戦い終えて気づいてみれば、すでに空が白み始めていた。
さすがに連続での襲撃はなかろうと、各々もう一度寝むように告げ(約一名寝っぱなしだが)、ダーク自身はただ、ゆっくりと色を変えていく空を見上げていた。
身体は疲れているはずなのだが、眠気というものをどこかに置き忘れてしまったらしい。
全員が眠っているのをたしかめて、ダークは小さく息をついた。
「……魔族の王か」
ドグザごときに裏をかかれ、それで何が『王になる』だ。
自嘲的な思いをこめて、つぶやく。
それでも。
甘いと云われようが。
なんと云われようが。
自分はドグザを殺そうとしなかったのだし、カトレアさえも結局許した形になっている。
水霊石を奪われたことは心底悔しいが、選択を後悔しているかと問われれば――
おそらく、解は『否』。
甘いのだろうか。自分は。どこまでも。
――戦いと憎しみと、怒りのみが支配する魔族たちの頂点に立つ者が。
「ダークさん」
「なんだ」
不意の呼びかけ。
起き出した気配には気づいていたから、振り返りもせずに応じた。
誰かと最初こそ思ったものの、そのことばで判った。
自分を『さん』付けで呼ぶような真似をするのは、現時点一人しかいない。
「キュア忘れてました。おなかのところ」
寝ついた瞬間に思い出したのか、今にもくっつこうとしているまぶたをこすりつつやってきたのは、予想通りの人物。
「自分でもかけた。放っておけば治る」
そんなことのために起きてきたのかと呆れて云えば、振り返った先の黒髪が、ふるっと左右に振られる。
立ち上がるのもおっくうらしく、手足を使ってずりずりやってきて。
「だめです。治せるんですから治しておかないと」
「律儀なヤツだな……」
あきれ返った色も露に、結局ダークは腕を持ち上げた。
遮るもののなくなった傷口に、の手が触れるか触れないかの位置まで近づく。
――淡い光が、傷を覆うように輝いた。
じんわりとにじんでいた痛みが、それで消える。
ダークを見上げて、が笑った。
「ほら、楽になった顔してます」
「……そうか?」
やせ我慢しているつもりなど、なかったんだがな。
「結構、顔に出ちゃうものなんですよ。隠そうとすればするほど」
もう一度笑って。
そのまま、はべたっと地面に突っ伏した。
結わえられていたはずの髪はいつ解けたのか、無造作に草の上に散らばる。
腕を組んでその上に顎を乗せて、気を抜ききったその体勢に、自然ダークも苦笑する。
「見てきたような云い方だな」
「……だって、わたしが知ってるの、そんな人たちばっかりなんですもん」
自分の痛みなんかどうでもよくて。
他の人の痛みを優先しちゃって。
横から無理矢理手を出さないと、限界まで自分を酷使しちゃって。
指折り数えて挙げられる特徴は、聞いただけではまるで自虐趣味のようにも思えなくもなく。
だけど、そうではないということは、の穏やかな表情が物語っている。
穏やかなそのなかに、隠そうとしている喪失感と哀しみも。
なるほど、と、ダークはつぶやく。
「おまえの云うとおりだな」
含みのあるそのことばに、は意図を察したらしい。
はっと一瞬硬直すると、すぐさま、腕に顔を押しつけた。
「……見ました?」
「見た」
再びこちらを向いたの表情は、むすっとした拗ねた顔。
「こういうときはですね。嘘でもいいから『見なかった』って云うものなんですよ」
「おまえの時代の常識など、オレが知るか」
「時代の常識じゃなくって、心遣いってものでしょう」
「オレは魔族だからな。そんなものには無縁なのさ」
・………
何故か。
そのとき、は微笑んだのだ。
口論(とも云えない大人気ないものだが)の最中だというのに。
それはそれは、嬉しそうに。
「……なんだ?」
唐突なその変化に少し退きつつ問うてはみても、の表情は変わらない。
「いえ、ダークさん怒りますから」
「いいから云え」
「怒りません?」
「……。聞いてからだ」
その答えに満足したのかどうか。
それとも、そもそも告げるつもりだったのか。
とにかくは、ゆっくりと身体を起こしてこう云った。
「ダークさんは、魔族のこと大好きなんだなぁ、と」
ダークは、怒りはしなかった。
ついでに云うなら、これといった反応もしなかった。
……どう対応していいものやら、判らなかったのである。
で、結局搾り出したことばはというと。
「何故……そうなる?」
という、実に情けない一言で。
こんな場面、ヴォルクあたりにはとうてい見せるわけにはいかんなと。
思ったものの、口に出したことばは戻らない。
しっかりの耳にも届いているし、取り消すわけにもいかない。
そんな逡巡をダークが繰り広げている間にも、はにこにこ笑ったままだった。
なにが楽しいのか、必要以上に花畑が広がりそうな笑顔で。
「だって今、魔族って云ったときのダークさん、えぇっと……なんて云うのかな。嬉しそうな顔でしたよ」
「……どこがだ、どこが……!」
危うく大声を出しかけて、他の面々の眠りを妨げてはと、つい声が小さくなる。
「だから、怒るかもしれないって云ったじゃないですか」
とても怒られているとは思えない、そんなのことば。
そういう彼女のほうが、よほど晴れやかな表情なのだけれど。
「ご自分の種族が、誇りなんですよね」
の確信しきったことばに、ため息ついてダークは補足する。
誇りかどうかはともかく、と、前置いて。
「オレはただ、魔族がいつまでも自分たちばかりの争いにしか目を向けず、外からの脅威に気づきもせずに滅びるのが許せないだけだ」
ギドのように。
デンシモのように。
目先の欲望だけを追い求め、そこを突かれて滅びるような、そんな結末を辿りたくないだけだ。
……もう、あんな瞬間は真っ平だ。
裏切り。
力なき身への横暴。
当たり前のように行われる、そんな在り方を、根本からどうにかしてしまいたいだけだ。
――もう、あんな思いは。
「……ダークさん……?」
じっ、と。
がこちらを見ていることに気づいたのは、声をかけられてから。
過去の痛みにとらわれていた思考を引き戻して視線を転じると、薄水色の双眸が、意外なほど間近にあった。
「わたし……なんて云えばいいのか判らないけど……」
数秒の沈黙。
ことばを探すように閉ざしていた唇が、また開かれる。
「あなたのこと、とても、尊いと思います」
「尊い? オレが?」
どこがだ、と、問うより先に。
「ええ。とても」
ひどく――ひどく。
嬉しそうに、誇らしそうに。
が、微笑うものだから。
見惚れたというわけではないけれど、ことばを失ったダークを見て。
また、が笑う。
「最初はね、昔知っていた人たちに似てるなって思ってたんです」
強くて優しくて、哀しい運命に巻き込まれて。
それでも、けっしてくじけずに歩いていった大切な人たち。
「あなたを見てると、みんなを思い出して懐かしくて、だけどちょっと哀しくて」
「・・・勝手に同一視するな」
少しばかり不機嫌になったダークの声音に、果たしては気づいたのかどうか。
「そうですね。失礼だったかもしれません」
素直に謝って、だけど、と続ける。
「でも今は、ちゃんとあなたのこと見てたいなって思ってます」
だからついていこうと決めた。
だから力になろうと決めた。
魔族に痛めつけられ、苦しめられて、それでもその魔族を救おうとしているこの人の。
――手助けをしたいなと、思った。
「前に保留してましたけど、ちょうどいいですから、今、約束します。わたし、あなたの力になります」
わたしの意志も力もわたしのものだけれど、あなたが望むならそのために使います。
あなたを阻む場所には立たないし、害するものがあればそれから守れるように。
真摯な表情で告げられ、ダークは当然戸惑った。
力で負かしたわけでもなく、何ら裏で企んでいるわけでもなく。
ただその心だけで、がそう云っているのが判ったからだった。
「……というわけなんですけれど、部下になるのに必要な儀式とかありますか? 血を飲めとか」
「あるかそんなもの」
直後の、あっけらかんとしたそのことばに、それまでの少し張り詰めた空気は一気に吹っ飛ぶ。
もう、いい。
そんなダークのつぶやきに、きょとんとの目が丸くなる。
「えっと……もしかして、もう部下募集やめたとか?」
「募集など最初からかけてないぞ」
いい加減、他に配慮しての小声ツッコミも気分的に辛くなってきた。
もういい。
繰り返して、立ち上がる。
昇り始めた朝陽のまぶしさに、少し目を細めた。
「おまえがそうするというのなら、わざわざ従わせる必要はない」
その心に偽りがないのなら。
「だから――それでいい。おまえはそのままで、オレに力を貸せばいい」
主も部下もなく。
そう付け加え、ふと視線を動かして、身体を休めている一同を見て。
ああ、そうだなと。――思った。
デルマもなんだかんだいいつつ、あれきりダークに助力している。
力で従わせたヴォルクも、ついてくるといったベベドアも。
カトレアにしたって、不用意に隙さえ見せなければいいだけの話。
経緯はいろいろとあっても。
彼らは最終的に、ダークに力を貸すことを選んだのだ。
強制したのは極一部、最初だけ。
不満があれば裏切ればいい。だけど、そういう意味での裏切りを、こうして旅を始めてからは、味わっていない。
――そうだな。
強き者に従うのが魔族の定め。
そしてダークはドグザに敗れたとは云わないけれど、甘さを見抜かれて裏をかかれた。
それだけで、彼らが自分を見捨てるには十分な要素だろうに。
――それでも。
彼らは、変わらずに、そこに在る。
さっき誇らしそうに微笑ったの、気持ちが少し判るような気がした。
覚えた感覚そのままに、ダークは視線を空へ向ける。
「オレが魔族の王になる瞬間は、誰よりも先におまえたちが見ろ」
腕を、大きく横に薙ぐ。
ドゥラゴ族の特徴を色濃く持った、左腕を。
「オレがおまえたちの尽力を受ける、それを代償にする」
代償なんて、と、顔に書いてことばにもしようとしたを、仕草で留めた。
「……皆さんにも云ってあげれば良いのに」
代わりに、はそう云う。
きっと喜んでくれますよ、と、注釈つきで。
が、それを素直に実行できればそもそも苦労はないのであった。
云えるか、と返す代わりに、ダークはを見下ろした。
「だから――部下じゃない。『さん』はもうやめろ」
「はい?」
唐突なその発言に、はしばらく考える素振りを見せたのち。
「――あ。」
ぽん、と手を打って大きく頷いた。
「はい。ダーク」
とても。嬉しそうに微笑んで。
27.ドラゴニア、到着