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陽だまりの記憶 後編


 トントン、と、ノック。
 続いて、そぉっと扉が開く。
「あ、姉さ――」
 顔を上げてその名を呼んだアルフォンスに、『しー』と人差し指を立てるジェスチャーをして、が資料室に入ってくる。
 エド君は? と、口の動きだけで訊く。
 心得たアルフォンスは、黙ってひとつ向こうの棚を指差した。
 はひょっこりと頭だけ覗かせて、一心に資料を読みふけるエドワードの姿を確認すると、やっぱり音を立てないようにこちらに戻ってきた。
 すとん、と、アルフォンスのまん前に腰を下ろす。
 椅子なんてないから、ふたりとも床に直座りだ。
 積もっていた埃が舞い上がって、気管を刺激した。
「・・・頑張ってるね」
「うん」
「何か見つかった?」
「ううん、やっぱりそう簡単にはないや。でも、長丁場になる――何年もかかる、覚悟はしてるし」
 空っぽの身体。人の血肉でない手足。
 そんな自分たちが願うのは、元の身体に戻りたい――それだけで。
 アルフォンスの頁をめくる手が止まったのに気づいたが、見上げるように覗き込んできた。
「アル君」
「何? 姉さん」
「忘れないでね」
 ひどく透明なまなざしで。
 澄み渡った泉を覗き込んでいるような感覚。
 真っ直ぐに、はアルフォンスを見る。
 ……おかしいね。
 神経なんて心臓なんて、ないはずのこの鎧の身体なのに。
 昨夜と同じように、左の胸に相当する場所が、ほんわりと。気のせいではないよね。
「――忘れないでね」
 繰り返される、ことば。何を?
「リゼンブールが在ること。ピナコおばーちゃんやウインリィや、あそこに暮らす人たちがいること。――わたしだって、いるんだから」
 そこで初めて、は微笑った。
 陽だまりのなかの面影そのままに。
「いろいろ、手伝えるから。何かあったら、遠慮なく云ってね」
「・・・・・・うん。ありがとう、姉さん」
 だけど、だから。
 闇に触れた自分たちに、こんなに優しくしてもらえるのが。うれしくて、心苦しくて。
 描かれた幸せな想い出に、血の絵の具を落としたくなくて。

 ――泣けない身体であることが、とても苦しかった。


 ばたーん、と、扉が開く。
「おにいちゃん、おねえちゃん!」
 さっきのと正反対に、元気良く走りこんできたのはニーナと大きな犬。アレキサンダーってあの犬のことだろうか。
 さすがにこれには気づいて、奥から本片手に出てきたエドワードに目で問うと、頷きが返ってきた。
「おねえちゃん、この子がアレキサンダーだよ。ほら、ご挨拶しなさい」
 ニーナ自身が乗っかれそうなほど大きな、つぶらな瞳の犬は、彼女に促されての前までくると、ちょこんとその場に座って首を傾げた。
「うああぁ、かわいいぃぃ〜。だよ、よろしく〜」
 ほくほくと手を伸ばす
 アレキサンダーは、なでられるままになっている。
「・・・俺のときは上に乗った挙句に顔中舐めまくっといて、なんだあの態度の差は」
 仏頂面で眺めているエドワードが、ぼそりとそんなことをつぶやいた。
 聞きとがめたはくるりと振り返り、
「人徳の差」(笑顔)
姉……」
 これを云ったのが某大佐殿なら、即座に錬金術が飛んだかもしれないが、いかんせん相手はである。
 がくーん、と、脱力して抗議の意を示すのが精一杯のエドワードだった。
 幼い頃から慕っていた人に対する気持ちが、二度目に再会してから一気に鮮明になったせいだ。
 あの頃のままで笑いかけてくれるのは嬉しくて、でも。

 大佐と一緒にいるところを見ると、すさまじくムカムカするのはなんでだろうか。

 ・・・兄さん鈍すぎ。(アルフォンス談)

 きょろきょろ、と、はあたりを見回した。
 さっきも思っていたのだけれど、広い家なのにあまり人のいる感じがしない。
 タッカーとニーナは親子なのだから、もうひとり、いてしかるべきはずなのに。
 お母さんはいないの? そう訊くと、ニーナが答えるより先にエドワードとアルフォンスがはっとした顔になる。
「うん・・・2年前に実家に帰っちゃったんだって、お父さんが云ってた」
「そっか・・・ごめんね?」
 ちょっと無神経な訊き方だったなと自省して、俯いたニーナの頭をなでた。
 だけど、ニーナはぱっと顔を上げる。
「ううん、お父さんとアレキサンダーがいるもん!」
「そっか・・・」
 自然と笑顔になるのが自分で判った。
 大切な家族が傍にいることがどれだけ幸せか、だって知っている。
 かつては自分も、こんなふうに両親と一緒にいたから。
 幸せに育ってほしいな、と、が思ったとき、でも・・・と、ニーナが小さくつぶやいた。
 再び資料漁りに突入しようとしていたエルリック兄弟も、ちょっと寂しげなそのことばに、顔を向けてくる。
「お父さん、最近研究室にこもりっきりでちょっとさびしいな――・・・」
 顔を見合わせるとエルリック兄弟。

 そういえば、昨日ハボック少尉が査定がどうのって・・・
 云ってたね、たしかに。
 本当みたいだよ、研究するからって忙しそうだった。

 以上、アイコンタクトによる会話である。

 真っ先に行動に移したのはエドワードだった。
 はあ、とため息をつきつつ、読みかけの本を持ったまま、空いた手で肩を鳴らす。
「……ずっと資料調べてたから肩がこったなー」
 心得たアルフォンスが、それに便乗した。
「肩こりの解消には適度な運動がいちばんだよ、兄さん」
「よし」、
 パタンと本を閉じて、
「犬! 遊んでやる!」
 ビシィとアレキサンダーを指差すエドワード。
 それまで床に座っていたアレキサンダーが、がばっと起き上がった。
 突然の展開にびっくりしているニーナには、アルフォンスが話しかける。
「ほら、ニーナも」
 そこでようやく把握したニーナは、にぱっと、それは嬉しそうに笑って応えた。



 帰り道。行きと同じように運転手はで、座席にはエドワードとアルフォンス。
 アルフォンスはともかく、エドワードはぐったりと横になっていた。
 バックミラーに映るその様子がおかしくて、運転している間もはくすくす笑ってしまう。
「エド君、張り切りすぎ」
「あははは、兄さんもまだまだ子供だから」
「好き勝手云ってるんじゃねー・・・」
 反論を試みても、声自体が弱々しいから余計に笑いを誘うだけ。

 さして問題もなく車は道を走り抜け、やがて兄弟の泊まっている宿の前に辿り着いた。

 エンジンはかけたまま運転席をおりて、今日の別れの挨拶。
「じゃあ、明日はハボック少尉が来ると思うから」
「あ、いいよ。もう道も覚えたから明日は自分たちだけで行けると思うし」
「そうそう、2日も通ったんだ、道はばっちり」
「その記憶力がうらやましいわ・・・」
 少なくとも5日は通い詰めないと道を覚えないにとっては、そんなエルリック兄弟のお返事が至極うらやましかった。
 遠い目をしつつ、それじゃあそう云っておくね、と伝えてきびすを返す。
 と、軍服の上着でかすかな違和感。同時に――チャリン。乾いた音。
「・・・あ」
「あ。」
 慌ててそれを拾う。
「鎖が切れちゃったんだ……もう随分古かったから――」
 落ちた拍子についた土を払って、ため息。
 考えてみれば、本体もチェーンも十何年モノだ。
 いつガタがきてもおかしくなかった。
 すぐに気づけるときに落ちてよかった、と、かすかに安堵する。
 と。
 ぽかん、と、こちらを見ているエドワードに気づいて、は首を傾げた。
「なぁに?」
「・・・姉・・・それ――」
「あ。覚えてくれてた? そうだよ、ずっと前にエド君にもらったやつ」
 淡い色の小さな髪留め。
 しばらくは使っていたのだけど、そのうちに勿体無くなって、鎖を通してペンダントみたいに加工した。
 本来の用途に使うより、そっちの方が長持ちしてくれそうだったから。
 ――とりあえず、鎖のほうが先に寿命がくるということは、やっぱりそれでよかったのかな、と、思ってみたり。
「気づかなかったでしょ? ちゃんと大事に持ち歩いてたんだよ」
 ちょっと威張るようにそう云って――だけど。
「・・・エド君?」
 じっと。
 琥珀色の双眸は、なにやらひどく複雑な感情を浮かべて、と髪留めを見比べていた。

 不意打ちだ。これ。
 一度目に再会したときも、そのあと一緒に旅してたときだって、おくびにも出さなかったくせに。
 なんで、二度目に再会して自分がこんな気持ちを持ったときに、ふと思い出したときに、こんなふうにひょっこりと。
 いや、殆ど忘れてた自分だって不手際なんだけど。
 そう思った。
 最初は驚いて、その次は嬉しくなった。
 昔この人に感じていた気持ちを思い出して、むずがゆさを覚えた。
 ――アクセサリーが欲しいと云っていた
 髪留めを贈った自分。

 だけど、本当は。


 じゃり。
 舗装された地面を軽くこすって、エドワードが一歩、に向かって踏み出す。
「・・・エド君? どうしたの?」
「『エドワード』」
「へ?」
 本名はちゃんと知ってるけど。どうしたんだろう。
 少し考えて――ぽん、と手を打った。
 いつまでも、年下扱いされるのが嫌だったのかな、と思って。
 だけど呼びなれているのは愛称だから。どうしようかなと迷った結果、
「『エド』?」
「ああ」
 だけど、エドワードの真剣な表情は変わらない。
 いつものノリなら『俺ももう15だし、いつまでもガキ扱いはするなよな(にやり)』とか、そんな感じのはずなのに。
 まあ、勝手な思い込みと云われればそれまでだけど。
 きょとんとしてエドワードを見ていると、彼はもう一歩、に近づいた。
 アルフォンスは何も云わないのかと思って見ると、しれっと黙りこくっている。――あれは完璧に鎧に見えるぞ。鎧だけど。
「それ――その髪留め」
「あ、うん、これ?」
 ちゃり、と。
 千切れてしまった鎖の付いたまま、目の高さに持ち上げた。幼い頃に貰ったそれを。

「ほんとは指輪に錬成したかったんだよっ!」

 ぐるりっ、ばたばたばたばたばた。

 叫ぶようにそれだけ云って、エドワードは宿に駆け込んで行ってしまった。
「・・・・・・は?」
 残されたのは、呆気にとられたと、鎧の真似を解除したアルフォンス。
 説明を求めてエルリック弟を見上げると、アルフォンスはしょうがないなぁ、と首を振っていて。
「ごめんね姉さん、兄さんあんなだから」
「・・・どんなだから?」
「うん、つまりね」
 僕が云ったのは内緒だよ、怒られるから――そう、前置きして。
 アルフォンスはにこっそり耳打ちした。

「・・・は?」

 それを聞いて、発したことばはさっきと同じ。
 でも含まれている感情は違う。
「じゃあ姉さん、またね」
 別の意味で呆然と突っ立っているに一度手を振って、アルフォンスも宿に歩いていった。
 人目を引く鎧が、完全に建物に消えてしまっても、それからしばらく硬直を続けていただったけれど。

「え? え? えええぇぇぇぇ??」

 顔が一気に熱くなる。
 よく茹でダコ状態って云うけれど、今の自分が正にそれじゃないだろうか。
 いや、だって、ほら。えーと。
 頭のなかでぐるぐるまわるのは、意味を成さない単語ばかり。
 それから。

 ――姉さんの左手の薬指にはめる指輪を、兄さん、造りたかったんだよ。

 こっそり囁かれた、アルフォンスのことば。

「・・・・・・まじですか?」
 どれくらいそうしていたんだろう、ようやくつむいだことばはそれだけで。
 そのときには当然、それを聞くべき相手はその場にはいなかったのである。


 軍部に戻ったの様子がおかしいことに気づいたロイやホークアイが問い詰めても、は絶対に何も云おうとせずに頬を紅くして首を振るばかりだった。
 とりあえず、車を運転して無傷で戻れただけで奇蹟かもしれない。



「兄さん・・・姉さんびっくりしてたよ」
「云うな弟よ。俺だってびっくりだコンチクショウ」
 呆れきったように云う弟のことばを流しつつ、兄はベッドに突っ伏して枕に顔をうずめていた。
 だからアルフォンスには、エドワードの顔は見えなかったのである。
 いや、見られなくてエドワード的にはそれで良いのだ。
 だって。
 がまだあの髪留めを持っててくれたこととか。
 ――『エド』
 初めて、君、なんて付けなくてが自分の名前を呼んでくれたこととか。

 そんなささやかなことが嬉しすぎてにやけまくりの顔なんて、兄の威厳のためにも絶対見られるわけにはいかないのだ。




 『初恋は実らない』――そんなどこかで聞いたジンクス、丸めて千切ってゴミ箱にポイだ。
 そりゃあ、まだまだ道は遠いけど。

 とりあえずジンクスより先に、どっかの焔の人を丸めて千切ってポイするべきだろうか。
 相手も同じことを考えていそうだけど。


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あーあーあーあーあー。(発声練習ではない)
......いや、なんていうか......書いてる本人が照れてました、てか偽者ですか?(真顔)
サモン夢でもそーですが、この程度で照れてどうする! とか思うんですけど、
まあ、こればっかりは持って生まれた性格というやつで。<違ッ
でもこの後の展開って、アレなんですよねー......ああ、照れてる場合じゃないぞふたりとも(何)