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鳥篭の中に




 ――彼女の名前は弥栄、本名不肖。享年とって未成年。
 つい先日、殺人鬼に捕まりました。


 機械と相対してるも同じなんだと。
 そう云ったのは、どっちだったか。
 弥栄だった気もするし、殺人鬼であるところの彼だった気もする。
 まあ、あまり気にする必要はないかもしれない。別にどちらが発端だったか判らなくても、会話がそんな方向に展開されてったのは、厳然たる事実。
 ついでに。
 その殺人鬼が何か元気なさげなのも、今判ってることのひとつだった。

 ――殺人鬼の名前は零崎人識。
 驚いたことに、未成年者。いや成人なら殺人鬼やってていいってわけじゃないが。
 しかも小柄。身長なんて150あるのかどうかってところ。

 何が云いたいかというと、なんか、こう、

「……そーやって膝小僧抱えてると、年相応の一般少年に見えるから不思議ね」

「テメ、俺を何だと思ってんだ」

「人間失格零崎人識」
「幽霊失格のくせに」

 さらりと答えた弥栄を睨んで、人識は、ふい、とそっぽを向いた。


 それからしばらく弥栄は人識を見ていたけれど、ちっとも反応がないので、こんなことになってしまった原因と思われる、さっきまでの展開を思い出してみることにした。

 弥栄と人識がいるこの部屋は、わりかし広く小奇麗なホテルの一室だ。
 家にも戻らずふらふら放浪してるという彼が、いったいどーやって金銭を得ているかについては内緒。
 というか考えたいものでも積極的に思い出したいものでもない。
 勘弁。
 ともあれ、幸いにも騒ぎを起こさずチェックインした人識と弥栄は、のんびりテレビなど見ていたのであった。
 最初は番組が寒いとかどの芸人が好きだとか嫌いだとか、そんなしょうもない話だった気がする。
 そんでいつしか、どうして人識が何事もなくフロントマンあたりとやり取り出来たのかって話になった。弥栄にとっては、彼に連れられるようになってから初めてのホテル滞在。そんな疑問が出たのも当然といえば当然。
 何しろ零崎人識ってば、初対面早々あんなして――――
 ううすみません。
 気分的には今でも一般人であるところの弥栄としては、あんまり、それも考えたいものではない。まあ、当人から聞いた話なだけなんだけど。
 勘弁。
 それはともかく、なんでも、彼に云わせると、ただ事務的な手続をする相手っていうのは機械と変わらんも同義なんだそう。だから“ついやっちゃった”的なことって殆どないらしい。
 それを聞いた弥栄、殺人鬼っていうのも奥が深いのだと感心していいのかどうか、判断に迷ったのもまあ事実。
 ――で。
 ああ、そうそう。
 たしかそのへんで、テレビが消えた。
 それからすぐ、人識が膝抱えた。

 ……判らんわ、これじゃ。

 などと弥栄が頭を抱えたその前で、人識はやはり、微動だにせず沈黙している。
 奇抜に染め抜いた髪の内側、脳みその中で、いったい何を考えているのやら。
「……人識くーん?」
「んだよ」
 応答があったことに、ちょっとだけ安堵する弥栄。
 そのまま、つつっと宙を滑って、人識の前にまわりこんだ。

 ……おお。むくれてる。
 むくれてるぞ、これは。
 うわあ、どうしよう。
 かわいいよこのひと。

 まだ付き合いは浅いけれど、それでも、普段からへらへら笑ってる人間が、不機嫌な顔になってる意外。それから仕草の幼さ。
 そのへんが相俟って、――いやまあ、そういう趣味を弥栄は持ち合わせてないはずなんだけど――実にかわいらしいこと、この上ない。

 ので。

 思わず、手を伸ばしたりなんて、してみちゃったわけだ。

「……」

 人識は動かない。
 弥栄の腕が触れるがまま、じっとして、ただ、そっと目を閉じた。

「……触れるよなー」
「うん?」

「おまえは俺が逢って、生きてるって認めて、それで――――俺だけ、おまえを生かして殺して」

 ぽつり、ぽつりと。
 つぶやくことばに、普段の軽薄な感じはない。

「人なら、生きてりゃ、とうに、死んでるな」
「だから幽霊だってば」
「俺は、やっぱ、おまえのことも、人だってみなしてねーのかね――?」

 独白は、つらつらと――重い。

「……」

 弥栄は少し考えて、

「私っていう人格は、ここにいるよ。幽霊だけど」

 それだけ告げると、頬に添えてた手のひらを動かして、頭の後ろへ。そのまま、きゅうっと抱き込んでみる。

「とうに人じゃないし、でも、私は私って人格だよ。零崎人識と会話出来るし、同じテレビ見て違う反応出来るし」、
 まあつまり、何が云いたいかと云うと。
「――人じゃなくても私は私。幽霊に失格してても私は私。そういう私が、ここにいるよ」
 人じゃないけど。
 人間の器はないけど。
「私は、私の心は、今も人だと思ってる」
 そう、力説してみたら、

「……ちっ」

 ――盛大に舌打ちされました。

 人識が動く。
 膝においていた腕を持ち上げ、弥栄の腰にまわすと、そのまま自分のほうへと引き寄せて、己も背中からベッドに倒れた。
 弾むスプリング。たわむマットレス。
 人識を通じて、弥栄に届くその感覚。

「だがおまえは、俺がいねーとそれさえ出来ねー。そいつは人間と云えるのか?」

 ああ、なるほど。
 肩口から伝わる声に、弥栄はようやく納得する。

 まるで機械のようだと。
 幽霊なのだと。
 器はないのだと。

 ――いつか。
 許せないとつぶやいた。
 誰も必要としない己の強さが許せないと。

 人。
 ――ひと。
 ――――ヒト。

 ……人。

 あらゆる誰かにとってそうでなくても、
「……君にとってだけでも、そうなら」
 少なくとも、弥栄は、それで、“人”で“誰か”でいれるのだと思っているのだから。
「いいよ」

「…………」

 はっ、と、呼気。笑い声。

「君云うな、人識だ」
「……二人称か三人称かの違いでしょうが」

 腰にあった腕が一本、頭にまわって弥栄を押さえつける。

 そして、弥栄の抗議など知ったこっちゃなく、人識はつぶやいた。
「あー……。まあ、そだな」
 他の誰に触れられぬ髪を、他の誰のものでない手のひらで、乱暴にひっかきまわしながら。
「俺が認めておまえが受けて、――それでいーわけだ。かはははっ、単純明快な真理ってやつか」
「……真理ぃ?」
 いきなり飛び出た哲学用語(偏見)に、弥栄は顔をしかめていた。

「でなくば戯言」
「そっちのがいいな、なんとなく」
「嵌るなよ」
「なんで」
「なんででも」

 ちょっと、妙ってか、嫌な感じすっから。
 告げる人識の声は、少しだけ上向き。少しだけ――ご機嫌上昇?
 ふと浮かんだ予想を裏付けるかのように、彼の腕が二本とも、弥栄の頭に移動した。いや、頭と云うか、頬。
 伝わる温度。人のぬくみ。
 ……人識だけから、もらえるもの。

 それが、命なくして冷たい世界に在るべき幽霊として、ありえない感覚だとしても、弥栄はそれを好きだと思う。

 ――――それをくれる人識を、それこそ単純に――……――

 だからそっと目を閉じて、触れる感触に身を委ねた。



 たとえその腕が、けして開かぬ鳥篭としても。
 その腕を持つ君だけが。

 君だけに。
 君だけの。

 ……“何か”であれるなら。きっと、ただ、それでいい。


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こういうの、好きらしいですね。自分。