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皇帝陛下と火霊石


「――火霊石を渡してもらおうか」

 低い、男性の声。意外と耳に心地好く響く。
 けれど、相手を見下しきったような、勘に障る喋り方。
 力を持つ者としての、自信と誇りに満ちた口調。
 振り返って目にしたその人は、姿も振る舞いも、それに相応しい存在だった。
 ――誰?
 感じた問いは、タチアナの声で解かれる。

「ダッカム皇帝陛下!」

 ざわり――もカーグたちもすべて含めて、空気が騒いだ。

 なるほどあれが、と、妙に冷静な気持ちではダッカム皇帝陛下とやらを見下ろした。
 云われて見ればなるほどたしかに、その座に相応しい人物だと思える。
 世が世なら、その溢れるほどのカリスマで、一国をまたたく間に隆盛させることさえ出来ただろう。
 尤も、それは彼の目的のあり方次第。
 そうして彼の目的が大精霊石だとか無限の力だとかを欲しているおかげで、今こんなことになっているのだから。
 ――うん。はためーわく。
 本人が知ったら怒りそうな結論を出したの前で、カーグがダッカムを睨みつける。
「ふざけるな! みすみす渡したりすると思うのか!?」
「思わんよ」
 が、カーグの怒気も、ダッカムはさらりと受け流す。
 またしても、厭な予感。
 そうしてそういうものに限って、何故だか連続で的中してしまうものなのだ。

 ――コツ、と、足音ひとつ。

 今しがたなだれ込んできた彼らに比べれば、随分と軽い。
 そう思ったのと、足音の主がフロアに姿をあらわしたのは、ほぼ同時だった、

「リリアさん!」
「リリア!」
「カーグ! ……さん!?」

「「「……え?」」」

 そう。
 ダッカムにつれてこられたのだろう、たった今姿を現したのは、あのときオルコスから連れ去られたリリアだった。
 たった数言ことばを交わしただけだったけど、光の精霊まで現れたあのときのことは、今も記憶に新しい。
「ふたりとも、知り合いだったの!?」
 ぽかんと顔を見合わせた、とカーグとリリアのうち、真っ先に立ち直ったのはリリアだった。
 意外と肝が据わっているのかもしれない。
「え、いや、知り合いっていうか、ただここではちあわせたっていうか」
 そのとおりなのだが、じゃあなぜとか訊かれると返答に困る。
 説明するには、ここに来た理由と方法を告げる必要があるからだ。
「リリアこそ……この人と知り合いだったのか!?」
「あ、それは――少し前に、話す機会があって」
 どことは云わずに、微妙にことばじりを濁すリリア。
 まあ、魔族の町オルコスで出会ったとか云っても、現時点信憑性まったくなさそうだし。
 カーグとリリアの会話の間、はリリアを注視する。
 ケガなどしている様子はない。
 疲れていそうなわけでもなく、いたって健康そうだった。
 でもって、彼女をダッカムが人質のようにしてつれてきたということは、リリアはカーグたち寄りの立場なのだろう。
 はて、それならどうして彼女は、最初に逢ったとき、魔族のテリトリーであるオルコスに捕まっていたのだろうか。
 ダークはどこぞの森で捕えたとか云っていた気がするが、そもそも彼女はどうしてそんなところにいたのか。
 ……今は、そんなこと訊ける雰囲気でもないが。

 思考に沈んでいた意識を戻せば、カーグとダッカムの間で火霊石とリリアの取り合いが論じられていた。
 早い話が、人質であるリリアを解放する代わりに火霊石を渡せとダッカムが云っているのである。
 だからといって、カーグたちも素直に渡すわけにはいかないのだろう。
 少なくとも、彼らは5大精霊石が何なのかくらいは知っているはずだった。

 とゆーか、今火霊石を持ってるのはなのだが、当人そっちのけで渡すの渡さないのやりあわないでいただきたいものである。

 けれど。
 さすがに、これを見捨ててとっとととんずらするのは後味が悪い。
 空間跳躍してもいいのだけど、残された彼らがどうなるのか考えると、出来なかった。
 それにリリアを見捨てていけない。
 どういう理由なのか判らないけど、彼女も何がしか精霊と関係がありそうで。
 ――なんだか、懐かしくて。
 だから……このまま立ち去ることも、火霊石を独占することも、できなかった。
 が思考している間にも、彼らの会話は進んでいる。
 マルがタチアナを人質交換に使おうとしたが、ダッカムはそれを切り捨てていた。
 タチアナでは人質にならないのだ。
 彼女は、ダッカムがそうと命じれば、自ら命を捨てるだろうから。
 なんとなく、ダッカムがどういう性格でどういう施政をしているのか判った気がした。
 そしてが火霊石を渡すのを固辞しつづければ、リリアがどうなるかも。
 ため息、ひとつ。ついて、は足を踏み出す。
「カーグさん」
「え?」
 ぽん、と。
 火霊石をカーグに渡した。
「決断は、あなたにお任せします」
 自分はダッカムという相手をよく知らない。
 けれど、カーグたちなら知っているだろう。
 その分だけ、交渉には彼らのほうが向いているとは判断した。
 勝手な判断だとダークは怒るかもしれないが、彼だって、リリアのことは気にかけていたから。
 そうして行動を起こしたを、ダッカムが初めて気づいたとでも云いたげに見据えた。
 冷たい視線。
 値踏みするようなまなざし。
 不快感も露に、もダッカムを見返す。
 ふん、と、さらに不快そうに、ダッカムは鼻で笑う。
「――何者か知らんが、魔族と馴れ合うとはな」
「――」
 ぷい。
 挑発なんぞ知ったこっちゃないとばかりに、そっぽを向く。
 サヨーテンが見ているのに気づいて、にっこり笑ってみせた。
「カーグ、これはおまえの差し金か?」
「違う! 彼女とはここに来て初めて逢ったんだ!」
「そうですよ。むしろ、魔族と仲良くするなとどつかれたんですから」
 あくまでダッカムの方を見ないまま、とりあえずカーグの援護射撃。
 まあ、ああいうタイプの人間が、この程度の挑発返しに乗せられるとはも思っていないけど。
「――フン。まあいい。カーグよ、これで最後だ」
 の追及よりも火霊石を選んだか、――当然といえば当然なのだが――ダッカムは、再びカーグに視線を戻す。
「火霊石を渡せ。そうすればリリアを解放しよう」
「…………」
 逡巡。
「カーグ、ヤツを信用するのか?」
「……でも、リリアを見捨てるわけにはいかない」
 ガンツの問いに、重い口調でカーグは応じる。
 さらに逡巡。沈黙。
 ――そして。

「わかった」

 顔を上げたカーグは、一文字ずつ区切るように、はっきり、そう云ったのだった。


 カーグが、火霊石を携えてダッカムの元に向かう。
 吊り橋のちょうど真ん中あたりで、彼は立ち止まる。
 それ以上近づけば、ダッカムの周囲の兵士たちの間合いである。
 逆に云えば、カーグが一息で飛び込める間合いでもあるようだ。
 そのことを判っているのか、ダッカムがそこでカーグを止まらせたのだ。
「リリアを放せ」
「火霊石が先だ」
「――……」
 誰が見ても、優位なのはあくまでダッカムの方だ。
 カーグもそれを判っているのか、小さく俯いた。けれど、すぐに顔を上げる。
「……受け取れ」
 ぽーん、と、きれいな放物線を描いて、火霊石はダッカムの手におさまった。
 ダッカムはそれを見、満足そうに頷く。
 そうしてカーグが、一歩踏み出した、
「約束だ、リリアを――」
 ……刹那。

 にやりとダッカムが笑い、
 背後の兵士が何やら動き、

 耳を。
 つんざくような爆音と一緒に、カーグの立っていたつり橋が吹き飛ばされた。

「爆弾!?」
「ダッカム!!」
 驚愕、怒号。
 それに混じって、

「風よ!」

 の声が響いた直後。
 眼下の溶岩に真っさかさまに落ちようとしていたカーグの身体が、まるで蜘蛛の巣にでもひっかかったように不自然に止まる。
「――ふう」
 気を失っているのか、それとも爆発で負った傷がひどいのか、カーグは動かない。
 それでも、風が伝えてくる彼の様子は、命に別状はなさそうだった。
 無理矢理呼び出されてくれた風にお礼を云って、ついでに自分たちのいる広場まで運んでもらう。
 衝撃を与えないように、ゆっくりゆっくり床におろした。
「カーグ! カーグっ!」
 すぐにポーレットが駆け寄る。
 彼女がカーグの治療にかかるのを横目に、は視線を入り口の方へと向けた。
 もはや、そこには人影すらない。
 つり橋を吹き飛ばした爆発に紛れて、ダッカムたちはとっくに姿を消していた。
 当然リリアの姿もない。
 ……さて。
 リリアがダッカムのもとにいた以上、彼女の持っていたという光霊石はすでに奪われたと考えるのが妥当だろう。
 そのうえで、なお、ダッカムはリリアを手放すつもりはないようだった。
 ――それが気になる。
 が、今は、それよりもっと気になることがあった。
「つかぬことをお伺いしますが」
 何も出来ずに突っ立っていた(ムリもないが)サヨーテンを手招いて。
「ここ、あそこ以外に出口あります?」
「ないぞ」
「…………」
 つまり。
 カーグらともども、は、思いっきり閉じ込められたということであった。



40.火の意思


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