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ルルムへの帰路にて


 ルルムへ戻る道中、は口をきかなかった。
 具合が悪いのかとデルマやヴォルクが心配していたが、大したことはないと返答していたようだ。
 悪いのは、具合ではなく気分……というか、機嫌なのだろう。

 憎しみで戦うな、という、か細い水の精霊のことばを、ダークは無視した形になったのだから。

 それを間違っているとは思わない。
 今、ダークがこうして歩みを進めることになったすべての由は、あの瞬間に起因する。
 裏切りと。
 憎しみと。
 怒りと、力。
 すべてを失って、すべてを手にした。あの瞬間。

 争いしか知らぬ魔族たちを束ねるには、戦いでもって一度ねじふせ、絶対なる者の存在を教え込まねばならない。

 そして人間を滅ぼすのだ。
 魔族にとって憎しみの対象でしかない、あの生き物たち。
 資源と称して精霊石を食いつぶし、力でもって魔族を滅ぼそうとしている、あの種族を。

 そう信じているし、それは変わらない。
 今回のセルキスとの戦いも、正にその魔族の考え方そのもの。


 ……ねじ伏せているのは、他者だけではないのだけれど……


 ベベドアが、ぴょこっと首を傾げてダークを見ていた。
 それに気づいて、首だけ軽く動かして制する。
 何を読んだか知らんが、何も云うなと。
「ウフフッ」
 伝わったのかどうか、ベベドアは小さく笑うだけだった。
 それから、くるっと回転しての横に並ぶ。
 先ほどからしきりになにやら話しかけていたカトレアが、ちょっとだけむっとした顔になる。
 が、の方は、逆にちょっとだけ笑顔になった。
「なあに?」
 込められた親しみ。
 そういえば、ベベドアを友達に似ていると云っていた。
 小さくて赤いところが、どうとか。
 そのせいだろうか。
 ベベドアに向ける表情は、逢って間もないというのに実に自然に見える。
 ――警戒するのも無理はないと思っている。
 何百年眠っていたか知らないが、気づけば見知らぬ相手が目の前にいて、見知らぬ場所に放り出されて。
 自分たちについてきて見たものは、すっかり様変わりしたかつての世界。
 だから、まだ全面的に信じられてはいないのだと思っている。
 それは自分を殺すといったデルマ然り、コレオプト神殿で思いっきり罠にはめてくれたカトレア然り――
 ヴォルクはいい。アルファとして忠誠を誓うと云った。
 ベベドアも、マスターとダークを呼んだ。
 は、裏切らないと告げただけだ。
 裏切らないというのは、信じると同義ではないとダークは知っている。

 それでいいとも思う。
 それだけでも、カトレアに比べれば遥かにましだ。

 ましなのだ……が。

「鈍色の倦怠。黄灰色のイタミ。疲れてるのね」
「ヴォルク。アンタ丈夫なんだから、おぶってやれば?」
「無茶を云うな」
「ううん、平気です。身体のほうじゃないから……」

 ……なんだか知らないが。
 微妙に苛立ちが募るのは、どういう理由なのだろうか。

 と自問しても、実は判っていたりする。
 単に、自分が一番最初に見つけたものを他者にとられたようで、気に入らないだけだ。
 多少は刷り込まれていても良さそうなものを、ベベドアと一緒にいるほうが楽しそうなのが、気に入らないだけだ。
 ……ペットじゃあるまいし。
 ひとりごちても、胸のなか、生まれたもやもやしたものは変わらない。

「ダークさん」

 呼び方も。
 未だに、ヴォルクと並んで『さん』付けなのも。
 余所余所しい感じがして。

 ……ばかばかしい。

 何に、こだわっているんだ。オレは。

「ダークさんの方が、つかれてませんか?」
 セルキスさんと、最後まで戦ってましたし。

 それでも。
 ちょっと小走りに、先を行くダークに追いついて。
 が向けるのは、気遣うような視線。
 その双眸に偽りはなく、向けられる労わりはダークの知らなかった感情。
 それから、はちょっとまなじりを下げた。
「……ごめんなさい」
「何がだ?」
 妙に返答がつっけんどんになるのは、どうしてだろうか。
「わたし、あなたについていくって決めたのだから、ちゃんと従わなければいけないのかもしれないんですけど」
 でもやっぱり、わたしが持ってる考え方とかあるから、どうしても納得いかなくて反対しちゃうことがあるかもしれません。
「……普通はそうだろう」
「怒らないんですか?」
「その程度で一々怒っていられるか。今回だって、別にオレのジャマをしたわけじゃあるまい」
 そのセリフに。
 ちらり。
 以外の全員の目が、ジャマをしたひとりを見た。
 云うまでもない、カトレアである。
「わ、わらわが何をしたと申すのじゃ!?」
「トボケんなー!」
 よよよと泣き崩れたカトレアに味方する者は、ひとりとしていなかった。
 ただだけが、困ったように、どうしようか迷っていたふうなのは印象的ではあったけど。



 ちり、ちりりっ……
 ちっ…… ちちっ……

 炎が爆ぜる。
 かつて精霊の国と呼ばれた、イピスティアの火山の底で。
 かつてスメリアという名を戴いていた、イピスティアの一角で。
 ぱちっ、ぱちっ、と、炎が爆ぜる。
『――水の声が……』
『娘と……』
『……ただひとりの……』
 繰り返し。
 炎の音に混じって、小さく小さく声が響く。
 そのたびに、炎が爆ぜる音がする。

『おいで』

 ばちっ、と、ひときわ大きな炎がはねた。
 その炎に照らされて、安置された火霊石が、一度きらりと輝いた。


『ここへおいで……



「――え?」
「どうした?」
 ぱっ、とが空を見上げたのは、もうすぐルルムに着くという頃。
 すっかり日は暮れていて、見上げた先には星がいくつかまたたいていた。
 空の端には姿を見せたばかりの月もある。
 ヴォルクのことばに、はしばらく空を見上げ、やがて小さく首を振った。
「あ、いえ……」
 なにか、声が聞こえた気がしたんですけれど。
「ヤベー。幻聴かよ」
「そういうんじゃありませんっ!」
 からかい混じりのデルマの声に、思わずムキになったらしく、が勢いよく振り返った。
 にんまり笑っているデルマを見て、かっくりと肩を落としたけれど。
 先刻まで漂っていた、ちょっと気まずい雰囲気は、今はいったいどこへやら。
 水霊石を無事に手に入れた、そんな安堵もあったのかもしれない。
 ルルムの門が見えた頃、ダークはくるりと一行を振り返った。
「今夜はこのまま、ここで休む。宿は酒場の下でとっておくから、あとは好きなようにしていろ」
「え? 自由行動ですか?」
「自由行動? それは何をするコト?」
 確認を兼ねたのことばに、ベベドアが首を傾げた。
「だから、好きにしてていいんだよ。買い物してもいいし、店ひやかしてもいいし、そのまま寝てもいいしさ」
「ドレをすればいいの? わたし、わからない」
「だーかーらー!!」
 パペットと、ベベドアは自分を称した。
 操り、操られる、人形なのだと。
 なんでもいいからやれと云われれば、自分たちは適当に何かを見つけてそれをやる。
 だけど、たぶん、ベベドアはそれが出来ないのだ。
 『自分で』ということを、たぶん、この小さな自称モンスターは知らない。
 デルマとのやりとりを見て思わず笑いながら、はそんなことを考える。
「ベベドア、わたしと一緒に行かない? まだそんなに遅くないから、散歩とか買い物とかしましょう」
 笑みの残った口調でそう云うと、ベベドアはこっくり頷いた。
「わかった。わたし、と一緒に散歩する」
「散歩ってナニ、とか訊かないだろーな?」
「散歩は、歩くコト」
「がーっ!!」
 おそらく茶化すつもりだったろうが、それに対する身も蓋もないベベドアの返答に、またしてもデルマは頭をかきむしっていたのだった。


 ――そんな、平和な光景を。
 空の上から眺めていた者がいることを、誰も知らない。
 それが飛び立った際起きた小さな風も、一行に届くことはなく溶けて消えていた。



17.お散歩とお話と…


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そうして、炎の呼び声。
だけどまだ、その場所に行くときは遠く。
今はもう少しだけ、その人たちの傍にいます。