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殺せる手 助けた手


 その事件は、たしかかなりの騒ぎになった。
 軍部の将校が、部下を監禁し、金塊の錬成を強要するという外道な手段に出たのだから、それも当然か。
 報道陣は大挙して軍部に押しかけ、某少佐の芸術的練金術による威嚇で追っ払われつつも根性で記事を特集したとか。
 当然、将校と部下に関してもかなり大仰に書き立てられた。
 しばらくは、人と人が顔を合わせれば、それが話題に上るほどだったのだ。

 が、人の噂も75日とはよく云ったもの。

 将校は懲戒免職、無期懲役の島流し。
 部下は正当防衛とは云え、さすがに人命を奪いかけたこともあり、降格の上東方へ異動。

 そんな処遇が決まる頃には、噂も下火になっていた。


「やっ」
「・・・・・・・・・・・・」

 語尾に音符がつきそうな、えらくご機嫌な声が聞こえたのは、そんなある日。
 自宅謹慎していたが、異動のために必要な手続を終えて軍部から出てきた直後だった。
 黒い髪、黒い額当て、黒い衣服。
 ――黒い瞳。
 に『正当防衛』を促して、闇の中笑っていた人が。
 陽の光のしたで、に笑いかけていた。



「――でさ、そのおばはんがすっごいヒステリーでさー、ちょっと気に入らないコトがあると、すーぐザシュってやるもんだから――」
「・・・・・・あのーう、エンヴィーさん」
「ん? 何?」
 何々、と、顔にでっかく書いて、にこにこ笑っているその人に申し訳ないなと思いながら、はあたりを見回した。
 軍部から少し離れた広場にある、お気に入りのオープンカフェ。
 ちょうどこの時間木陰になる、お気に入りの席。
 目の前にはオレンジソーダ、相手方にはブラックコーヒー。
 ぱっと見、実に爽やかな光景なのだけれど。

「お知り合いが合成獣の実験に失敗してぐっちょげっちょなモノが出来たとか、それに怒ったヒステリーなお姉さんがズンバラリンしちゃったとか、その残骸を宇宙な胃袋を持つ人がげちょげちょしてるのも構わず跡形残さず食べちゃったとか、そーいうグロい話からもうちょっと離れていただけませんか・・・」

 平日の昼間でもそれなりに賑わっているカフェの、たちの周りだけが空席だらけだという事実が、それを物語っている。
「・・・・・・」
 きょとん、と。
 目をまたたかせて、黙り込んだその人を見て。
 あ、気分を悪くさせたかな、とか思ったのだけれど。
「今のあんたの発言でも、じゅーぶん、人ヒいてる。」
 にやりと笑って告げられたのは、そのひとこと。
「はう……ッ!?」
 がーん、と、岩石で出来た書き文字が脳天にクリーンヒットして、わけの判らない発言をしつつ固まったを見たその人は。
「あはははははははははッ!」
 とまあ、実に楽しそうに笑ってくださったのだった。

 営業妨害してゴメンナサイ、店主さん。


 それでも考えてくれたのか、しばらくはお天気とか情勢とか、それなりに他愛のない話になった。
 エンヴィーと名乗ったその人は、結構話し上手で。
 ノリノリで話してくれるものだから、は完全に聞き手にまわる形になって。
 元来、話はするより聞くほうが好きだから、今の状態は結構心地好い。
 たとえ目の前にいる相手が、名前以外は謎だらけの黒ずくめの人だとしても。
 その辺が、ロイをしてをある意味大物だと云わせる所以でもあるのだけれど。
「・・つってもさぁ」
 それは、目の前の人も不思議に思ったのだろう。
 中央でお菓子の美味しい店談義を不意に止めて、を覗き込んできた。
「あんた、警戒とかしないわけ?」
「え?」
「自分で云うのもなんだけど、怪しいと思うんだよね? なのにあんたは平然とまー、お茶一緒してお話までして?」
「・・・ああ」
 やっぱりそういう件だったらしい。
 ぽん、と手を打ったを見て、今さら気づいたのか? と、そんな表情になるエンヴィー。
 違う、という意味こめて、は首を横に振る。
「そりゃあ、わたしからすれば、エンヴィーさんは名前以外知らない謎の人ですけど」
「うんうん」
「でも、助けていただきましたから」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 ことばに続きがあると思ったのか、黙ってこちらを見てくる黒い瞳。
 覗き込んだら底なしの崖っぷちに立つような気分に陥らせてくれる、果ての見えない闇の色。
 がそれ以上何も云わないのを見て、ようやく、エンヴィーも口を開いた。
「・・・それだけ?」
「それだけです」
「んー」
 闇色の目が細められる。笑みは消えていた。
「あんた、バカ?」
 心底バカにしてるらしい、半眼。
 口の端に浮かべた笑みはそのままだけれど、眼が笑っていない分、怖い。
 黒い手甲に包まれた手のひらが、の頬に押し当てられる。
 なんとなく――
 あともう少し刺激したら、たぶん、こっちの命が危なくなるんじゃないかと、ふと、思ってしまうほど。
 ギリギリの空気が、場に溜まる。
 周りで和やかに午後を過ごす人たちの喧騒が、遠ざかった。
「……バカかもしれませんね」
 だけど。
 にこり、笑ってそう云った。
「・・・・・・」
 エンヴィーは答えない。
 代わりに、もう片方の手のひらも、の頬に添える。
 吊り上げた口元は、そのまま。
「――判ってる? その気になれば、あんたを殺せるんだけど?」
 この手のひらと、この意志は。
 今すぐにでも、そう出来るのだと。
「殺しますか?」
「・・・・・・」
 エンヴィーは答えない。
「……それでも、です」
 添えられた手のひらの上から、自分の手を押し当てて。
「この手はわたしを殺せるかもしれないけど、この手はわたしを助けてくれました」
「だから信じるって?」
 やっぱバカ?
「だって、今殺すならあのとき見殺しにしても同じだったでしょ?」
「気が変わったかもしれないじゃん」
「それだったらしょうがないです」
 それでも、信じたいのはあのとき助けてくれたことの方。
 そっちの方を信じて殺されるなら、こちらの状況判断が甘かった証拠。
 だから、バカでいい。
「・・・・・・」
「……殺しますか?」
「……殺しません」
 再び、双眸に笑みを宿らせて。
「でも、あんたがつくづくバカだって思うのは変わらないけどね。普通ここまで脅されたら、逃げるもんでしょ」
 なんでそこまで承知してて、尚且つ信じるなんて悠長なコトが出来るのさ?
「さあ、なんででしょう」
「悟ってるつもり?」
「いえいえ、まだまだ足掻いていきますとも」
「なんのために?」
「生きるために」
「どうして?」
「いつ死ぬか判らないから、そのときまでは生きるために頑張りたいから」
「生かされてるだけだとしても?」
「生きていけるなら、その限り」
「・・・・・・バカだ、あんた。やっぱり。」
「はい」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 しばらくの、沈黙。
 エンヴィーの手が頬から離れ、左手がの右手をとる。
 にこりと。
 闇より深い双眸が、細められて。

「・・・はい?」
 名前を呼ばれるの、もしかして初めてだなぁ、と、思いながら応えて。
 それから。
「――」
「・・・え?」
 つぶやかれたことばは、あまりに小さくて聞こえなかった。
 いや、聞こえたのだけれど。
 それは、この人がつむぐには、あまりに不似合いなことばに思えて。
「あんたが国家錬金術師になるほどの実力者じゃなけりゃ、こっちには関らずに生きていけたのにねえ・・・?」
「・・・・・・エンヴィーさん?」
「だから一度だけ。あんたのそのきれいな魂に、一度だけ敬意を表して」
 そうして、手のひらに唇が落とされる。
 いつか本で読んだ、騎士が姫の手のひらにそうするように。
「えっ、エンヴィーさんッ!?」
 呼びかけは、さっきと同じ名。
 でも基となる感情は、疑問ではなく驚き。それから羞恥。
 不意に、周囲のざわめきが戻ってきた。
 やるねぇ、とか、若いねぇ、とか、実に野次馬根性丸出しのささやきが、風に乗って流れてくる。
 真っ赤になってうつむいたの前で、まだ手を握ったままのエンヴィーがクスクス笑っていた。



 たぶん、送ってもらったよーな気がする。
 気がする、というのは、その一件のあと、は呆然自失状態だったからだ。
 カフェを出て、歩いて行く間、誰かが傍にいてくれた覚えはあるから、それはたぶん送ってくれてたってことで。
 その誰かはの家の前まで来たらいなくなった。
 「またね」 あのときと同じように、そんな一言を残して。

「よう、
「ヒューズ中佐!? どうしたんです?」

 まだぼけっとしていたの目を覚ましたのは、扉の前で所在なげに立っていたヒューズ中佐の一声だった。
 あわてて走っていくと、ぼふっと書類を渡される。
「わーすーれーもーんーだ」
「・・・・・・えっ!?」
「おまえ、異動辞令の控え置いていっただろ。東部に行ったときにコレ、おまえ自分でロイに渡さないかんのだが」
「うあ!? すいませんすいませんすいませんー!!」
 大慌てで平謝りする部下を眺めて、ヒューズが笑う。
 それでさらにが謝るもんだから、よけいに笑いが止まらなくなるという悪循環。
 しばらくそうしていたけれど、やはり年の功か、とりあえず謝罪はもういいからとをなだめて。
「それでおまえ、どこに行ってたんだ? いかんぞ、自宅謹慎者が寄り道したら」
 そうは云いつつも、別に上に報告しようとか欠片も思っていないだろうヒューズにちょっと感謝。
「あ、それはですね、エ――」
 がばっ
 固有名詞を出しかけて、あわてて両手を口でふさいだを見て、ヒューズが不思議に思わないわけがない。
「どうした? 『え』――なんだ?」
「え、え・・・・・・えっと、その、あの……ッ」
 云えない。
 だって約束した。
 最初に逢った闇の中、自分のことは話さないようにと云ったあの人に、自分は頷いた。
 云えない。
 約束は守るもの。
 でも。相手はヒューズだ。ロイと同じくらいのくわせものな。(から見て)
 ――どうしよう。
 どうしたもんか。
 考えて。
「え・・・・・・えっちゃんに逢ってたんです!」
「・・・・・・えっちゃんだぁ?」
「そっ、そうなんです! 黒猫のえっちゃん! 前に一度見かけただけだったんですけど、今日また逢ったからそれで一緒に遊んで――」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・まあ」
「は、はい!」
「信じてやろう」
 あからさまに信じてない表情で、ヒューズは云った。
「ありがとうございますっ!!」
 そんなもん百も承知で、は大きく頷いた。
 口止め料として、晩御飯くらいご馳走しなくちゃいけないだろうかと頭のなかで冷蔵庫をひっくり返しながら。



 一方こちらは、そんなの部屋の前でのやりとりが、しっかりばっちり見える位置。
 ご近所の民家の屋根の上。
 二人並んだ黒髪の、片方は腹を押さえてしゃがみこみ、片方はちょっぴり疲れた感じ。
「あーはーはーはーはー・・・・・・あー・・・はははははははははははははははッ!!!!」
 腹を押さえていたほうが、とうとう我慢出来なくなって、爆発するように笑い出した。
「えっちゃんだって、えっちゃん! ちょっとおばはん、聞いた!? えっちゃんだってさー!!」
 さしずめおばはんなら『らっちゃん』か!? 似合わねー!!
「・・・・・・可愛らしいあだ名だわね」
「あは、あははははははははは・・・・・・ッ、は、腹痛ッ……!」
「・・・・・・バカ」
 腹痛を訴えながら、それでもしつこく笑い続けるエンヴィーを見るラストの視線は絶対零度だった。
 しばらくそうしていたけれど、いつか笑いの発作はおさまるもの。
 唐突にそれを引っ込めたエンヴィーは、目じりに涙を浮かべて身体を起こす。
「――ねえ、ラスト」
「何」
「姫さん、欲しいな」
「駄目よ」
「はーいはい」
 云ってみただけですよーだ。
「あら、意外に素直じゃない」
「だって計画の為じゃん?」
 だから。

         ごめんね?



 とりあえず今度『またね』が実行されたとき、変なあだ名をつけたことをちゃんとばらして謝るべきかどうか。
 そんなどうでもいいことを、が真剣に悩んでいたのは、別の話だけれど。
 あだ名をつけられた本人は、それがけっこう気に入ったらしいことは、まだ知らない。


■BACK■



ほんとうは、コレ、結構ノリノリで書いてました。
でも、ネットまわってて衝撃的なモノを見て。そして改めてこのあとがきを書こうとして。
誰のものでもない、その手は、助けることも殺すことも出来るのだと、思いました。
そんな二面性を、書いてるときは考えもしなかったのですけれど。
エンヴィーたちは、二面性の片方にしか手を使わないのかな? と思いつつ。
主人公ちゃんはかわいがってほしいと思ってみたり。......嗚呼、夢(笑...)