- ――さても、このような事実は記憶にあっただろうか。 見事修復を終えた土蔵の屋根に一人陣取り、赤き衣をまとった弓兵は、そんなことを考える。 磨耗して久しい己の記憶から、幾つかの欠片を引っ張り出す。 それはかつての自分であり、その自分が体験したこと。 英霊の座についてのち、起こったすべてと起こるすべて――この身になってより生じて生じた生じる記録。 「ふむ」 アーチャーのサーヴァントとして現界しているこの身は所詮、座に在る本体より切り離された端末。ならば記憶と記録のすべてを渡されたわけではなく、渡されていたとしてもどこかが破損していたとしてもおかしくあるまい。 何しろ、召喚のされ方がされ方だ。 自身のマスターの名誉のために詳しく思い返すことはかろうじて避けたが、英霊の記憶喪失など稀も稀、稀少価値も極まれり。云えば彼女は明らかに不機嫌になるだろうから、これもやはり云わない。 ――ただ、その“思い”だけは強く胸にある。 願望。希望。 そう云い変えてもよいだろう。 絶望。 ああ、何よりもこう例えるのがしっくり来るか。 “本体”の“願い”。 英霊になって、■■尽くして、たくさんの■■を■■■て。 乾ききったこの心は、その願いを叶えることでしか満たされないと。ただそれだけを思って。 だのに、 「――いざ寸前で延びるとは……つくづく生き汚いものだな」 濃い自嘲を孕んだ声は、闇に暗く溶け消える。 その残滓もが散ったころ、土蔵に近づく足音がした。 「うわー! 見て見て士郎! 完璧だよこれ!!」 「サーヴァントって芸達者だな……」 っていうか、本人どこに行ったんだ。修理して逃げたか? 「それはない。ほらあそこ、大源が凝ってる。士郎見えない?」 「うー……見えん。今飛んでった羽虫なら見えたが」 「そっちこそ見えないよ」 いや、こら、おまえら。 人の周囲を勝手に花畑に書き換えるな。 実にのほほんとした声に、アーチャーは思わず実体化。声のしたほうを振り返る。 「「あ」」 ふたりが同時にこちらに気づいた。 「……一応礼は云う。サンキュ」 対峙した者の正体は知らねど、相容れぬことだけは判るのか。ぶっきらぼうに告げる衛宮士郎。血に汚れていた制服は着替えたのだろう、シャツにジーンズといった、いたってラフな格好になっている。 「修理ありがとうございましたー!」 その傍ら、似たような衣服に身を包み、ぶんぶんと手を振る――ダレカ。 ――ダレダ。 キミハダレダ、ナニモノダ。 オレハシラナイ。 この身は。■■■■■は、彼女を知らない―――― そのふたりの横に、赤い影が並ぶ。 「アーチャー。和んでないでさっさと降りてきなさいよ」 そう云う自分こそが今まで和んでいたんじゃなかろうか。すっかり問題のふたりに溶け込んだ様子で、彼のマスターこと遠坂凛が声をかけた。 遠坂の屋敷とは趣を逆にするこの家のつくる空気にほだされたか、はたまたもっと短絡に、住人ふたりに気を抜かれたか。 ――どちらも、ありそうで嫌だ。 「凛、私はそんなに和んでいるように見えたかな」 軽口を叩いて、屋根を蹴る。 佇む一行から少し距離をおいた地点に舞い下りた。 「見えたわよ。じーっと彼女見て、何考えてたの」 「む。それは」 彼女――衛宮、。 衛宮の姓を冠する者。 衛宮士郎の――かぞく? ■■■の知らない、衛宮。 ……君は誰だ? 遠坂と彼を見比べて、困った顔になっている彼女。違和感なく衛宮士郎の隣に佇む、一人の少女。 ――誰なのだ、君は。 だが、彼が口にしたのは、それとはほど遠いセリフ。 「なに。いつかの夜を思い出していただけさ」 「夜? ――ああ、そういやそれも訊こうと思ってたんだった」 云うなり、凛は衛宮を振り返る。 「あなた、アーチャーと知り合ってたの? そんな暇、こいつにはなかったと思うんだけど」 さあきりきり白状しなさい―― そんな半ば脅迫めいた凛のことばに、 「――あ、そのときは遠坂さんもいたんだよ」 と、衛宮はあっさりのたまった。 「わたしが実体じゃなかったから、遠坂さん、わたしに気づいてなかったんだよね。どっちかていうと、このひとに気づかれたことのほうがびっくりしたもん」 「……ってことは……、まさか」 怪訝な顔の衛宮士郎。 奴は彼女のアレを知っているのか――そう思い、自嘲する。家族なのなら当然だろうと。 そうして、「うん」と衛宮は頷いた。それから、もう一度凛を振り返る。 「だから、別にアーチャーが浮気してたとかってことじゃないから。散歩してたら目が合ったとか、そういうレベルの話」 その瞬間。 凛の顔が、みるみるうちに赤くなった。 突発的な出来事に弱いというのは健在のようだ。――アーチャーにとっては奇妙に懐かしく、そして遠い光景。 「う、浮気!? ななな、なんでそんな話になるのよ!?」 「え? だってアーチャーのマスターは遠坂なんだろ?」 「だいじょぶだよ、遠坂さん。いくらわたしだって、二度も三度もやりたくないし、あんなこと」 「。だからそれ以上云うんじゃねえって」 「あんたら云ってることが判んないわよ、じゃなくて! そういう意味なら浮気だとか別の意味っぽいコト云うな! あとランサー、あんた一々かっ攫って距離とるんじゃないわよ今夜は休戦って云ったでしょ! ――って云ってる傍からセイバー、あんたも剣もって前に出てこない!」 ……こんな光景を見て、知らず乾いた笑いを浮かべていたとて、アーチャーに罪はないだろう。 それでも鉄の自制心で、すぐに表情を作りかえる。 「…………」 じ、と彼を見る眼差しに気づいたのは、生憎、その直後であった。 ランサーに抱っこされたまま、少女はアーチャーを見る。懐かしいものを見るような、何かを見極めようとしているような。 その視線。何故か軽口めいたことを云う気も起きず、かと云って耐えることも出来ないように思えて、アーチャーは早口に言を紡ぐ。 「君は……君たちは、兄妹なのかね」 「あ、はい。どっちがどっちじゃないけど、きょうだいです」 「双子っていうのも嘘くさいしな」 ぽつり、衛宮士郎がそう付け加えた。 そこへ、自分のペースを取り戻したらしい凛が云う。 「――まあ、そういうのって無理に隠そうとしないほうがいいんじゃない? 別に誰も気にしてるわけじゃないんだし」 「ええ。シロウもも、下手に隠し事をしようとしてもすぐに見破られてしまいそうな気がします」 「「……セイバー……」」 すっごく情けない顔になる衛宮のきょうだい。 が、アーチャーはそのとき、別のことに気をとられていた。 「セイバー」 「なんですか」 打って変わって、セイバーの声は冷たい。 彼女にとって、アーチャーは主を殺そうとした“敵”だ。凛の休戦宣言と衛宮のきょうだいの方針決定がなければ、迷うことなくその手に剣があったろう。 が、それは予想されたこと。――というか、今そんなことはどうでもいい。 「ひとつ訊こう……なんで君は、黄色い雨合羽など被っているのだ」 「必要な措置です。目立ちたくないとシロウたちが云いましたので」 ――――充分目立っていると思う。夜の闇に浮かぶ黄色い合羽は。 いや、この場合、“鎧を着た女の子”よりも“雨合羽を被る変な人”のほうが目立たないと云いたいのだろうが。 ……あのころは必死だったけれど、こうして脇から冷静に眺めると、なんだか泣けてくる。 「霊体になれば済むことではないか?」 それでもなんとか問うと、 「それが出来ないから、こうしているのです」 と、とりつくしまもない返事。 これは理由を尋ねても答えてくれそうにはない。――実は問うまでもないが。 ああ、だけどもうひとつ。 これはきっちり答えてもらわねば、さしもの彼にも理解出来なかった。 「ランサー」 群青の髪をひょろりと流した、赤い双眸の槍兵に矛先を向ける。 「ん?」 薄い笑みを浮かべた相手の表情は、セイバーに比べると友好的であるといえよう。だからといって、決して油断できる相手ではないのははっきりしている。 ――――たとえその身にあまり似合ってない浴衣をまとっていたとしてもだ。 「君も君だ。何故そんな似合いもしない衣装を着ている?」 しかも青タイツの上に。 「セイバーに以下同文。霊体になれねえんで、緊急措置」 タイツ云うなガングロ。 「……」 サーヴァントを実体から霊体へ――彼らが実体化するのに必要な、マスターからの魔力をカットすればいいだけの話である。 衛宮士郎はともかく、衛宮までこの有り様とは……衛宮のきょうだい、本当にいったい何者だ。 「はいはい、無駄話はそれくらいにして」 会話が合羽と浴衣に移ったことで、大人数で庭に出てきたそもそもの目的を思い出したのだろう。凛が、ぽん、と手を打ち合わせた。 「幸いアーチャーの仕事も終わってたことだし、そろそろ出発しましょ」 土蔵修理が“アーチャー”の仕事なのか。――云えば間違いなく地獄が見れる。 だから、彼が口にしたのは別のこと。 「出発とは?」 アーチャーにとっては、答えの判りきった問いである。 いささか差異があったとしても、この黄色い合羽と凛の苦々しい表情で、それは容易に想像し――思い出せるのだから。 そうして、凛はそのとおりの答えを口にした。 「聖杯戦争の監督役のところに行くのよ。こいつらの参加表明と――それから報告」 最後のサーヴァントが召喚されました、聖杯戦争はこれをもって開始されます――ってね。 |