Episode66
わたしには、生き別れのお姉さんがいる。わたしには、――生き別れの右腕がある。
……めきょり。
「あ」
「♪」
力加減を間違えた。
ありえない方向に曲がってしまったフォークを見つめるわたしのまん前で、ヒソカさんが楽しそうに目を細めている。
「まだ慣れてないのかい?」
「もう慣れてます」
反論したあと、首を振る。でも、と、つづけた。
「たまに、狂います」
狂気とかじゃなくって、調整が。
一流……というのかも判らない、きっと知られてはいないお医者様――故郷で云うところの黒ジャックみたいなものなんだろう。黒は英訳――がつけてくれた義肢は、ちょっと思い出したくないリハビリの成果、意識しなければ普通に普通の腕としてわたしの肩にくっついている。
「まだまだ未成熟か♣」
「それセクハラです」
「♠」
チチチ、と、ヒソカさんの人差し指がメトロノーム。
「セクハラっていうのはね」、
流れるように席を立ち、つつーっと。座ったままのわたしの横に。
そして伸ばされた手のひらは服の下に潜りこみ、ひんやりと、他人の皮膚の感触を伝え――
ごッ
「正当防衛ですよね!」
「まったくだね♠」
渾身の力で繰り出した肘鉄は、ヒソカさんの腹部にクリーンヒットしてくれた。
おかしなことに。
ヒソカさんは、わたしに、甘い。というか、殺意を、見せない。
それはわたしが将来に一片の期待も出来ないくらい弱いせいなのかと、訊いたことがある。
そうしたらヒソカさんは、「うーん♣」と、手になじんだカードを操りながら首をかしげてこう云った。
「どうでもいいヤツなら、ボクは殺す◆」殺して、蜘蛛の席を、欲情させてくれるような相手が入り込むために空ける。「でも、ボクはキミを殺さない♥」
「……そもそも、わたし、蜘蛛に入れてもらってないです」
団員の証の刺青は、その一点たりとてわたしの身には刻まれてない。
「それとは別に、キミの居場所は蜘蛛にあるだろ?」
うん、と、ヒソカさんの問いに頷くわたし。
それはうぬぼれなのかもしれないと、今でもたまに、考える。だけども、その考えは、同時に旅団のみんなにとって、とても失礼なことだと思うから、考えるだけにしてすぐに消す。
考えが出てくるのは止められないけど、それをどう処理するかはわたしの気持ちの問題だもの。
さて、つまり。
わたしのいる空間を、未だにそのままにしているというのは、
「キミは強いから♥」
あっさりと。そういうことなんだって、ヒソカさんは云う。
そうしてすぐにまた、「でも」と続けて、
「枷があると、つまらないだろ?」
示された右腕は、普通にするために普通にしている義肢。
「むむ」
粘着質の空気がじんわりまといつく感じがして、わたしは右腕を左手でかばった。
義肢。
肉の身じゃない、つくりものの腕。
でもそれは、左手の感覚を受け取って、その信号を脳に伝えてくる。
それはお医者様の技術じゃない。
それはリハビリの成果だ。
正確には、念、の。
幻影旅団と顔なじみのお医者様がくれた義肢を普通の腕として扱うために、わたし、結構な量の念を四六時中使ってる。
でも、小さいころから風の流れを捕まえて自分のほうに誘う修行とかしてたから、なんていうか、自分の分だけじゃなくって足元流れてる世界自体のエネルギーを、ほんの数億分の一くらい拝借して充分足りるから、疲労ってものはまったくない。
けども、意識のほうは、そうはいかないんだ。
今はぜんぜん意識していないんだけども、リハビリ始めた当初はちょっとした物音に反応して気を散らしただけでも、腕が普通じゃなくなった。
それを意識せずに、無意識の範囲で出来るようになったのって、ハンター試験のちょっと前。
もし間に合ってなかったら、わたし、今回ヒソカさんといっしょに再受験だったかもしれない。
だって試験真っ最中に腕が普通でなくなったら、試験どころじゃなくなってたかもしれないんだもの。
まったくもう。
こんなことならお任せにしないで、ちゃんと、普通の人と大差ない腕がほしいですって云えばよかった。
あのころ、わたしはまだ小さくて。
今もきっと、子どもでしかないのだけれど、それよりもっと幼い自分が、唯一の居場所をくれる大人たちにそこまで主張できたかどうか――なんてすごく低い可能性どころか無理だったに決まってるんだけれども、そう思わずにはいられない。
この腕、放っとくと本当に物騒なんだ。
……念の系統が、特質系でほんとうによかったと思う。
あ、特質系だけども、もともとの派生……っていうのかな。そうなる前はきっと、具現化系の素養持ってたらしいって、これは旅団の人たちの話。お魚、つくって出したことあるしね。それ、クロロさんに、いま、預けてるけど。
で。
念の系統の六つの図。
これで特質系の両隣にあるのが、具現化系と操作系なのだ。
だから、わたし、このふたつの能力は、わりと有利に使えるっていうこと。
だから、まあ、うん、どうにかなっている。出来ている。
そうして話は戻ってヒソカさんの発言になるんだけど。
そのために、わたしは戦闘力においてヒソカさんの足元にも及ばないのだった。
腕庇いながら戦うのが不利なのは当たり前。
第一、実力からして全然違うと思うんだよね。『強いよ』だってきっと、からかい混じりのお世辞に決まってる。
ヒソカさんが、お世辞とか云うようなひとかどうかは、おいといて。
「……さてと」
なんてあれこれ考えていたら、ヒソカさんは立ち上がった。
「そろそろ、行かなきゃいけないんじゃないかい?」
わたしとヒソカさんは、今度のハンター試験を目的にして、今移動の途中だ。でも、目的地はそれぞれ別。
ヒソカさんは、試験会場に。
わたしは、ハンター協会に。
説明するとちょっと面倒なんだけど、来年、わたしが試験官候補になってるから、そのために受験生として紛れて試験の様子を勉強しなさいって指令がきてるんだ。協会に行くのは、その打ち合わせ。試験官の人たちとは、そこで顔合わせするみたい。
で、その分かれ道がこの港(の、レストランで食事をしてたとこ)。わたしの乗る船が、ヒソカさんの乗るやつよりちょっと早いから、さっきのセリフ。
「あ、そうですね」
うなずいて、わたしも立ち上がる。横に置いてたカバンをとって、お金を払ってお店を出た。
「じゃ、ヒソカさん」
「うん?」
何も云わずに別方向に歩き出そうとしてたヒソカさんに、ぱたぱた、手を振る。
「試験、がんばってください」
「………♣」
ヒソカさんはちょっぴり首をかしげて、
「♥」
チェシャ猫みたいに笑った。