、得心顔になった少女は、浮かしていた腰をすとんと落とした。
「そうそう、そうでしたっ。パッフェルさん、記憶がないあたしに諜報員とかカマかけたの、それが原因でしたっけ」
「ええ。もう、物の見事に忘れてらっしゃって、どーしようかって思っちゃいましたよ〜」
 話は弾む。
 あのときの戦いの流れとか、お互いどれだけ焦っていたかとか。
 そうこうしているうちに、小さくがつぶやいた。
 じっと、己の手を見ながら。
「……そういえば、あれが、ある意味あの光のデビュー戦だったんですっけ……」
 パッフェルの視線も、自然、その手に向けられる。
「ええ……本当にビックリしましたよ」
「そりゃ、人間がいきなし手から光出せば、びっくりしますよねー」
「……そうですよぉ。もう、さんてば当時からビックリ箱だったんですねっ?」
「どういう意味ですっ!!」
 くってかかるを軽く受け流し、懐に忍ばせておいたパイを、その口元に持っていく。
「……」
 一瞬複雑な表情になったものの、は素直に口をあけて、パイにかぶりついた。
 ぱく。もぐもぐ。
 まるで雛鳥を見守る親鳥の気分で、パッフェルはそれを見守った。

 細めたまなざしの裏に、あの夜を鮮やかに思い出しながら。



 遭遇は、本当に偶然だったと思う。
 侵入の時間も、くぐった窓も、本当にたまたま選んだのだ。
 彼女だって、見回りの巡回ルートや開始時間は、たまたまそのときに当たったんだろう。
 でも。
 ふたりはそうして出逢った。
「誰!」
 叫んだのは彼女が先。
 手にしていたランプを投げ捨て、腰の短剣を引き抜いて。
 闇のなか、正直、何合打ち合ったか、実はよく覚えていない。
 ただ、途中までは自分の方が優勢だったのを覚えている。
 彼女の剣を弾いて、その手が痺れている間に、己の獲物を喉下に突きつけて――
 命が惜しければ機密のありそうな部屋まで案内するように、と、云うつもりだった。
 それが出来なかったのは、

「……光、でしたね」
「そですね。あのときは、なんつー仕込み剣を飾ってるんだとか思っちゃって、ルヴァイド様問い詰めまくって困らせちゃいました」

 まさか原因が自分だなんて、当時は思うはずもなく。

「それは、ルヴァイドさんも災難でしたねえ」

 ――壁に追い詰めたのが、失策だったか。
 それとも、単に、相手の往生際の悪さを知らなかっただけか。
 追い詰められたにもかかわらず、彼女は、壁に飾られていた剣のレプリカに手を伸ばした。
 レプリカと云えど、金属製だ。
 それなりに重みもあるため、鈍器としてなら充分使用範囲。一撃を受ければ衝撃はけして小さくない。
 ……その剣に。
 握る、彼女の腕に。
 まるで焔のように噴出した、白い光が。
 剣の持ち主を護るようにまといついたあの光景は、まるで昨日のことのよう。
 それに目を奪われたのは、けして、驚きだけではないことを、パッフェルは知っている。

 ……それは、過去の再現。
 遠く懐かしいあの島で、優しい人たちが起こした奇跡を思い起こさせる。

 鮮烈な輝きを持つ剣の――まるで、再現だったから。



「でもっ。それでパッフェルさん驚いて、退いてくれたわけですし。結果オーライってやつです」
 あのときは本気で、命の心配しましたもん。
 とか何とか云ってるわりに、命の危機をもたらしたパッフェルにこうして笑いかけるあたり、やっぱり彼女は彼女だなあと思ってしまうのは否めない。
 その笑顔を見ているうちにふと、パッフェルの心に何かが引っかかった。
「……さん」
「はい?」
 呼びかけに応じて向けられる双眸は、見慣れた夜の色。
 髪は木漏れ日に照らされて、明るい茶色に輝いている。
「実は20年ほど前に行方不明になった、ご親戚の方とかいらっしゃいませんか?」
「――――は?」
 きょとんと目を丸くして、それでも律儀に考え込んで。
 結局、はかぶりを振る。
「いないと思いますよ? そんなだったら、小さい頃……じゃなくても、帰ったときに父か母が話していそうですし」
 どうして、急にそんなこと?
「いえ、それがですね。昔の知り合いが、ちょっとさんに似てたなぁと思い出しちゃいまして」
「へえ……」
 相槌打って、それから、やっぱりは「でも、血縁じゃないですよ。きっと」と付け加えた。
「だけど、そんなに云うなら相当そっくりなんでしょうねー」
 ちょっとだけ、逢ってみたかったです。
 笑う仕草。
 落ちた髪をかきあげる手。
 それから。

「って! 20年前つったらパッフェルさん、いくつなんですか!?」

 やっとそこに思い至ったらしく、飛び跳ねてそう問うてきたときには――申し訳ないと思ったけれど、盛大に笑ってしまったパッフェルさんであった。



 ……そんな会話をしたのが、数日前。
 どこかの誰かさん直伝『乙女のヒミツ』でごまかしなだめて帰らせてから、にはまだ逢っていない。
 まだ怒っていたら、ギブソンさんのケーキひとつ拝借してご機嫌伺いでもしちゃいましょうか。
 そんなことを考えながら、パッフェルは高級住宅街を某超絶甘党召喚師の家に向かって歩いていた。
 角を曲がり、塀に沿って進む。
 先に見える門が、入り口だ。
さん、いらっしゃいますかねー」
 つぶやきながら、のんびり、のんびり。
 午後の陽射しを楽しみながら歩くパッフェルの耳に、素っ頓狂な叫びが届いたのは、ちょうどそのときだった。


「遠慮します!」「ふざけんな!」

 続いて、うっふふふふふふ、と、含み笑い。


「……?」

 見上げた先には、ギブソン宅――の、窓が目に入るより先に、何故だかでっかい電気ウナギが存在していた。
「…………」
 さすがのパッフェルも、これには絶句。
 思わず足を止めて、元気に放電中のウナギさんの背中を凝視してしまったり。
 そして、再び響く声――
 今度のそれは、かなり嫌な予感をもたらしてくれるものだった。


「そんなわけで記念すべき第一号は、前回も跳んで癖がついていそうなちゃんたちに決定しましたー!」


 そこでパッフェルさん、あろうことか思考停止。
 固まったパッフェルの目の前で、窓から飛び出した若草色と鋼色の光が電気ウナギのスパークと混ざって炸裂する。
 そして聞こえる絶叫は、果たして、数日前にでぇとした少女と、その友達の護衛獣のものだった。


「「やめれー!!」」


 そして。気配がふたつ、窓の先の部屋から消えた。



 情報員としては情けない姿だが、真っ白になって立ち尽くすパッフェルを最初に見つけたのは、実にさわやかな笑顔で電気ウナギを送還したミモザだった。
「あらー、パッフェルじゃないの。もしかして、またギブソンに届け物?」
 今、あいにく出かけてるのよ。とりあえず受け取っておくから、玄関にまわってくれる?
 『出かけてる』ということばに『追い出した』ということばが重なっていたように思えるのは、気のせいだろうか。
 問いかける声が普段なら考えられないほど震えていたのは、とってもとってもおそろしい予感が胸中を苛んでいたからだが。
「ミモザさん、あのー……今のはいったい、何があったんでございますかー?」
 なんだか、さんとバルレルくんがえらい目に遭わされたような声がしたんですけども。
 対して、ミモザはそりゃあ晴れやかに微笑んで、答えてくれた。
「うん、ちょっとねー。召喚術と送還術を組み合わせて応用する、時間跳躍術の実験台になってもらっちゃったのよー」
 3時間後に飛ばしたつもりだから、パッフェルも暇なら付き合ってみなーい?
 バスケットの中身は、すべてギブソンご指名のケーキばかり。
 すなわち、今日の配達はこれで終了。
 店に戻れとは云われていない、直帰OK。
 そこまでを瞬時にはじき出し、
「……それじゃあ、是非ごいっしょさせてくださいませ〜」
 そう答えるパッフェルの声は、たしかに、いつもどおりに明るかったのだけど。
 少しだけ。
 ほんの、ほんの少ぅしだけ。
 泣き出しそうに、揺れていたのである。

 パッフェルさん、苦難と忍耐の数時間のはじまり……だったりした。



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こんな感じで閑話をいくつか予定しております。