ちょうど彼女の後ろにいたデルマも、それを見たのだろう。
わぁわぁと、の髪を持って、なにやらすごい剣幕でまくしたてている。
そこに、ダークは走り寄った。
「あ、ダーク!」
ぱっと振り返ったが、笑顔で自分の名を呼ぶ。
けれど、それには答えずに。
「どうしたんだそれは!」
「――は?」
怒鳴ると。
きょとん、と彼女の目が丸くなった。
「その傷だ!」
「うわっ、ダークどこで見てたんです!?」
さっきまであっちにいたんでしょ、どういう視力してるんですか!?
「出てきたときに、ちょうど見えた! それより、それはどうしたんだ! 何故治療しない!?」
一気呵成にまくしたて、ぐるっとの向きを変えさせた。
彼女の髪を持ったままだったデルマが、の背中といっしょにこっちにまわってくる。
「な、ひどいだろ!?」
そのデルマも、ダークと同じような勢いでまくしたてた。
服の襟足から、ちらりと覗く――それでも相当ひどい傷だったのだと思わせる――傷痕を示し、
「今背中見たんだけどさ、一面こんな感じなんだぜ!?」
いつのケガか知らねーけど、これじゃもうずっとこのままじゃないのかよ! なんで治癒しとかなかったんだよ!?
まるで、自分のことのように。憤って。
が、足元でぴょいぴょいと跳ねる物体に気づいたヴォルクが、それを持ち上げた。
そうやって、デルマの目線まで抱えられたちょこが云う。
「ちがうのー。このケガは、がまだ魔法使える前のものなのー」
「……え?」
呆気にとられて。
勢いをなくしたふたりを尻目に、ちょこはを振り返る。
「ね?」
「そうよ。ちょこ、よく覚えてたね」
頷いて、が振り返った。
デルマがまだ手にしていた髪が、さらりと指の間をすり抜けて落ちる。
それでまた、傷痕は隠れた。
「えーと、まあ、ごらんのとおりの火傷です。まだうまく魔法も使えなかった頃の傷で、使えるようになった頃には、もうすっかり固まっちゃったので」
治療系の魔法はそのときの傷を治すもので、こんな古傷の痕なんかまでは対象外なんですよねー。
苦笑して語るの足元で、めずらしくカトレアが憤慨していた。
「しかしじゃ! 乙女の、いや幼子の柔肌にかような傷をつけるとは、そやついったいどういう了見だったのじゃ!?」
「いやえーとその……山火事でしたんで。そやつもどやつも」
まあ、我ながらこんな無茶苦茶な火傷負って、よく助かったなーとか思いましたけど。
「…………」
が、そうカトレアを宥めたとき。
なにやら云いたそうに、デルマが顔をしかめた。
「――」
「だいじょうぶ、ただの火傷だから。ね、デルマ!」
しかし、彼女が何か云うより前に、当のが先手を打った。
にっこり笑ってただ一言。
が、そのただ一言が、他に何言費やすよりも雄弁だった。
自分たちふうに例えるならば、『命が惜しければ何も云うな』――今の一言は、実に、そんな雰囲気をかもし出していたのである。
黙っててくださいね。
ドラゴニアから少し離れた泉で、はそう云った。
竜骨谷からトンボ返りして、なおかつそのままドグザたちの居場所へ向かうのは無理があるということで、出発を明日に決めたそんな夕暮れ。
寝床はドラゴニアに確保したが、水浴びがしたいというやちょこのことばで、女性陣はここまでやってきたのだ。
衰えたといえどドゥラゴ族の脅威が届いているのか、周辺にモンスターの気配はない。
すでに元気よく泳ぎまくっているちょこを微笑ましく眺めて、が服に手をかけたところだった。
「――やっぱり」
ため息ついて、デルマは頷く。
さっき。
嫌がるの背中を、服の襟引っ張って覗き込んだあのとき。
自分が見たものは、錯覚ではなかったのだ。
「なんじゃ、ただの火傷ではないのかえ?」
服を脱ぐ必要もなく、すでに泉の淵に身体を沈めていたカトレアが、そう問いかける。
今だけはつっかかる気力もなく、デルマはに目を戻した。
はらりと、の上着が取り除かれる。
露になった背中には、たしかに、焼け爛れた痕が残っていた。
カトレアが息を飲む。
「紋様。灼き印?」
首をかしげたベベドアの、そのことばのとおり。
中央には、歪んだ六芒星。
それを囲むように、円。
円の外側には、自分たちの知らない文字がぐるりと配置されている。
そうして外側に、文字の外周を覆って二重の円。
それらすべてがいびつに歪んでいるのは、きっと成長していく過程でのことだろう。
――そんな模様が、の背中には灼き付けられていた。
「殿、何故、そのような……」
「精霊といえば、当時から神聖なものでしたから」
大災害よりも遥か昔、まだ精霊がその力を失う前。
「いくらお互い身近とは云っても、一人の人間に精霊が独占されるなんて、あってはならないことだったんです」
「でも、のお父さんとお母さんはちゃんと愛し合ってたのよね?」
ちょこのことばに、頷いて。
脱いだ上着を抱えたまま、は微笑む。
「それだけは自信があります」
誇らしそうに。
「ですが、まあ、他の人は腹を立てたんですね。父へもそうですが、生まれたわたしにも」
少し、苦しそうに。
「精霊の子供は殺せない。でも精霊を奪った罪人の子供でもある。だから、彼らはこの印を灼くことで気を晴らそうとしたんでしょう」
ついでに云うならば、その子供の持つ能力は、とても精霊と呼ばれるに相応しいものではなかったのも原因か。
そう、他人事のように思い返した。
それは罪人の証。
生きている限り消えることのない、烙印。
「――それで、こんな傷が出来ちゃったわけです」
「……なぁ、」
アンタの父親は、何してたんだよ? 自分の子供が、そんな目に遭ってたのに。
問いに。
対する、の答えはというと。
「そのときには、もう、この世のひとではなかったですから」
「じゃ、殺さ――」
「違いますってば。ちゃんと寿命をまっとうして死にました」
困ったように笑って。
「わたし、ほら。千年以上生きてこれでしょう? 幼児時代の成長が遅くて――父が死んだの、まだ人間で云う3歳くらいのときだったんですよね」
父はわたしを連れて人里離れた場所に住んでたんですけど、父の死を知った人たちがやってきて、わたしを連れ出したんです。
そして、さっきの話にいたるわけで。
「知らなかったんですよね、わたし。どこの子供もそんなだと思ってたし、父もまだ、幼児に精霊がどうとか教えてやれなかったんだと思いますし」
自分の力も知らないまま。
幼い子供が、父を亡くして。
やってきた人間たちにつれていかれて。
消えることのない、烙印を押された。
「――なんだよ、ソレ……! そんなの……ッ!!」
自分のなかの何かが熱くなるのを、デルマは感じた。
こんなの、目の前でダークの翼がもぎとられたあの日以来。
知っている。この感情。
これは怒り。
だけど、何よりもずっと、激しい怒り。
「殺せばよかったじゃん! そいつら!! アンタにはそれだけの力があるんだから、目覚めたあとにでも!!」
だけど。
は笑う。
デルマの怒りを和らげるように、にこりと。
「いやいや、それがね。灼きつけられたあと、わたしは森に放り出されて彷徨ってたんだけど、それを母が助けてくれたんですよね」
お父さんが死んだのを知って、訪れてみたらわたしがいなくて探し当ててくれて。
「……なんで、それまでほっといたんだよ、アンタの母親」
「父とわたしが生かされた理由が、二度と母に近寄らないって条件のもとだったそうです」
でも結局はあんなことになったから、母もしびれをきらしたんですね。
人間寄りに育てられたから、わたしの在り方はどっちかというと人間に近いんです。
痕は残ったけれど、出来るだけ治癒してくれて。
苦しかったでしょう、少し眠りなさいって。
「そうしたら、百年くらい眠ってたらしくって、起きたときにはそのへんの人たち、みーんな代替わりしてたんです」
そんななっちゃったら、怒るも何もないでしょう。
「怒れよッ! 前だろうが後だろうが同じ人間だろ!?」
「ちがうよ、デルマ」
「デルマんとカトレアおばーちゃんは魔族なのー。でも、おんなじじゃないのー」
水浴びに飽きたらしいちょこが、ぷるっと髪を振ってやってきた。
濡れた身体のまましがみつこうとする彼女を、もってきた布でくるんでやって、は頷く。
「そういうこと。魔族にいろいろな方がいるように、人間だっていろいろな人がいるんです。それに、後世の彼らはわたしのこと受け入れてくれたから」
「…………」
「だから、いいんです。これだって、気にしなければただの模様だもん」
「――でも」
なお、食い下がろうとしたけれど。
変わらずにこにこしているを見て、気が抜けてしまった。
「アンタって……ヘンだ。ダークよりヘンだ」
「はいはい。ヘンでいいですから。ちなみにダークやヴォルクさんには内緒ですよ」
「なんで?」
「なんだかあの人たち、ずーっと激しく怒りそうな気がするんですもん」
「違いないのう」
「怒り、初めて見たときいちばん激しかったのはヴォルクの色」
「でもいちばん怒って怖いのはなのー」
服を着せてもらったちょこが、バンザイしてそう云った。
「なっ」
まったく悪気のない、純粋にそう信じているちょこのことばに、が硬直する。
が、
「あー、そーだね。アレすごかったよな」
いつぞやのメテオフォールを思い出し、デルマがこくこく頷けば、
「あのときのの色、他の誰にもない。朱金、鮮赤、橙、輝く怒りの色」
ベベドアが、にゅいっと首を伸ばしてそう告げる。
「たしかに、そんな気もするのぅ」
やっぱり頷いて、カトレア。
「ひっ……ひどいっ! わたし、こんなにか弱い乙女なのにっ」
がぁん、と顔に書いて後ずさったに、その他女性一行が云ったセリフはというと。
『どこが』
とゆー、異口同意合唱であった。
その後の騒動は、推して知るべし。
34.せっつく炎