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兄の弱音


 その人は、自分から見たらずっとずっと大人だった。
 とうとう天涯孤独になったときも、国家錬金術師になると決めたときも、傍でいろいろ助けになってもらった。
 旅に出るときも笑って、

「何かあったらいつでも相談しにおいで」

 って云ってくれた。
 そのあと付け加えられた『鋼のに何かされたら私に云いなさい。懲らしめてやるから』というのは、よく意味が判らなかったけど。

 その人の苦しそうな顔を見た覚えがない。
 自分の感情が、部下に、周囲に、どれほどの影響を及ぼすか判っている人だった。
 人の上に立つ者として、それを己に課していたと思う。

 ――この人の、こんな顔を見た覚えがなかった。


「や、
「大佐!?」
 ふと立ち寄ったイーストシティ。
 どこから滞在していることを聞き及んだのか、エドワードたちが図書館に行ってる間に宿で留守番していたのところにやってきたのは、焔の錬金術師殿だった。

「どうしたんですか・・・お酒臭いですよ?」
「やれやれ、水臭いなあは。兄さん、だろ?」
「・・・いやそれは・・・一応国家錬金術師て軍属だからちょっとは礼儀払わないとまずいんじゃ」
「いいじゃないか別に。公務じゃないんだし」
 ――はた。
「ってロイ兄さん仕事は!?」
「休み。」
「嘘!」
「……そんなきっぱり否定するかい? ほんとに休みだよ。ほら」

 ひらひら、目の前にかざされたのは、たしかに休暇届。持参したんかい。
 かっちりした字でこれまでの届けが記入されてるいちばん下に、本日の分があった。

 ただし、ロイ本人の字ではない。
 流れるような綺麗な字。女性的な。

「これ、ホークアイ中尉の字じゃないですか」
「敬語。」
「んなこたいいから。なんで兄さんの休暇届を中尉が書いてるの?」
「うん? 、ヤキモチか?」
「冗談は寝て云ってね。」(笑顔)
「……とらされた。」
「は?」

 休みをね、とらされたんだ。
 そう云って、入り口に立ったままだったロイがようやく動いた。
 コートをかけて、が腰かけて本を読んでいた場所までやってきて――

 ふわり。
「うあ!?」
 の身体が宙に浮く。

 椅子からを抱き上げたロイは、を抱え込んだままベッドに腰をおろした。
 の頭を胸に押しつけるようにして、腕のなかに閉じ込める。
 ロイ自身は俯いているんだろうか、顔の横の方でちょっとくすぐったい感じがした。

「・・・ロイ兄さん?」
 何かあったでしょ。
「ああ」

 ことここに至ってようやく察したの問いかけには、あっさりと頷きが返ってくる。

「・・・ちょっと采配ミスしてね……本当に小さなミスだったんだが」
「うん」
「そのせいで、部下をひとり亡くしてしまって、ね」
「・・・・・・」

 腕をまわして。
 ぽんぽん、と、何度か背中を叩く。
 呼応するように、を抱く腕に力が入る。
 いつだったろう、が独りぼっちになったと知ったとき、こんなふうにこの人は抱いていてくれた。
 同じようにされているのに、今は立場が逆なのが何となく、おかしな感じで。

 しばらく、黙ってされるままになってたけれど。

「・・・重いな」
「ちょっと待て。」

 いくら傷心してるからって年頃の乙女(?)に何をほざく。
 まだ頭はロイの胸に押しつけられてて視界はきかないまま、それでも腕を伸ばして髪を引っ張ってやろうと。

「・・・・・・本当に・・・人の命っていうのは、重い」

 したのだけれど、ぴたり、その一言で動きが止まる。

「・・・ロイ兄さん」
「うん?」
「その人の死んだ身体が重いのは、その人が自分に向けてくれてた気持ちの重さだよ」
「・・・・・・」
「だから、その部下さんは、ロイ兄さんのこといっぱい信じて尊敬してたから、重かったんだよ」
「・・・うん」
「だからどうってわけじゃないけど・・・・・・ええっと・・・」
「・・・・・・」
「・・・えーと・・・」

 くくっ、と。
 こどばが見つからずに困ったの顔の横で、喉を鳴らして笑う音。

「覚えてたのか」
「・・・ロイ兄さんが云ったコトじゃない」

 とうとう天涯孤独になったとき、遺体を抱きしめて(遺体が戻ってきただけ運が良かったと誰かが云っていた)泣いていたときに。
 今と同じように腕に包んで。

 ――その身体を重いと思うなら、それが、これまでに向けられてた分の愛情の重さだよ

 だったらその愛情は泣いて受け止めるものじゃないよな? そう云って。


「・・・
「何?」

「とりあえず、もう少しこうしていてもいいかな?」

 ・・・・・・沈思。熟考。

?」
「ちょっと息苦しいから、顔上げさせて」
「・・・駄目」
 腕の力は弛んだけれど。
「なんで?」
 くつくつと、笑う声。
 少し声が震えていた。

「私は、ええかっこしぃなんだよ」

「・・・・・・ロイにーさん・・・・・・」

 呆れたようにつぶやいて、それでも。
 大人しくこの腕のなかにおさまっておくことを選んでしまうのは、やっぱり。

 この人のそんな顔を見てしまったら、自分も、その人も、きっと後悔しそうな気がしたからだった。



 一方、大佐を外に放り出した東方司令部。
「あれ? 大佐いないの?」
 せっかく土産持ってきてやったのに。珍しく。
 鎧姿の弟を引き連れたエドワードは、ホークアイ中尉からマスタング大佐の休暇を聞かされていた。
「ええ、まあ・・・・・・あとで私が大佐に渡しておくわ」
「あ、そう? じゃあよろしく」
「じゃあ兄さん、そろそろ宿に帰ろうよ。姉さん待ちくたびれてるよ」
「エドワード君、アルフォンス君!」
 踵を返そうとしたエルリック兄弟の――エドワードの首根っこをむんずとつかむホークアイ。
「なな、何!?」

 げほげほ云いながら振り返るエドワードの前に、一冊の本が差し出された。
 それを見た瞬間、琥珀の双眸が見開かれる。

「それ! 図書館に入ったばかりの新本で予約すら超待ちの!!」
「――ええ、大佐が借りてきていたのよ。だから持ち出しは駄目だけれど、読んでいく?」
 どうせ大佐は今日は司令部にはこないから。
 そのことばに、エドワードとアルフォンスは顔を見合わせた。
 それから壁にかかっている時計に目を向けて、食事時までに帰ればいいかと結論をはじき出す。
 となれば、猶予はあと2時間ほど。
 本を抱えて、いそいそと司令部の一室に姿を消したふたりを見送って、ホークアイも身をひるがえし――
「んじゃ、そーいうことで大佐に連絡入れとくぜ」
 角を曲がったところで、待ち構えていたのか、ハボック少尉が通信機片手にそう云った。
「ええ、よろしく」
 ホークアイは微笑してそう答えた。

 とりあえず、本日の立役者が誰なのかというのはこの時点で判りきっていた。
 黒幕とも云うけれど。


■BACK■



まあ、いかなマスタング大佐でも、たまには弱っちゃう日があるんじゃないかと。
そんなときって、小動物が傍にいると落ち着いたりしますよね。
↑って小動物扱いかよ。
とりあえず、今回の首謀者は中尉です。さすが上司の機微をよく判ってらっしゃる(笑)