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最後の春




 つい数日前の、夜のこと。
 彼女は、永遠の未成年になった。
 不老不死の薬を飲んだわけではない。
 ……まあ、要するに、そういうことだ。

 それからまだ一月も経たぬ、春浅いある日。
 その永遠の未成年は、今日も元気に人縛霊っている。


「さーくーらー、さーくーらー♪」
「桜、好きなん?」
「大好きさっ」
「ふーん」

 どことも知れぬ道の端、一足早く咲き出した桜並木に佇んで、ひとりの少年が薄紅を見上げていた。
 奇抜に染め抜いた髪は、サイドを刈って後ろで束ねられている。赤いパーカーにタクティカルベスト、タイガーストライプのハーフパンツ。おまけに靴は安全靴。かなりごっついコーディネートだ。
 けれど何より異彩をかもし出しているのは、右頬に浮かぶ灰色の刺青。
 少年が何事かつぶやくたびに、当然、それも微妙に形を変える。
 いささか禍々しい印象を覚えなくもないが、桜のやわらぎに影響されてか、今ばかりはそれも薄れているようだ。

 ――と、ここまでが、なんら“そのテ”とは無関係の通行人から見た光景。

 そしてここから、知る人ぞ知る、って感じの追加情報。
 少年の傍ら、肩口に、軽くしがみつくようにしてふわふわ漂う少女――の幽霊。
 彼女が、先ほどから少年のつぶやきに応えている当人だ。会話している、ともいう。

「知ってっか?」
「何?」
「桜の下には――」
「死体が埋まってる?」
「そ」
「有名じゃない」

 緩慢に腕を持ち上げた少年が示した、一本の桜の木の根元。
 そちらをちらりと見た少女は、呆れたように微笑んだ。

「ま、残念なことに桜の下に埋まる間もなく粉砕されましたがー」
「今ごろ流れて海に着いて魚の餌になってんよ」

 ……蒼ざめる少女。
 想像したらしい。哀れ。

「ふふふ……バイバイ二十年弱付き合った私の身体……」
「人生八十年のうちのたかだか二十年じゃん。そんな執着するほどのもん?」
「……いつか魚の糧になったそれがめぐりめぐって君の口に辿り着くことを切に願う」
「その心は?」
「怨念食って呪われろ」
「かはははははっ」

 まったく、全然、何の前触れもなしに笑い出した少年を、運悪く見てしまった通行人Aが、遠回りに彼らの後ろを通り過ぎた。
 横目で通行人を見やった少年の手を、少女が咄嗟に押さえる。

「……人識」
「射程範囲外」

 範囲内ならやったんか。
 と、もごもごつぶやいて、少女はため息と同時、手を放す。
 自由になった手でもって、人識と呼ばれた少年は、少女を腕の内へと抱きこんだ。

「おまえを一秒留め、それは等号、一秒殺す――それ、濃すぎて、他に手ェ出す気にゃなれねーよ」

 今んとこ。

 と、最後についた注釈は、再び少女を脱力させた。

「出来れば未来永劫、その気にならないでほしいなあ」
「そんなら未来永劫、弥栄は俺から離れらんねーなあ」

 何を今さら。
 そうごちて、弥栄と呼ばれた少女は、ふと、傍らにある人識の頭を凝視する。
 正確に云うならば、たった今吹き抜けた風にあおられて、舞い上がった髪の毛を。
 それから、微動だにしなかった己の髪を横目で見る。

「どした?」
「ううんー……桜吹雪味わえないの、ちょっと寂しい。こんなことなら、去年の春に、もっと味わっとけばよかったなー」
 あれが最後の春だったと思うと、普段どおりに過ごしたのが残念。
「あぁ、そっか。風も無影響か。台風が来たら、ここぞとばかり遊べんぞ」
「嬉しくないわ」

 ぺしっと人識の頭を叩いた弥栄が、「あ」と、小さくつぶやいた。

「どしたー?」

 ちょっと間延びした、さっきと同じ問いかけのことば。

「人識、桜の匂いがする」
「――ハイ?」
「じっとしてて、――――うん、桜の花の匂い」

 頭に顔を押し当ててきた弥栄のことばにつられるように、人識も、己の腕を鼻へ持っていく。
 が、表情は変わらず疑問符健在。

「どこが? おまえ、桜恋しさにどっかやられたんじゃねーの?」
「やられてないって。ほら、人識の頭、桜積もってるもん。におい、ついたんだよ」

 云われ、人識は頭を大きく左右に振った。
 ぱらぱらと、はらはらと、薄紅色の花弁が散って、地へ落ちる。

「はー……、じゃあ、随分ここ立ってたってことになんねーか、これ」
「そうじゃない?」

 落ちていく薄紅を目で追った人識のことばに、弥栄が頷いた。
 それからふたりは口を閉ざして、なんとなくといった風情で、落ちた花びらや落ちてくる花びら、まだ宙に舞う花びらと見やっていく。

 ――ややあって、人識は弥栄を見、弥栄は人識を見た。

「もーいいか?」
「うん、ありがと。もう行こうか」

 がいた最後の春は、一年前。
 そうしてこれは、弥栄のいる最初の春。


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何があろうとも季節はめぐる。