レインがそうして向かったのは、ダークたちの部屋だった。
扉代わりの厚布から光がこぼれているのを見ると、まだ起きているらしい。
壁を軽くノックして、音沙汰を待つことしばし。
「――なんだ、キサマか」
布をまくって顔を出したのは、ウーファーさんの方だった。
の顔を見て、くつくつ喉を鳴らして笑う。
「ダークに用か?」
「どうして判ったんです?」
「そこまであからさまに落胆されれば、誰でも判る」
むぅ。
がかすかに動くたびに、炎がぱちぱち爆ぜる。
ヴォルクはさすがに身を退いたりはしないが、やはり苦笑してそれを示した。
「まだおさまらんのか?」
「はい。どうも御方の所に行かないとダメみたいで。――少し、お暇をいただこうかなと思ってきたんですけど」
「……今からか?」
「そうですけど……?」
少しだけ。
険混じりのヴォルクの声音に、は首をかしげた。
ヴォルクがそういう反応をするのが、意外だったからだ。
彼にとって、自分は特に戦力でもない。重要な位置を占めてるわけでなし、抜けても別に何も云われないだろうと思っていたから。
さっきしぶっていたデルマやカトレアと似たようなことをヴォルクが云っているのが、少しおかしかった。
「今は、だめですか? でも、これ、きっとこれから先どんどんひどくなりますよ」
ぱちぱち爆ぜる炎を示す。
自分が火の大精霊石のもとへ向かうと意思表明したからか、少しばかりおさまっているけれど。
それでも、これをくつがえせば、それまで以上に激しくなるのは容易に想像出来る。
「あ。ちょこならだいじょうぶです! ちゃんと大人しくするように云い聞かせていきますから、騒ぎだけは起こさないと思います!」
何かと云えばちょこのかまってコールを受けるヴォルクの姿を思い出して、慌ててはフォローに入る。
原因はこれかと思ったのもたしか。
けれど、ヴォルクは、
「それは別に構わんが……」
と、なんだか煮え切らないお返事。
はて、そうなるとにはヴォルクの躊躇の理由が判らない。
本格的に首をかしげようとした矢先、けれど、その理由がやってきた。
「――何してる、おまえたち」
どうやら散歩にでも行っていたらしいダークが、ちょうど戻ってきたのである。
それを見て、ヴォルクがさっさと行動に移った。
振り返ろうとしたを、先んじてぐるっと回転させ、ダークの方に押しやる。
「ダーク。が話があるそうだ」
「話……? 今からか?」
「あ。はい。もしダメだったら、明日の早朝でも」
「……今からでいい」
まあ、朝っぱらから叩き起こされるよりはこちらの方がましだと考えるだろう。
「ありがとうございます」
ダーク自身もまだ眠気を覚えてはいないようだし、はこくりと頷いて感謝を示す。
「えっとですね……あ、ヴォルクさん?」
話し出そうとしたの横を、いつの間にやら武器をかついだヴォルクが通り過ぎる。
呼び止めたを振り返り、ウーファーの戦士は低く喉を鳴らした。
「適当に身体を動かしてくる」
「あ、いってらっしゃい」
「ムリはするなよ」
それを揃って見送って、とダークは顔を見合わせた。
「……」
沈黙しばし。
「入るか?」
「はい」
ダークが部屋を示し、そうしてふたりは改めて、室内で向かい合うことになったのである。
――で、数分後。
相変わらず炎をまといつかせたの前で、実に険しい表情になっているダークがいたりした。
「たしかに、その炎も放っておくわけにはいかんだろうが……」
「はい。出来たら早めに解決したいんです」
ついでに火の大精霊石もお土産に持って帰ってこれたら、一石二鳥ですし。
ここは出発の許可をいただけると、助かりますが。
なんとなく。
身の置き所がないような気がして、はそれだけを早口に告げる。
じっ、と。
ダークの赤い眼に正面から見られているというのは、緊張してしまう。
目つきが鋭いから怖いとかいうのではなくて、どうしてか、無条件で従ってしまいそうな何かを感じるからだ。
それをカリスマというのかもしれないが、今ばかりはちょっと困る。
だってダークが反対したら、そのまま頷いてしまいかねないから。
「えっと、久しぶりに跳びますから勘が戻らなくて数日かかるかもしれませんけど、そんなに長くはならないと思います」
「……」
「火の大精霊石も……必要ですよね?」
「そうだな。それはたしかだが、気が進まん」
「はい?」
唐突に。
そんなことを云われ、の目は点になる。
「えっと、でも、ダークの目的に別に反しませんでしょ?」
というより、お手伝いのつもりなんですけど。ささやかながら。
「それが判っているから、腹が立つんだ」
「はい?」
同じことばを繰り返すの頭上には、でっかい疑問符がででんと鎮座していたりする。
「……忘れるなと云っただろうが」
少しばかり苦い気持ちで、ダークはに告げた。
「おまえは、現存するただひとりの精霊なんだぞ」
それを、ふらふらと、ひとりだけで、ほっぽりだせると思うのか。
――その気持ちは、初めてスイエンを捕えたときのそれに似ている。
貴重な存在。
たったひとつのもの。
幸いスイエンはタマゴを残してくれたが、そういう意味でに代わりはいないのだ。
万が一のことがあれば、そこで終わりなのである。
そうしてはというと、じぃっとダークを見つめていた。
普段あまり見せない微妙な表情に、思わず目が奪われたというのもあるけれど。
ダークのことばが耳に入って、脳に届いて、意味を理解して。
結果として、ちょっと想像もしなかったものが出てきたから、一瞬ことばを失ってしまったのだ。
「……もしかして」
だけど黙ったままでいるわけにもいかないし、ダークも何も云わないから、仕方なく、まとまらないままの思考をことばにする。
「わたしのこと、心配してくださってたり、とか?」
「当たり前だろうがッ!」
「うわー。」
怒鳴るように返された答えに、だけど、は怯えよりも嬉しさを感じてそのまま笑う。
それを見たダークが、毒気を抜かれた顔になっていた。
「うわー、うわー。ダークってば、うわー」
「云いたいことがあるならはっきり云え!」
はい、云わせていただきます。
「やっぱりとっても良い方ですよねっ!」
「なぜそうなる!」
再度怒鳴って。
今が夜だということを思い出したか、はっとダークは口をふさいだ。
それがまたかわいらしくて、の表情はますますゆるむ。
ダークは何故か気力を根こそぎ持っていかれた顔で、窓の外に目を向けていた。
「……当然だろう。今は一人でも手数が惜しいんだ」
「はい、それはよく判ってます。だから、無茶はしませんよ」
「…………」
いや。
そんな、思いっきり不審そうに睨まなくても。
が、ルルムの闘技場でさんざっぱら無様なところを見せた記憶はまだ新しいため、としては苦笑いするしかない。
それから、立ち上がる。
元々あまりなかった距離を詰め、ダークの目の前に移動した。
負けないぞとばかりに、引き込まれそうな赤い眼を見すえた。
「だいじょうぶです。信じてください、ダーク」
「……」
睨まれたって退きません。
だって、これは、あなたの役に立つことのひとつでしょ?
「ほんのしばらくの間ですから。きっと、お土産持って戻ってきますから」
ね?
いつの間にか厳しさを消した赤い瞳を見たまま、はその場に膝をついた。
窓辺の淵に腰かけたままのダークの手を、両手でとる。
「おい……!」
振り払おうと腕が動くが、それは留めた。
ひんやりとした、ドラゴン特有の鱗を持つ手の甲。
逆に手のひらは人肌で、ほんのりとあたたかい。
人と魔族。
相容れないとされる種族の血をひく、このひとに対するこの感情は何だろう?
傍を歩かせてもらえる誇りのようであり、力を必要とされる嬉しさのようであり――そのどれでもないような。
でも、いつか感じた、このひとの力になりたいというそれは、今も変わらないから。
今、火の大精霊石が自分を呼んでいて、そこに赴けるのなら。
そうしてディルズバルドという国が、5大精霊石を狙っているのなら。
行くべきだ。
たとえダークがこちらを心配してくれてるとしても、いくら危なっかしいと思われていても。
「わたしは、あなたの力になりたい」
だから、行かせてください。
そう云うのと同時、ダークの腕から力が抜けた。
の両手に左腕を預けたまま、呆れた顔で見下ろしてくる。
「おまえは――……いや、いい」
「はい? 気になりますよ、それ」
「もういい」
「気になりますってばっ」
「だから、もういいと云ってるんだ!」
「わたしはよくありません!」
怒鳴りあい。すぐに、はっと我に返って口を閉ざす。
顔を見合わせて――ひとりはあきれ返ってため息をつき、ひとりは口元を押さえて小さく笑った。
「……それじゃあ、早朝出ます。デルマたちにはもう話していますから」
「ああ」
部屋を辞そうとした彼女をふと、
「」
呼び止めた。
「はい?」
「死ぬな。いざとなれば何をおいても自分の身を守れ。――これは命令だ」
「…………」
はい、と。
至極嬉しそうには頷いた。
何をおいても、望むのは無限の力。
その鍵である、5大精霊石。
それでも。
デルマ、ヴォルク、カトレア、ベベドア、そしてちょこ、。
――それでも、彼らを。
世界のどこにも代えなどない、失えない、そんな存在だと思う。
たとえそれが、人間の云うそれに近くても――それでいいと思った。
翌朝。
まだ宵闇明けぬころ、ドラゴニアの一角で。
6つの人影に見送られ、炎がひときわ大きく爆ぜ、精霊の娘を世界に溶かした。
そうして、彼女は出逢う。
もうひとつの風の片割れに。
36.即行はがれるかぶり猫