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第0夜 壱
lll 誓約者たちは語る lll




「そういえば……」

 聖王国はサイジェント。織物で有名な街の片隅にあるスラム、そのさらに片隅に、孤児院として使われていた建物がある。
 現在そこは、フラットと呼ばれる一団のアジト――もとい、ささやかであたたかな生活の場となっていた。
 そんなのアジトの食堂が、今の一言の発信現場。
 入室者が二桁を越えれば窮屈感があるだろうそこに、8人が集まって午後のお茶を楽しんでいたそのときに、なかのひとりが不意に口を開いたのだ。
「どうした、アヤ?」
 口に運んでいたカップから、とりあえず紅茶を一口飲んで、茶色の髪をした少年――ソルが、口火をきったアヤへと先をうながす。
 なんだなんだと、その場にいた者たちも、いっせいにアヤのほうに注目した。
 その視線を受けて、アヤは小さく首を傾げると、
「急に、思い出したんですけど」
「うんうん?」
 身を乗り出すのはカシスとハヤト、ナツミ。さすが似た者同士である。
 隣に座っていたクラレットも、またその横のトウヤ、キールも表立ってはないが、興味はある様子。
「わたしたち、召喚術の事故でこの世界に喚ばれたじゃないですか」
 とたん、ソルとキール、カシスとクラレットといった四人が表情を曇らせた。
 かつて彼らが関った、魔王召喚の儀式のことに違いないからだ。
 だが、アヤは、別にその召喚儀式云々に関して追求しようというわけではない。
 その証拠に、とっとと話を次の段階に進めている。
「たぶん、いきなり消えたということに、向こうでは、なっていると思うんですよね」
「……だろうね」
 トウヤが相槌を打つ。
 表情を曇らせた4人を除く、残り4人――アヤとナツミ、ハヤトとトウヤ。この世界にとっての異世界から訪れた彼らにとって、ここで暮らしていくということは、すなわち、もといた世界を断ち切るということだった。
 その選択を悔いたことなどないと云えば、たぶん嘘になるだろう。
 けれども、それを振り切るだけの何かを、彼らはこの世界に見つけてしまった。それが、今、こうしている結果。
 トウヤのことばを聞いて、残るふたりが、顔を見合わせた。
「高校生4人の神隠し、ってニュースになってたりして」
「うわあぁ、一気に有名人!?」
 ハヤトとナツミの会話に、クラレットが首を傾げる。
「かみかくし?」
「ナツミたちの世界の言い伝えらしいよ。人が行方不明になるのは、神がその人をさらって自分のところに隠しこんでしまうから、だそうだ」
「あ、そうそう。トウヤもたしか、云ってたよね」
 カシスに矛先を向けられ、トウヤも小さくうなずいた。
「そう……それなんです」
 再び、アヤが話を戻す。
「それ、って?」
「わたしがまだ、小学生の頃でしたけど……近所に、よく一緒に遊んでいた、1歳下の子がいたんですよね」
「あ、それなら俺も知ってるかも。小中も、アヤと同じ校区だったから」
 なんて子?
 そういうハヤトの問いに、アヤは、何かを思い出すように目を伏せて。
 ちなみに、ソルが心なしハヤトを睨んでいるような気がするが、それはまぁおいといて。
ちゃん……そう、ちゃんって名前でした」
「あぁ、知ってる!」
 ハヤトが答えるより先に、ナツミが手を打って、叫んだ。
「その子、当時たしか、ニュースになってたでしょ!?」
「そういえば、随分話題になった気がするな。現代に蘇った神隠しか――とか」
「トウヤ、よく十年近く前の覚えてるなあ……」
「まあね」
 さらりと云い放つ優等生ぶりに、ハヤトとナツミが、揃って『げー』と茶化してみせる。
 そんな楽しげな空気のなか、
「もしかして……って思うんです」
 ぽつりと、アヤがつぶやいた。
 黒水晶の瞳に、奥知れぬ何かの光を宿して。
「アヤ?」
 気遣わしげなソルに、だいじょうぶです、とことばを返し、
「もう随分前でした。わたしがこの世界に来る前、最後にご両親と逢ったときにも、まだ発見されないままで」、
 ご両親も、もう、すでに諦めかけておられたようですけれど……そうつぶやいて、胸元に手を当てる。
 その意味を読み取ったキールが、首を傾げて、つむがれるはずだったろうことばの先を口にした。
「つまり――君の幼馴染が、もしかしたら、召喚術でこの世界に喚ばれて居るかもしれない、と?」
「ありえない、わけではないですが……」
 思慮深げに、クラレットが告げる。
「だけど、名も無き世界から喚ばれたのって、アヤたち以外に例はないはずでしょ?」
「だけど、派閥が調べ損ねた例だってあるかもしれないぜ?」
 同じ接続詞で、逆のことを告げるのはカシスとソル。
 ふたりをちらりと横目で見て、トウヤが自説を披露した。
「……もしかしたら、ってこともあるかもしれないよ。当時まだ子供だったのだとしたら、僕らの世界ではなくて、シルターンの人間だと勘違いされた可能性もあるし」
 サプレス、メイトルパ、ロレイラルに、ここにいる自分たちのような人間はいないはずだ。
 けれどシルターンはいわば、日本でいう江戸時代の文化に酷似している部分があるとのこと。
 鬼神は例外だが、ひとつ前の季節に知り合ったシノビやサムライ、巫女の彼らは、外見的には今ここに揃っている誓約者たちと変わらない姿なのである。
 幼い子供が、いきなり見ず知らずの土地に喚ばれて、自分の世界がどうだの説明できるとは思えない。
 名も無き世界のことを知らないなら、多少の不都合は無視してもシルターンの出身だと定義づけられた可能性は高い――
「だから、可能性がないわけじゃないな」
 締めくくりにそう告げて、冷めてしまったお茶を気にする様子もなく、トウヤはすする。
 一気に展開されたその講義を、他の7人はぽかんと眺めていたけれど。
「トウヤ、すっごーい!!」
 がばりと背中にタックル――本人は飛びついたつもりなのだろうが――したカシスの行動で、沈黙はあっさり破られた。
 便乗したハヤトとナツミが、感嘆の意をこめて両側から肩をどついたので、トウヤがむせる。
 ソルとキールは頭をつきつけて、今度無色の派閥の本部であった場所に、改めて資料をあさりに行こうなどと、不穏当な相談なんか開始しちゃってるし。
 蒼の派閥によって厳重に管理されているのにどうするつもりですか、というクラレットのことばは、あっさり実力行使ということばによって打ち消され、それがもとでまた、わいわいと騒ぎが巻き起こる。
 それを眺めていたアヤは、のどかですねえ、と少々ずれた感想を抱いて微笑みつつ――
 雲ひとつない、蒼穹を見つめてひとつ、小さく息をついたのだった。
「もしかして、なら良いな……」
 万が一でも。
 果たしてもしや、億が一でも。

 記憶にあるのは、最後に逢った少女の姿。
 明日10歳の誕生日なの、と、嬉しそうに笑って、アヤに誕生日パーティの招待券を渡して走っていった子の姿。
 たしかに、ここ一年ほどばたばたしていたとはいえ、日々が過ぎるとともにすっかり忘れてしまっていた、遠い記憶。改めて思えば、それは悲しみを風化させるための自己防衛だったのかもしれない。
 そんな記憶を今になって思い出したことに、アヤは、何か云い知れぬ予感を感じていた。

 そう、万が一でも、億が一でも。
 たとえ、限りなくゼロに近くとも。
 可能性があるというなら、信じることは無駄ではない、と。

 ――再会の時は、近く、そして遠い。



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