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写真




 目の前に、ずらずら、と並んだ大量の写真。
 そのどれもに映っている人物一名様に、当然、弥栄は覚えがあった。
 それこそ、成長の軌跡とか云われて通じそうな各年代の写真を見る弥栄の心境は、感嘆というより絶句に近い。
「……よく、こんなに撮り溜めましたね」
「何、一般的比率から鑑みると少ない方だよ。かわいい弟の成長記録なのだから、私としてはもっと撮りたかったのだけど、もともと本人が写真をあまり好きではないからね」
 最近は特に、それが顕著で――
 背広にネクタイ、オールバックに整えた髪。
 眼鏡の奥にある双眸を、優しげに、嬉しげに細めて、その人……弥栄の前に写真をおっ広げてくれたその人は、云った。
 そうして、一枚の写真を取り上げ、
「これが一番新しいものだね。どうだい弥栄ちゃん、君の知る人識に間違いないかな?」
「はい」
 もしかしたら奇跡的なのかもしれない、カメラにきちんと焦点を合わせた被写体の双眸を見るや否や、弥栄は大きく頷いていた。
 間違え様もない。
 レンズやフィルムを通してさえいささかも霞まず揺らがず薄まらず――濃い闇たたえた彼の眼を、見間違うなんて出来るはずがない。他がどう移り変わっていっていようと、この眼だけは、変わらないのだろう。
 そんな確信とともに頭を上下させた弥栄を見て、双識も、満足そうに頷いた。
「そうか。それならば、やはり人識は人識で間違いないようだね」
 そう云いながら、てきぱきと、かざした一枚をどけ、残りの写真を懐に――入る量ではないような気がするのだが――しまうと、長い足を組みかえて、居住まいを正す。
 浮かべた笑みはそのままに、真摯な声で弥栄に問うた。
「立ち入った話を訊いてもいいかな? 何故君は、人識と一緒に行動するようになったんだい?」
 答える前に、弥栄は、少し首を傾げた。
「それは、人識くんのお兄さんとして、ですか?」
「ああ、人識でいいよ。普段呼んでいるようにして構わない、私のことも気軽に双識と呼んでくれ」
 律儀に呼称を訂正し、双識が続ける。
「さて、問いへ問いを返すというのはあまり調法ではないけれど――そうだね、兄として弟の動向は気にかかるし、それに、好奇心も兼ねている」
 どうして君だけが、君のまま、人識の傍に存在するのか。
「そんなに、君はあいつを恨んでいるのかな?」
「……いえ」
 彼女が人識に殺された、と、そう思っているらしい双識のことばに、弥栄は小さく笑ってみせた。それから、かぶりを振る。
 恨みなんて欠片もない。
 覚えた恐怖は置いてきた。
 忌避はどこかに消えている。
 惑いと迷いは未だあるけど、それは妨げになるほど大きくない。
 おや、とばかりに眉を持ち上げた双識へ、弥栄は弥栄の事情を話すべく、先ほどの彼と同じように居住まいを正した。


 そうして。
 まだ春浅かったあの夜、その顛末を聞いた双識は一言、
「――――なんて間抜けな」
 心底驚きを隠せぬ様子で、まず、それだけをつぶやいた。
 眼鏡の向こうで、細めの双眸がまん丸に見開かれている。心なし下がった肩は、彼の脱力を示していた。
 特にオーバーというわけではないけれど、それでも、はっきりすぎるほどはっきりした双識の反応に、弥栄は両手を擂り合わせる。
 人識にも云われたが、こうして彼の身内からも間抜けと云われると、なんと云うか、いたたまれないと云うか。
 気分としては、恋人の家族に引き合わされて失敗をやらかしたうら若き乙女か。恋人つくる前にこんな状態になったため、そのあたりの心境はよく判らないが。
「なるほど、それはたしかに間抜けだね」
「……」
 繰り返して云ってくれなくてもいいのだが。
 落胆する弥栄に気づいてか、双識が「いや、君のことだけではないんだ」と、手を振った。
「私だけじゃない? ですか?」
 二者択一の片方を『それだけではない』と云われると、追加される決定は、当然もう一方。
「でも、人識が間抜けだったとは別に……」
 思いませんけど、と云うより先に、双識が苦笑い。
「だって、そうだろう。思うにあいつは、ちゃんと君を殺そうとしたんだと思うね。そうしたら、あろうことか、突進してくる車に突っ込んで行くなんて君がしたものだから、呆気にとられて出遅れた――うふふ、まだまだ修行が足りないってことだよ」
「……つまり、私が間抜けだったから人識もつられて間抜けなことをした、と」
「ファイナルアンサー?」
「……ファイナルアンサー」
「正解」
 悪戯っぽく笑う双識を見る弥栄の目は、だが、そう悲嘆に暮れたものでもない。
 人識とはまた違うけれど、笑みをたやさぬ穏やかな双識の雰囲気に、いつの間にかすっかり和んでいたらしい。
 落ち着いた、大人の男性という感じだ。面倒見もよさそう。
 こんないい人を、どうして人識は、変態だとか云ってるんだろうか――と、そこまで考えて、「……」弥栄は頭の隅に押しやっていた事実を思い出した。

 零崎人識は殺人鬼。
 呼吸のために人を殺す、殺人鬼のなかの殺人鬼。

 ――――その“兄”零崎双識。

「えっと」
「うん? なんだい?」

 にこにこ、微笑みながら促してくれる双識に、弥栄は、えいやっと気合いを入れて問いかけた。
「あの、双識さんも、人識のお兄さんってことは、やっぱり、その、人を――」
「ああ」、
 なんてことなく、双識は頷く。
「人識から聞いていないかい? 私たち――零崎一賊とは、そういうものなんだよ」
 私もやはり、例外ではなくね。
「……一賊」
「そう。零崎一賊」
「……聞いてます。人識も、そういうものだって云ってました」
「その他には、何か聞いているかい?」
「いえ」
 少し前だったか、そんな話はたしかにした。
 だが、あの夜は弥栄が多大に混乱を極めていたこともあって、それ以上突っ込んだ話はしていない。
「ふぅん……」、
 顎に手を当てて、双識は思案顔。
「じゃあ、私もこれ以上はやめておこうか。必要とあらば、人識が話すだろう。――ところで」
 そうしてようやっと、話の軌道が戻ってくる。
「その人識……さっきの君の叫びを聞くに、はぐれてしまったんじゃないかと推察してみたんだけれど」
「はい。はぐれました」
 くだんの女性のことは秘めたまま、弥栄は大きく頷いた。
 そうか、と、双識も頭を上下させる。
「ということは、今、どこにいるかは判らないのだね」
「……すみません」
「ああ、君が気にすることじゃあない。こうして、人識の痕跡を見つけられただけでも僥倖さ」
 何しろあの弟ときたら、逃げることにかけては天下一品なのだから。
 褒めているのか貶しているのか、よく判らないお兄さんのことばに、とりあえず、曖昧に笑ってみる弥栄。
 とりあえず、ご機嫌を害することはなかったらしい双識が、苦笑してことばを続けた。
「いつもね。このあたりだ、と駆けつけても、そのころには姿を消しているんだ。まったく、いい具合に翻弄されてばかりだよ」
 そうして、弥栄の脳裏にふと浮かぶ疑問。
「でも、どうして、人識は家を出てほっつき歩いてるんでしょう?」
「――さあ。もともと放浪癖のある奴だし……以前ちらりと云っていたけれど、なんでも、逢わなければならない奴がいるような気がする、らしいよ」
「ふーん……逢わなきゃいけない人、ですか……」
 なんだか、あんまり、人識にはそぐわない単語だな、と、思う。
 煮え切らない生返事とともに、弥栄は軽く首をひねった。
「なんだか、ロマンティックではありますよね」
「その部分だけを抜き出すならね」
「……違いないです」
 視線を合わせ、目を細め、ふたりは声をたてて笑った。
 とりあえず、約一名様の外聞のためにも、人気のない公園から動かずにいたことは懸命な判断だったと云えるだろう。



 そうして、情報ともいえぬ情報を交換したあと、他愛のない世間話を交わすことしばらく、ふとことばが途切れたのを見計らったかのように、双識が、腰かけていたベンチから立ち上がる。
 少し窮屈そうに折り曲げていた足、背もたれに預けていた背筋を、ぴっ、と伸ばせば、彼の長身は否応にも知れた。
 なにしろ、宙に浮かんだ弥栄がなお、見上げなければならない位置に頭があるのだ。思わず、彼と目線を合わせるために、滞空位置を上昇させてしまった。
 そんな弥栄の行動を見た双識が、「うふふ」と、笑う。
「だいじょうぶだよ。人識と話すときは、もっと首を曲げないとならないからね」
「……」
 たしかに、人識は弥栄より背が低い。宙に浮くなんてことは、さすがの殺人鬼でも出来まい。そして、双識は並の男性と比べても背が高いほうだった。
 向かい合って話すときの、互いの首の角度、推して知るべし。
 わりとコミカルな感じの光景を想像し、弥栄も、つい、クスクスと笑みをこぼしていた。
 そこへ、双識が話しかける。
「さて――それでは」、さようなら、と続くかと思ったら、「弥栄ちゃん、君も、私と一緒に人識を探さないかい?」
「え?」
「一賊はね、一賊の者がいる方向がなんとなく判るんだよ。君は他にあてがないようだし、私と来た方が、人識とも早く再会も出来ると思うんだけれど」
「……テレパシーみたいなものですか?」
「そうだね、バトルマンガで云うところの気配というものかな」
 ここで、比喩にバトルマンガが出るとは思わなかった。いや、それはどうでもいい。
 それよりも、考えるべきは、双識の申し出へのいらえだった。
 だが、正直なところ、それは考えるまでもない。

「……ありがとうございます」

 深く頭を下げて、心からの感謝を表し、

「でも、私、私自身で人識を探したいです」

 それは、ただの意地でしかないのかもしれないけど。

 双識は、少し目を丸くした。
 ただそれだけだった。
「……きっと、大変だよ?」
 幼い子供に云い聞かせるような、優しい声で、彼は云う。
「そうかもしれません。だけど、そのう――うまく云えないんですけど」
「うん? 云ってごらん?」
「私、今までずっと、人識にくっついてきたんですよね。離れたことってなかったんです」
「うん」
「それは、たしかにそれだと楽だけど、でも、それだけなんです。四六時中一緒って、そんな、付属品じゃないんだから、っていうか」
「うんうん」
「そりゃ、私は地縛霊もといの人縛霊ですけど、それでも一人の人間――の、意志です。一個、なんです」
「そうだね」
「……だから、えーと……私が、私だってことを忘れないためにも、って、そんな大仰なことでもないんですが、ここはひとつ、これまでの分も合わせて独力で頑張ってみるということを、自分に思い出させてみようって思うんです……!」
 ――以上、証明終わり。
 云っているうちに、どんどん頭が煮詰まっていく気がして、最後など殆ど怒鳴るようだった弥栄のことばを、双識は、終始にこにことしたまま聞いていた。
 なんだかとても、聞く側が恥ずかしいことを云ったような感覚に襲われて、弥栄は口を閉ざしたまま、ちらり、と、双識を見上げた。
 そうしてその目の前に、大きな手のひらがかざされる。
「――――わっ」
 頭頂部に触れるか否か。
 突き抜けるか否か。
 そんな絶妙な位置にかざされた双識の手が、数度、空間を往復した。
「……」
 淡い色彩と同じ、弱い感覚ながら、彼の手のひらはたしかに弥栄に触れていた。触れられている。なでられている。髪が、ほんの少しだけ、乱される。
 ――優しい、あたたかさ。
「そこまで決意しているのなら、私から、何も云うべきことはない。……合格だよ、弥栄ちゃん。人識を探すなら、また逢うこともあるだろうね。それを楽しみにしているよ」
「双識さん」
 合格って何のことだろう。
 問うより先に、いつの間にか間近にあった双識の顔、その眼鏡の奥にある目が、片方、僅かに細められた。
 ウインクというよりは、しまった、という色合いの濃い表情。
「――あ、いや。失言だった。君は零崎ではないけれど、君を試験しては人識に恨まれそうだ」
「……試験って、何ですか?」
「いやいや、忘れてくれ。出来れば人識にも内密に頼むよ。義兄さんからのお願いだ」
 このとおり。と、手を合わせて拝まれては、弥栄もそれ以上強く出れない。
 ……最後の一言が、いささか、ニュアンス的に気になりはしたのだが、突っ込むと、なんだか崖っぷちからヒモなしバンジーやらされそうな予感がしたので、あえて聞かなかったことにする。要請どおり。
 はあ、と曖昧に頷くと、手のひらを解いた双識が、もう一度弥栄の頭をなでた。
「名のとおり、君のこれからにいやさかあらんことを。次に逢うときまで、元気でいるんだよ」
 もう死んでいるのだから、元気も何もないだろう――なんてことを思うほど、死後の状態にすれてはいない弥栄は、
「はい。双識さんも、お元気で」
 と、大きく頷いたのである。

 そして、双識が真面目な顔で切り出したのは、その直後だった。
「……ところで弥栄ちゃん」
「はい?」
「ここから少し行ったところに、あまり流行っていないゲームセンターを見かけたんだ」
「……はい?」

「せっかくの記念に、家族写真――プリクラでも一枚どうだい?」

 勿論代金はすべて私持ちだよ、と、にこやかに告げる双識のお願いを、果たして弥栄が受け入れたかどうかは――――

 数十分後、

 ご機嫌そうに去りゆく零崎双識の胸ポケットにある手帳を開けば、おのずと、知れることではあった。



 ……おどろおどろした心霊写真にならずにすんで、よかったなあ。


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なんか、持ち歩いてそうな印象があるんですけれど。