いや、別に。
火霊石は持っていかれたんだし、とっとと見切りつけてダークのところに戻るのがいちばんだと理性は云っている。
云ってるんだけど。
いくらなんでも、このままほったらかしていくのは後味が悪いんですってば。
ごめんなさいダーク。帰るの、少し遅くなるかもしれません。
今ごろ彼らは、雷神岬でドンパチやってるころだろうか。
もしかしたらとっくに終わらせて、次の目的地に移動しているのかもしれない。
ちょこがいる限りどこにいようと戻れると云ってきたから、ドラゴニアに留まって時間を無駄にしてたりはしないだろう。
――そんなふうに、思いを馳せていたときだ。
「あの、って云ったかしら?」
「はい?」
やってきたとたんに牙をむこうとしたサヨーテンの後頭部をどついて、は振り返る。
カーグの治療を終えたらしいポーレットが、きゅっと口を引き結んで立っていた。
「あなたも、精霊の力が使えるの?」
「わたし『も』?」
「……さっきカーグを救ったとき、使ったのは、精霊の力じゃないの?」
「――ああ」
手を打って。
こくり、頷く。
「一応、そういうことになりますね」
「それじゃあなたも、精霊に選ばれた――?」
「いえいえいえ、そんなご大層なものじゃないです」
やっぱり精霊は特別視されるものなのかと、ごちるのは心中でだけ。
「ま、それなりに事情ってものがありまして――」
笑って、そう付け加えようとした瞬間。
ごご……と、かすかな地鳴りが、たちの足元から響いてきたのである。
「――!?」
揺れはすぐに大きくなる。
立っていられないほどではないが、平衡感覚を狂わせるほどの震動。
「あー!」
飛び上がって、そんな素っ頓狂な声を出したのはマルだった。
「忘れてた! ここもーすぐ噴火するって、ザップじいさん云ってたじゃん!!」
愕然。
カーグとの共鳴とかダッカムの出現とかで、彼らもすっかり忘れていたのだろう。
初めてそれを聞いたに、負けず劣らず驚愕の表情になる。
「そんな大事なこと忘れないでくださいよ!」
「しょうがないだろ! なんかここきてごちゃごちゃあったんだし!!」
道理である。
「サヨーテンさん、本当に出口ないんですか!?」
振り返って問うが、ラケルタ族さんは首を左右に振るばかり。
「……って、あなたたちは、噴火しても溶岩だいじょうぶなんですか?」
「オレたちは短時間なら平気。巣もあるし、そこに戻ればいいだけだ。アンタたちは平気じゃないのか?」
「生憎、ちょっと触ったらあっとゆー間に骨まで燃えますねえ」
「そうか。それじゃ死ぬな」
「死にますね……」
ちらり。
とりあえずカーグを起こそうとしている一行を見て、は何度目か判らないため息をつく。
見捨てていけば助かるのは、充分判っている。
判っていても、そうは出来ない。
――後味が悪い。
そんな消極的な理由だけれど、今はそれが最大の理由。
「火の御方……本気で一生恨みますからね」
まだほんの少しばかり残っている、精霊の残滓に、は至極物騒な声で語りかけた。
火の精霊の残滓はに告げた。
あまりに長くここに据え置かれたため、火の力が強くなりすぎたと。
だから、早く火霊石をに手にしてほしかったと。
――水霊石こと水の精霊が、がこの世界にいるのを伝えたときから、すでに火の精霊は呼びかけを始めていたのだと。
ルルムでのあれは、気のせいではなかったのだ。
火の力の流れを探る。かなり速い。強い。荒れ狂う馬のよう。
なるほど、これは噴火どころでなく山ごとふっ飛ばす大爆発が起きかねない勢いだ。
背後ではカーグが目を覚ましたようだった。
彼の仲間たちが喜んでいるのが聞こえる。
もっと、噴火が目の前に迫っているということもあってか、それはすぐにおさまった。
ちらりと、祭壇の横で放心したように立っているタチアナを見た。
が何かしているのは見えているだろうに、それが心まで届いていないのか、虚ろな目。
それはそうかもしれない。
ここに残された時点で、自分たちと共に死ねと宣言されたようなものだから。
……やっぱり、ディルズバルドは気に入らない。
タチアナは気にはなるけれど、今は火の流れを探るのが手一杯で、声はかけられなかった。
そうして、何事か話し合っていたらしいカーグが、こちらにやってくる。
「……タチアナ」
呼びかけ。そして、何を云っていいのか判らないようだった。
逡巡する気配。
そしてため息。
それから、に向けられる視線。
「すまない。君がどんな事情で来たのか判らないけれど、俺たちに巻き込んでしまって」
「まぁ、カーグと遭遇したのが運のツキだよな」
火霊石渡そうとした時点で、もうオイラ覚悟してたけど。カーグってそういうヤツだもんな。
気楽に云う声は、マル。
別にカーグを責める意図はなく、そうでなければ彼でない、とでも後ろにつきそうな感じ。
は応えない。
「……どうかしたのか?」
「コイツは、火の流れをさぐる。ジャマするな」
サヨーテンが、代わりに答えてくれた。
肯定のために軽く頷いて、もう一度、荒れ狂う炎の流れに意識を伸ばす。
「火の流れを?」
「噴火なら何年かに一度起こる。けど、今からのは山ごと吹き飛ばす爆発になるかもしれないってコイツ云った」
「げー!? マジ!?」
「コイツは、それを、止める」
いつの間にか、魔族であるサヨーテンと、カーグたちは普通に会話していた。
この窮状で、連帯感のようなものが生まれたのだろうか。
「……止めるって、どうやって?」
今度の声はポーレット。ただし、明らかにに向けて。
そんなに魔族に恨みがあるのだろうか――返答してやりたいが、もう少し手は離せない。
軽く首を振って、目を閉じる。
閉じた瞼の裏に、このあたり一帯を走る血管のような、火の力の流れが見える。
ひとつずつ、たぐる。
すべての流れに干渉出来る大元を、さがす。
さがす。
さがす。
……さがす――
――みつけた!
瞬間。
「うわ!!」
「ぬっ!?」
「きゃあ!?」
それまでの比でない大きな揺れが、連続してたちのいる場所に襲いかかっていた。
限界が近い。
傾いだ身体を立て直し、見つけたばかりの大元を確認する。
ほぼこの真下、浅い位置にそれはあった。
「火霊石があればな……」
火の精霊の力があれば、噴火を止めるのも難しくなかっただろう。
だが、火霊石は持ち去られた。
自力で出来るのは、100を30程度に留めること――けれど、その30をも止めないと、ここにいる一行は間違いなく死ぬ。
それだけは避けたい。
となれば。
ないものねだりをしている暇は、ない!
そう、覚悟を決めたとき。
不意に、ガンツの声が耳を打った。
「何か聞こえないか?」
「――え?」
そのことばに、のみならず、タチアナを除く全員が反応して耳を澄ます。
「いや、地鳴りとか溶岩の音ぐらいしか聞こえないけど……」
いぶかしげな表情でカーグが云うが、ガンツは、逆に確信を持ったようだ。
ちなみに、もカーグの云った以外の音は聞こえなかった。
が。
やはりガンツは、確固とした口調で告げたのである。
「いいや、聞こえる。これは飛空挺の――」
その先を彼が告げるより、さらなる来訪者が姿を現すほうが早かった。
――バサァ、と、上空から、何かが空を切って降りてくる。
それは縄梯子だった。
それに足をかけた、ひとりの男性だった。――かなり派手な恰好の。
「カーグ!」
その男は呼びかける。カーグに。
「乗れ! もうすぐにでも噴火するぞ!」
「シャムスン!」
喜色もあきらかに、カーグが一行を促す。
マルとポーレット、ガンツを行かせたあと、カーグはタチアナを振り返った。
「タチアナ! 行くぞ!」
けれど、タチアナはうつむいて、小さな声で何かをつぶやくばかり。
少し距離があるせいで、そちらに走ったカーグと、タチアナのやりとりはには聞こえなかった。
聞くほどの、余裕もなかった。
「オマエは行かないのか?」
「行きますよ。せめてこの爆発を最小限に留めてからね」
サヨーテンの問いに、首を振って答える。
ここがどこかは知らないが、これまで蓄積された火の精霊力のオプションつきで山を丸々吹き飛ばすほどの爆発が起これば、冗談抜きでかなりの範囲が犠牲になる。
噴火ならば、多少は、軽減されるだろう。
縄梯子の男性が来てくれたおかげで、完全停止させる必要はなくなったのだから。
元々、噴火するのは自然現象だし、あんな窮状でなければ、だって無理矢理止めたりなんぞしたくないのだ。
で、問題は。
「君も早く!」
――と、こちらにやってくるカーグを、どう説得するかということだったりする。
タチアナはすでに飛空挺に移動したのか、この場に残っているのはとカーグだけだった。
縄梯子にいた男性は、一行が登る際に先んじて飛空挺内に移動したらしい。
「すいません、わたしのことはいいですから、行ってくださいませんか?」
出来るだけ刺激しないように云ったつもりだったのだけど、あんまり効果はなかったらしい。
「バカなことを云うな! おまえもタチアナみたいに死ぬつもりだって云うのか!?」
ぐい、と、強く腕を引かれる。
激昂しているのか、君ではなくおまえと呼ばれて、なんだかダークに呼ばれたみたいなどと思ってしまった。
けれど、ここで引っ張られるわけにいかない。
渾身の力で踏みとどまる。
そうすると、それはさすがにカーグを怒らせたらしく、
「……いい加減にしろよ! どうしてどいつもこいつも死にたがるんだ!!」
なお、こめられる力。
「誰も死にたいなんて云ってません!」
「このままじゃ死ぬんだぞ! 判ってないのか!?」
「この場を放っていったら、間違いなくそれなりの島いくつかは吹き飛ぶ爆発が起きますよ」
「……!?」
さっきのサヨーテンのことばを思い出したか、カーグの勢いが減じた。
「火の精霊の力が暴発しようとしてるんです。あまりにも長い間、一所に据え置かれて溜まった力が」
「それじゃあ、どうすれば!?」
「わたしが止めます」
ぽんぽんと。
自由な方の腕で、目を丸くしたカーグの頭を軽くなでる。
力の抜けた彼の手から、掴まれていた腕を引き抜いた。
真っ直ぐに、カーグの目を見る。
自分の意志を伝えるには、ことばより、視線を交わす方が何倍も適している。
「信じてください。わたしは死ぬつもりなんてありません。ただ、火の御方が望んでいたことをやっていきたいだけです」
異常すぎる規模になる、この爆発を。
火の精霊の残滓は、今も憂えているから。
「無事な姿を絶対にお見せしに行きますから、安全と思われる高度に滞空して待っていてくれませんか?」
この身にかけて、それを誓いますから――
縄梯子が、硫黄混じりの煙のなかに消えていく。
それが完全に見えなくなるまで見送って、は、傍に立っていたサヨーテンを振り返った。
「えと。たぶんこのままお別れだと思います」
噴火のついでの勢いで、空に飛ばしてもらいますから。
「ああ」
「また近いうちに、お逢いしに来ますね」
「うん。オレ、おまえを待ってる」
他の仲間も紹介するから、そしたら一緒に酒盛りしような。
「はい、よろしくお願いします。そのときは、わたしの仲間も紹介させてくださいね」
そういえば、無茶しないって約束をあっさりやぶりそうです。何度もごめんなさい、ダーク。
と考えるのは心のなかだけ。
最後にサヨーテンに笑いかけて、は目を閉じた。
41.空よ火よ、高く