深く踏み込みすぎたせいでか、ダークも無傷というわけにはいかなかった。
ダークの剣はドグザの片腕を切断寸前まで抉っていたが、同時にドグザの爪がダークのわき腹を貫いていたのである。
「……逃げられちゃいましたねぇ」
「煩い」
「そんな怖い顔しなくても」
「煩いッ!」
ドグザの飛び去った空を見上げつつ、そうがつぶやいた。
ギリギリまで追い詰めておいて、結局ドグザたちを水霊石ごと逃がしてしまう結果に終わったダークは、苦い顔でキュアを受ける。
「なにが、手にとるように判る……だ……」
戦いの合間、そして膝をつかせても尚、闘争心を失わなかったドグザは、ダークにいくつかのことばを投げかけていった。
大精霊石についての問答、
気持ちが判るとかいう戯言、
それから、
「『信じるな』だと……?」
誰も信じるな。
信じられるものは自分だけ。自分の力だけ。
仲間を疑え。
一時たりとも剣を手放すな。
毒と悪意に満ちたそのことばが、追おうとしたダークの足を縫い止めたのだ。
「ダークさん、ちょっと腕、持ち上げてくれます?」
思考に意識を奪われたダークの腕に、ふとの手が触れた。
「ッ!」
拒絶したわけではない。断じて。
ただ、いきなりのことに驚いただけだ。
そうは思うが、間が悪かった。
「ダーク……」
そう云ったのは、はたかれた手を押さえてきょとんとしているではなくて、治療を終えたデルマ。
ドゥラゴ族から大なり小なり怪我を負わされていた彼らの身体のところどころには、拭い残した血が残っていた。
それがないのはベベドアだが、今しがたキュアを受けるまでは動きがやけに不自然で不安定だったのである。
滅多に見せないデルマの哀しげな表情に、思わずダークも息を飲む。
「……アンタ……」
「――違う」
ドグザのことばに、影響されたわけではない。
そう、告げようとしたのだけれど。
あのことばの残滓が。
残された悪意が。
舌を縫いつけて、動かさない。
見かねたヴォルクが、デルマに何事か云おうと口を開きかけた。
「デルマ、だいじょうぶ」
それよりも早く、が微笑んだ。
「だって、」
「そんな急に、ひとりのことばでひとりの意見が変わるはずないじゃないですか。だいじょうぶですよ」
「――……」
「それにほら、本当に信じてくれてなかったら、キュアだってさせてくれないはずでしょ?」
まだ少しだけ、生々しく思える跡が残っているダークの腕を指し、は告げる。
それは実に正論で。
それから、その表情はとても拒絶された人間とは思えないくらい穏やかで。
だから。
「……そー……なのかな」
ぽつりとデルマはつぶやいて、へたっとの傍に座り込む。
地面に流れる、長い黒髪のかかった肩口に、無防備に頭を押しつけて。
「、アンタ甘すぎ。ダークより絶対甘いよ」
「そうですか?」
「そーだよ。なぁ?」
頭を押しつけたまま、器用にその向きだけを変えて。
デルマが、周囲の一行を見渡した。
ヴォルクが深く頷いて、その横でベベドアが小さく笑う。カトレアが数度首を上下させ――
「ってオイ。」
半眼になって、デルマががばっと身を起こした。
「元はといえばテメエが水霊石を持ち出したのが原因じゃねーか! しかも勝手に! 黙って! 無許可で! ダークからかっぱらって!!」
勢いつけて立ち上がり、カトレアを指差してマシンガンのごとく怒鳴る。
普段なら何かは云い返すはずのカトレアも、今度ばかりは――いや、今まで何度そう思わせて、何度それを裏切られたやら。
「もうガマンならないね! ダーク! こんな裏切り者、殺しちまえばいいんだ!!」
戦いの後の、少し呆けていた周囲の空気が、一瞬にして殺気と敵意に染まる。
向けられる相手は飛び去ったあの一団ではなく、目の前にいる、これまで同行してきたカトレアだけれど。
ヴォルクも、斧を手に立ち上がった。
相当腹に据えかねていたのだろう、風切り音も鮮やかに、カトレアの喉元に斧を突きつける。
「デルマの云うとおりだ。今度ばかりは――」
「ひっ、ひいぃっ!? ダーク殿、お許しくだされ!! それもこれも、かつての姿を取り戻したい一心でのこと、けしてダーク殿を裏切ろうなど――」
「それがすでに裏切りだっつーんだよ!!」
「ウフフッ……」
首を引っ張って、伸ばし、ベベドアが笑う。
無感動なはずのその声は、やけに物騒に聞こえた。
「蒼白の焦燥、赤銅色の切迫感」
――そう、告げる声も。
かつてダークは、ギドを殺した。デンシモを殺した。
何故か?
それは自分を裏切ったからだ。
同じようにすればいい。
簡単なことだ。
カトレアにそうするのは、奴等にそうしたよりもずっと楽だろう。
剣を手に取り、振り下ろせばいい。
裏切り者には血の制裁を。――魔族とは、そのような種族のはずだ。
かつてオレは、裏切り者を殺した。
そうして力を手に入れた。
その後どうした? ――笑っていた、気がする。
おかしくて?
うれしくて?
ちがう。
……あのとき、オレは――
剣に伸ばしかけた手を、ダークは止めた。
「ダーク!」
非難混じりのデルマの声には、首を横に振る。
「裏切り者を殺すのは、デンシモたちだけで十分だ」
あんな思いは、もう。
「ダークさん……」
まだダークの傍にいたが、つぶやいた。
その表情は見なかったけれど、声だけ聞くならば、ひどく辛そうな、苦しそうな口調で。
けれど、その声は聞こえなかったふりをして、ダークは立ち上がった。
26.暁に、約束ひとつ