――さらに、そして、教会遺跡から西へ進むことしばらく。
ある意味ダークたちの本拠地でもあるオルコスに、は足を踏み入れ……
「人間!?」
「またですかダーク様!?」
……当然、そんなオルコ族の声にさらされることになった。
二度目でもあるので、彼女も平然としたものだったが。
逆に、
「『また』ってことは、前にも?」
と、オルコ族中の視線が集中しているなかで、気安くデルマに話し掛ける始末。
「そうだよ。今地下牢にいる」
それでデルマがさらっと答えているものだから、オルコ族の混乱はますますひどくなった。
が、それでは埒があかないと思ったのだろう。
一行を取り巻くオルコ族の後方から、長老ことゴーマが歩み出る。
「ダーク様」
云いかけて。
む? と、すぐ目の前に立つに視線を戻した。
「むむ……?」
しげしげと。
先刻、ヴォルクとデルマがそうしたように、頭の上からつま先から。
前後から左右から、眺めて。
ぐるーり、と、の周囲を一周し、前に戻ってきて。
「むむぅ……」
顎鬚を撫でつつ、何がしか考える素振りを見せたのち。
「お嬢さん……もしかして、あんたは……」
ことばを選びながらのゴーマの問いに、は小さく笑ってみせた。
「……ええ。人間の血は、半分です」
「ああ、やっぱりのう。いいにおいがすると思ったんじゃ。……残り半分は、精霊じゃな?」
「――はい。判っちゃいます、か?」
「なんとなくじゃがの。あんたの周りは心地好い。風と炎と水と土。光と闇の加護を感じるよ」
闇が、いちばん強いように思えるがの。
「……はい」
ゴーマのことばに、の表情が少し曇る。
不快という類の感情ではなく、もう手の届かない、遠い何かを懐かしんでいるような。
哀しんで、いるような。
「一緒にいるって約束した子が――強い、闇を持ってましたから」
いつまでも。
一緒にいようね。。
――最後にことばを交わしたのは、いつだった?
お昼寝する、ほんの数秒前だった。
自分のなかではさして時間は進んでないと思うのに、目覚めれば数百年は経過していて。
……気づけばもう、勇者と聖母の物語を共有出来るのは、あの子と彼だけになっていた。そんな頃の、記憶。
が精霊と聞いたせいか、オルコ族の反応は微妙なものになった。
人間は当然忌むべき敵だが、精霊は自分達を進化させた大元だ。
それに。
の預り知らぬことではあるが、先にきた人間の歌を、彼らは聴いている。
そのことが、少しだけ、潤滑剤になった。
しばし、ざわざわと彼らは視線やことばを交わし――
やがて。
ダークが連れてきたことや、デルマと親しげにことばを交わしている事実を、重視することにしたのだろう。
特に問題はないと判断したか、三々五々と去っていく。
残ったのは、ダークたちと、そしてゴーマだけになった。
「ゴーマ。何か用か」
その段になって、ダークもようやく二人に――もとい、なぜかいつまでも残っているゴーマに声をかけた。
の神妙な顔に、なんとなく、割り込める雰囲気を感じなかったせいもあったのだけれど。
そうしてゴーマは、ぽん、と手を打って。
「うむ。ダーク様、つかぬことをお訊きしますがの」
ちらり、ゴーマはを見て。
「この娘は、ダーク様の?」
「ああ、配下だ。今のところは、探し人とやらが見つかるまでの限定らしいがな」
「そうですか。……少々、わしに貸していただけませんか?」
「なんだと?」
唐突な申し出に目をむいたのは、ダークだけでなく。
当のや横のデルマ、ヴォルクでさえ。
そんな驚きは予想していたのか、ゴーマは再び手を髭に添えると、空いた側の手でを示す。
「危害を加えるつもりはありませんがの。ちょいと、話を聞いてみたいだけですじゃ」
「話?」
「ダーク様たちは、火のフラグメントを引き取りにこられたのでしょう?」
「……そうだが?」
少しばかり。
険のある声音で、ダークは頷いた。
コラプ族に預けてあるという、ゴーマの作った火のフラグメント。
代金は500G。
スイエンにフェニックスの血を与えるついでにギドの家に行く予定だった行軍のなかで、稼いできた金額。
(予定外の拾い物までしたが)
……金が要るなら要ると、先に云えというのだ。
ダークの視線から逃れるように、ゴーマはに顔を向ける。
「フラグメントを、スイエンに与えて戻られるまでで構いません。お願いできませんかの」
考える必要は、特になかった。
ゴーマは他のオルコ族と違い、ギドに奴隷扱いされていた頃から、ダークに他意なく接してきたひとりだ。
それに、貸し出し期間もちゃんと明示してある。
かつ、の立場は現在のところはダークの配下、である。拾いもの配下だが。
「……そうだな。、ゴーマに付き合ってやれ」
「はい」
ダークのことばに、も小さく笑って頷いた。
そうしてはオルコスに残り、ダークたちはスイエンの元に再び向かったのである。
町を抜ける間、ちらちらと物珍しげな視線を感じながら、はゴーマの家に招かれた。
その佇まいに思わず笑みこぼれる。
かつて、大陸を縦断していた列車の朽ちたものが、ゴーマの居宅だったからだ。
これが昔何を示していたのか、おそらく、今の時代知っている者はいないのだろう。
それが時代の流れだと納得はするけれど、やはり、少し淋しい。
「なつかしそうじゃの」
「あ、はい。……なつかしい、です」
眠りこけていた間に、こんなに世界が様変わりしていたなんて。
「あんたは、魔族を見ても怯えないのじゃな」
人にとって、魔族とは異形の憎むべき敵であろうにの。
ゴーマのことばに、はやっぱり少し笑う。
「ことばが通じて、いきなり襲いかかろうとされないなら、特に恐ろしいと思いません。あなたたちとは少し違うけど、わたしの友達も魔族ですから」
「それが珍しい。今の世の中、そう考える者などおらんよ」
魔族にせよ人間にせよ。
刻まれた溝は、容易に修復できないほどに深まった、この世界で。
時代に取り残されていると決めつけるには、あまりにも。
この世界の一端を見たうえで、それでも、そう思っているのだと。
「珍しい、でしょうか?」
首を傾げるに、今度はゴーマが笑みを浮かべる番だった。
ひどく。
そう、ひどく、何かが綻ぶ感覚。
地下牢の、人間の娘の奏でる曲を聞いたときに似ている、けれどもっとやわらかな。
――逢わせてみるかの?
「魔族は滅ぶべし。人間は滅ぶべし。それが、今の世界じゃよ」
「・・・・・・」
「あんたのその考えは、今は反発しか生まぬじゃろう」
さすがに絶句したを促して、ゴーマは立ち上がった。
「やれ、歩き回らせて悪いが、話に入る前に、少し付き合わんか?」
「え?」
「あんたに逢わせてみたい者がおるんじゃ」
――地下牢。
ゴーマのおかげですんなりと足を踏み入れたそこは、淡い何かの発光体が生息する不思議な空間だった。
「わぁ……」
初めて見るその光景に、の口から感嘆の息がこぼれる。
「ほほっ、どうじゃ?」
「きれいです……とてもきれい」
「誰?」
そんなやりとりが聞こえたのか、階段の下――つまり牢に監禁中らしい誰かから声がかかる。
その声を聞いて、はふと首を傾げた。
ゴーマに視線を落とし、
「……人間の、女の子の声に、聞こえたんですけど」
「そうじゃよ。……ほれ、行った行った」
わしがおっては怖がるだろうからの。家におるから、気が済んだら戻ってきとくれ。
「……はあ……」
促されるままに。
階段を、とんとんとんと足音も軽く下りて。
出逢いは果たされる。
精霊の承認を受けた者と、精霊の血をひく最後のこども。
――この、黄昏の時代に。
牢の前に歩いてきたを見て、なかにいた少女は驚いた顔をしていた。
それも当然だろう。
オルコ族の町であるここで、まさか(見た目)人間を見ることになるなんて、きっと考えてはいなかったろうから。
もっとも、それはにしても同じこと。
人間と見れば殺す、そう聞かされた魔族たちが、殺さずに閉じ込めていたということに、驚きを感じずにはいられなかった。
が、その疑問は、牢の見張りの云っていたセリフを思い出したことで、すぐに解ける。
たしか、ダークが連れてきたのだと。
何かの利用価値があるから、仕方なく生かしているのだと。
そんなことを、ゴーマに向けて愚痴っていたような覚えがある。
「……あの……?」
とうとうと考えていると、さすがに耐えかねたか、少女の方から声をかけてきた。
少女といっても、外見はと2〜3歳くらいしか変わらないだろう。
実年齢ではとんでもない開きがあるだろうが。
第一印象は活発そうだけれど、どことなく、静かな意志の強さをその双眸に感じた。
どことなく、浮世離れしたような印象もある。
あまり執着や固執とかいう感情がなさそうだな、と、なんとなしに思った。
「あ、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて、はまず謝る。
初対面の相手に凝視されて、いい気分のする者はいるまい。
「わたしの名前は、といいます。良かったら、あなたのお名前を訊いてもいいですか?」
「私は……リリアです」
リリアと名乗った少女は、首を傾げる。
「えぇと……さん……? あなたは、オルコ族、では、ないですよね……?」
「はい」
違いますよ――
そう、が云うより先に。
少し固かった、リリアの表情が和らいだ。
殺されはしなくても、異郷の地にこうして閉じ込められていたのだ。不安でなかったわけがない。
それから、何かに思い至ったらしく、鉄格子の傍までやってきて話しかけてくる。
「でも、どうしてこんなところに? 上には魔族がいるはずなのに」
「ちょっと、お偉いさんにコネが出来まして。そのご縁で」
「お偉いさん……? ダークですか?」
「そうです」
「……なんだか、信じられません。ここで、魔族以外の方に逢えるなんて」
「わたしもです」
ほう、と。
息をついて。
お互いを見て。
とリリアは、くすくす笑う。
――ふと。
空気の質が変わった。
『…………』
呼びかけと、共に。
とリリアの目の前で、小さな火花が渦を巻く。
「光の精霊が……また……!?」
「……光の御方?」
緊迫をはらんだリリアの声に反して、の声はのほほんとしたものだった。
それに力が抜けたのか、リリアが目を丸くしてを見る。
そんなふたりなど知らぬげに、光は――けれど、精霊の姿をとりはしなかった。
ただ、光がに寄り添うように動く。
優しくあたたかく、まるで包み込むように。
『――世界を――』
ただ一言、それだけを残して。
一瞬だけの邂逅は、終わりを告げる。
たった一瞬。ただ一言。
だけどそれは、以前の風の精霊のことばと相俟って、の表情を改めさせるに十分なものだった。
こんなにも。
弱った状態で。
何を告げようとしているの?
「……さん……あなたは……?」
リリアが何事か云っているけれど、それはの心まで届かなかった。
光が触れていた場所に、そっと手を添える。
まだ、ぬくもりが残っている気がした。
遠く――遠く。
はるか遠くに。
去ってしまったはずの、彼等が。
こんなにも、弱った状態をおしてまで。
この世界に何かを、告げようとしている。
それだけしか判らない。
それだけは、判る。
「……これも……精霊のみちびきなのかしら……?」
リリアが。
ゆっくりと、そうつぶやいたときだった。
――ドオオォォン!
地を揺るがす、大きな地響きと爆音。
「ギャアアアァァァァ!!」
入り口にいたはずの、牢を見張っていたオルコ族の絶叫。
それらに伴って、大量の悪意が流れ込むのを、ふたりは確かに感じた。
「な……何?」
「まさか……!?」
呆気にとられたの横で、リリアが愕然とつぶやく。
どういうことか知っているのかとが問おうとしたのと同時、たくさんの足音が頭上で響きだした。
それに混じって、足音の主たちのやりとりが聞こえる。
「雑魚には構うな! リリアを探せ!」
「万一抵抗するものがいれば、殺せ!」
銃撃。
剣戟。
断末魔。
敵意のぶつかり合い。
――流れ込む。大量の負の感情――
「リリアさんを……?」
「さん、逃げてください!」
どうしてこの人が、狙われたりなんかしているのかと。
振り返ったに、リリアが必死の形相で叫んだ。
「彼らの狙いは私だけです! でも、ここにいたらあなたまで!」
上から、声が聞こえる。
「ここだ!」
「怪しいぞ!」
「よし、行け!」
すぐ頭上。
この地下牢の入り口。
は、小さく首を振る。
「さ……」
「出入口、あそこだけでしたよね」
「……あ……ッ」
蒼白になって口元を押さえたリリアに、ゆっくりと手を伸ばす。
昔、そうすると喜んでくれた子を思い出して。数度、軽く頭を叩いた。
「落ち着いて。だいじょうぶ」
「でも……!」
「……わたしね、精霊だろうが人間だろうが魔族だろうが、種族の違いってだけで嫌うのにはあんまり納得行かないんだけど」
にーっこり。
微笑むを見たリリアの表情は、壺から出たばかりの彼女を見たときの、ダークの表情に似ていた。
怒りまくり。
そんなことばがぴったりな、を見たときの。
「でも、こんな、問答無用に力任せで物事を進めようって奴らは、問答無用で大ッ嫌いなの」
――どやどやと。
複数の足音が、駆け下りてくる。
暗闇のなかにそれらの正体をすがめ見て、は笑みを消した。
雪崩れこんできたのは、どうやらどこかの兵士らしい。
統一された軍服に、支給品なのだろう、似たり寄ったりの武器。
いやな既視感。
思い出すのは、かつて世界を破滅に導いた、どこぞの大国だ。
――大好きになった彼らの道を、歪めた、すべての元凶だ。
「なんだ、おまえは?」
先頭きって駆け込んできた兵士が、を見つけていぶかしげな声を放つ。
目的たるリリアは、その後ろ。鉄格子の向こう。
「そうは見えんが、魔族か?」
「さて。どう見えますか?」
ゆっくりと。
微笑んで。
兵士が息を飲まれたように、後ずさる。
「何をしている! リリアを捕獲しろ!」
邪魔する者がいるなら、排除してしまえ!
その後ろからやってきた、おそらく指揮官だろう男が怒声を発した。
それに意識を覚醒されたか、兵士は、ハッとうなずいて銃を構える。
同じように、駆け込んできた他の兵士たちも、に照準を合わせて銃口を向けた。
――ぱちっ、と。
小さな火花がの周囲で踊りだすのが見れたのは、後ろにいたリリアだけだったかもしれない。
「……だから」
怒りを孕んだことば。
「撃――」
『撃て』の『て』まで云わせることなく。
バヂィィィィッ!
「だから、あなたたちみたいな人って大嫌いなのよ!!」
雷撃が、狭い牢内にほとばしる。
女性ふたりを器用に避け、なだれ込んできた兵士たちだけを狙って――
そうして――ダークたちがオルコスに戻ってきたときには、すべてが終わっていた。
5.飛空挺は飛び去った