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 晩ご飯にとりかかろうとして、とんでもないことに気がついた。
「……お米がない」
「何!?」
 すでに主菜の準備にかかってた士郎が、ぎょっとした顔でこっちを振り返る。包丁片手で、これがきょうだいじゃなかったらちょっと退いてたところだぞ。
 ともあれ、お米がない。普段ならとっくに仕込み終えて水吸わせてるはずだけど、今日はなんだかばたばたしたおかげで朝ご飯も昼ご飯も食べてないのだ。そのせいもあるし、人数も増えたことだし――そう考えたら、あと三日は保ちそうだったうちの米びつは、本日このときをもってすっからかん決定なのだ。
「ううん、今日の分はある。でも明日の朝の分が足りない。だってほら、ふたりだけじゃない――――」
 云いかけて。
 何か不思議な力が、わたしの口を閉ざした。なんだろ。
「ああ、そうだよな、――――来るもんな」
 士郎も、何か大事な部分を抜かして頷いた。
 なんだろう。
 何か不思議な力が、その部分を今認識するなと云ってるよーな気がする。認識したらきっと、夜眠れないようなことになるぞ、とか。
 でもま、今、それは別問題。
「しょうがないなー。お米砥いで、それから買いに行ってくる」
「けど重いぞ、俺が行く」
「やだ。士郎のご飯がいい」
 女の子なのに何をぬかすかとか云われそうだけど、うちの食事は和風が士郎、洋風が桜、ちょっと気の抜けたものが食べたいときがわたしなのだ。情けないとか云うなかれ、料理上手すぎなふたりにも責任があるぞ。
 ちなみに士郎が料理を始めたきっかけは、切嗣の料理があまりにもアレだったから。掃除洗濯家事一般もそう。しばらくはわたしも一緒につくってたんだけど、士郎のあまりの上達ぶりに、とうとう、料理に関しては全面的に任せることにしてしまったのだった。――だっておいしいんだもん。
 その士郎に料理を習った桜もまた、お墨付き。士郎の専門とも云えそうな和風ではちょっと競り悪いけど、洋風でならちょっぴりリード。なんでも、和風じゃ絶対負けちゃうから、士郎があんまり手を出したことのない洋風をがんばったんだとか。誉められたときには、すっごく嬉しそうだった。……一緒におにぎり握ったころの桜がちょっぴり懐かしいなあ。
 ともあれ、そんなこんなの衛宮家の食卓事情。
 士郎と桜以外のご飯なんて、誰が許してもわたしが許さない。というか、このふたりを除けば食事当番がまわってきそうなのって、残りのわたしと――――
 ……あれ。
 また、思考がこの先に行くことを拒んだぞ?
 首をひねる。が、答えは出ない。
「とにかく、わたしが行ってくるから。士郎は美味しいご飯つくってて」
 最後のお米を砥ぎながら云うと、士郎は「判った」と、呆れた顔して頷いた。もちろんその間にも、手はちゃきちゃきと調理を進めている。
 それじゃあとばかり、米砥ぎを終えて、財布片手に台所を辞した。
「出かけるのか?」
 と、何故かすっかりくつろいで、テレビの釣り番組を興味深そうに見てたランサーが、こっちを振り返った。
 なんてゆーか、馴染んでるな、このひと。
 とはいえ、彼が腰を落ち着けてる卓の一角に座るセイバーも、似たようなもの。くつろいでる、というわけではないのだろうが、ちょこんと正座して目を閉じている様は、瞑想でもしてるかのよう。ランサーとは別の意味で、衛宮家の居間に溶け込んでいた。
 そのランサーに、財布持った手を持ち上げてみせる。
「買い物。明日のご飯が足りなかったから」
「今からか?」
 なんて云いつつ、ランサーが立ち上がった。
「そうだよ?」
 お手洗いかなと思いつつ、居間を横切って廊下へ。その後ろにランサーがついてくる。
 立ち止まる。
 ランサーも立ち止まる。
「じゃ、行ってくるね」
「飯、出来るまでには帰ってこいよ」
「道中気をつけて」
「おう」
「ってこらランサー。なんであなたまで着いてくるか」
 二人分の送り出しにさらりと答えた槍兵を、軽くどついた。
 小学生じゃないんだから、おつかいくらいひとりで出来ますっていうのだ。
 ところが、ランサーはけろりとした顔で、
「護衛に決まってるだろ? 襲撃があるかもしれねえんだからよ」
 と、至極物騒なことを仰られたのだった。
「襲……」
 一瞬変質者的想像が脳裏をよぎったものの、彼の懸念がそんなものじゃないことはすぐに判った。
 ――昨夜の、教会からの帰り道を思い出す。
 白い女の子。黒い巨人。
 マスター・イリヤスフィールと、サーヴァント・バーサーカーに襲撃された、月明かりの帰り道。
「……」
 そんなのが、買い物帰りにこられたら困る。すごく困る。
 だって、そんなことになったら一般の人たちまで巻き込んでしまう。
「まあ、日のあるうちから出てくるような奴はいなかろうけどな。念のためだ、念のため。あんまり心配するなって」
 わたしの不安をあっさり払拭して、ランサーは朗らかに笑った。
 なんか振り回されてる気がしないでもないけど、それを聞いて少し安心する。
「なら、別に護衛とか――」
「だから、“念のため”だって云ってるだろうが」
 いないだろう、っていうのは予測であって、絶対いない、ってことじゃねえんだぞ?
「――――むー」
 でも、ランサー連れて行くと目立つ。絶対目立つ。
 顔の造作もさることながら、色とか耳飾とか、あんまり見かけない系。服だけは士郎のをアーチャーが繕ってくれたからなんとか違和感ないけど、それでも、彼――彼らの醸しだす雰囲気っていうのは、わたしたちとは違う部分がある。魔術に関ってなくたって、霊感が強いひとなんかには、きっと刺激が強そうだ。あんまり、注目されたくないんだけど。
 ああ、なんでわたし、遠坂さんみたいにランサーを霊体にしてあげられないんだろう。
 ……魔力を供給するっていう魔術回路そのものが体内にないんだから、調整のしようもないんだけど。回路は回路自身じゃ調整できないのだ。なんたる皮肉。
 世界とランサーを繋げるパイプがわたしだって云うんなら、いっそのこと世界のほうでどうにか調整してくれないかなー、なんて……思ったところで、現状が動きやしないのはよく判ってる。
 刻一刻と時間は過ぎていくし、あんまりのんびりしてるとそれこそ日が沈んでしまう。そうなると、ご飯に間に合わないのもさることながら、魔術師が活動を開始する時間帯に道をうろつく羽目になる。
 うー、仕方ない。
 それに、モノは考えようだ。
 護衛だとかいうから、こう余計なことを考えちゃうのだ。いっしょにおつかいだって云うんなら、もっと簡単で単純な関係があるじゃないか。
「じゃあ――いっしょに行く?」
「最初から行くって云ってんだろ」
 人の話はちゃんと聞け、と小突いてくる大きな手を、甘んじて受けた。それから、うん、と頷く。
「でも」
「でも?」
「わたしとランサーは、一緒におつかいに行くの。その、護衛とかそういうの、あんまりなしでね。警戒ビシバシは嫌だからね」
「―――――」
 はは、と。
 赤い双眸が細められた。
「了解。じゃあ俺も楽しませてもらうかな」
「とりあえず、行ってこいって。飯冷えるぞ」
「はーい」
 おたまと鍋のふた持った士郎に追い出されるようにして、わたしたちは家をあとにした。

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