BACK

ただ、君だけを。


 君だけを。
 何があっても、ただ君だけを。

 この背徳の身に、笑いかけてくれる、ただ君だけを。・・・ずっと。



 一度だけ、泣かせたことがある。
 リゼンブールにいた頃。まだ何も知らない、子供だった。
 ケンカしたとか、そういうんじゃない。
 ただ、ちょっと遊びに夢中になって、帰るのがずいぶんと遅くなってしまったとき。

 遊び疲れて眠ってしまったアルフォンスを背負って、よたよたと道を歩いていた。
 灯りもない、夜道。
 不思議と蹴躓かずにいられたのは、いかなる不思議のなせるわざか。
 疲れていたせいもあったけれど、やけに家が遠く感じた。
 どこまでも続く暗闇に、飲み込まれたような錯覚。
 どうしようどうしようと内心とても不安だったけど、背負った弟の重みで自分を奮い立たせて。
 一生懸命、家へつづくと思しき方向へ歩きつづけた。

 ぽつ、と。

 少し前方に、灯りがあるのに気がついた。
 小さな小さな灯りだった。
 だけど、暗闇に疲れたこどもに、その灯りはひどく安心を与えてくれるものだった。

 足早に、それを目指して進みだす。

 しばらく進んで気づいたのは、その灯りも、自分たちに向けて動いているということ。
 最初、誰か旅人か町の人かと思った。
 だけど違った。
 近づいてくる人影はとても小柄で、はっきり云って自分たちと同じくらいで。
 最初のうちはゆっくりだった灯りが近づくのが、距離が狭まるにつれて速くなる。

 そうして、その手に持った灯りに照らされた人影は。

「……姉ちゃ……」

 舌ったらずだった自分たちは、当時、『姉ちゃん』がどうしてもうまく云えずに、『姉ちゃ』で切っていた。
 そのときも、普段どおりに呼びかけた――やっと見つけた灯りと、それを持ってる大好きな人に逢えた安堵で。

 ・・・でも。

 走り寄ろうとして、ぎょっとした。
 あったかなオレンジの光に照らされたの頬が、きらきらと輝いていたから。

 ・・・が、泣いていたから。

 そのとき胸を苛んだ激しい痛みを、きっと自分は忘れない。
 誰を泣かせるより、誰を傷つけるより、きっときっと激しい痛み。
 それを後悔と云うのだと知ったのは、ずっとずっと後だった。

 ごん。

 ――鈍い音。それから痛み。
 子供に、平手で頬を叩くなんて高等技術があるわけない。
 故にのとった手段は、拳骨でエドワードの頭を叩くコトだった。
 真っ赤な目で。真っ赤な顔で。
 ぼろぼろと、涙を流して。
 自分の方がよほど痛そうな表情で。

 弾みで落としてしまったアルフォンスが、衝撃で目を覚ました。
 やっぱり、目の前のを見て、固まって――その頭上に、同じように拳骨がお見舞いされる。

「こんな遅くまで、なにしてたのよっ!!」

 叫びは、胸に突き刺さった。

 そのままは地面にしゃがみこんで、呆然としているエドワードとアルフォンスを抱きしめて。
「……心配したんだからね……!」
 兄弟の親もさることながら、ピナコとウィンリィ、の方の親と・・・
 彼らが総出で、遊びに行ったまま帰ってこないエドワードとアルフォンスを心配して捜しに出たのだと。
 そんな内容のことを、嗚咽まじりに告げられた。
 心配したんだからと。
 抱きしめたまま。
 ピナコだったか母だったか……大人の誰かが自分たちを見つけるまで、ずっとそのまま、繰り返し繰り返し。

 自分たちと同じ小さな身体で、周りの暗闇から自分たちを護るように抱きしめた、まま。


 母に怒られたよりも、ピナコに怒鳴られたよりも、ウィンリィにスパナ投げられたよりも――
 今も思い出して胸が痛むのは、そのの小さな手のひらと、泣き顔。


 謝りに行こうと勇気が出たのは、2日後くらいだった。
 外出禁止を云い渡されていたせいもある。
 けれど、ウィンリィは兄弟の様子を見に来てくれたのに、は来てくれなかった。
 とても怒らせたんだと思って。
 それだけのことをしたんだという、自覚は持っていた。

 ……もう遊んでくれなくてもいいから。
 一言だけ、ごめんなさい、と。
 云いたかった。

 あの夜、母に連れ帰られるとき、振り返って見たの後ろ姿が、ずっと脳裏から離れなかった。


 アルフォンスと一緒にの家に行った。
 親は出かけてるらしくて、ひとりらしかった。
 呼びかけたら、ちょっと間があって、それからドアが開いて――
 そんな当たり前だったことが、ひどく嬉しくて。

「「ごめんなさい!」」

 声も動作もまったく同時に謝罪した兄弟を、は目をぱちくりとさせて見ていたけど。
「・・・もう、遅くなっちゃだめだよ?」
「うん!」
「みんな心配するからね?」
「うん!」

 一生懸命、頷いた。

「約束してくれる?」
「「うんっ!」」

 に、約束した。

 それでようやく、は微笑ってくれたんだと思う。
 思う、というのは、ふたり同時に抱きつかれたせいで、彼女の表情が見えなかったからだけど。
「……もう心配かけないでね……」
 はあの夜と同じように、その小さな身体と腕で、自分たちを包み込んでくれていた。


   ※


「・・・・・・」

 ・・・鳥の鳴き声。
 シャ、とカーテンを開ける音。
 窓からこぼれる日の光。
 それから、自分の傍に人の気配。……肩におかれる手。
「・・・エド君、エド君」
「んあ? ・・・夢か・・・?」
「? とにかく朝だよー。っていうか寝直してもいいけど、ベッド行こうね」
「んー……」
 間抜けな声とともに、うっすら目を開ける。
 どうやら、机に突っ伏したまま寝ていたらしく、顔と上半身の下に固い感触。
 握りっぱなしだったらしいペンが、ころりと机にころがった。

 まだぼやけた視界に、その人が映る。

「…………姉ちゃ……?」

 つぶやきかけて。はっとした。
 咄嗟に両手で口をふさぐも、こぼれたことばは返らない。
 きょとんと目を丸くしたは、しばらくそのまま硬直していた。……しっかりばっちり聞こえたらしい。
「・・・ぷっ」
「笑うなー!」
 ふきだしたに向けて叫ぶと、彼女は、そのまま肩をふるわせてしゃがみこむ。
 『笑うな』という願いは聞き届けてやりたいらしく、懸命に抑えこもうとしてるけれど、はっきり云って無理。
 くつくつ笑う小さな声と、小刻みに震わせる身体。

姉〜……」
「だ、だってだって……なつかしすぎるんだもん、それ……」

 そう。
 結局、『姉ちゃん』と呼べるようになるより先に『姉』に移行してしまったのだから。
 その点アルフォンスはがんばった。今では立派に『姉さん』だ。

 まだ笑っているに手を貸して、立たせる。
 自分より年上なのに自分より小さな手。細い腕。

 だけどいつでも包み込んでくれた。

 いつでも笑いかけてくれる。

「あ、そうそう」

 エドワードがじっと見ていることに気づいているのかいないのか。
 ぽん、と両手を打ち合わせて、がにっこり笑った。
「ご飯できてるって呼びにきたの。だいじょうぶ? 食べにいける?」
 まだ寝るなら、取り分けて持ってきてあげるけど。
「いや、行く。……そういやアルは?」
「もう席について待ってるよー」
 鎧の身体であるアルフォンスも、いつもと同じように接してくれて。

 ・・・自分たちがいつも、どれだけ救われているか。君は知ってる?

 歩き出そうとしたを追い抜いて、エドワードは前に出た。
 足を止めて不思議そうに見てくる彼女に、ん、と手を差し出す。
「行こう」
 伸ばした手のひらに、
「うん」
 そっと重ねられる手のひら。
 それから、がくすっと笑う。
「……なんだかお姫様と騎士みたい」
「そりゃいいや」
 ふたり、顔を見合わせて――笑った。



 『アル、おれ決めた
 『どうしたの?
 『もう姉ちゃに心配かけない。絶対泣かせない!
 『……ボクも! 姉ちゃと約束したもん!
 『今度からは、おれが姉ちゃをまもるんだ
 『ボクだってまもるよ!!
 『・・・おれがまもる
 『・・・ボクだよ

 『よし、じゃあ
 『うん

   『ふたりで、まもろう』



 ……君を、護るよ。


 君だけを。
 何があっても、ただ君だけを。


「・・・どっかの色ボケ大佐に負けてたまっか」
「エド君何か云った?」
「いーやなんにも」
「・・・変なエド君」


 この背徳の身に、笑いかけてくれる、ただ君だけを。・・・ずっと。

 この身すべて賭けてもきっと。


■BACK■



......えー、なんか純愛っつーか一途っつーか切ないっつーか...
健気?(待て)
エドの気持ちの根本は、こういうトコロからかなー、と捏造。
いや、年上でしっかりしてると思ってた女の子が、ふと自分よりも弱くみえたときとか。
守りたくなったとか。そういうのって、あるんじゃないかな、と。