TOP


第0夜 弐
lll 黒の旅団は語る lll



  ぱたぱたぱた、と、軽やかな音を立てて、少女がひとり、長い廊下を突っ切っていた。
 明り取りの窓から見える、外の吹雪にふと目を向けて、うんざりした顔をしたものの、足を止めるようなことはしない。手にした書類の束に目を向けて、これを届けるように頼まれた相手の部屋へと一路、ひた走る。
 ――と。

 目当ての相手が、彼女の名を呼びつつ、廊下の向こうからやってきた。
 これはラッキー。日頃の行いのたまものか。
 うん、きっとそうだ。
 根も葉もない自画自賛をして、足を速め、彼女はその人のところに走り寄る。
「イオス、ぐっどたいみんぐー!」
 スピードを殺しもせずに、正面から飛びつくけれど、そこはさすがにイオスも軍人。
 たとえそのへんの女性よりさらさらの金髪だろうが童顔だろうが、肌がちゃんとお日様に当たってるのか訊きたくなるくらい白かろうが、その腰の細さにどこぞのお姉さま方がクリティカルヒットをくらったという噂があろうが、いやしつこくて申し訳ない、要するにイオスはれっきとした男性であり、軍人である。
 よって、齢16の少女のタックルなど、いともあっさり受け止めて、そのまま抱え上げてしまうのだった。
「帰ってくるなり元気な奴だな」
 笑いを含んだそのことばに、当然! と胸を張ってみせる。このへんが、まだまだお子様だとか云われる由縁だろう。
 すとん、とそのまま床に下ろしてもらって、は手にした書類をイオスに差し出した。
「これ、ルヴァイド様から」
「あぁ……ありがとう」
 そのまま廊下の壁際に移動し、ぱらぱらと書類をめくるイオスの横から、もそれを覗き込む。
 束の真ん中あたり、レルム村周辺の地形及び進軍に際しての報告書に差しかかったところで、手を伸ばして動きを止めさせた。
 ? と云う顔でを見下ろしたイオスだったが、目の前の少女の『投げたボールを取ってきて、全力で尻尾を振りつつご主人を見上げている子犬』のような顔を見て、その表情を緩ませる。
「調査任務はうまくいったみたいだな?」
「うん!」
 ふわりと頭を撫でてもらうと、とてもとても嬉しい。の顔も、自然、笑顔になる。
 片手で撫でる動作を繰り返しつつ、もう片手に移動させた書類をざっと読み終わったイオスが、ふと、何かを思い出したように改めて、を見下ろした。
「君がデグレアに来てから、もう何年になる?」
「えっと……」
 ひい、ふう、みい。
 過ごした季節の数を数えて、それから自分の年を思って、
「6年くらい、かな」
「そうだな」
「きゃ!?」
「ルヴァイド様……」
 不意に背後から聞こえた声に、慌ててが振り向けば、立っていたのは、自分たちの将であるルヴァイド。
 忘れ物だぞ、とがルヴァイドの部屋に落としていった書類入れを渡した後、何が楽しいのか、目を細めて笑っている。
「何か良いことでもあったんですか?」
「いいや。ただ、話を聞いていたら、おまえがここにきたばかりの頃を思い出してな」
「うわあ、そんなの思い出さなくていいですー!!」
 両手を大きく振り回し、おまけに顔を真っ赤にしてはルヴァイドのことばを遮った。

 ――突然だった。何が起こったのか判らなかった。
 大好きな近所の幼馴染のお姉さんに、誕生パーティの招待状を手渡して、走っていたのが最後の記憶。
 喚ぶ、声が聞こえた。
 たしかに自分を喚ぶ声が。
 なんだろうと足を止め、ふと空を見上げたの目に映ったのは、ほとばしる光の奔流。
 飲み込まれたと思った瞬間、意識はあっという間に真っ暗になり――

 気がつけば、
「いきなり、俺の頭上に落ちてきたのだからな」
「うわああぁぁぁんっ、云わないでくださいよぅー!!」
 実際そのとおりだったのだから否定すべくもないが、間抜けだったらありゃしない。

 訓練中のルヴァイドの上に突如出現した少女は、それはいい音を立て、未来の総指揮官を撃沈させたのであった。

「そういえば、そのあと泣きじゃくって泣きじゃくって、結局その日は話にならなかったらしいな?」
「うわー! いつイオスに話したんですかルヴァイド様ー!?」

 齢10になるかならないかの少女が、いきなり訓練中の軍隊のど真ん中に放り出されたのだ。
 そのときの恐怖は推して知るべし。
 当然は、こどもならではの感情の素直さで、大声で泣き出した。
 それはもう盛大に。

「何よう! ルヴァイド様なんか錯乱して、抱き上げたあとすぐ、あたしをゼルフィルドに放り投げたくせにー!」
 落ち着いたと思ったらいきなり機械兵士に投げられて、すっごいびっくりしたんですからねー!?
「錯乱していたわけではないぞ」
 少女をなだめようとしてか、真顔になってルヴァイドが云った。
「それに投げていない。ちゃんと抱えて手渡しただろうが」
「俺はただ、どうして扱っていいか判らなかっただけだ」
「それを錯乱って云うんです!」
 ちゃんご名答である。
「あれ、そういえばゼルフィルドは?」
「日光浴だそうだ」
 告げられたイオスのことばに、は、それはそれは胡散臭げな顔で窓の外を見た。
 めっちゃめちゃ吹雪いている。
 日光の欠片もありゃしない。
「……にっこうよく?」
 嘘つけ、と、でっかく顔に書いてがねめつけると、イオスはくすくす笑い出した。
「太陽光が一番だけど、灯りがあれば充電は出来るだろう?」
 何年の付き合いになるんだ?
 茶化されて、むぅ、とふてくされる
「ろくねんだもーん。いおすよりながいもーん。」
 ひらがなでしゃべるな。
 ぷーい、とそっぽ向いて、完全に拗ねたの頭を、イオスはぽんぽんと叩く。
 顔は相変わらず笑っていたけど。

「うん。僕より先に君がここにいたから、僕は、救われたよ?」


 イオスはかつて、帝国の兵士として、旧王国軍と戦っていた。
 その戦いのなかで、ルヴァイド率いる軍に己の軍を壊滅させられたのだ。
 そうして、独りになり、仲間の仇を討つためだけに、敵軍の将のもとへと身を寄せた。

 思い出すのは、死んでしまった仲間のこと。
 考えるのは、復讐のことだけ。
 昼夜問わず、手に血豆が出来るほどに槍の訓練を続けていたイオスを諌めたのは、ルヴァイドではなく、ここにいる、だった。
 まあ要するに、いきなり落ちてきたおそらく『はぐれ』であるを放っておけなかったルヴァイドが彼女を引き取り、紆余曲折の末に、生来の俊敏さと子供ならではの身軽さを見込んで、情報収集要員として育てていたのである。
 もっとも、力と力のぶつかり合い――戦争となると、絶対に後方の陣に押し込められて、いくら敵の陣を探ってくるからと粘ってみてもなかなか前線には出してもらえない、かなり平和的な要員ではあったが。
 おかげさまで実戦経験豊富とは云えないが、師が師なので、遠慮も情けもない訓練経験だけは豊富だったりする、
 当然、前線に出ずっぱりのイオスとは、敵方だった確執もあって、あまり接点はなかったのだが――
 そう思っていたのは、どうやら彼だけだったらしい。
 その夜の訓練を終え、両手を血まみれにして宿舎に戻るイオスを捕まえて、
「あたしはあなたの先輩よね!?」
 ――などと、いきなり彼女はのたまった。
 もっともな理屈であるが、むしろその勢いに圧されるように頷いたイオスに向かって、はさらに云った。
「先輩命令です! その手の手当てをさせなさい!!」
 勿論イオスは呆気にとられた。なんなんだ唐突に。
 だが、そうやって自失している間にずるずると引きずられ、宿舎のの部屋に連れ込まれ、てきぱきと、慣れた調子で手当てを始められ……ようやく我に返ったのは、が『よし!』と満足そうに包帯を巻き終わったあと。
「何のつもりだ!?」
「何って、手当て」
 あっけらかんと答える少女に、そこで初めて腹が立った。
「僕は敵だぞ!」
「うん、敵だったね」
 そのことば、何かが気になったが、そんなことにかまけている気分ではなくて。
「こんなことで、僕が復讐を諦めるとでも思ったのか!?」
 飼いならされてたまるか――
 そんな思いの見え隠れするイオスの激昂にも、はことさらに驚いたりしなかった。
 さすが、あのルヴァイドに育てられただけはあるというか。
 なにがどう、『さすが』で『あの』なのかは深く考えてはいけない。
「怪我してる仲間がいたら、手当てするのは当然でしょ」
 そう、さらりと述べたのことばで、イオスはようやく、先ほどの違和感の正体に気がついた。
「あのね。イオス、自分の体調に無頓着すぎ。若いからって無理してると、あとでしわ寄せがくるんだからね」
 訓練もいいけど夜はちゃんと寝る。食事も食べて怪我をしたら手当てする。兵士として基本でしょ。
「……止めないのか」
「だってルヴァイド様公認じゃない。止めたらあたしが怒られるよ」
 だから、あんたがするべきことは。
「体調をしっかり整えて、訓練は自分の限界ちゃんと見てやって。そしてルヴァイド様越えるくらいになって、そうしたら復讐チャレンジ。ね」
 こんな無茶してたら、本懐遂げる前に倒れちゃうよ?
 気づかせた当の少女は、腕組みをして、イオスを諭しにかかる。
 そう云っているこの子のほうが、よほど若いだろうに。
 と、至極のんきなことを考えて――気が抜けた。
 周囲の兵たちの、いつ裏切るかはかっているような視線や、毎晩襲ってくる、自分の周りで次々と、帝国軍の仲間だった者たちが死んでいく悪夢や。
 そういうことたちに対して、張り詰めさせていた、神経の、気が。抜けた。


「イオス?」

 何をぼーっとしておいでですか、と、ぱたぱたと、の手がイオスの目の前を行き来する。
 ちょっと昔のことを思い出してたんだよ、と彼は笑う。
「あんたもかいっ!!」
 ルヴァイド様といい、イオスといい、今日は昔を懐かしむ同盟でも発足してるんですかー!
 と、なにやらわめきだした少女の手をとって、自分の頬に押し当てて。
 イオスは、知らず微笑んだ。
「どうしたの?」
「いや……あたたかいなぁ、って」
「そりゃあ、生きてますもん。体温ありますともさ」
 笑って、はそのままイオスの頬をなでる。すべすべだなぁ、と、女としての敗北感を、空しく味わいながら。
「そういえば、次の任務はいつ出発されるんですか?」
 思い出したように少女の告げたその問いに、ルヴァイドの顔が少しこわばった。
「あたしが、レルム村のあたりを調べてきたのも今回の任務に関係あるんですよね? 平和な村のようでしたけど……何をするんです?」
「――聖女、の噂を聞いただろう?」
「ああ……癒しの奇跡を持つ聖女ですか?」
「その女の捕獲が、今回の任務だ」

「――はぁ!?」

 とたん、すっとんきょうな声をあげる
「なんでなんでなんで!? たしかに人の傷を癒す不思議な力ってことでしたけど、今デグレアに何の関係があるの!? 女の子ひとりをさらって、何の意味があるの!?」
 相当驚いたらしく、ルヴァイドに対して敬語を使うことさえ忘れている。
「元老院議会の決定らしい」
 苦々しい顔をして、イオスが補足した。
 そのことばに、は、はっとしたように追求を止める。
 ルヴァイドが、父の贖いのため、またデグレアのため、元老院議会の命には絶対服従と己に強いているのは、もよく知っていた。
 今回も、また、ということか。
 ぎり、と、唇をかみしめる。

 寄る辺のない自分を引き取って、育ててくれた、大切な人が。人たちが。
 目的もはきとしない、そんな任務へ。
 不本意に、就かねばならないというのに、自分は何も出来ない。
「……」
 そればかりか――胸が騒ぐ。
 これまでも、元老院議会の無理な命令に従ったことはあった。何度か。
 だけど今回だけは。
 どうしてか、胸が締め付けられるように、強い不安を感じていた。
 これから先の道を一歩でも間違えたら、何か取り返しのつかないことになってしまいそうな。そんな気がする。
 気がするから――――

「……有休」

 ぼそり、と、据わった目でつぶやいたに、ルヴァイドとイオスが別の意味で固まった。まったく脈絡のないそのひとことに、あっけにとられて。
「あたし、今年の有給休暇、ぜんぜん使ってないです」
「そうだったのか?」
 他に何も云いようがなく、ルヴァイドが促した。
「まとめて、ください。一括で。どーんと。」
 ルヴァイドとイオスを交互に見つめ、は告げる。
「あたし一人くらい――戦闘要員でもない偵察兵が抜けたところで、部隊には影響、ないですよね?」
 そう。あたしが動けばいい。
「あぁ……まあ」
 この人たちが、元老院議会なんてものに、国なんてものに縛られて動けないというのなら。
 ――いうの、なら。
「じゃあ今夜にでも、申請書書いてもってきますから、受領してくださいね!」
 据わった目はどこへやら、あっけらかんと笑って告げて、はかわいらしく首をかしげてみせた。
 胸の騒ぎも、抱いた決意も、なにもかも、自分の胸に押し隠して。

 迷ったときは、自分の思うとおりに行動しなさい。
 周りの人が何を云おうと、自分の信じることをしなさい。
 最後に振り返ったとき、後悔しないと思える道を行きなさい――

 遠い昔、まだ、幼かった頃。
 もう顔も覚えていない、『あちら』の父か母が、そう、教えてくれたような気がする。

 だから、動こう。

 レルム村に行って、ルヴァイド様たちが来る前に、聖女に逃げてもらえばいい。
 そうすれば、目的を見失った部隊は、本国との連絡のやりとりのためにロスが生まれる。
 その分対応も遅れるだろうし――それまでにもしかしたら、この不透明な命令の目的も見えるかもしれない。
 少しでも糸口があれば、こちらからも、なんらかのアプローチが出来るだろう。
 次々と生まれる、一連の考え。その唐突さに自分でも驚きながら、何故だか、そうしなければいけないような気がした。
 デグレアに、レルムの聖女を渡しては、いけないような気がしたから。
 それは、まだ、なんの根拠もない、漠然とした想いに過ぎないけれど。
 後々それを身をもって実感することになろうとは、当のも、知る由さえない。


NEXT→
←BACK