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イシュヴァールの民



「悪いこたぁ云わん、あのお嬢さんだけは殺してくれるな」

 イシュヴァールの民のキャンプ。
 横になったままの『傷の男』に、老人はそう云った。
 そんな彼の横で、少年がぶんぶんと首を縦に振っていた。

 国家錬金術師を次々と殺めている、『傷の男』は、少しだけ目を見開いた。


 老人が手に持っているのは、数日前の新聞だ。
 あの雨の日、鋼と焔と豪腕、そして朱金の錬金術師と相対した、男の記事が載っている。
 写真など当然なく、ただ厳戒態勢を敷くことにした公式声明と、錬金術師は特に注意するようにとのくだりが書いてあるだけだ。
「・・・朱金の錬金術師か」
「そうじゃ」
「何故だ?」
 我等イシュヴァールの民にとって、国家錬金術師は万死に値する仇ではないのか。
 その信念のもとに行動を貫いてきた男にとって、老人の台詞は少しばかり衝撃的すぎた。

「――あのお嬢さんは、イシュヴァールの血をひいとる」

「・・・」

 それは知っている。
 一度、中央にて対峙したあの日。
 感情の昂ぶりがもたらしたのであろう、あの紅い眼を見たときに察した。
「だが、国家錬金術師だ」
 二度と目の前に現れるな。
 そう告げたのに、再びあの少女は現れた。
 国家錬金術師として。
 軍人として。
 そして云った。

 何度でも、前に立つ  と。

「……いずれにせよ、己れの使命を阻む者はすべて殺す」

「あの嬢さんはな」

 男の話を聞いているのかいないのか。
 飄々と、老人はことばをつむぐ。
「むかーし、まだこーんなちっちゃい頃にな。おまえさんの忌み嫌う錬金術で、わしを救ってくれたのよ」
 ありゃ、どれくらい前かのう。
 ちょいと外の様子を見に行ったつもりが、憲兵に見つかってイシュヴァール人ってのがばれてな。
 こりゃあまずいと思ううちに、あれよあれよと包囲されて。
 覚悟を決めねばならんかと思ったら――
「そのとき、捕り物を遠巻きに眺めとった群集の間から、あのお嬢さんが走り出てきての」
 引っ込んでなさいという憲兵の武器に、何か紋様を描いたと思ったら、その武器があっという間に金に変わりおった。
 いきなり、目の前に金なんぞが沸いて出たのじゃ。当然、周りの人間は我先にとそれを手にとろうと群がってきた。
 その下を潜り抜けて、さらに何人かの銃を金塊に変えたお嬢さんは、そのまま姿を消してなあ。
「その頃には、だーれもわしのことなぞ気にしとらんかった」
 ただ、目の前の金塊の独占に心を奪われて。
 おかげで悠々と、生きて帰れたというわけじゃよ。


 懐かしそうに目をすがめた老人の横から、少年がひょっこりと顔を突き出す。
「じいちゃん、何かっていえばこの話をするんだぜ」
「ほほ、恩義もあるが、そりゃあかわいい娘さんだったからのう」
「・・・エロジジイ」

「……ご老人……」

 口を開きかけた男を制して、老人は口元を持ち上げた。
「お嬢さんが国家錬金術師になったときも、新聞を見てすぐに判ったよ」
 粗い写真だったが、あれじゃあまだまだわしの目は誤魔化せん。
「それを見たとき、何故かのう」、

「なるべくしてなったのじゃと――あのお嬢さんは、その道を歩むべくして選んだのだと、わしはそう思った」

 じゃからな。

 笑みを。
 少しばかり、企みの混じったものに変えて。
「イシュヴァール人は、一度受けた恩義は忘れん。イシュヴァラの名においてな」
 そこでじゃ。
「あんたを拾い上げたわしに免じて」
「……目の前に障害があれば、排除するのみだ」
 視線を逸らして。
 ただそうつぶやいた男の脳天に、少年のチョップが落ちる。
「なんだよ石頭! じいちゃんがこんなに頼んでるのに!」

「だが、――排除法というものがひとつでないことくらいは、己れとて知っている」

 ぱちくり。
 老人と少年が、まったく同じように目を丸くした。
 それから。
 徐々に、それが笑顔に変わる。

「お若いの。あんた、ヒネクレもんだとたまに云われんか?」
「知らん」

 喜色満面でちょっかいを出し始めた老人と少年に、どう云って引き取ってもらうか、少しばかり渋面になりながら。
 それでもおそらくは、再び対峙するときがあれば命を賭す戦いになるだろうと、男は思う。
 あの目は、守るための戦いを選ぶ目だった。
 奪うためではなく、勝利を得るためではなく。
 大事な存在をただ、失わぬために、自らの力を使うことを選んだ人間の目だった。

 国家錬金術師。

 イシュヴァールを殲滅した、忌まわしき人間兵器。



 それでも。

「わしゃ、実はたまに祈っとるんじゃよ。あの娘の行く先に、イシュヴァラの加護があるようにとな」
 それでも。
「……そうか」
 不思議と、老人のそのことばに頷いている男がいた。


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名前変換ナッシング。
でも書いてみたかったのですよ、うん。