彼女は祈る。
大いなる、水霊石へと、祈りを捧げる。
かつての姿を取り戻すべく、一心に祈りつづける――
「ピアンタ族が賢者、――――我が名において、水霊石よ。地霊石によって乾きし我が肉体を潤したまえ……」
祈りは、天には届かないけれど。
強い、それに応えるように、水霊石がかすかに輝きを放った。
まだ淡いその光を見て、カトレアの表情に喜色が宿る。
そのままであれば、光は徐々に強くなると思われた――けれど。
ヒュッ、と。影がひとつ、高みからカトレアに接近する。
祈りに集中しているカトレアには、頭上の動きには気づかない。
影が、月の光を遮るほどに近づいて、ようやく顔を上げるが、時すでに遅し。
「ああッ!?」
見上げたカトレアの手のひらから、淡く輝く石がひとつ、影によって奪われたのである。
――ダークたちがの案内でそこへ辿り着いたのは、ちょうどその瞬間だった。
「ドゥラゴ族……!!」
ひとつ、ふたつ、みっつ……よっつ、いつつ?
宙に浮かぶ複数の影を目にして、ダークはうめいた。
月を背にして羽ばたく、いくつもの影は、どれもが大きな翼を持っていた。
いつか自分が失った翼。
いつか自分がもがれた翼。
羨望など、ないと云えば嘘になる。けれど、思い切ったつもりではある。
翼をなくして初めて、自分は自分になったのだ。
「ダークさん、お知り合いですか?」
「そんなわけあるか!」
「アイツラはッ! ダークの敵なんだよッ!」
語気荒く答えるダークの声に被せて、憤りを隠せないデルマがそう続ける。
そんな彼らのもとに、水霊石を奪われたカトレアがよろよろと駆けてきた。
「ダ、ダーク殿……」
「カトレア! これはどういうことだ!」
「まさか貴様、奴等とグルに――」
「ち、違いますぞえ! わらわはただ、ほんの少しばかり水霊石をお借りして、元の身体を取り戻そうと……!」
鋭い糾弾に、今度ばかりはカトレアも色をなくしていた。
けれど、それはそれでまた追及を起こす種を自分から投げ込んだも同様。
そもそも、黙って水霊石を持ち出したことには変わりないのだ。
そのことをさらに、ダークたちが問い詰めようとしたときだ。
バサァ、と、ドゥラゴ族よりも大きな翼が羽ばたく音が、一行の頭上で響いたのである。
宙に浮かぶ幾つもの影。
ざっと見たときには気にも留めなかったが、うちひとつの影は明らかにドゥラゴ族とは違っていた。
巨大な体躯に、それを支える大きな翼。
逆光で細部は見えないものの、身体のあちこちにつけられた飾り。
肩にあるみっつの面は、本物の骨が材料なのだろうか、白々しく不気味に輝いている。
その巨体からは信じられないほど軽く、その影はダークたちの前に降り立った。
「フン、わざわざ街の外に出てきてくれるとはご苦労だったな。宿に襲撃をかけるつもりだったのだが」
あまつさえ、水霊石を持って一人になるバカもいてくれた。
軽く鼻をならして、そいつは告げる。
「……出たくて出たんじゃありません……」
ぽつり、と、が恨めしそうに背中のちょこを見て云った。
その彼女に、空から舞い降りたそれは、改めて視線を向ける。
昔は人間の間で家畜として在ったという馬に似た頭部。その双眸が、うすく細められた。
「おまえたちの戦いは見ていたぞ」
「……あら」
ちっとも気づきませんでした。
口元に手を当てて、が目を丸くする。
意図的にだろうか、少しおどけた調子の彼女に対して、目の前の魔族は態度を崩す気はないようだ。
「背中のそいつは魔族と見たが、おまえは違うようだな」
「ええ、ちょことは違いますよ?」
「精霊か」
「半分は」
「!」
何をわざわざ、敵に明かすのかと。
そんな非難混じりのダークのことばに、がくるりと振り返る。なんでもないことのように。
「だってこの方、知っててそれで仰ってるんですよ」
戦いを見ていたと云った。
ならば、仄見えていた精霊の力とやらも、感じていてもおかしくない。
それでも。
不用意にそれを認める発言をするのは、自身の安全を考えるとどうかと思うのは事実だ。
戦いを見ている間かすかに思ったが、は生き急いでいる気がする。というよりも、自分の生に無頓着すぎる。
永遠にも等しい時間を生きる故の、それは逃れようのない感傷だとでもいうのだろうか。
「我が名はドグザ」
ふと会話の途切れた瞬間を見計らっていたかのように、目の前の馬頭の魔族が告げた。
名だけではなく、魔族の王になる者だとも。
勿論それで、ダークが黙っているわけもない。が、彼が何か云おうとするより先に、ドグザは手にした蒼い石を見せつけるように持ち上げ、
「水霊石はいただいたぞ!」
「ふざけるな! それはオレのものだ!」
挑発を受け流しきれず、ダークは剣を抜いてドグザに迫る。
金属と、爪のこすれる音がした。
ドグザが、ダークの剣を受け止めたのだ。
「貴様ら……他の魔族の云いなりに動いているのか!!」
ドゥラゴ族としての誇りはどこへやった!?
怒声は、ドグザと、対峙するダークを取り囲むように展開したドゥラゴ族に対して。
敵としてだけのそれでなく、他種族の云うがままに動いている半同族に、嫌悪を覚えてのことだ。
だが、ドゥラゴ族たちは意に介する必要もないと云いたげに、無言で攻撃態勢に入る。
ドグザとの鍔迫り合いで動けないダークに代わって、デルマらがそれを抑えにかかった。
……眠ったちょこをおぶったままのは除く。
足手まといになるのを危惧してだろう、すすっと離れた場所に移動している。
「――大地よ、堅牢なるその力で彼らを守りたまえ」
ぽつりと彼女がつぶやくと同時、ダークたち全員を、淡い光が包む。
ガードフィールドの拡大版のようなものらしい。
けれど。
本人は援護のつもりだろうが、タイミングが悪すぎる。
ギンッ、とダークの剣を弾いて距離をとったドグザが、にやりと口の端を持ち上げた。
「ほう、精霊石なしに魔力を使えるのか」
「それがどうした!!」
「――あの女を確保しろ!!」
ダークの踏み込みを受け流し、ドグザがドゥラゴ族に指示を出す。
ドグザに同行してきているドゥラゴ族は4名、対するこちらもダークを除いて4名――
1対1で押し留められるはずだった。少なくとも数の上では。
だが。
「あれ〜ッ!?」
一番直接戦闘に向かないカトレアが、ドゥラゴ族の起こした風に巻かれて空に飛ばされる。
「ヴォルク!!」
「判っている!」
一体を切り伏せたヴォルクが、デルマの声に応えてカトレアの抜けた穴を塞ごうと動くが、ドゥラゴ族の方が早かった。
地を蹴り、あっという間にに肉迫する。
その腕が伸ばされ、あわや、掴もうとした―― 刹那。
「――漆黒の糸、絶望をつむげ」
「グッ!?」
ベベドアの声が響くと同時。
ビキッと音をたてて、ドゥラゴ族の動きが止まった。
「オオオオオオオッ!」
そこに迫ったヴォルクが、斧を横なぎに揮う。
身動きを許されず、ドゥラゴ族はそのまま命の糸を絶たれた。
響く断末魔。
鮮血が、の立つ場所までも届く。
頬や服を汚す飛沫を、けれどは嫌悪さえも浮かべずに受けた。
「すみません、ヴォルクさん」
「オレたちの援護をする暇があれば、自分の身を守れ!」
そうします、と、は意外にあっさり頷いていた。
戦端が自分に向けて開いたことを、先ほどのドグザの命令とドゥラゴ族の行動で把握したらしい。
ちょこを傍の木に寄りかからせて寝かすと、つと迎撃体勢をとる。
受身ではあるが、自分の面倒は自分で見れるようである。
それに下手に動くと、ちょこが起きるという不安もあるのだろう。それをおしてまで前に出ろとは、さすがに云えない。
「テメエらなんか敵じゃないねッ!」
その前方で、デルマが、さらにひとりを打ち破る。
勿論その間、ダークもぼうっと戦いを見ていたわけではない。
すでに何合となく剣と爪をぶつけあい、時には魔力の応酬も混じり、相当な時間を戦っていたように思う。
ドグザのダークエクストリームは当たれば痛いが、当たったら当たったでキュアが飛ぶ。
ドゥラゴ族を全員無力化した今では、数で勝るのはこちらの方。
援護の見込めないドグザと、まったく逆のダーク。
――これ以上、時間をかける理由はない。
「!?」
それまで肉迫していた間を、前触れもなく大きくとった。
ドグザが戸惑いを浮かべたその一瞬、地を蹴って再び迫る。
先刻よりも深く、懐に潜り込み――
刃が肉を切り裂く鈍い音。それが、戦いの終結。
25.裏切りの対価