BACK |
信じるものは 後編 |
しとしと、しとしと、雨が降る。 どうしてか、その雨はまるで、泣けない彼らの代わりに天が涙を流しているような印象を受けた。 それとも。 ショウ・タッカーの錬金術のためにその在り様を歪められた、ニーナとアレキサンダーを、天が哀れんでいるんだろうか。 自身は無神論者である自覚はあるけれど、こんなときばかりは人知を超えた何かの存在に頼りたくなる。 ――助けてやってほしいと、願いたくなる。 同時に、そんなことを考える自分の弱さがイヤになるけれど。 タオルを数枚引っ張りだして、は、ロイの執務室の奥――最初にエルリック兄弟と話した、あの部屋へ向かった。 扉を開ける。 あの日と同じように、並んで座っているエドワードとアルフォンス。 あの日と違って、俯いて、何も喋らないエドワードとアルフォンス。 ロイを追いかけて外に出てすぐ、このふたりを見つけた。その少し先に、捜していた相手を。 どうしよう、そう迷う間もなく。 は濡れそぼった二人の腕を引っ張って、この部屋に連れてきたのだ。 濡れたことによって変色したソファ。 どれだけの間ふたりが雨に打たれていたのか、それで判る。 ・・・だから、すぐにタオルを持ってこようとしたのだ。 けれど。 「姉――」 「・・・姉さん」 入ってきたに気づいたエドワードとアルフォンスが、の名を呼んだ。 その声に、ズキリと心臓が痛む。 同じように。 さっきも、同じように。タオルを取りに行こうとしたを呼んで。 ぎゅっと袖を握りしめて、離そうとしなかった。 そのまま問わず語りに話された、ショウ・タッカーの犯した罪。 正直、気が遠くなるかと思って。 それでも踏みとどまれたのは、自分以上に参っているエルリック兄弟が目の前にいたからだった。 ふ、と。ひとつ息をつく。 「ほら! タオル!」 ばさぁ、と。 持っていたなかでいちばん大きなそれを広げて、ふたりの頭の上からすっぽりかぶせた。 「う、うわ・・・?」 「・・・っ!?」 さすがにこれには驚いたのか、タオルの下でふたりがもぞもぞ慌てだす。 けれどその上から。ぎゅっと、腕を回して抱きしめて。 驚いたエドワードとアルフォンスが、同時にぴたりと動きを止める。 しばらく、3人とも黙ってじっとして。 何を云うでもなく、何をするでもなく。 ――そうして。時計の長針が30度ほど進んで。 「・・・姉さん・・・濡れちゃうよ」 さっきより少しだけ、確りした声で。 アルフォンスが云って。 「ん」 とだけ、は応えた。 また長針が進む。15度ほど。 「姉」 「何?」 もぞもぞと、身動きするエドワード。 ようやく腕を放してやると、エルリック兄弟はそれぞれ、の持っていた他のタオルも受け取って身体を拭き始めた。 今さら、という気もするが、一応空調をいじって暖房全開にしていたので風邪の心配だけはしなくていいだろう。 「・・・ごめん。みっともないトコ見せた」 空調を改めて調整して、振り返ると。 まなじりを下げて、ちょっと複雑な顔して、頭をかいているエドワードが視界に入る。 その隣で、神妙に座っているアルフォンスも。 少しだけ表情が和らぐのを感じて、は口の端を持ち上げる。 「お互い様。ね。君たちがいてくれたから、わたしもぎりぎり踏ん張れた」 これをマスタング大佐あたりから聞いてたら、逆に自分が立てなくなっていたろう気がする。 そこまで考えていたんだとしたら、後で大佐殿に謝罪しなくちゃいけないだろうか。 「・・・姉は」 「なに?」 「どうして国家錬金術師、目指したんだっけ・・・?」 軍の狗よ悪魔よと、恐れられ罵られる。それが国家錬金術師というものだ。 けれど代償として支払われる研究費も特権も、エドワードとアルフォンスの求めるものに近づくためにはどうしても必要で。 だから、ふたりはこの道を選んだ。 ――ではは? 若干14歳にして国家資格をとったこの人は、何を求めてそうしたんだっけ。 エドワードの問いには少しだけ、身体を固くしたように見えた。 訊いちゃいけないことだっただろうか? けれど以前は教えてくれたような気がする――そう考えるうちに。 空調機の場所から戻ってきたの手のひらが、ぽん、と、エルリック兄弟の頭を軽く叩く。 「神様に近づきすぎた英雄は、蝋で固めた翼をもがれて地に堕ちる――」 のつぶやいたそれは、いつかエドワードが、恋人を蘇らせるために妄信の道を選んだ女性に告げたことばだった。 そうして、今の自分たちを表したことばでもあった。 「・・・姉?」 けれどこの人は、どういう意味でそのことばを云ったのか。 は云う。 もしかしたら自分は、錬金術を通して人としては入り込んではいけない場所に行こうとしているんじゃないかと。 ・・・それでも、と。 「それでもわたしは、この身体をどうにかしたい」 君たちとは違う理由だけれど、この身体を、造り替えたい。 そのとたん。 そのことばを聞いた瞬間、麻痺しきっていた頭の隅から、いつか聞いたの『理由』を思い出す。 がばりと顔を上げると、予想と違わず、複雑な感情をたたえた朱金の目が、エルリック兄弟を見下ろしていた。 そうだ。は―― 「別にお父さんを恨んでるわけじゃないの。むしろ、感謝してる」 そのままだったら、絶対にこんな年までは生きられなかったと思うから―― 生まれたばかりのは未熟児で、病弱で。 医師が云うには、10まで生きられれば奇蹟だと。 現在の技術では解明できない、突発死の時限爆弾とも云うべきものが、身体に潜んでいるのだと。そして期限は長くて10歳だと。 2歳になるまであらゆる治療を試し、3歳になってもその診断が変わらなかったとき、国家錬金術師であったの父親は決心したのだという。 如何なる方法を用いたのか判らない。 己の施したそれが禁忌であることを知っていたの父は、試みが成ると同時に資料をすべて破棄、秘密もすべて抱えて今は中央の墓の下だ。 だが、事実、はこの年まで生きている。 軍属になる際の健康診断もパスするほど、健康そのものの身体を手に入れて。 けれど、生まれたばかりのを診察した医師は、10歳になったを診察してこう云ったのだそうだ。 10歳までの時限爆弾のリミットが、期限を不明にして引き延ばされただけだと。 リミットは今日か、それとも明日か。 いつ反動が襲ってくるか判らない、それは、いつ突然動けなくなるか判らないと。 それなら自分も国家錬金術師になって、この身体から時限爆弾を取り除いてやろうと思ったんだ。 ――総督府で再会したとき、お互いの事情を打ち明けたあと、はそう云って笑っていた。 「姉さん・・・」 橙がかった金色の瞳に、均等に、エドワードとアルフォンスを映して。 あのときと同じように、は微笑った。 「それもまたひとつの禁忌かもしれない。だけど、わたしはわたしの出来る限りを尽くすつもり。だってわたしの人生だから。・・・信じてるから」 「・・・・・・信じてる?」 「生きてるかぎり頑張れるって、信じてる。わたしの研究もやってることも、きっといつか実るって信じてる・・・」 答えになった? 頷くべきか、否か。 それさえも判断が微妙なトコロで。 それでも。 真っ直ぐに自分たちを見て、語るの姿。 それはひどく羨ましい。 「・・・・・・俺の・・・」 「ん?」 「俺たちの信じてる錬金術ってなんだろ・・・」 ぽつりとつぶやいたエドワードのことばに、は困ったように笑って、再び抱きしめてくれることで、答えに代えた。 朱金の姫さんっておもしろいよね。その父親もだけど。 と、いつだったか楽しそうに、目の前の『教主様』が語っていたのをラストは知っている。 「たいていの錬金術師ってほら、世間様で云う権力に近づくためとか自分の欲望満たしたいとかそーいうのばっかじゃん」 鋼のおチビちゃんも、母親を生き返らせようとしたあたり、姫さんの父親と似てるよね。 はいはい、と、ラストはそのとき、エンヴィーのことばを聞き流していた。 投げやりな話し相手の態度に気づいているのかいないのか、エンヴィーの口は閉ざされることなく。 「でも、朱金の姫さんの身体ってのはさ――」 そのあとなんと続いたのか、やっぱり聞き流したから覚えていない。 ・・・ただ。 もうすぐ血の紋が刻まれようとしているこの地に、そのお嬢ちゃんと坊やを立たせるとしたら――それはひどく不似合いで、けれどとても映えるようだと、ふと思ったのはたしかだった。 |
そうして、主人公が国家資格をとった理由もあきらかに。 なんか随分重いモノ背負ってる気がしますが、あんまりそれに関係しての話はなかったり。 だって、いつ死ぬか判らないのは人間誰でも一緒だし。 この場合は、原因が先んじてはっきりしちゃってるだけで...... さて、次にはいよいよ『傷の男』との因縁も出てきそうな予感です(笑 |