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炎の誘い


「え?」

 の周囲の空間が。
 ほんの一瞬。
 紅く染まる。
 それは、白い雪のなかを歩いていたため、とても鮮明に感じられた。

 炎が。
 爆ぜる。

!?」
「あ、いえ……これは――」

 何者かの攻撃かと、臨戦体勢になった一行をなだめるように、がきょとんと宙を仰いだ。
 そののんびりした動作に、ダークたちも構えをとく。
 いくらなんでも、自分の身に危険を感じてこうまでのほほんとはしないだろうから。

 ――ぱちっ。

 炎が爆ぜる。

「……火の御方……?」

 がそうつぶやいた一瞬。

 ぱちィッ!

 ひときわ、大きく炎が爆ぜて。
 そして静寂が訪れた。


 まだ少し固い動作で、デルマがに向き直る。
「なんだよ、今の?」
「……えぇと……火の御方じゃないかな、と」
「御方?」
 戦闘態勢に入ったにもかかわらず、ちょこを背負ったままでいてくれたヴォルクが、斧をしまってそう問うた。
「あ、精霊です。火の精霊」
「このあたりにいるのか!?」
「いえ」
 勢い込んで尋ねたダークの問いは、あっさり打ち消された。
 首を横に振って、は雪の降りしきる空を見上げる。
「どこか――……遠くから。呼んでるみたい。わたしを。おいで、って」
 小さな小さな声で。
「場所は特定出来るのか?」
「まだ、判りません」
「『まだ』と申すと?」
「……もう少し、声が大きくなってくれたら……それを辿って跳べるかも」
 あ、いえ。
 はたっと何かに気づいたらしく、はぱっと一行に視線を戻した。
「空飛ぶってわけじゃなくて、こう、空間跳躍って感じで。それに、わたし、自分しか跳ばせないから役に立たないかも」
「そうか……それなら意味がないな」
 まあ、いいか。
 がっくりと脱力したを視界の端におさめて、ダークはつぶやいた。
「どうせそのうち、嫌でも辿り着く」
 大精霊石を求めるかぎり。
 いつかは。
 そう告げて、ぱっとが頷くのを見届けたあと、ダークは再び歩き出した。

「――行くぞ。ドラゴニアに戻る」

 戻って。
 ドグザらの居場所を訊いて。

 それから――


 竜を統べる王冠を求めた洞窟のなかで何があったか、ダークはまだ、誰にも告げていない。

 ウィンの紋章。
 金竜と銀竜。
 最初に魔族となったドラゴンの血の、証明となる紋章。

 ウィンドルフ。ウィリウォー。

 そして。
 二つに分かれたという、風。

 まだそれは、ダークひとりの胸にだけ、しまわれていることではあった。




 ――だから、だろう。
 ドラゴニアに戻って、ウィリウォーのところへ向かうとき、自分ひとりだけで行くと彼らに告げたのは。




 王冠をとってきたダークの連れという肩書きもあってか、今回はもちょこもすんなりと中に通された。
 元々、初来訪のときすでに、人間にはない能力を有していることを証明しているのだ。
 おずおずとヴォルクの後ろから顔を覗かせているふたりを見る、ドゥラゴ族の反応は良好だった。

 が、今は別のことで、ちょっぴり周囲の空気は剣呑だった。
 結局ダークは、彼らをおいて一人でウィリウォーのところへ行ってしまったから。

 あからさまにご機嫌斜めなのはデルマで、ヴォルクはしょうがないと思っているようだ。
 カトレアはむしろ、好奇心を満たせないことが不満なのだろう。
 逆に、ベベドアはダークのことばに素直に従って、待機態勢に入っている。
「ダーくん、はちみつ主義なのねー」
「それをいうなら秘密主義」
 そしていちばんあっけらかんと、そんなやりとりをしているのがとちょこだったりした。
「テメーらなー……」
 とりあえず、そんなふたりを見て、デルマのご機嫌斜めがほんの少し和らいだことは事実である。



 ウィンの紋章を背中に刻んだウィリウォーは告げる。
 ダークの父、ウィンドルフは己の息子であると。
 若くしてドラゴニアの長となり、一族の未来、自身の期待を託した男であったと。
「それを、あの人間の女などに誑かされ、風霊石を持って――」
 その事実を知ったときのウィリウォーの嘆きはいかほどだったか、ダークに知る由はない。
 ウィンドルフはたしかに、ドゥラゴ族を裏切っていた。
 だが。
 その父は、自分に云ったのだ。

 『魔族を救え』

 ――それが果たして、己の一族を捨ててまでなさねばならないことだったのか、まだ見極めはつかないけれど。

 ウィリウォーは告げた。
 その女の名はナフィアだということ。
 ただし、ダークの兄弟ともども、生きてはいないだろうということ。
「……兄弟!?」
 驚いた。心底。
 一瞬の歓喜にも似た感情は、けれどすぐさま落胆に取って代わられる。
 遠い、遠い昔。
 それこそまだ、乳飲み子だった自分たちと、父母は。
 追われ、追い詰められ。
 ――ナフィアは、カーグという彼の兄弟を抱いたまま、深い谷底に落ちたのだということ。



 結局、自分はどこまで行っても独りだということか。

 訊くべきことを訊き、ドグザらの居場所も聞き出して……まさかディルズバルド軍と組んでいるのは意外だったが。
 ともあれ、ダークはウィリウォーの住処を後にした。
 すぐに、待っているだろう彼らのところへ戻る気になれず、少し歩いた所で立ち止まる。
「兄、か」
 つぶやいて、
「――もしもそいつが生きていたなら、苦しみの一部でも分かち合えたかもしれないものを……」
 自分の腕を見下ろす。
 人の特徴を持つ右腕。
 魔族でしかありえない左腕。
 額のツノ、かつてあった翼、もろい皮膚、固い鱗――

 人としても、魔族としても、中途半端なこの身体。

 どちらでもあって、どちらにもなれない身体。

 ふと。
「そういえば……」
 思い出した。
 オルコスの地下牢に、リリアを閉じ込めていたころだ。
 たしか、彼女は云っていた。
 自分と同じ風霊石を持つ、カーグという男に逢ったと。その母はナフィアというと。

「…………」

 右腕の痣に触れる。
 一瞬浮かんだ考えを捨て去るように、かぶりを振った。
 期待はしない。
 望みはしない。
 そんなことをしてしまえば、叶わなかったときの絶望は何より大きい。
 自分はひとりだ。
 父も母も、兄という存在さえも、天上天下のどこにもいない。

 …………ひとり、だ。

 いない。
 ――いない、はずなのだ。

 もう一度、かぶりを振ったときだった。
 眼下、入り口付近の広場にいるヴォルクたちが目に入る。
 まだダークが出てきたのには気づいていないのか、思い思いの姿勢で彼を待っているようだった。
「…………」
 三つ編みにしている黒髪を解いて、デルマにいじらせている女性の姿。横から、ちょこが何かとちょっかいを出しているようだ。
 自分が魔族と人の子であるように、精霊と人の子である
 彼女の姿形は、自分と違って人のそれに近い。いや、人そのものだ。
 ……自分もそうであったなら。
 せめて、こんな半端な姿ではなく、魔族か人間か、どちらかの姿であったなら。
「――」
 ほんの一瞬、胸が灼けるような痛みが走った。
 その痛みに名前をつけるなら、嫉妬というのがいちばん近かったのかもしれない。
 けれど、すぐにそれを振り払う。

 ばかばかしい。

 アイツはアイツ、オレはオレだ。

「ッ!?」
 気を取り直して、歩き出そうともう一度視線を向けたとき。
 ざぁっと強い風がふいて、デルマが持っていた一房も含めてすべて、の髪が巻き上げられる。
 かなりの長さを誇っていたそれが、風にさらわれる光景はある意味壮観だった。
 が、ダークの目を奪ったのはそんなものではなくて。
 巻き上げられた黒髪。
 露になった首筋。

 ――服のなか、おそらく背中から首筋にかけて存在している、ひきつれたような痕。

 まるで、ひどい火傷を負ったような、そんな傷跡。
 ほんの一瞬。
 見えたのは。
 そんな壮絶なモノだった。




33.その傷痕


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