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水の精霊


 セルキスの姿が灰燼と化したのち、コトリと小さな音をたてて、何かが床に落ちた。
 蒼い、蒼い、手のひらに乗る程度の大きさの石――奇跡の石と彼等が呼んでいた、水霊石だ。
「……何を祈っている?」
 水霊石を手にとり、振り返ってダークは問うた。
 がたった今までセルキスのいた場所に跪き、手を組んで俯いているのを見て。
「還れますように。それだけです」
 ゆっくりと顔をあげて、はそう云った。
「祈りってほどじゃないですけど」
「偽善だな」
「構いません」
 断定のことばには、すっぱりとした意志の含まれたことばが返される。
 確認しなくても判っていた。
 嘆いている。
 哀しんでいる。
 ……本気で。
 魔族相手に。敵相手に。

 ・・・・・・

 ふと思いついて、ダークは問う。
「人間にも祈るのか」
「いえ……種族がどうのじゃないです。わたしは、好き嫌いが激しいですから」
 祈りたいと思った相手には祈りますし、嫌いな相手には、たぶん、祈りません。
 純粋な精霊のように、なにもかもをも分け隔てなく愛することは、出来ません。

 それでもおまえは、そんな相手でも哀れに思ってやるのだろうと。
 そう云おうとして、結局ダークは口を閉ざす。

 ――同時に。
 空気が、ふわりとさざめいた。

 カトレアの裏切りについて云い合っていたデルマたちが、目を丸くしている。
 そういえば、彼らは精霊を見るのは初めてだったはずだ。
 蒼い、済み通った光が、セルキスのいたあたりで渦を巻く。
 蒼い蒼い――水の色。
 水の精霊。
「……水の御方……」
 ぽつりと、がつぶやいた。

『あたしは水の精霊――』

「御方……!」

 ダークの横をすり抜けて、が水の精霊の元へ走る。
 蒼い光に照らされて、本来は黒いその髪が、ゆらりと水に溶けたよう。
 いや、髪だけではなく――
「!!」
 とっさに。
 の腕をつかんで、引き戻した。
「ダークさん……?」
 がくんと体勢を崩したが、慣性に従ってダークに寄りかかりながら、そう問うた。
 答えず、ダークは前方にだけ目を向ける。
 蒼い光。蒼い蒼いかがやき。
 を飲み込みかけた、――どこまでも澄み渡った、蒼いひかりを。

『戦ってはいけないよ……』

 精霊は告げる。
 目の前のダークたちが見えているのか、虚空を見据えて。
『争いや、憎しみは、何も生まない……世界を、負の感情で満たしてはいけない……』
「御方!」
 それを遮って。
 呼びかける。が。
 精霊の娘が。
 ダークの腕を払って、は精霊のもとに走り寄った。
「水の御方! わたしが判りますか!?」
 そこで、やっと声が聞こえたのだろう。
 水の精霊の視線が、つと下を向いた。
 の姿を見て、双眸が細められる。
『ああ――。ひさしぶりだねぇ……、何百年ぶりだい?』
「えぇと、途中寝てたからわかりません! それより御方、何が起こってるんです!? どうしてそんなお体で、こちらにムリして……!」
 わかりません! というのことばで、水の精霊はちょっとがくりと肩(ないが)を落としたようだった。
『やれやれ……あんたも相変わらずだ……恵みのあの子が見たら、なんて云うかね?』
「あ……! 母さんも戻ってきてるんですか!?」
『いいや。戻ってきたのは、あたしたちだけさ。安心おし……元気だよ』
「……そうですか……」
……耳を澄ますんだ』
 恵みのなにがしかが、彼女の母なのだろう。
 会話から推し量れるのは、それだけだ。
 ちょっとだけ気落ちして、けれど元気だという部分で持ち直したに、水の精霊は語りかける。
『そこの、翼持ちのあんたもだよ』
「「な……!?」」
 ダークとデルマの合唱になった。
 思わず同時に背中を見るが、翼が再び生えたとかいうことはない。
 ――一度、もがれたのだから。
 同族たるドゥラゴ族に、あの荒野で。
『耳を澄ますんだ。心を晴らしておくんだ。……世界に再び、闇が迫ろうとしている……』
「――や、み……?」
『……憎しみや怒り……そんな負の感情で、世界を満たしてはいけない……』
「御方……まさか、それ……」
 何が恐ろしいのか。
 小刻みに震えだした身体を、両の腕で抱きしめて。
 それでも、はけっして崩れ落ちることなく、精霊を見上げる。
 けれど、精霊の方はそうはいかなかった。
 告げたそれが、最後の力だったのだろう。
 ゆらりと、蒼い光が薄くなる。
 同時に、その姿もが霧に溶けるように消えかける。
「御方!」
『…………』
 呼びかけに。
 もはや、答える力もなく。それはまるで、幻であったかのように。

 そのの横を抜けて、ダークはそれを手にとった。
 セルキスの在った場所、の目の前、落ちている蒼い石。
 ――水霊石。
「……精霊のことばなど知ったことか」
 握りしめて、つぶやいた。
 半ば放心していたが、ばっとダークを見上げる。
 意識しているのかいないのか、とても鋭い――さながら敵意さえ仄めかせて。
「ダークさん……?」
 心のなかで、耳をふさぐ。
 決意を確かめるように、ダークはつぶやく。

 必要なのは力。
 満たすのは憎しみ。

「心を安らげば寝首をかかれ、心を和ませれば裏切られる……」

 それが、魔族。

 そうして、それらを制するために。欲するのは力。

「オレは、争いと憎しみで魔族を支配する! 力しか要らない! 精霊の戯言など――……知ったことか!」

 鋭さを増すの視線を感じながらも、ダークはそちらを見なかった。
 見ればさぞ壮麗に思えたろうが、同時にそうすれば自分の中のなにかが崩れると、本能的に判っていたから。



16.ルルムへの帰路にて


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知ったことかといわれて、ちょっぴり不機嫌なさんでした。