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車上の戦いその後 後編 |
そうして舞い戻った東方司令部、マスタング大佐の執務室。から入れる応接室。 立ち並ぶのは部屋の主である大佐、客人扱いのエルリック兄弟、それからである。 話す内容は、ついこの間中央で結構な騒ぎになった事件だ。 事件そのものはかなり秘密裏に処理されたのだけど、どうしても関係者たちの間には広まった。 となれば自然と、風の噂で耳にも入る。 エルリック兄弟がその事件を耳にしたのは、そういう経緯からだった。 「それで……方向は違うけど、姉のそれも一応人体に影響を及ぼしただろ?」 「・・・・・・」 「しかも器用に外皮だけを変化させてる。本来、人体を金属に変えるっていう、まったく属性の違う練成をどうやって行ったのか、是非聞かせてもらいたいんだ」 「・・・・・・」 「……って、聞いてる?」 話の途中から黙り込んでしまったを怪訝に思ったのか、エドワードの声にいぶかしげなものが混じる。 「あ、うん、聞いてる。……でも」 ちらり、大佐に視線を移す。 その意味を汲み取った大佐は、苦笑して席を立った。 「ちょっと用事を思い出した。隣にいるから、終わったら呼んでくれ」 「・・・ごめんなさい、ロイ兄さん」 謝る必要はないだろ? と、小さく笑ってを安心させると、大佐は、隣の部屋に姿を消した。 と、同時。 一気に、エドワードがぐりっとに向き直る。 「――で?」 その真剣な表情に、は、ひとつ息をつく。 「・・・やっぱり、そういうふうに思ってる?」 「ああ。法則外の練成を成し遂げるなんてのは、常識外れに力のある錬金術師かもしくは――」 「賢者の石」 琥珀の双眸が、真っ直ぐにを見つめる。 軍の狗よ悪魔よと罵られる、国家錬金術師。たしかに魂までも売り渡し、腐った只中にその身を置く者もいる。 けれど。 この人は、だいじょうぶ。 幼いときずっと一緒だった。再会してから事情を知って、しばらく同じ道を歩いた。 この人を、知っている。 真っ直ぐに相手を見ることができる人は、きっとだいじょうぶ。 だから。 「・・・審議の場では、無意識の火事場の馬鹿力って報告した。たぶん、大佐もそう思ってるはず」 今出て行ってもらったのは、それが嘘だから。 おそらく、ロイは、それさえ判っているのかもしれないけれど。 「ふーん・・・」 口の端を持ち上げて、エドワードが笑う。 「じゃあ、俺にはなんて報告してくれる?」 「とりあえず、ひとつ約束をしてるから。その人のことで覚えていることは、けっして話さないって。――それ以外は、全部」 「・・・その人?」 怪訝な口調でつぶやいたアルフォンスに視線を転じ、ゆっくり笑う。 「わたしはひとりで、元上官から逃れたわけじゃないの。――助けてくれた人がいたんだ」 「助けてくれた人?」 こくり、ひとつ頷いて。 「その人が、わたしに石を貸してくれて・・・それのせいで、あんな非常識な錬成が成ったんだと、今は思ってる」 思い出すのはその人のこと。 小憎たらしい上官に連れこまれた、あかりさえない牢のなか。 ひたすらこちらをいたぶりつづける男たちの後ろに、当の上官が立っていて―― ああ、たしかそのときには、もうずいぶんとやられていたせいで記憶もあやふやで。 なんだろう。 誰かが乱入してきた、そうだっけ? とにかく、罵声がやんで、その代わりに聞こえてきたのは悲鳴だった。 「殺しちゃだめ!」 とっさに叫ぶと、その人は驚いたみたいに動きを止めて。 さっきまでこちらをいたぶっていた奴らは、腰を抜かしたまま逃げていった。 残ったのは、首謀者である上官だけで。 霞んだ視界に移ったのは、その上官が、乱入者に持ち上げられてるところだった。 そうして、飄々とその人は云った。 「あんたねー、うちの大事な人柱候補に何してくれてるのさ」 ・・・人柱。 あまりいい感じのしない、むしろ不吉な意味さえたたえた単語に首を傾げたのも、ほんの少し。 「……そうだ」 どさり、と、上官を投げ出して、その人はこちらに近づいてきた。 鎖でつながれていた手が自由になって、その手に乗せられたのは、 「・・・石?」 「そう、石」 つぶやきには、意外にも返事が返ってきて。 の手を握るその人の手は、けっこうしっかりしてて。ちょっと年上の男の子かな、と、どうでもいいことを考えた。 「あいつ、嫌い?」 「・・・あいつ?」 「今まであんたを痛めつけてた、あいつ」 指差されたのは、恐怖のためか、震えてへたりこんでいる上官。 朦朧とした頭で、自分はなんと答えた? 「……うん、嫌い」 「だよね。じゃあこれ使ってやりかえさない?」 「やりかえす・・・?」 「そ。あんた、金属の練成得意でしょ? だったら、あいつのこと金属の像にでもしてやれば?」 「・・・・・・出来ないよ、そんな法則無視した練成」 ってか、人体に影響するような練成は、管轄外―― そう云おうとしたら。 唇が、柔らかいものでふさがれた、ような。 指じゃない。手のひらじゃない。・・・たぶん、こんにゃくでもない。 頬に添えられた両手があるから、まず一番目と二番目の可能性はなし……こんにゃくほど冷たくないから当然違う…… 「・・・何したの?」 「おまじない」 くすくす笑って、その人は答えた。 石を握らせたの手のひらを、その人は包み込むように握って……誘導された。 上官の目の前まで。 「ひ・・・ッ!?」 怯えた悲鳴が聞こえた。 「ほら、やろうよ。せっかくだしさ、いいじゃん?」 何がせっかくでどういいのか、そのとき判断する頭なんぞ残ってなかったんだろう、きっと。 云われるままに、片手をその人に預けたまま――預けた手のひらに握った石が、かすかに熱を持ち出したのを感じながら、上官にもう片方の手を。 そう、手を伸ばして―― か細い悲鳴のなか、ぴきぱきと、それまで有機体であったものが無機質な金属へと変貌する光景だけは、どうしてかはっきりと覚えている。 ぴき、ぱき。そうして、人が金属に変わる。 ――ぶる、と。手が震えた。 だめだ。これ以上はだめだ。 「・・・・・・イヤっ!」 拒否が練成を止めた。 「っと!」 振り回そうとした手が、その人の手を弾いた。 ころん、と、何かが手のひらから零れ落ちていって――かなり、ギリギリだったかもしれない。 判ったのは、上官の練成はなんとか止められたのだということ。 まだ生きている。 慌てて手を伸ばす。 練成を解除して、元の、人の身体に戻すために。 「――!?」 バシッ、と、音。弾かれた。 拒否された。 山と浮かぶ疑問符。やりかけとはいえ、この練成を始めたのはなのだから、自分なら解除できるはずなのに。 もう一度手を伸ばす。 「ああ、もう。ちょっと待ちなってば」 その人が再びの手をとって、そのなかにぽとりと『石』を落とす。さっきと同じ。 「また、やらせるの?」 「違う違う」 振り返って。ようやくはっきりしだした視界に、その人が映った。 黒い髪、黒い服、黒い額当て。 黒い眼――底なしに深い闇の淵を覗いたような錯覚に襲われ、傾いだの身体をその人は支えて。 「リバウンド嫌なら、素直にコレ使いなって。解除するのは止めないよ?」 にっこり笑う、その笑顔すら……どうしてか、ひどく―― けれど見ている暇はなかった。 金属と化した皮膚は呼吸をしない。 故に、ほうっておけば目の前の上官は確実に死に至る。 そりゃ気に入らない、っていうかあからさまにアレだけれど、人殺しだけは嫌だったから。 左手には石を握り、それを包み込むのはその人の手のひら。 右手で練成陣代わりの印を組み、魔力の放出である雷をまといながら、上官に押し付けた。 そうしたら――さっき拒絶されたのがウソのように、スムーズに練成は成ったのだ。 「約束してくれないかな? この場であったことはともかく、手助けした奴がいたのはともかく、それの見た目とか特徴とかは内緒にしておくって」 別に、助けられたっていうのはばらしてもいいんだけどさー。 凄惨な現場には似合わない、どこまでも陽気な声でその人は云った。 「・・・話したらどうなるの?」 「どうなると思う?」 笑みを浮かべて問う、その人。 けれどはっきりと判った。 そんなことを訊いてはいても、もう、そのときどうするかを決めている目だ。 そしてたぶん、どうなるかは、悲しいことに想像がついている。 ふう、と、ため息。 「判りました」 「うん、ありがと」 「いえ、こちらこそ――結果的にはありがとうございました」 ぺこり、頭を下げる。 目の前の相手の思惑がなんであれ、助けられたことに変わりはない。 お辞儀したを、その人はきょとんとして見て――そうしてるとかわいいのにな、と思ってしまった――次の瞬間、破顔した。 「いいね、あんた。国家錬金術師に置いとくにはもったいないよ」 「・・・・・・誉めことばですか?」 「そのつもりだけど? そう聞こえなかった?」 「うーん、これでも一応、今の自分の立場になるまでにそれなりに頑張ってきましたから」 「あ? ああ、だから違うって」 あはは、と、快活にその人は笑う。 けれどどうしても、闇をまとっているイメージはぬぐえない。 「あんたなら辿り着けるかもね、ってこと」 「・・・?」 主語はない。今までの会話でも判らない。 でっかい疑問符を顔に書いて、が首を傾げると同時だった。 「じゃあまたねー」 と、きたときと同じように、唐突にその人は姿を消して―― 「・・・『また』・・・?」 なんかとんでもない発言を聞いたような気がして、呆然と立ち尽くすだけが後に残されたのだった。 その後は、行方不明の中尉を捜索していた一団がようやくその場所に辿り着き、ぼろべろで突っ立っていると、ほとんど瀕死の上官を発見。 事態の収束は表舞台に移り、喧々轟々とした議論と裁判と審議の嵐を潜り抜け。 元上官は地位剥奪の上懲役に入り、は被害者ではあるものの人命を奪おうとしたということで、降格され東方へ。 しかし左遷先の東方司令部にはマスタング大佐がいることを、命令を下した将は知っているはずで・・・ なんのかの云っても、中央にいづらくなるよりは、と、そういう配慮があったんじゃないかと解釈してはいる。 「――つまり――」 が思い出している間、ずっと考え込んでいたらしいエドワードが、ようやく口を開いた。 同時に思考を断ち切られ、も視線を正面に戻す。 「『その人』が持っていた石ってのが・・・」 「たぶん、賢者の石か……もしくは、それに類するものだったんじゃないかと」 そう云ったとたん。 がばり、と、エドワードが身を乗り出してきた。 の両肩をつかみ、険しい形相で、 「教えてくれ! そいつの外見は? 特徴は!? 軍に属していそうだったとか、そういう感じはなかったか!?」 「兄さん、姉さんはその人と約束したって――」 「黙ってろ、アル!」 戸惑いがちに口をはさむ弟を、一喝で黙らせて。 琥珀の双眸が、再びを睨む。 「頼む、教えてくれ! それが賢者の石なら、俺たちは・・・!」 必死な、ふと泣き出しそうな表情に見えた。 鋼の錬金術師。 若干12歳で国家資格をとった天才だと、神童だと。 けれど。 それから数年立っていても、まだ、彼は成人すらしてない少年で。それ故のひたむきなものが、真っ直ぐにを射竦める。 「……でも」 「でも!?」 「特に特徴なんてものは――黒い髪に黒い眼に、黒い服で・・・そんな人、どこにでもいるんじゃないかと・・・」 視線をそらしたくなる衝動を必死に押さえ込んで、真っ直ぐにエドワードと向き合いながら、そう云った。 とたん、つかまれていた肩が軽くなる。 「・・・そっか・・・」 現に、だって黒髪なのだ。眼の色は違うけれど。 はああ、と、でっかいため息をついて、エドワードが頭を掻き毟っている。 ごめん、と、つぶやくのは心の中。 たとえ相手がどんなに得体が知れなくても、約束は約束。 むしろ今の発言だって、多大に自分の神経に負担を覚えてるのに。 それを振り切るように、は記憶をひっくり返す。 「あ、でも」 「え!?」 ばっとこちらを見上げるエドワードを、苦笑してかわして。 「中央にいた頃、このイーストシティに生体関係の錬金術を専門にしている人がいるって聞いたことがある」 ロイ兄さんなら知ってるかも―― そう、云うより早く。 がばぁ! と、エルリック兄弟が立ち上がる。 「よし、行くぞアル! 大佐を締め上げて吐かせるんだ!」 「兄さん、そんなことしなくても普通に頼めばいいじゃないか・・・」 突っ走りすぎてるエドワードをアルフォンスがたしなめつつ、それでも意気揚々と、ふたりは応接室からロイのいる執務室への扉を開けて。 「・・・あ」 くぐる寸前、何かを思い出したように、エドワードが振り返る。 もう少しここにいるつもりだったは、まだ腰かけたまま見送っていたけれど。 いきなり振り返ったエルリック兄に、きょとんと疑問の視線を送った。 ニッ、と、鋼の錬金術師が笑う。 「姉、サンキュ!」 ――きょとん、が、ますます大きくなった自覚。 「あ、ううん、ごめんね結局役に立てなくて」 両手をばたばた振って云うのを聞いていたのか、ピッ、と挨拶代わりの敬礼の直後、エルリック兄弟の姿は今度こそ扉の向こうへ消えたのだった。 とりあえず振り返しそこねた手を、所在なげにひらひらさせて。 ふう、と、ため息ひとつついて。 「・・・喜んでくれたなら、いいかな」 そうつぶやいて、はソファに身体を投げ出した。 むぅ、と、むくれている仲間を、ラストは、結構な時間眺めていた。 隣ではグラトニーが相も変わらず『食べていい?』を連発しているが、今はがまんしてもらうべく、発言のたびに『だめ』を連発しつつ。 視線の先には、むくれまくりの仲間。 「・・・エンヴィー、こんなところで、いつまでそうしてるつもり?」 こんなところ――東方司令部のすぐ傍にある建物の屋上である。 かれこれ小一時間、彼女たちはこの場から動いていない。 いや、動いてないのはエンヴィーだけで、ラストとグラトニーは動こうと思えば動けたのだけれど。 なんだかんだ云って付き合っているのは、ただ単に、ちょっと時間があるからだ。 とは云え、その時間もあまり余裕がなくなってきている。 「エンヴィー」 二度目の呼びかけに、ようやくエンヴィーが反応した。 むくれた表情はそのままだけれど、東方司令部の一室から視線を動かしてラストを見る。 「教主様の仕事が終わったら、しばらく遊んでいいから。とりあえずこっちを片付けるのを手伝ってちょうだい」 「はいはいはーい」 やる気なさげに伸びをして、ようやく、エンヴィーは身体を屋上の手すりからひっぺがす。 そのまま、ラストたちの所に歩きだそうとして――ふと。 その長い黒い髪を風に流し、黒い眼を、一度だけ東方司令部に向けた。 「とりあえず、約束守ってくれてありがとう、とかってお礼云いに行くのは自然かなー?」 それを聞いたラストが、これまでで特大のため息をついていたのをあっさり黙殺しつつ、エンヴィーは口の端を持ち上げて。 とても楽しそうに、笑っていた。 |
あいたたた。えらい目にあってますさん。 |