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英雄と少年


 きれいな、人だと思った。
 銀の乙女も――ルルを殺された感情を除けば――きれいだけれど、その人はもっと違った。
 高潔なわけではない。
 無垢なわけでもない。
 したたかで、男勝りで、実際強くて、人生の裏も表も知っている。
 だけど。

 きれいな人だと、初めて逢ったとき、思ったのだ。


さん、おはようございます」
「ああ、おはようヒューゴ」
 ビュッデヒュッケ城の一角、まだ夜も明けきっていない時間。
 厩からそう離れていない、こぢんまりした森のなかで彼女と挨拶を交わすのは、ヒューゴの日課になった。
 自分は鍛錬のためで、相手は――何のためだろう?
 最初にココではちあって以来、は自分の鍛錬を楽しそうに見ている。

 見られるのは恥ずかしくて、けれど、自分でも気づかないような指摘をたまにしてくれるこの人は、ありがたい存在だった。

 真の炎の紋章を受け継ぐ前と後で、ヒューゴに対する態度がぜんぜん変わらない、数少ない人でもあるし。
 あれこれ云われるのは、たまに反発したくなるけれど、どれも正論で。
 だから――この時間は結構好きだ。

 でも、今日は違っていた。
「やめておいたほうがいいんじゃない?」
「・・・え?」
 いつもどおりに短剣を抜いたとき、静かな声で、が静止をかける。
 きょとんと見返したヒューゴの目に、心配そうな彼女の表情が映った。

「昨日、出かけたときに、毒受けたって聞いたけど」
「な――だいじょうぶだよ。ちゃんと毒消し飲んだんだから」
「・・・それでもいいから、今日はやめといたほうがいい」

 いつになく、強硬にそう告げるに、ちょっとむっとした。
 けれど、そのことばには紛れもなく、自分を心配している色も見てとれてしまって。
 手に短剣を持ったまま、ヒューゴはしばし逡巡する。
「……さんはそう思うの?」
「うん」
 そこで頷くのは、自分の行動を他人任せにしてしまう感じがしたのも事実で・・・だけど。

「……じゃあ」
 さんが、そう云うなら。
「そうするよ。今日だけだけど」
「うん」

 表情を心持ちほころばせて、が首を上下させた。
 その表情を見ただけで、ああ、良かったな、と思ってしまう。
 丸一日休むわけではないのだし、たまにはいいかな、と、そんな気持ちさえ浮かんできてしまった。

 こっちくる? と、の手招き。
 彼女が腰かけているのは、先日切られたと思われる、横倒しになった木の幹だった。

 うん、と、今度は素直に頷いて、彼女の傍に行く。
 少し迷って、彼女の隣、幹には座らずよりかかるように、地面に腰をおろした。
 ひんやりとした地面と、ちょっと暖かい木の幹。
 少しあかるくなってきた森の中の空気は、地面と同じようにまだ冷たい。

 ふと、隣を見上げて。

 心臓が一度、大きく跳ね上がる。

 真っ直ぐに前を向いた、燈金色の瞳に、表情はない。
 能面のような、とはまた違う、生気はありありと感じさせるけれど。
 遠い昔に想いを馳せているような。それとも、いつか来る明日を思い描いているような。
 この世でないものを見ているような。

 自分たち以外誰もいない、静まりかえったこの森と同じに。

 清冽な、静かな、包み込むような優しい空気。

 ふたりいるはずのこの場所に、自分ひとりしかいないような錯覚だった。

さん・・・」

 呼びかける。
 とたん、その人はこちらに意識を戻し、きょとんとヒューゴを見下ろした。
「何?」
「あ……、いえ。……あの、何を考えていたんですか?」
 気の利いたことばひとつ浮かばない自分を、なんて情けないんだろうと思いながら。
 問えば、は首を傾げる。
 ことばを探すように、視線を巡らせて。

「何考えてたんだろう?」
「・・・・・・は?」
「うーん……なんていうのかな、考えてたっていうより」、

 あんまり静かで心地好くて、何も考えられなくなったていうか、放心していたというか――

「なんかこう……溶け込んだみたいな感覚っていうのかな……?」

 世界に?
 そう訊くと、そんな感じ、と返事が返ってくる。
「おれ、邪魔じゃないんですか?」
 そんな静謐な空間を体験するのに、横に他人がいては妨げにならないのかと。
 ヒューゴはヒューゴなりに、気を遣ったつもりだったのだけれど。
 ぼふ、と頭に手を置かれ、
「子供らしくない気遣いしてるんじゃないの」
 わしゃわしゃと、髪をかきまわされる。
 それはなんとなく、父にそうされているような気分。母のような、と出ないのが笑えるけれど。
 だけど。
「でも、おれ、炎の紋章を受け継いだんだ」
 その手を、そっと払ってそう云った。

「だから、その紋章に、名前に、ふさわしくならないといけないんだ。カラヤとゼクセンが結束するためには――」

 親友の命を奪った、鉄頭の頭領が目の前にいて。
 自分たちは、それと力を合わせなくてはいけなくて。
 象徴が必要だ。
 相容れなかったふたつの部族が、ひとつにまとまろうとするためには。

 まず、炎の英雄が英雄たりえなければ。

 おれが、いつまでもこどもでいるわけには、いかない。

「・・・・・・」

 頬杖ついて、がひとつため息をつく。
「んじゃ英雄って何?」
「え? えぇっと……」
 唐突な質問。
 当然のようにことばに詰まって、それでも一応考えてみた。

 力があって、弱いものを守れて、正しい道を選んで・・・

 ……考えているうちに、気が重くなる。
 そんな理想のような存在に、果たして自分はなれるんだろうかと。

「・・・英雄を、最近の。ふたりばかり、知ってるよ」
「トラン共和国と、デュナン共和国の?」
「そ。あいつらすごいんだから」
「・・・どんな人?」

 ヒューゴの問いに、は指折り数えて答える。

 ふたりともそりゃあ強いのは当然。
 ひとりは我侭で、にこりと笑ってはいても、思い通りに行かないとすぐにへそを曲げてやつ当たる。
 ひとりはしたたかで、天然かましてその陰で、何を企んでいるやら判らない。
 外面だけは百点満点、ただし、正体を知ってる人間には吐血もの。
 自分の持ってる力をよーく承知していて、使いどころを間違わない。
 ときと場合によっては、脅迫まがいなことまでやっても目的達成してみせる。

「・・・・・・英雄? それ」

「そうよ、英雄」
 うさんくさげな目になったヒューゴに気分を悪くした様子もなく、はくすくす笑う。

 ねえ、ヒューゴ。
 サナの話した炎の英雄は、どんな人だった?

 それは炎の英雄の眠る地で。
 チシャクランの長にして、炎の英雄の伴侶たる女性が教えてくれた、恋人たちの会話。
 炎の紋章のおかげなのか、まるでその光景さえもが脳裏に浮かんだ。
 思い出した。

 彼が戦いだした理由、炎の紋章を封じた理由。

 ・・・彼が彼であるために。それは、おそらく。

「……さん」
 声に出して、今気づいたそれを告げるのは、何故だか癪に障った。
 だから、変わりに別のことを訊く。
「もしかして、炎の英雄とも知り合いなの?」

 炎の英雄とサナが、ことばを交わした光景。
 それに交じって呼び起こされた、紋章に刻まれた様々な軌跡。
 ゲドがいた。ジンバによく似ている男性がいた。
 グラスランドのために戦った、各クランの人々がいた。

 そのなかに。

 黒い髪と、燈金色の双眸を持った少女の姿――

「さあ?」

 答えてくれない、それが、けれど肯定だと思う。
 だけど追求はせずに、ヒューゴは小さく笑って、体重を幹に預けた。
さんって、隠し事多すぎるって云われない?」
「乙女には隠し事の十や二十や百や千、当たり前」
「多すぎだよ、それ」
 我慢できずに、声を立てて笑う。
 が、くすくす笑う声が、耳に届いた。

 静謐な空間。清冽な空気。
 優しく静かな、森のなか――優しく静かな、その人のまとうもの。

 口調はけっこう大雑把で、態度も結構男勝りで、戦いになったら先陣切って突っ込むような人なのに。

 やっぱり、きれいな人だと思ってしまう。
 その感覚は間違ってないと、確信してしまった。




 ぺたぺたと、水かきが地上を歩く特有の音。
 草葉を踏みしだくそれがだんだん近づいてきて、が顔をあげたときには、足音の主が姿を現していた。
「すまんな、世話をかけるよ」
 ふかふかの羽毛につつまれた羽を持ち上げ、挨拶がてらにそう云ったのは、ジョー軍曹ことジョルディさん。
「何のこと?」
 口の端に笑みを浮かべてそう云うと、ジョルディの目が心持ち細められた。

「新米炎の英雄が、どうも最近、理想を求めすぎてるみたいだって云ってたのは誰かさんだったろう?」

 昨日の毒だって、戦闘中、体力の切れかけた仲間をヒューゴがかばった結果だった。
 それを悪いとは云わないし、ヒューゴは優しい子だとジョルディも知っている。
 それでも。
 そんなに強い魔物ではなかったのだ。冷静に対応していれば、本人が回避も出来たはずだった。
 それに、から聞く、日々激化しているらしい毎朝の鍛錬の内容。
 昨日、ふと漏らしたジョルディのひとことに、が何やら思いついたような表情になったのも、実は見ていた。

 そうして、ヒューゴは今、の膝に頭を乗せて眠っている。
 無防備に、年相応の。

 彼を見るの目は、ひどく優しい。

 それで充分、答えにはなり得るのだから。

「ところで、ルシアと話したんだがな。おまえさん――」
「いやそれは勘弁。」
 ふと何か思い出したように云いかけたジョルディのことばを、が途中で押し留める。
「・・・まだ何も云ってないぞ」
「将来のカラヤ族長の嫁になれって話なら、もうルシアから聞いた」
「……なんだそうか」
「って正解かい……」
 それなりに熱心に勧められたのだろう、耳にタコが出来ました、と云いたげな顔だった。

「だがヒューゴを嫌いじゃないんだろう?」
「うん。一生懸命だし、クリスのコトも、戦士として認めるコトできるように頑張ってるし」
 だからむしろ、好き。
「で、それは、現時点では恋愛感情には発展しない、と」
 もったいない。
 そう言外のことばは、しっかり相手に伝わったようだ。
 現時点、とつけられた時点で、ますますうんざりした顔になって、は空を見上げ――でも、それ以上何も云わずに手の甲をジョルディに向けて、数回振った。
「ああ、お邪魔虫は退散するよ」
 にやりと笑って告げ、歩き出したジョルディの背中に、が声をかける。
「そうそう。人の睡眠を邪魔するやつは馬に蹴られて飛んでっちゃえ、ってね」

 それは、果たして嫌味なのやら本音なのやら、はたまた単に、疲れきっているであろうヒューゴを思いやってのことばだったのやら――
 帰り道々、ジョルディは頭を悩ませることになったのだった。


 とりあえず、陽が中天に昇ってヒューゴが目覚めるまで、はじっとそこにいてくれたらしい。

 それをヒューゴから聞いたジョルディは、
(・・・そうやって肝心なポイントで気を遣ってやるから、懐かれるんだって自覚してるんだろうかね、あいつは・・・)
 と、実は何人かが思ってるコトと同じようなコトを、考えたのである。

 もちろん、自覚などあるわけがないけれど。


■BACK■



幻水って、季節どうなってるんでしょうね。常春?
とりあえず、秋のはじめのちょっとひやっとした朝の空気って感じです。
むしろ、わたしがこういう空気大好きです(おまえがかい)
やっぱ人間、気ぃ張ってばかりじゃつかれちゃいますよね。
ルシアだと、あのお年頃は素直に母親に甘えられなくなってるだろうし(笑