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「ん。じゃあ当面の方針は、これで決定でいいか?」

 ぱん、と士郎が手を鳴らした。
「このなかで、願いを叶えるために聖杯が必要なのはセイバーだけ。なら、もし聖杯が手に入るときはセイバーに渡すってことでいいよな?」
「うん、勿論」
「好きにすりゃいいさ」
 頷くわたし、そしてランサー。
 セイバーは、驚いたように士郎とわたしたちを見比べて、小さく頭を下げた。
 でも、お礼を云いたいのはこちらのほう。
 何を願っているのか知らないけど、サーヴァントになって人間に召喚されて、そんなにまでして叶えたい願いを、一時的とはいえ保留してくれるんだから。
 それでほかほか笑っていたら、ランサーが面白そうにわたしを覗き込んでいた。
「お、笑ったかマスター」
「何よそれ」
「何って。さっきまで、悲壮な顔して悩んでただろうが」
 む……そりゃ、それは否定しないけど。
 ――って、あ。
「だから。マスターって呼ぶのやめてってば」
 がばり、身体ごとランサーに向き直って抗議。
 そりゃあ聖杯戦争のシステム上、わたしはマスターでランサーはサーヴァントってものなのかもしれないけど。しかもすごくわがままだって判ってるんだけど。
 うん。
 それでもやっぱり、マスターって呼ばれるのはあんまり好きになれないんだから仕方ないと思う。
 だっつーのに、ランサーてば、
「えー? マスター以外に呼びようがねえだろ?」
 などと、あっさりのたまう始末。
「呼びようあるじゃない! わたしはマスターとかいう以前に衛宮……――――あれ?」
 がー、と。抗議しようと振り上げかけた腕を止める。

 ……わたし、ランサーにちゃんと名乗ったっけ……?

 ちらり。
 ぎこちなくランサーを見れば、彼はにんまり笑っていた。それをことばに例えるなら、“やっと気づいたか”、そんな感じ。
「うわ。ごめん」
 それじゃあ確かに呼びようがないや。
 がっくり肩を落として謝罪する。
 ――うん、たしかにね。こういうのは、ちゃんとお互いが名乗らなきゃだめだ。なし崩しなんてもってのほか。

 わたしが脱力してる傍では、士郎とセイバーがのんびりと自己紹介中。
「セイバー。そういうことなんで、俺のことは名前で呼んでくれないか。マスターなんて呼ばれるような柄じゃないし」
 衛宮士郎。それが俺の名前。
「判りました、貴方がそう云うのなら。シロウ、でよろしいのですね?」

 ……いいよね、そっちは逢って間もない状態で。
 こっちなんか、初顔合わせからすでに何時間経過してるか……!

 なんとなく間抜けな自嘲がわきおこるけど、ええい、無視無視。
 確認するように、ゆっくりとつむがれるセイバーの声。これもちょっと何かにひっかかったけど、とりあえず置いといて。
 茶化されると覚悟したのに茶化してこないランサーに、わたしは改めて向き直る。
「えっと。衛宮です」
「エミヤ、でいいのか?」
 ……ランサー。あなたもしや、海の向こうの国のひとですか。
「それじゃ怪しい国籍不明人だよ。そうじゃなくて“ ”。フルネームじゃなくて、でいいから」
「あー、と。?」
「はい、よく出来ました」
 軽く咳払いしたあと、ランサーは、まあまあきれいな発音でわたしの名前を呼んだ。
 ぱちぱち拍手してみたところ、彼も満足そうに頷いて――つと、その唇が持ち上がる。
 そうして、横からの声と彼の声が唱和した。

「セイバーの名に賭けて、シロウ。これより、我が剣は我が主のために。主が運命は我が剣と共に――契約はここに完了した」

。俺の槍と魔術はあんたを生かすために揮おう。この名、この身。そして魂も命運も、先よりあんたと共にある」

 聖杯戦争。
 マスター。
 サーヴァント。

 その底知れぬ深き孔に、それでも、衛宮士郎と衛宮は、自ら足を踏み出し――


「……それじゃ、そろそろ口を出してもいいかしら?」


 途中からすっかり存在を忘れられていた遠坂さんの地を這うようなひくーい声に、この世にはもっともっと深い闇があることを知ったのだった。

 …………ううう、遠坂さんが怖いよう。

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