- 半ばランサーに引きずられるようにして出て行ったの気配が、だんだん遠ざかる。 「やれやれ」 ふたりの姿が廊下の向こうに見えなくなってから、調理器具を手にしたシロウが居間に戻ってきた。片手に持った鍋のふたが、なんとなく盾のようだなと思う。 「あ、そうか」 そのシロウが、セイバーを見てぽつりとつぶやいた。 「はい?」 「セイバーも、街の案内がてら連れていかせればよかったな」 「……また何を云うかと思えば」 ため息ひとつ。 外出するのためにランサーが立ち上がったのは、彼女が彼のマスターだからだ。マスターを守るのはサーヴァントの役目。彼の場合、飄々とした態度に包んでいることが多いが。 「いいですか、シロウ。私のマスターは貴方です。その貴方を置いて、ほいほいと出かけられるわけがないでしょう」 「そうか。じゃあ、今度はみんなで買い物に行くか」 「――いえ、そうではなく」 妙な方向に納得してくれた己がマスターのことばに、セイバーは、がくりと項垂れる。 なんというか、本当に、マスターらしくないマスターだ。聖杯戦争自体を知らない時点でそうなのだが、理解したと思われる今になっても、おそらく普段と変わらないのだろう日常を続ける彼らに、ほんの少し感嘆した。 ――とはいえ、セイバーにもそれはそれで思うところがあるわけで。 「シロウ。もう少し緊張感を持てませんか。こんなふうに弛緩した空気では、いざというときに反応出来なくなる可能性も」 「いや、それは無理だろ――」 すでに台所に戻りかけていたシロウが、そのことばに足を止めた。 「四六時中神経張り詰めるって、急に云われても難しいしさ。俺としては、生活も神経も緩急つけてたほうが、メリハリあって動きやすくなると思うぞ」 それは。ちょっとした霹靂だった。 少なくとも、エミヤキリツグがセイバーへそんなふうに云ったことはない。 それこそ、彼は彼の使う武装のように、常に引き金に指のかけられた銃めいていた男だったから。 必要以上のことは――どころか、究極最低限のことしか口にせず、ただ障害物を的確に排除しながら、黙々と聖杯戦争を勝ち抜いた男。セイバーが抱く、エミヤという名の男への印象はそんなものだったから。 「……驚きました」 思わず、そう口に出していた。 「なにがさ?」 きょとん、と目を丸くして、シロウが応じる。 しまったと思ったときにはすでに遅く、彼はセイバーに身体ごと向き直っていた。 「あ……いいえ、その」 しばし逡巡。ありがたいことに、シロウは黙して返答を待ってくれている。 そうして、出たことばはというと。 「――実に――泰然としているなと」 そんな、どうとでもとれそうな、曖昧な賛辞だった。 「いや、そういうんじゃないぞ」 しかも速攻で否定される。 たしかに半ばその場しのぎ的な要素は強かったが、真顔でそういうことをされると、云ったセイバーもちょっと空しくなるというか。 けれども、シロウはセイバーの微妙な表情の変化に気づかないようで、うん、と頷いてしゃがみこんだ。 彼がそうすると、さっきまでのように見上げるのではなく、互い、ちょうど真正面を見た場所に相手がいる。 「泰然となんてしてないぞ。どっちかって云うと、その逆だ」 「そうでしょうか……?」 「ああ。不安だし、緊張してる」 口元を引き結んでそう云う彼の表情は、けれど、揺らぎなどないように見えた。……不安で緊張してるということに揺らぎがないのであれば、別だが。 「――」 セイバーは、首を傾げることでシロウを促した。 応えて、シロウは再度口を開く。 「だから普段どおりにしてる。緊張しだすときっと際限なくなるから、そう出来る間は出来るだけそうしたいんだ。あと、表に出したらにも伝染しちまうし。それに、まがりなりにもマスターなんだから頼りないままでもいられないだろ」 何が頼りないのか、と問いが浮かんで、昨夜のことかと察した。 押し殺したため息は、沈黙。 「……マスター、戦闘は我々の領分です」 サーヴァントから見た人間が、戦闘能力的に“頼れる”と称されることは稀であろう。それどころか皆無。 戦術戦略智謀知略の類では判らないが、単純な身体能力等において、サーヴァントを超える人間などいない。英霊とは人間を超越したものであり、それを召喚したのがサーヴァントなのだから。 「正直に云わせていただくが、シロウ。貴方たちがサーヴァントと戦うことは死を意味します」 凛に魔術を習うことに賛成したのは、あくまでも自分の身を守ってもらうため。 「そもそも、たいていのサーヴァントの抗魔力は、一流の魔術師でさえそう簡単に破れるものではありません。魔術で戦おうなどとは、絶対に考えないでください」 「……う。だけど、セイバーとランサーだけに戦わせるわけにもいかないだろ。後ろで震えて守られてるだけじゃ、何のためのマスターだよ」 「守られていてください」 きっぱりと云いきりながら、セイバーの心に浮かぶ疑問。 ――本当に。マスターとは何のために―― おかしな話ではないか。 戦うのはサーヴァント、聖杯の出現に必要なのもサーヴァント。 では、マスターの役目は何。 英霊をこの時代に喚び出すための触媒? そして留めおくための依り代? む、とシロウが眉を寄せた。 「そんなのだめだ。セイバーが俺を守るって云うなら、俺もセイバーを守る。信頼ってそういう形で生まれるもんだろ」 「実力差を考えてください」 一刀両断。 だが、何故か、今に限ってシロウはしつこい。 「考えたさ。それで云ってるんだ」 などと、正気の沙汰とは思えない台詞まで吐く始末。 「せめて自分の身は自分で守れるくらいでないと、今ランサーが云ったみたいに、危なっかしくておちおち外に出せないってことだろ?」 「……ええ、まあ、それはそうですが」 がひとりで買い物に行くつもりだったと知ったときは、正直耳を疑ったくらいだ。 だが、サーヴァント相手に身を守るというのは――倒すよりはまだましだろうが、それでもかなりの難易度であると思う。実際、今セイバーが剣を振ればシロウの命は容易く狩れる。実行する気は断じてないが、両者の間にはそれだけの、それ以上の開きがあるのだから。 「だから――えーと、魔術戦でも肉弾戦でも頼りないってのは自覚してるんでだな、それを克服する為にセイバーにお願いしたい」 「何をでしょうか?」 「俺に、剣の特訓をしてくれないか」 ………… 沈黙しばし。 「特訓ですか?」 「特訓だ」 シロウは真顔で頷いている。伊達や酔狂、話の流れで出てきただけ、というわけでもなさそうだった。 「よろしく頼む。今日――はもう遅いけど、明日から折を見て」 「ちょ、ちょっと待ってください。そうさくさくと話を進められても困ります」 黙っていれば一週間の日程が決定されそうな勢いに、セイバーはあわててシロウの独白に割って入った。 「だめか?」 「駄目とかそういう問題では――だいたい、唐突過ぎます。何故そういう結論になったのですか」 突発かなあ、とシロウは首をひねる。 彼には彼なりの考えがあるのだろうが、前置きもなしにそんな発言をされたセイバーとしては、そうだとしか思えない。 何やら香ばしいにおいが鼻をつくのが気になったが、ここまできて有耶無耶にも出来まい。むん、と腰を据えてシロウを見た。 「……それが、どんなに遠いものだとしても」、 そう前置きして、彼は告げる。 答えのような、さらなる謎かけのような。 だけど、何よりも彼らの気持ちの根源であるものを。 「俺は――、俺たちは約束したんだ」 その道を、俺たちの思う形で越えてゆくと。 「…………」 だから、と、シロウは続ける。 セイバーが手を握り締めたことに、気づいてはいまい。彼の目は真っ直ぐにこちらを射抜き、ただ己の理由を伝えようと懸命だ。 決して言が立つほうではないのだろう、一言一言を吟味して語るシロウの姿は、とても目を逸らせるものではない。……所持したままの調理器具と身に付けたエプロンは、さておいてだ。 「昨夜、俺はランサーに殺されかけた。手も足も出ないのは身に染みてる」 それでも、 「だったらせめて、セイバーたちには後顧の憂いだけでもなくさせてやりたい。自分で自分の身が守れるって保証があったら、後ろを気にせずに戦えるだろ」 「……失敬な。それしきのことで、戦闘力が落ちたりするとお思いですか」 「そっか。見くびって悪かった。じゃあ、不意打ちかけられても自分たちだけで当座の対応が出来る保証」 よくもまあ、何気にさらさらと、反論が出てくるものである。 ここでセイバーがちらりと視線を動かせば、自身のそれ以上に固く握りしめられたマスターの掌に気づいたろうが、あいにく、それは実現されなかった。 だから、セイバーは嘆息する。 承諾の意を、それに込めて。 「…………頑固なのですね、シロウは」 「う。そうか?」 「ええ」 自覚がなかったのだろうか、虚を突かれた顔になったマスターを見て、セイバーは頭を上下させた。 「判りました。貴方がそうまで云うのなら――私でよければ剣の相手になりましょう」 凛に魔術、セイバーに剣術。 文武両道という四字熟語などセイバーは知らないが、心身のバランスを考えるなら、両方を強化していくというのは偏りがなくていいのかもしれない。 「そ、そうか! ――ありがとう、セイバー!」 大きな安堵と謝辞のことば。 引き締められていた表情が弛んで、ほころんだ。 その、照れているのか困っているのか掴みにくい、だけど彼らの年に相応と思える表情に、セイバーも、肩の力が抜けるのを感じる。 ――本当に、穏やかすぎる。この家は。 そう思うのもたしかなのだけれど、今となっては心地好い程度のたわみを持つ弦を、無理に引き延ばすのもどうかという気がして。セイバーは、張り切って台所に戻っていくマスターを、 「シロウ」 いつになく穏やかな気持ちで、呼び止めた。 「ん?」 即座にシロウが振り返る。 何事かと尋ねる眼差しに応え、セイバーは、一瞬前までのほころびを引き締める。マスターの発言に翻弄されて忘却しかけていたが、告げねばならぬことがあったのだ。 ランサーもおらず、凛もおらず、アーチャーもいない、今このときに。出来ることならば、危険度を考えても同席していない、正真正銘自分とマスターだけが同一の場所にいるときに。 「魔力の回路が通っていない話は、しましたね?」 「ん――あ、ああ。セイバーが霊体になれないのも、それが原因なんだろ?」 「覚えていましたか。なら――」、 後半のことばは意図して黙殺し、セイバーはシロウに頭を下げた。 なにしろこれから、魔力を外部から供給されぬ不利益を極力回避するための策――すなわち睡眠と食事の必要性を、彼に願わねばならなかったから。 もっとも、シロウならばあっさり許してくれそうだと思ってもいたのだけど。 |