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振り返る日々


 その名前は、けして、表舞台に出ることはない。
 彼女を大切にしている人々がそれを望み、彼女自身もそれを望んでいたから。

 ――赤月帝国の、門の紋章戦争、

 ――ジョウストン都市同盟とハイランド王国の、デュナン統一戦争、

 ふたつの戦役にたしかに関ったはずの彼女の名は、けれど歴史書には名前の一文字すら残されることはない。
 ただ、彼女に関る人が覚えていればいいというように。
 英雄に近しい場所に、たしかに存在していた彼女のことを、だから、当事者たち以外で知る者は、きっと殆どいない。
 もしも彼女と逢ったとしても、そんな戦役に関ったような人間には思えないだろう。
 特別な存在なのだとは、おそらく想像出来ないだろう。




 魔術師の塔。
 門の紋章の裏側を受け継いだレックナートという女性と、その弟子にして真の風の紋章の継承者であるルックという少年が住んでいる――住んでいた場所。
 ふたりの人間の気配の在ってしかるべき場所に、けれど、今はレックナートがひとり佇むのみだった。

 たった今。
 ――ほんの数分前。
 彼女の弟子は袂を分かつ宣言をし、この塔を後にした。
 それをレックナートは追わなかった。
 止めようと、門の紋章を発動させる素振りをしてみたけれど、それが出来ないのは百も承知だった。
 ルックが何を望んでいるのかよく理解しているからこそ、止めなければならないと――止められないと――
 矛盾した、それは思い。

 彼女はただ、つぶやく。

・・・」

 真の紋章を巡るふたつの戦役の渦中に存在し、自身もけして一般人とは呼べない存在の名前を。

「もしも貴女がここにいたら――あの子たちを止めてくれたのでしょうか……?」

 答えはない。
 呼びかけている彼女には、千里を見通す目も、百里先の音を拾う耳もないから当然だ。
 けれど、
 つぶやかざるを得ないように。
 そうしなければ、いけないかのように。

「……真の紋章は再び動き出す・・・運命がまわりはじめる」

 レックナートはつぶやきつづける。

。貴女を引き寄せる――きっと、また――」




「50」
「89」
「51!」
「78で!!」
「ええい56ッ! これ以上は無理!!」
「そこをもう一声せめて65!!」

 ぜえはあ。

 値段交渉をすること、小一時間ほど。
 そのせいか、それともグラスランドの太陽の強さに当てられてか、はたまたこれまでの旅疲れか。
 は大きく深呼吸して、くらっときた頭を振った。
 交渉こそ難航しているけれど、旅の行商人が通りかかったのは幸いだった。
 ここいらの魔物は何故か、妙に物持ちであり、倒すたびに何やらを手に入れる羽目になって。
 放っていけば良いのだろうが、いかんせん、物は大切にしろと今は亡き育ての親の教えが叩き込まれているのでそれは無理。
 重い荷物を抱えて草原を横断するのは無謀だし、どうしようかと悩んでいたところに、この行商人がやってきたのである。
 不要物を引き取ってくれると云うので、ならばとお願いし――
 どうせなら高めにお願いします、いやいやこれくらいで、とのやりとりが白熱した結果がこれであった。

「――よし、じゃあ」

 同じく息を整えた行商人が姿勢を直し、目の前に陳列された戦利品を指差していく。
「左から56、67、44、132、64。これでどうだ?」
「・・・うん。しょうがないね、じゃあそれで」
 ようやく値段の折り合いもつき、戦利品は無事にの手から行商人に移った。
 荷袋が軽くなり、財布がちょっぴり重くなる。
「あ、そういえば」
「ん?」
「ここら近く、村あります? ダッククランでもリザードクランでもこの際いいですから」
 もう一週間野宿で、ちょっとベッドが恋しくなってまして。
 そのの問いに、彼は少し首を傾げて地図を取り出した。
「リザードクランもダッククランも、ここからは結構遠いよ。むしろ近いのは――」
 まず現在地はここ、と、示した場所から、すぅ、と指が動く。
「ここ。カラヤクランかな。一応人間の部族が住んでるね、たしか」
「・・・カラヤ・・・?」
「どうした? 知ってるのかい?」
 急に眉を寄せたを、行商人の彼は不思議そうに眺めた。
「・・・い、いえ別に」
 そう云って首を振り、まだ不思議そうな顔の行商人と別れて教えられた方向に歩き出し。
 充分に離れた処で、は実に複雑な顔で空を仰いだ。

「・・・・・・カラヤ・・・って、やっぱり、ルシアさんの故郷のカラヤ・・・だよねえ?」

 そういえば、たしかにグラスランドの出身だと聞いた覚えはあった。
 当然覚えておかなければいけなかったのだが、そんなもん、もう15年も前のことだ。
 しかも自分は都市同盟側で、彼女はハイランド側で。
 実際顔を合わせたのだって、彼女が都市同盟リーダーの部屋に夜襲をかけたときと、グリンヒルで追っかけをくらったときだし。
「まあ」、
 視線を空から草原に戻し、は気を取り直す。
「もう15年も前だし。時効ってことで」
 過去の因縁よりも今夜の寝床を選んだは、足取りも軽くカラヤクランへ続く街道を歩き出したのだった。


 蒼穹の下を、風に吹かれて歩きながら。
 ルシアとカラヤの名がきっかけになったか、普段はあまり表層には出さない記憶が次々蘇る。
 18年前、15年前、ふたつの大きな戦役にかかわったときの、記憶。
 今も色鮮やかに、自分のなかに息づく過去。

 ……ちょっと思い出してみようか?
 まだ鮮明に繰り返すコトが出来る、銀幕の映像のように。それは。



 最初の戦役は、ほんの偶然だった。
 育ての親が亡くなったばかり、まだ世間知らずだったのに無謀にも旅に出て、ちょうどグレッグミンスターに立ち寄った雨の日。
 ・・・まさかソウルイーターの持ち主をひっとらえようって騒ぎが起きてたなんて、思いもしなかったんですが。
 屋敷から飛び出した赤い服の少年も気になったけれど、そのときは、屋敷のなかにある友達の気配が気になったのだ。
 友達――テッド。
 旅の途中、たった一度だけ。
 その街に滞在した数日間、偶然同じ宿になった彼からは同じにおいがした。
 だから話しかけてみた。だから友達になった。
 もしもこの長い旅のなか、また逢うことがあれば今度は一緒に旅をしようかと。
 まだ自分たちは幼くて、傷を舐めあうコトしか知らなくて。
 だけれど。あの雨の夜のテッドは、ひどく大人びて、ひどく満足そうで、けれど深い罪悪と嫌悪を抱えて。
 城の兵士たちと相対、していたのだ。
 加勢したけれど力が足りなくてテッドは連れ去られた、そのときの悔しさは今も覚えている。
 自分の持っている力を嫌って、まともに鍛えなかったことを酷く後悔したことも。
 その後解放軍を訪ねて――あのとき、屋敷で見かけた少年の名前を知った。
 解放軍リーダーである彼が、帝国六将軍のひとり、テオ・マクドールの息子だったことも。

 人と深く関るつもりは、なかったのだ。昔のテッドと同じように。
 ・・・あの雨の夜までは。

 だけど、知ってしまった事実が、生まれた気持ちが立ち去ることを許さなかった。
 宿星に選ばれたわけでもない自分が、あの戦いで何が出来たのか、何を為せたのか、それは未だにはっきり知らない。
 そう云ったら、共和国の大統領にはならないと云った友達は――は、小さく笑って。
「そんなの、俺だって同じだよ」
 ・・・そう云った。
 それが、にとっては、ひとつめの戦役の終わりになったのかもしれない。



 ふたつめの戦役は、もう、完璧に人為。
 しばらく一緒に旅をしていたルイたちと別れて、一度里帰りしてきたのが運の尽き。
 なまじ、面白半分でジョウストン都市同盟とトラン共和国を隔てる例の砂漠を越えようと、挑戦してみたのが不味かった。
 だって。
 自分以外にそれをやる人がいるなんて、ましてやそれが3年前の仲間なんて。いったい誰が想像出来る?
 ビクトールに半ば引きずられていたフリックに、あのときは本当に同情した。
 そのままなし崩しに傭兵隊に入り、未来の同盟軍リーダーとその姉と未来のハイランド皇王を拾って。
 本拠地での生活は好きだった。
 3年前の仲間たち、新しい仲間たち。
 昔見た光景の既視感を感じて懐かしくもなったりして、……に連絡をとらないとな、と、思っていたのはたしかだけど。
 ・・・まさかバナーの村でのんきに釣りしながらの帰りを待ってたなんて、誰が想像するんだか。
 おかげで知り合いなら云ってくれ、とにぶーたれられるわ、遅いと思ってたらそういうことだったんだ、と、に嫌味は云われるわ。

 結局、ジョウイはちゃんととナナミのところに戻ってきたし、都市同盟とハイランド王国は新たな国として――シュウが頑張ってるんだろう。
 なんたって、またしてもトップに据えようとしていた人間が逃げ出したんだから。
 それでも、みんなの頑張りはたまに風の噂で聞ける。そのたびに、表情が綻ぶのは抑えられない。

 ただ、心残りはある。
 ルカ・ブライト。
 心残りと云うよりは、その光景が心の一角を占領して離れない。
 蛍たちに囲まれて、凪いだ海の瞳をしていた、あの凶皇子は――最後に、たしかにを見て。何を云おうとしたんだろう?




「危ない!」
「わ!?」

 ひとつ思い出したら、次から次へと滝のように溢れる思い出に、気をとられていたのがまずかった。
 空を切り裂いて飛んできた矢は、とっさに飛び退いたの目の前の地面に音高く突き刺さる。
 もう一瞬反応が遅れていたら、間違いなく傷を追う羽目になったに違いない。
「大丈夫か!?」
 あわてた様子で走ってくる射手を見やり、は笑って手を振って見せた。
 同時に、ざっと相手を見てとる。
 褐色の肌に、細かい意匠の施された動きやすそうな服。くせのある髪を、頭の頂上あたりでまとめている。
 片手には弓。使い込んであるのが、ちょっと遠目でもよく判る。――良い使い手だと、瞬間的に思った。
 先日立ち寄った、ビネ・デル・ゼクセでは見かけなかったタイプだ。
 おそらくゼクセンの人間ではないんだろう。・・・たぶん、
「カラヤクランのアイラだ。怪我はないか?」
 の手をとって立たせながら、予想どおりの名乗りをし、少女が謝罪する。
です。ごめんなさい、こちらこそ、ちょっとぼけっとしてたから」
「まったくだ。草原の真ん中でぼーっとするなんて、魔物に狙ってくれと云っているようなものだぞ。・・・」
 同じように頭を下げたにそう云い聞かせたアイラが、ふと、何か云いよどむような顔になって。
「なに?」
 促すと、
「おまえ、鉄頭の国から来たのか?」
「・・・は?」
 唐突なその発言に、頭の知識棚をひっくり返す。
 そういえば、ゼクセンの民はグラスランドの人々を”蛮族”と呼び、グラスランドの人々はゼクセンの民を”鉄頭”と呼んでお互いを蔑んでいるんだとか。
 15年前、どこぞのスパルタ軍師に仕込まれた記憶が新しいが、どうやらその風習(?)は、今も続いているらしい。
 だけどにしてみれば、互いが互いともその単語一言でくくられるような者ばかりではないと思うのだ。
 思うのだけど……
 長い因縁は、そうはあっさり立ち消えることは、けしてないのかもしれない。
 自分がそうであるように、テッドがそうであったように。
 の知る何人かの人たちも、そうであるように。
 とりあえず、
「ううん」
 答えを待つアイラを見て、は否定を示した。
「わたしはこのへんの地方の出身じゃないんだ。旅人なの」
 ちょっと前までは、デュナンの共和国の方にいたんだよ。
「そうなのか? ・・・云われてみたら、ここらの旅人じゃないな」
「そ、そう? 一般的な旅装束だと思うんだけど??」
 渋めの草で染めたシャツに、革を数枚使って造られた上着の重ね着。
 袖は肘までまくりあげて止め具で抑え、代わりに腕8分目くらいから手の甲あたりまでを覆う保護用の手袋。
 乳灰色の細身のズボンに、脹脛あたりからはベルトで適当に巻きつける革靴。
 あとは、旅の道具の詰まった荷袋。
 改めて自分の格好を見下ろして、はもう一度アイラを見た。
「そんなに変?」
 としては、至極真面目な質問だったのだけれど。
「あははははっ、違う違う」
「へ?」
 何がおかしいのか、急に笑い出したアイラのおかげできょとんと目を丸くする羽目になった。
 いったい何なんだ。
 それが通じたのか、カラヤの少女は少し涙のにじんだ目をぬぐって。
「武器も持たずに、グラスランドを横断する奴はいない。そんなのはよほどの腰抜けか、よほどの金持ちだ」
「・・・どっちでもないと思うけど」
「それとも、忘れたのか落としたのか?」
「んー・・・?」
 第一武器は持ってますが。見える位置に装備してないだけで。と、これは心の声。
「うちのクランにくるといい。狩猟用の弓くらいなら、貸してやれる」
「え? あ、でも」
 だから武器は――そう、云うよりも先に。
「行こう!」
 アイラの手がの腕をつかんで、歩き出す。
 まあいいか、と、息をついた。
 そもそもカラヤクランに行こうとしていたことに間違いはないし、弓だって人並み程度には扱える。
 この機会に、ちゃんと敵さんに武器持ちだって牽制を与える予防もしといてもいいかもしれない。
 そう思いながら、手を引かれるまま草原を歩く。
 もともと人懐こい性格なのか、アイラはにこにこして何かと話しかけてきた。
「ちょっと気分がむしゃくしゃしてたんだけどな、のおかげでちょっとすっきりした」
「むしゃくしゃ?」
「そうだ。カラヤに、失礼な客が来たんだ。そいつら5人、ジンバと族長の客人だったんだけど、中のひとりがすごく失礼な奴で――」
「バカにされたり、したの?」
「そんなものだ。まったく! カラヤの戦士を何だと思っているんだ!!」
 話すうちに怒りが再燃したか、ぶおんと腕を振ってアイラが憤る。
 その拍子につかまれていた腕を引っ張られ、思わず転びかけたのは、ご愛嬌と云えばご愛嬌か。

 グラスランドか――
 ひとりからふたりに増えた道中、軽く相槌を打ちながら、草原を歩きながら。
 思うのは、ひどく懐かしい記憶。
 もう、50年ほどは前になるのだろうか。


 とりあえず、目の前の心配は15年ぶりに再会するお姉さんが、自分を見て驚かないかどうかということだった。
 まさか、ついでに50年ぶりの再会をかますことになろうとは、このときのには想像するすべもなかったけれど。


「・・・あなた・・・そこにいるの・・・?」
 チシャクランの付近に存在する、のちに【炎の英雄の待つ地】と称される洞窟の奥、深く。
 神殿にも似た場所に佇む、老齢の女性は、ふと。俯いていた顔を持ち上げた。
「……あの子がくるのですか?」
 応える者はいない。
 明りのために灯された蝋燭が、ゆらり、一度揺らめいた。
 誰もいない中空に発された問いは、すぐさま、揺らめく空気に溶け、混じる。
 それでも。
 女性は、口の端に笑みを乗せる。

「……来るのですね。あの子が、ここに……」

 あの子がくる。
 再会のためか、それとも他の何かのためか。
 50年前に、真なる炎の紋章の暴走を止めたあの子が――

「・・・あの人たちも・・・もうすぐですね」

 あの人たちがくる。
 真なる炎の紋章を継ぎ、英雄の名を手にするために。
 かつて炎の英雄が、彼女に話したそのままに――



 真なる紋章は動き出す。
 そして、再び彼女をこの地に呼び寄せる。
 
 真なる紋章を宿さずして、不老の身と力を持つ存在を。
 それはシンダルの呪い故とも、真なる紋章たちの嬰児故とも・・・それらはあくまで推測で、本人は黙して語らないけれど。


 そうして、三度目の物語のはじまりになる。


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幻想水滸伝。時間軸は『3』ですが、全編通して何かしら関わってます。
っつか過去をダイジェストで思い出して、無理矢理最初話にしてみました(こら)
連載はしません、思いついたシーン毎に、それこそ書き抜きって感じかと。
主人公設定は一応考えてますが、出すべきなのだかどうか。