BACK


空よ火よ、高く


 このあたりだろう、とシャムスンが云った高度を保って、飛空挺は滞空に入った。
 通常の規模で考えられる噴火ならば、まず溶岩もついでの副産物どもも届かないと云われる空域である。
 その分、かなりの距離があるわけだが、安全を考えるならこれ以上は進めないとのことだった。
「カーグ……本当なの? 本当にあの人、無事で出てくるの?」
 魔族の件でピリピリしていたポーレットだけれど、さすがに不安な色を隠せないでいる。
 そういうカーグも、握りしめた手のひらに力が入りすぎて、すでに指の感覚がないのだけれど。
 どうして自分は、彼女の云うとおりにしたんだろう。
 頭のなかをめぐるのは、そんなことばかり。
 常識的に考えてみろ、どうやって噴火する火山から生身で生還できるっていうんだ。
 溶岩はあるし高温の水蒸気は出るし、何より酸素が殆どなくなる状態で。
 ――でも。
 真っ直ぐ、カーグの目を見て彼女は云った。
 彼女は、真摯に自分の目を見て云ったのだ。

 信じてください と
 この身にかけて、それを誓う と

 だから、信じた。
 信じなければ、彼女のあの真剣な双眸に応えられない気がしたのだ。

 そうして、刻一刻と時間が過ぎる。
 誰もことばを発しない。
 眼下では、相変わらず地面が揺れている。
「――おかしいな」
 ふと、シャムスンがつぶやいた。
「予定時刻から、大幅にズレこんでやがる……」
「……ってことは!?」
「いや、噴火は起こるよ」
 マルのことばに、返すのは否定。
「なんでだよ!? 噴火止めないと、死ぬだろ!?」
「本来起きるのは、島ひとつふたつ飛ばすぐらいの爆発らしい。――彼女は、それを最小限に留めてみせると云ったんだ」
 それは、どう頑張っても結局噴火は起きるということ。
 云いながら、ますます絶望的な気分になる。
 本当に彼女は、どうしてそんな状態で、笑って誓ったりなんか出来たんだろう――?

 問いの。
 答えは、その直後に出た。

「噴火が起きるぞ――!」

 それまでの比でない揺れは、飛空挺からでも視認できた。
 シャムスンの手下のひとりが叫んだ瞬間、絶望がその場に舞い下り――
 山の頂上から、真っ赤な溶岩が噴出したときには、その絶望はとめどなく肥大化しようとしていた。


 そうして誰もが目を疑う。

「……飛んでる……!?」

 そうつぶやいたのは誰だったか。
 最初に彼女を見つけたのは誰だったか。
 詮索する意味も余裕もなく、ただ、そちらにすべての人間の視線が向かう。

 黒い髪が、宙を舞う。

 溶岩を導くように飛び出してきた彼女は、空中でひたりと静止した。
 ――仕草を、ひとつふたつ。
 それはまるで、踊るよう。
 空に舞う、それはまるで、精霊のような――

 そうして声が聞こえた。
 彼女は空で、自分たちは飛空挺のなかで、本当なら絶対に聞こえないはずなのに。

 どうしてか、彼女の声がはっきりと聞こえたのだ……



 深呼吸、ひとつ。
 腕を、持ち上げる。
 視線は遥か下に、火口よりもふもとよりも下に。
 そう、噴出を待っている、どろどろのマグマを見る。
 そのなかにたくわえられている、火の精霊の力を見る。
 だいじょうぶ。
 全部消すことは出来ないけれど、それに近いほどは奪うことが出来る。

 ちり、と、背中の火傷の痕がひきつった。

「…………」

 恵みの精霊の子のくせに、奪いとる能力まで有している、呪いの子だと。
 烙印を捺された頃の記憶が、奥底から浮かび上がろうとしている。
 だけど、無理矢理押し込めるまでもない。
 そんな記憶、の行動に影響を及ぼす力はない。
 うん。
 たしかにわたしは、精霊と人間の子で、中途半端で、与える力と同時に奪い去る力も持っていて。
 それで昔、いっぱい怒られたけれど。
 もうそんなの、過去のことだから。

 今はただ。

 この力があるから、自分は火の精霊の残滓に応えることが出来る。
 うん、それだけが今はいちばん大事。

 さて。

 深呼吸、もういちど。
 持ち上げた腕を、真っ直ぐに前に突き出して。
 おろしたままだった片方の手も、同じようにして。

「おいで」

 長い長い年月を重ねて、ここに積もった火の精霊の力。

「ここへおいで」

 わたしのところへおいで。

 さあ。

「火は風をまといて昇れ、風は火を抱いて天へ翔けよ、天は高く、高く、高く――」

 ざぁ、と、身体の芯まで焦がすほどの熱を抱いた風。
 火山の噴火で見られる水蒸気でも、煙でもない。
 風。そして火の力。

「火の力、高く――ここへおいで!」



 炎が彼女に襲いかかる、そう見えた。
 何人かが目を覆い、何人かが悲鳴をもらした。
 カーグは、どちらもせずに、ただ目を見開いてその光景を凝視していた。
 一直線にを襲った、炎のような風。いや、風のような炎?
 誰に云われるまでもなく、あれが精霊の力の具現なのだと知った。
「見て!」
 ポーレットが、カーグの見ている先を示す。
 云われる前から、とっくにカーグは見ていたけれど。

 炎が、の周囲で踊る。

 は、炎をまとって踊る。

 遥か下の大地から、とめどなく、とめどなく、に向けて炎が集う。
 それを、彼女は、少しずつ自分へと取り込んでいた。
「……すげぇ」
 マルが、ぽつりとつぶやく。
 それは、この場の全員の気持ちを代弁していたのかもしれない。


 果てなく続くと思われた炎の舞は、けれど少しずつ終わりが見えてきた。
 地上から伸び上がる火の精霊力が、目に見えて衰えてきたのだ。
 もう誰も、地上は見ていなかったけれど。
 噴火が結局通常規模で起こったこととか、ふもとを侵食していく溶岩とか、噴き出す高温の水蒸気とか――
 そのどれもが、本来なら目を奪われるすさまじさなのだけれど。
 そのどれよりも、目を奪う存在が、彼らの目の前にはあったから。

 ふ、と途切れた。地上からの火が。

 ふ、と揺れた。の身体が。

「きゃ……!?」

 そのまま落ちると思ったのか、ポーレットがくぐもった悲鳴をあげる。
 けれど、は落ちない。
 出てきた当初に比べれば力弱そうだけれど、それでもちゃんと、空中での姿勢を維持していた。
 その黒髪が、ふわりとたなびく。
 きょろきょろと――何かを探すように、彼女は数度頭を左右に振って。
 それから、この船を見つけたようだった。
 遠目にも判る笑顔を浮かべて、一度だけ振られる手。
「シャムスン、入り口は?」
「船底だ。梯子はまだ垂らしてるから、あっちで判るだろう」
 そうしてことばどおり。
 フィオナ号の目の前までやってきたは、そのまま降下して姿を消す。

 ……待つことしばし。


 そうして、船底に駆け下りたカーグたちの見守るなか、梯子を伝ってやってきたがひょっこり顔を出す。
「あらー。たくさんのお出迎えですねー」
 と、実にユカイなセリフとともに。

 その一方で、登るのを手助けしようと思ったカーグの腕は、丁重にお断りされたのだけど。
「あ、触ると危ないですよ」
 純粋にそれだけの理由らしく、逆にこちらを心配しているような彼女の表情に、ちょっとだけ、むっとした。
 だから、有無を云わさず、手を伸ばした。
「――熱ッ!?」
 その瞬間、まるで熱した鉄板を触ったような熱が伝わって、カーグは反射的に手を引っ込める。
「ああっ、すいません! 火傷しませんでした!?」
「……いや、俺は平気だけど……」
 なんで、そんな高温で、平然としていられるんだ。
 問おうとして、気づく。
 にっこり笑うの額に、じんわりと汗が浮かんでいる。
 呼吸も荒くて、苦しそうだ。
 マルがちょんとをつついて、同じく「アチッ」と騒いでいた。
 それでようやく、の体温が尋常でないことに気づいたのだろう。
 安堵に満たされていた船底に、再び騒然とした雰囲気が満ちる。
「別に触ったものを発火させたりするわけじゃないですから、船に害はないです。風邪ひいて熱出したときのスペシャルバージョンと思っていただければ」
「「思えるか!」」
 のほほんとしたのセリフに、一同同時にツッコんだ。

 その後、が強制的にフィオナ号の客用寝室に放り込まれ、サルファスに帰り着くと同時に宿の一室に軟禁されたことは、云うまでもないのかもしれない。



42.その場所の名


■BACK■