「パッフェルはぁ、覚えてるぅ?」
「…………何をですかぁ?」
ゼラムの一角、シルターン風の装飾の施された店内で、向かい合うふたりの女性。
どちらも実にナイスバディ。
どちらも実に、一筋縄ではいかなさげ。
ほんのり紅い頬で、それでも普段よりしゃきっとした顔をしている女性の名はメイメイ。
やわらかな笑みを浮かべて、かわいらしい服装で、だけどどことなく近寄り難そうな女性の名はパッフェル。
「――それとも、知ってるか、って訊いたほうがいいのかしらね?」
「なんですか〜、もお。秘密主義は私の十八番ですよ〜?」
メイメイさんは、いつでもどこでもにっへら笑ってあれこれ話してくれなくちゃダメじゃないですかぁ。
「あらあら〜? それじゃあまるで、メイメイさんがお気楽極楽能天気みたいじゃないの〜?」
うりうりうり。
そのとおりでしょうに、と、果たしてパッフェルが思ったかどうかは定かではない。
手酌で杯に酒を注ぎ、はい、とメイメイに勧めて、次に自らの分も用意する。
「覚えてる、って、あの方たちのことですか?」
「うーん……そぉともいうかな?」
「……そう、ですねえ」
煮え切らないようなメイメイの表情は、パッフェルの答えが間違っておらず正しくもないことを如実に語る。
それでも、自らの口にしたそれは、パッフェルの意識をそちらへさらった。
過ぎ去った過去。
遠い昔。
まっとうな時間の上で生きる者には、覆すことのできない、歴史。
でも。
パッフェルは知っている。
目の前の女性なら、もしかしたら、それを可能にすることが出来るということを。
だけど。
パッフェルは判っている。
メイメイはたぶん、自ら、手を出したりはしないだろうということを。
思い出すのは、近くて遠い、過去の日々。
夢のように儚くて、幻のように危うくて。
だけどけっして消えはしない、大切な大切な、その記憶。
――ふう。
小さく息をついて、パッフェルは、杯をテーブルに置いた。
「判ってますよ?」
あのとき、私は本当なら、死んでるはずだったってコト。
「ふふーん? ホントにそうかしら?」
メイメイは笑う。
うりうり、と、楽しそうにパッフェルをつついて、笑う。
手にした杯から酒がこぼれて、その手をしとどに濡らす。
もう、と。
形だけ反撃して、パッフェルも笑う。
「メイメイさんてば。まさか、昔話に花を咲かせるようなお年になっちゃったんですか〜?」
「にゃーにぬかしてんのかしらねぇ、この、おー子ーさーまーはっ!」
「あははは、イタイイタイ、いたいですってばー!」
きゃあきゃあきゃあ。
零れる明るい笑い声は、建物のすき間から光と一緒に闇を照らす。
しまいにはパッフェルの髪をひっかきまわしてたメイメイの手が、ふと止まった。
「つい、ね……たしかめたくなっちゃったのよね」
「何をですか?」
「ほんとーに、もう、これがたしかな現実なんだって」
「メイメイさん、ボケちゃうにはまだお早いですよぅ?」
「ま〜た云うかぁっ」
零れる灯りと笑い声。
夜の散歩としゃれ込んでいた野良犬が驚いて、立ち止まっていた。
その夜は、彼女にとっては小さな祝杯。
その夜は、すべてにとって改変の奇跡。
小さな小さな迷子の少女が、この地を踏んだ最初の日。
旧王国はデグレアの、黒の旅団の指揮官を、脳天直撃撃沈させたその当日。
……なるほどね?
終始和やかな雰囲気で別れた飲み仲間を見送って、メイメイは北西の空に目を向ける。
昨夜まではたしかになかった、小さな星が輝いていた。
まるで、唐突にそこに生まれたかのように。
まるで、闇を突き破ってやってきましたとでも云うように。
唐突にあらわれた、ひとつの魂。
それは、旧く、メイメイの記憶を刺激する。
そんなことはなかったのに。
ありえたはずがないのに。
この魂を知ったのは、たった今のはずなのに。
――ほのお。
十数年ほども前、あの忘れられた島において、いなかったはずの。
十数年ほども前、あの忘れられた島において、存在していたはずの。
それは、気配。
よく似てる。いや、そのものか。
「なーるほどねえ……」
歴史の改変は記憶の改変。
しいては、世界の改変につながる。
本来ならそれは、許容せざるべきことなのかもしれないけれど。
自然に、それは行われた。
その魂がただひとつ、この世界に転がり落ちた事実だけで。
その行く末が、メイメイの知っていた過去をあっさり塗り替えた。
実感していた過去は、知識としての過去になる。
予想もしなかった過去が、確たる過去としてすりかわる。
その瞬間を、メイメイだけが知り、そして感じた。
ありえない。
本来はけして、ありえない。
輪廻のなかで動く魂は、輪廻の糸を解いて結びなおすことなど出来はしない。
だけど、世界がそれを受け入れた。
いや、世界がそれを欲した?
吹き付ける夜風が囁くから、メイメイは、黙ってそこに佇んだまま。
「……ああ、でも、ちょっと嬉しいかも〜」
だって、記憶が生まれた。
あの子が、自分に云ったことが、今、心のなかに生まれた。
「つまるトコ、これを返せる日が近いってコトなのよねえ?」
あのことばを信じるなら――だけども。
ただそれだけをつぶやいて、小さく笑ってみせたのだった。
メイメイの手首をゆるやかに彩る銀の鎖が、同意するように優しく鳴った。
――それは、誰も知らない夜の一幕。
それは、誰も知らない改変の奇跡。……そして現実。