Episode1.


 ――わたしには、行方不明のお姉さんがいる


 わたしが生まれるよりずっと前に、お姉さんは行方不明になった
 わたしが生まれる少し前に、お姉さんは一度、帰ってきたらしい
 わたしが生まれる少し前に、お姉さんはまた、どこかへ行ってしまった


 ――だからわたしは、お姉さんを知らない


 知っているのは、お姉さんがお姉さんであること
 それから、お姉さんの名前
 それから、お姉さんが“どこにいるのか”ということ


 ――異世界


 そこに、お姉さんは暮らしてる
 そこで、お姉さんは生きている



 どうして知っているのかって?

 だってお姉さんは、一度帰ってきたときに、それまでの自分がどうしてたかを、日記みたいにまとめていっていたから。
 わたしはただ、お母さんからそれを見せてもらっただけ。

「本当なのかしらね?」
 本当に本当なのかとは思ってないみたいに、お母さんは、それを読み終わったわたしに云った。

「本当だと思う」
 本当に本当かなんて考えないまま、わたしは、そう云ってほしがっているお母さんに答えた。


 たぶん本当なのだろうとは思ってた
 だって作り話にしては嘘っぽすぎるんだもの
 作り話なら、もっと、本当っぽいものになるはず
 召喚されて
 拾われて
 戦って
 死にかけて
 それでも、大切なものをたくさん見つけたその世界が、大好きです ……なんて

 ドラマチックすぎて、物語を読んでるみたいだった、お姉さんの残したノート。
 どこ、とか、
 だれ、とか、
 具体的な名前は全然書いてないけれど、それでも不思議と、その異世界とやらの誰かとお姉さんが笑い合ってる光景や、ケンカしたりしてる光景が、文字を通してわたしの脳裏に映像を結ぶ。
 とても大雑把に書いてあるけれど、不思議。書いてない細かいことまでも、どうしてか、浮かび上がるような、これは錯覚っていうんだっけ。


 ――そのノートを、わたしは、大切に持ち歩いてる。
 顔も知らないお姉さんが、わたしの顔も見ないまま置いていった、たったひとつのものだから。

 そう。

 『いつか、大きくなったちまちゃんへ』

 ノートの最後から二番目のページには、こう書いてある。
 まだわたしが生まれる前、わたしの名前も決まってなかったから、お姉さんは、わたしのことをそう呼ぶことに決めたんだって。
 小さいから、ちまちゃん。
 大きくなった、ちまちゃんへ、お姉さんは何かの手紙を書いてるんだと思う。

 ここだけは、お母さんもお父さんも見ていない。
 そして、わたしも見ていない。

 『大きくなったちまちゃんへ』

 だって、わたし、まだ、小さい子どもなんだもの。


 でも。
 お姉さん。

 わたし、お姉さんの書いてくれたこの手紙を、今読もうと思う。
 まだ小学五年生だけど、まだぜんぜん大人じゃないけど、でも、今読まなくちゃいけないと思う。

 だって、

 『大きくなったちまちゃんへ』

 その下には、

 『知らない場所で、とても困るときがきたら、この先を読んでね』

 って、書いてあるから。



 ――わたしには、お姉さんがいる。
 異世界に呼ばれて行方不明になって、一度帰ってあっちで生きていくって宣言していった、お姉さんがいる。
 顔も知らないお姉さん。
 名前しか知らないお姉さん。

 きっと、お姉さんは、わたしがこういうことになるってことを、知っていたんだ。
 それはたぶん、自分がそうだったから。


 お姉さん。
 ふしょう――うん、不肖、

 お姉さんの置いていったお手紙を、今、読みます。



 手には体育服と給食エプロンの入った袋。肩には赤いランドセル。
 ちょっとしびれてきた腕を持ち上げて、わたしは、ひとつ深呼吸。
 ランドセルから、図書室用とは別のブックカバーに入ったノートを取り出した。


 『いつか大きくなったちまちゃんへ』

 ちょっと右上がりだなって字を見て、それから、紙のはしっこに指を乗せる。
 どきどきしながら、ページをめくった。
 目に飛び込んできたのは、やっぱり、ちょっと右上がりの文字。
 そこには、こう書いてあった。

 『ちまちゃんへ。

 今、ちまちゃんは何歳くらいですか?
 この手紙を書いている私と同じくらいかな? もっと大きいかな、それともまだかな?
 出来ればこんなところ見る日が来なければいいのにって思うけれど、見てしまわなきゃいけないようなことになったなら、仕方ないよね。

 さて、たぶん、ちまちゃんは困っているでしょう。
 ここはなに?
 おうちはどこ?
 そう思っていると思います。

 早く夢から覚めたいな、とか思っているかもしれません。

 でも、たぶん、それ現実です。
 泣いても笑っても、ちまちゃんは、起きたままでそこにいます。

 今ちまちゃんがいるところは、おうちから、ずっとずっと遠い場所で、歩いただけではおうちに帰れない場所です。

 そこからおうちに帰れるかどうかは、ちまちゃん次第です。
 帰る方法があるかどうかは、そこがどういう場所なのか次第です。
 ふたつがうまい具合に噛み合えば、ちまちゃんはおうちに帰れます。

 私もがんばって、どうにかこうにか、前のページまでに書いたみたいな感じで里帰りができたから。

 だから、ちまちゃん。大丈夫です。
 そこがどこでも、どんな場所でも。
 泣かないで。
 怖がらないで。
 まずは、動いて。誰かを探して。ごあいさつして。笑って。

 ちまちゃんと、お友達になってくれるひとを探すところから、はじめましょう。


 大丈夫。
 もしも、ちまちゃんが、どうしてもどうしてもダメでピンチで絶体絶命なときは、私を呼んでね。
 大きな声で、空も宇宙も突き抜けちゃうくらい、強く大きく、私を呼んで。

 まだ顔も見てないけど、ちまちゃんのことが大好きです。
 だから、そんなふうに呼んでくれたらきっと、どこにいたって飛んでいくから。
 でもそれは、ちまちゃんがめいっぱい、がんばってからね。
 そうじゃないと、どんな大きな声を出しても、空も宇宙も突きぬけなくて、ぽとんって落っこちてしまうのです。


 だから、ちまちゃん。

 がんばれ』


 ……爽やかに手を振って笑ってる、顔も知らないお姉さんの顔が見えました。


 わたしは、ぱたんとノートを閉じて、もくもくとブックカバーに包んでランドセルにしまいこんだ。
 とりあえず、泣きたかった気持ちはどこかへ行った。
 そういう部分ではすごいなって思うけど、ええと、お姉さん。
 がんばれ、って、何をどうしろってゆーところとかがすごく適当な気がする。

「ええと」

 がんばれ、って、いうことは。
 お姉さん。

 わたしがまずやることは、笑ってごあいさつするよりも先に、
「……」
 ひゅうううう。
 強い風がずーっと吹いてるこのガレキの山のてっぺんから、どうやって降りたらいいか考えることだと思うの。これ、間違ってないよね?

 ちょっと足を踏み出す。
 ガラン!
 つま先をつけただけなのに、そのガレキは大きな音を立てて山を落っこちていってしまった。
「わ」
 ちょっと羨ましい。
 わたしもあんなに丈夫だったら、きっと、すぐに転がって降りることができたのに。
 はあ、と、ため息ひとつ。
 ついたとき。

 ゴン!

「イテェッ!?」

「…………」

 ずーっとずーっと下の方から、何かがだれかにぶつかって、ぶつかられた誰かが悲鳴をあげた。
 もしかして、今、わたしが落としちゃったガレキなのかな。きっとそうだ。
 ど、どうしよう。
 ごめんなさいって、ここから叫んで聞こえるかな。
 下で何か騒ぐような声聞こえるから、いっぱい叫べば大丈夫かな。
「――」
 とりあえず、わたしは、すーっと息を吸い込んだ。

「フェイ。おまえ軽いからちょうどいいだろ、見てこいよ」
「なんでワタシが。自分で行けばいいね」
「アホ! 俺の体重じゃどう考えても崩れっだろ!! ここらへんは、ただでさえ他より崩れやすいんだからよ!」

 崩れやすい、って聞こえた。
 ぎくりとして、叫ぶために乗り出そうとしてた身体を引っ込める。

「なら、今のガレキもそれだけのことね。別に見に行く意味もない」
「そうかなー。でもこの断面さ、たしかに途中までは腐食が進んではがれた感じだけど、ほら、ここんとこ。自然に千切れるにはまだ余裕がありそうなくらい、他とくっついてたみたいなんだよね」
「……俺の傷よかガレキに注目かよ、シャル」
「で、この土。このあたりで、こんな土があるところって近くにはないんだよ」

 ちらり、と、足の裏を見る。
 通学路の近くの空き地でみんなと遊んできたから、雑草とか土がついてる。
 でも、雨降ってないからそんなに多くない。
 なんでそんなのに気がつくんだろう。もしかして、すごい人たち? ちょっとの手がかりで何か見つけるってことは、探偵さん?

「人の話を聞け!!」
「つまり、上に何かいるといいたい?」
「オレはそう思うけど。まあ、猫かもしれないなあ」

 猫じゃないの。人間なの。
 できれば、見に来てほしいな。それでおろしてほしい。
 でも探偵さんたちって、こういう危ないことってどうなんだろう。得意なのかなあ。

「……少なくともブラックリストハンターじゃあねえだろ。仕掛ける合図にしても攻撃がお粗末過ぎる。っつか、気配弱すぎ」
「能力者じゃないことは確かね。でも、それはそれで」
「――うん。逆に気になるところ」
「わかたよ」

 あ。
 来てくれるのかな!?

 急に、しーんと静まり返った、遠い遠い足元を覗いてみる。
 ガレキが横とか斜めとかからいろいろ突き出て、地面のあたりは全然見えないけど、隙間から姿が少しくらい見えないかなって、身体をひねってみたりもして。

 ――びゅう、と、風が今までより少し強く、わたしを横から叩いていった。

「わ」

 ぐらり。
 あわてて近くの棒につかまる。
 そして、
「なんだ子供か」
 トン、と、ひとつだけ軽い音たてて、さっき足元で話してた声のひとつが、わたしのすぐ後ろで聞こえた。

 きてくれた!

 振り返る。
 まず、真っ黒い髪が見えた。
 大人の人にしては、ちょっと背丈は低いめだけど、でもなんとなく、やっぱり大人って感じがする。

 わあ。
 きっと、わたし、今、すっごく嬉しい顔してる。

 たすけてくれる。
 軽々って感じでここまで来たみたいだから、このひとなら、きっとここから降ろしてくれる。
「えっと」
「おまえみたいなのいたぶってもつまらないね。すぐ死ぬし。今ワタシたち忙しよ、見逃してやる」
「え」
 ここから降ろしてください、って、わたしがお願いするより先に、そのひとはとても変なことを云って、本当につまらなさそうにそっぽを向いた。
 それから、
 トン。
 また響く音。
 その人は、すぐにわたしへ背中を向けて、降りていこうとガレキを蹴った。

「や、やだ待って!!」

 こういうのは、こういうんだ。
 おぼれるものは藁をも掴む。
 そして、きゅうそ猫をかむ。火事場の馬鹿力。

 わたしはつかまってた棒から手を放して、ぱっ、と、それまで立ってた場所を蹴って、

「な、何するね!?」

 そのひとの背中に、セミみたいにくっついた。

 びゅうびゅうと、耳の横で、さっきまでよりずっと大きな風の音。
 すごい勢いで落っこちてってる。
 それに負けないように、わたしは、云った。
「助けてください!」
「助けてほしいのはワタシね! 何故オマエ、くついてくるか!!」
「降ろしてほしいんです!」
「降りたきゃ降りるね!! 今すぐ!!」
「地面に行きたいです!!」
「なら最初から登るんじゃないね……っ!」

 どん!!

 たぶん、そのひとだけだったら、トン、って。さっきみたいな軽い音で着地できたんだと思う。
 でもわたしが乗っちゃったから、不恰好な降り方になっちゃったんだ。
 しゃがみこんでしまったそのひとの背中から、あわてて降りる。――足の裏に、地面の感覚が伝わってきた。
「わあ」
 ぐらぐら、びゅうびゅうしてたガレキとはぜんぜん違う。
 飛んでも跳ねてもだいじょうぶ。
 地面の上ってすばらしい!
 嬉しくなって、たんたん、ぴょんぴょん。
「おい」
「……、フェイタン、何拾ってきてるんだよ」
「誰が好きで――「あ!!」
 苦いもの食べた顔で、そのひとが何か云ってる向こう。
 額に怪我してる人を見て、わたしは大声をあげていた。
「ごめんなさい!!」
 眉毛のない、怖い顔したお兄さん。
 たぶん、さっきのガレキが当たっちゃった人。
 嬉しい気持ちは投げ出して、わたしはその人のところへ走った。目の前で急ブレーキかけて、その勢いのまんま、いっぱいいっぱいのお辞儀をする。
「――おぁ?」
 変な声をあげて、その人は変な顔をした。
 でもそれに返事するより先に、わたしは、体育服と給食エプロンを放り出して、ランドセルを乱暴に下ろした。がさごそ、中をひっかきまわして――
「あった!!」
 ずあ、と、高々さしあげたものに、というより、たぶんこの勢いで、その人はちょっとのけぞった。

「これ使ってください、探偵さん!」

「…………」
「……探偵……?」

 真直ぐにかかげたウサギ模様のバンドエイドを、その人は――ううん、その人と、登ってきた人と、ガレキを手に持った人は、とっても変な顔で見つめてた。



 ――わたしは、このとき、まだ何も知らなかった。
 ここがどういう場所なのか、この人たちがどういう人なのか。
 というかそもそも、自分に何が起こってるのかも、知らなかった。

「……ヤなこと思い出させないでください」
「いや。例のバンドエイドが部屋掃除してたら出てきてよ。つい」
「どうして後生大事に持ってるんですか!!」

 そういう諸々を知ったのは、それから暫くして後のこと。
 この人たちをあっけにとらせて戦意を萎えさせるという大任をなしとげたバンドエイド、いつの間にかなくなったと思ってたら、しまいこまれてただけみたい。

「ああ。伝説の?」
「そうね。後にも先にもあんな薄ぺらいモノでワタシたちがやられたのはあのときだけね」
「ものっそい誤解を招く云い方しないでください!」

 
 もしふるさとに帰れるなら、たぶん中学一年生。
 でもまだ帰れてません。
 てゆーか帰れる気がしません。
 探偵さんと勘違いした人たちと、今日も賑やかに過ごしてます。


 この人たちは、幻影旅団という集団さん。
 仕事は、盗賊。



 ――ここに来てから、もう二年。

 ……お姉さん。
 いつかお姉さんに逢えたら、わたしはお姉さんに云いたい。

 もしもお姉さんのノートがなかったら、わたしは、最初の半年で二度と帰るなんて云えないことになってただろうって。

 ありがとうお姉さん。
 不肖、再び故郷の地を踏むために、根性出してとりあえずその日を生きています。



「何を力んでいるんだ」
「……だんちょには関係ないのですよ」

 詳しくは知らないけど、とにかくお仕事から戻ってきた団長ことクロロさんに、わたしは、べえ、と舌を出した。

 ……二年前はこんなふうな感じになるなんて思わなかったな、なんて考えつつ。
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