BACK

いつか訪れる終焉


 許せないの。
 きっときっと、許さない。

 だけど、嫌いにはならない。
 この舞台から中途退場なんかしてやらない。

 ・・・そんな簡単な手段で、終わらせたりなんかしない。



「……ああ、やっぱり泣くんだ」

 あんた、あの中佐と仲良かったもんね。

 そうつぶやくのは、部屋の窓に腰かけた、黒ずくめの男性。……男性、なのだろうか。
 腿にウロボロスの刺青、黒い額当て、黒い髪――血のように思える、真紅の双眸。
 不遜な、不敵な、笑みを浮かべていたはずの、その表情。
 今も笑んでいる。
 口の端は持ち上げられている。

 けれど、何か戸惑ったような感情。



 ココは東方司令部。
 先程、ロイが血相変えて、中央にヒューズ中佐について問い合わせていた。
 どうしたんだろう、と、暗雲のような不安が胸に広がり――
 訊かなければいけないような、けれど聞きたくないような。
 自分の勤務時間はとうに過ぎていて、それでも軍部に残っている理由は、そんなことからだった。

 何があろうと、ロイは絶対にこの部屋に戻る。
 この部屋は彼の執務室だから。

 持ち主の了承を得ないまま部屋に入り、なんとなしに窓辺に向かおうとしたの目の前で、窓が開けられた。

 窓を開けた当人は、ここにいると思ったよ、と、告げて。
 今のような体勢で窓辺に腰かけて。
 にっこり、笑った。
 そのときはまだ、いつもの、人を食ったような、チェシャ猫のような、表情だったのを覚えてる。
 だから、笑い返した――不安が胸にあるせいか、ちゃんと笑えたかどうか判らなかったけれど。

「あのさあ」

 の反応には別にこだわらないらしく、その人は笑んだまま、口を開いて。

 やめてほしい、と、そのとき思った。
 何を云うつもりなのか知らなかった。
 何を云いにきたのか判らなかった。

 だけど自分は制止しなかった――その人も、話しかけた以上止めるつもりはないようだった。

「ヒューズ中佐だっけ……」

 思い出すように云われた、その単語。
 びくり、と、身体が震えた。
 顔色の変わっていたロイの姿を思い出したからだ。
 それを見て感じた不安が、一気に増大したからだ。

 その人は笑う――つと笑顔の雰囲気が変わったのは、過剰に反応したを不審に思ったからだろうか。

 そうして。

「彼、知りすぎたからね」

 両手を肩のあたりまで持ち上げて、軽く肩をすくめる仕草。

 ぞわっと背筋に冷気が這い上がり、自分の身体を抱き締めた。
 聞きたくない。
 聞きたくなどない。
 けれど結局、は止めなかった。

 にこり・・・その人は笑む。


「死んでもらったよ」



 声を出さずにすんだのは、恐慌状態に陥らずにすんだのは、ある意味奇跡だった。
 その代わり。
 何を云わず、動かず、堰を切って、双眸から溢れだしたものが頬を濡らす。

 いかなる思考もことばにならない。
 状況は簡単すぎる。・・・簡単すぎるのだ。
 その人のただ数言以上に付け加えられるものはない。
 どうして? と訊いたら、邪魔だったから、知りすぎたから、と返ってくるだろう。
 ひどい、と云ったら、こっちにも目的があるからね、と返ってくるだろう。
 人でなし、と罵ったら――人じゃないから、とでも返ってくるだろうか。

 あまりにも簡単すぎて。
 あまりにもあっけなくて。

「・・・何も云わないの?」

 心もち眉をひそめて問う人は、何を予想していたんだろう。
 泣きだす以外の何もしないを、不審に思っているようだった。

 罵れとでも云いたいの?

 その思いはことばにならず、けれど、相手には伝わったのか。

「もっと、取り乱すと思ってたんだけどな?」

 本当に不思議そうに告げられたそのことばに、逆に頭が冷えた。
 涙は相変わらず頬を濡らし、全身は小刻みに震えたままだけれど。
 頭の芯が冷える――冷えて、冷えて・・・感情の昂りも、動揺も、そこだけを隔離したように届かない。

 ただ、声はやはり震えた。

 何を企んでいるのとか、殺す必要があったのかとか、訊きたいことだけは山のようにある。
 だけど、返ってくる答えの予想がついてしまうくらいには、知ってしまっていた。その人を。
 そのうえで疑問を抱いたのは。
 ことばになった、思いは。

「どうしてわたしに教えたの……」

 大切な大切な、父親とも思っている。慕っている。
 大切な兄の、大切な親友。
 どんなに悪態をつきあっても、どんなに、のろけたりうんざりしたりしても。
 そんな存在が、どれだけ、支えになっているか。

 あいつもおまえみたいに育ってほしいなあ、と、なでてくれた手のひら。
 娘のためだから、と、始めた禁煙。
 一人暮らしの自分を何かと心配して、たまに家に呼んでくれた。
 くだんの事件に巻き込まれたときだって、法廷でかばってくれた。

 それを。目の前の人が。

「どうして・・・って・・・」

 表情だけでなく、声音にも戸惑いが混じった。

「一応、あんたへの誠意のつもりなんだけど」

「なにがよ……ッ!!」

 ドン、と、その胸を叩く。
 ドン、ドン、と、何度も何度も。

 気分屋の人にこんなことをして、気を害されたら、自分もあっという間にそうなるのだろうか。

 ちらりとそんなことが頭をかすめるが、腕は止まらない。

「なにが・・・」
 誠意だ。
「どうして・・・っ」
 教えた。
「どうして――」
 自身で告げる。
「どうして!」
 憎ませるようなことをする?

 ドン! と、両腕で叩き付けても、その人は微動だにしない。

 そうして腕をつかまれる。
「・・・よく判らないんだけど、人間ってさ」
 うつむいたままのでは、その人の表情を見ることはかなわない。
 見たくなかった。
 きっと変わらない笑みを浮かべていると思ってしまったから。

「こういうときって、憎む対象がいないと壊れるかもしれないんだってね」
「――!?」

 がばりと頭を起こしたの目の前に、その人の顔はあった。

 一瞬だ。
 それはたった、ほんの一瞬。
 その人は、どんな表情も浮かべていなかった。
 笑みは消え、口は結ばれ……真紅の双眸にある光は、まるで、不完全な存在を哀れむような。

 それに耐えるコトは、今のには出来なくて。意味を考えることさえせず。

「なんで!!」

 叫ぶ。

 ドン!
 つかまれていない側の腕を、再び叩き付けた。

 それではまるで、自分を憎めと云っているようではないか。
 あんなにあっさり、邪魔だったからと云っておいて、あんなににこやかに、その事実を告げておいて。

 そこにどうして手を差し伸べるようなコトをする。

「判んない」

 やっぱり、さらりと告げられたことば。

「もしかしたら、あんたのその顔が見たかったのかもしれない」

 それでも惑いを含んだ声。

 ――それにどう答えればいいのか、判らなかった。
 沈黙が舞い降りる。



 どれだけそうしていたのか。
 我に返ったのは、司令部の空気がざわめきだしたのと同時。
 その人が、つかんでいたの腕を解放したのと同時。

「じゃあね」

 立ち上がり、窓の桟を蹴って行こうとするその人の腕を、今度は自分からつかんだ。

「・・・姫さん?」
「見せなさい!」

 引き寄せて、告げた。

「どれだけのものを犠牲にして、どれだけのものを巻き込んで」
 そうして求めるもの、欲するもの。
 それがどんなものであれ、いつか迎える結末がどんな形であれ。

「わたしに見せてみなさい、エンヴィー!」

 そうでなければ。

「……許さない」

 大切な人を奪って。
 人をどん底に叩きこんで。
 それでも、手を差し出すような真似をする。
 悪魔のような、そうでないような、矛盾だらけの貴方。

 そうでなければ許さない。

 貴方も、貴方を嫌いきれないわたしも。

「……うん」

 ぽつり、落とされたことば。

「闇も。罪も、罰も。禁忌も、禍事も、矛盾も。世界のもうひとつの姿も」
 あんたが、それを越えてこれるというのなら。

「見においで」

 ・・・待ってる。




 扉を開けて入ってきた人は、がそこにいることに、一瞬驚いた顔になった。
「……いたのか」
 後ろ手に扉を閉め、近寄る気配。
 すぐ後ろに立ったその人は、ふわり、腕を身体にまわしてきた。
 続いて、肩口に押し付けられる頭。
 少し固めの黒い髪が、首筋を撫でた。

。ヒューズが――」

 最後の方はほとんどかすれてしまっていたけれど、それははっきりと耳に届いた。
 ロイの声。
 それが、かろうじて保っていた何かを崩壊させる。

 腕のなかで、身体を反転させた。

 首元にすがりつくと、ロイは、床に直接腰をおろしてを抱きしめた。

「……っ」

 こみあげる。
 冷凍されていた感情が、一気に噴出する。

「うっ・・・・・・・うぅっ・・・っ」

 こぼれる嗚咽。

 ぎゅう、と、抱かれた腕に力が入るのを感じた、それが、最後。
 ただ、泣いた。

「ぁっ……うあああぁぁああ――ああああぁぁぁぁぁ――――!!」

 ――泣き続けた。




「・・・判んないんだよ、本当に――」
 なんとも思わないのに。
 自分たちの障害を排除したことも。
 遂行するために、彼の最愛の人を模したことも、当然だと思っている。

 なのに。

 どうしてわざわざ、無理矢理な手段を用いてまで、自分で告げにきたのか。 

 何も知らせなければ、きっと、気づかれることはなかったろう。
 あの子は以前までのまま、自分に笑いかけてくれたろう。

 ――何も知らないままに。

「・・・どうしてかなあ・・・」

 あの表情。
 憎しみと哀しみと、云いようのない感情に彩られたカオ。

 かすかに覚えた痛みと充足感。

 その表情を引き出したのは、まごうことなく、自分だった。

「ああ・・・そっか」

 クス、と、ひとつ笑み、それが最後。
 闇の中から浮かび上がってきた存在は、再び、闇に溶け消えた。





 許さない。
 絶対に許さない。

 だけど憎んで嫌って切り捨てて、そんな簡単には終わらせない。

 見せてみなさいよ。
 そこまでして貴方たちが求めるものを。
 罪をおかし禁忌を手にし、壊し、そうしてその先にあるものを、その終焉を。

 錬金術師。人柱。罪と禁忌と、その先にあるものを。

 この舞台の終幕を。


■BACK■


ガンガン02年10月号。例の事件後です。
なんでエンヴィー東部に来た、とか、なんでそこで主人公エンヴィーを憎まんのか、とか
いろいろあると思います。が、すみませんこれって管理人の思考そのまんま(ォィ
ヒューズ中佐殺したのは、やっぱりヤです。許せないです。
だから見せてみろ、と。
その先にあるものを、望むものを。彼らの価値において何より優先されるべきものを。
......いや、未だに頭の中、ぐっちゃらぐっちゃらなんですけどね......(苦笑)
大佐のセリフの最後、にごしたのは、もしかしたらとまだ期待があるからです。
......生きていてほしい。かなり、切実な気持ち。
20020915