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つばさ見えて


 ――ぱち。
 炎が爆ぜた。

「ね、ねえちゃん!?」
「あ……あなた……!?」
「オマエ、どうした!?」

 マルとポーレットとサヨーテンの、驚愕混じりの声を聞いて。
 それから自分の身体を見下ろして。
「あー」
 と、は途方に暮れた。
 おさまっていた炎の舞が、再び自分の周囲で展開されていたからだ。
 これはごまかしようがない。
 ちょっとばかりの恨みをこめて、火の大精霊石に視線を動かす。
 ――呼ばれてる。
 呼んでいる。
 ここへおいでと、少し前からずっと、に呼びかけていた意志。
 しょうがない。行きますか。
「君……いったい……!?」
 たしかカーグとか云った、先頭に立っていた少年の横を通り過ぎる。
 向かうは当然、呆然としているタチアナの傍、火霊石のある祭壇。
「危ない! 待つんだ!」
 彼女の攻撃を予想したのだろうか。を下がらせようと、カーグが腕を掴み――

 ドクン

 ひとつ。
 大きな鼓動が、触れた場所を中心に発生した。

『!?』

 驚愕は同時。
 距離をとろうと離れたのも同時。
「――あなた……!?」
 同じ感覚だった。それは。
 つい数時間前に自分を見送ってくれた、共に旅をしている少年に触れたときと。
 まったく同じ――気配。
 姿も違う。気性もたぶん違うだろう。
 けれど。
 遅まきながら気がついた。
 彼の右腕にある痣。それは、ダークと同じ形。同じ位置。
 そうして彼は、ダークと同じように、その痣に触れた。緊張した面持ちで。

 は知らない。
 ダークがウィリウォーから聞き出した、彼の出生にまつわる話を、まだ知らない。

 戸惑ったの目の前で、カーグが体勢を立て直す。
「……ッ!?」
 けれどすぐ、苦しそうに自分の身体を抱いた。

 ドクン

 鼓動が伝わる。

 ドクン、ドクン

 鼓動が共鳴している。

 ドクン、トクン、ドクン、トクン――

 誰と。何と?

「――熱ッ……!?」

 ぼう、と、カーグの周囲に何かの力が広がった。
 場所が場所なだけに、それはまるで蜃気楼のよう。
 応じるように、の周りで踊っていた炎の勢いが激しくなる。
 まるで、炎がカーグに触れた瞬間に力を増幅させたようだった。
 ……あ、そういえば、風は火を佑けるんだっけ……?
 でもどうして。
 このひとは、人間じゃないの?
 炎を鎮めようと閉じた目を、開いた刹那。

 ――翼が見えた。

「……!?」

 実体ではない。
 カーグの周囲の力が生み出した、それは、ほんの一瞬の幻影。
 だけれど、それは翼だった。

 大きく、力強い、一対の翼だった。

「――く……っ!」

 予期してもいなかっただろう力が、自分の周囲で暴れているのだ。
 さぞや負荷は大きいだろうに、カーグはそれでも膝をつかない。
 すでに、翼は消えていた。
 今彼の周囲にあるのは、さっきと同じ蜃気楼のようなもの。――力の具現。
 そうして、それに呼応するように、の周りの炎も活性化していた。
 間違いない。
 理屈も原因もはっきりしないけど、少なくとも、自分と彼が妙な具合に呼応してお互いのそれを増幅させているのだけは間違いなかった。

 なんとかしないと。

 カーグはたぶん、力の制御なんて出来ないだろう。
 となれば、自分の方からどうにかするしかない。
 でもこれはの力ではなく、火の精霊の意志が引き起こした呼び声だ。

 ――それなら。やることはひとつだけだった。

 身を翻す。
 向かうのは、もうすぐ目の前の火の精霊石――それを守る結界。
 手を伸ばす。
 どうのこうの云ってられない。
 このままでは、自分はともかく彼の方が先に参ってしまう。
 相変わらず呆然としているタチアナが、ふと目に入る。
 ディルズバルドが厄介なのは重々承知しているが、――しょうがない。あきらめよう。

 渦巻く炎に触れた。
 ……少し、楽になる。

「御方」

 呼びかける。

「火の御方――聞こえますか? わたしです……です」

 炎が。
 応えるように、大きく渦巻いた。
 ――逆効果。

「炎を治めてください、御方! これじゃ、あっちの子が参ってしまう!」

 強い口調で懇願して、そうしてようやく、の炎も、大精霊石の周りに渦巻いていた炎も、その姿を消したのだった。

 予想通り、カーグの周りに渦巻いていた力の具現も、それで収束する。
 息をひとつ大きくついて、彼は背をまっすぐ伸ばした。
 そこに、ポーレットたちが駆け寄っていく。
「カーグ! だいじょうぶ!?」
「ああ、だいじょうぶだ」
 そのやりとりに信頼を感じて、はふと口の端を緩めた。

 いつか自分はダークに云った。
 まだ世界の半分を知らないから、人間を好きになるか嫌いになるか判らない、と。
 実際、ディルズバルド兵みたいなのしかこれまで知らなかったから、むしろ嫌いに傾いていたかもしれない。
 でも。
 カーグたちを見ていると、ダークたちを思い出す。
 敵対してる、相容れない同士だけれど、彼らと彼らはよく似ていると思った。

「……おまえたち……いったい、何なの?」

 半ば自失している様子のタチアナが、震えた声でに問う。
 ……少しだけ、迷って。
 しょうがないかと、は息をついた。
 だけど、その前に。
「――これ……頂いていきますね。待っているひとがいますから」
 火霊石に手を伸ばす。
 元々、自分はこのために来たのだ。
「「な……!?」」
 複数の驚愕の声。タチアナのみならず、カーグたちからも異口同音に。
「待て! 君はそれが何だか知っているのか!?」
「ふざけないでちょうだい! それはディルズバルド帝国こそが手にすべきものよ!」
 ――あわや。
 周囲全部とさらに一悶着起こすことになるかと思ったときだ。

 再び、炎が具現する。
 ――それは、火の精霊の出現――

『……風の声を聞きし者……恵みの子……』

「火の精霊!」
「御方――」

――われをおさめよ……』

 カーグの声と、の呼びかけの途中で、火の精霊はそう告げた。
 唐突な名指しに、はきょとんと自分を指差す。
 呼ばれたのだから目的はあったのだろうが、まさか、ここから石を持ち出すためにだったのだろうか。
 そして、周囲の人々も驚愕混じりにを見ている。

 そんななか。
 精霊だけは淡々と、誰に云うでもなしに――ことばをつむぐ。

『かつて万物に精霊は宿り……人は精霊とともに生きた』
 にとっては懐かしい時代。
 カーグたちにとっては、たぶん、信じられないほど遠い昔のこと。
『……欲望と憎しみに……とらわれたとき……精霊なき世は……暗黒の闇にのまれる……』
「御方……まさか、本当に、その兆しが?」
『まだ……はっきりとはない。だが……』
 それ以上を、精霊は語らなかった。
 口を閉ざして、首を振る。
 次の瞬間には、今のやりとりなどなかったかのように、別の意を抱くことばを放つ。

 伝えることが多すぎて、ありすぎて、断片しか伝えられない、そんなもどかしさ。

。……風の声を聞きし者……世界に愛と調和を……』

 それが、最後の希望となる……

 馴染んだ波動が、手のひらを通して伝わってくる。
 火霊石――火の精霊の意志。
 そういえば、呼んでくれたのは助かったけど、どうしてわざわざ?
 そんな疑問が浮かんで、は、かなり姿の薄くなった火の精霊を改めて見上げた。
「御方。……わたしを呼んだのは、あなたをここから動かすためだけ、なんですか?」
『それは――』
「?」
 少しばかり、云いよどんで。
 火の精霊は目をそらした。
 なんとなく厭な予感がして、が詰め寄ろうとしたとき――

 フッ、と、何の前触れもなく精霊は姿を消す。

「あー! 御方逃げないでください!!」

 させてなるものかとは叫ぶ。
 が、火の精霊が姿を消したのは、への返答に窮したわけではなかったらしい。
 もしかしたら何分の1かくらいはあったかもしれないが、メインは――

 ダダッ、と、走ってくるそれ。
 カツカツカツ、と、特徴的なそれ。

 複数の足音が、この空間への入り口から響いてきたせいだった。



39.皇帝陛下と火霊石


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