光の奔流に飲み込まれているうちに、は、気を失っていたらしかった。
はたと気づけば、気絶したついでに倒れこんでいたようだけど、相変わらずトウヤの描いた魔方陣のなかにいた。
「ちゃん、だいじょうぶですか?」
「、平気?」
「だいじょうぶ?」
覗きこんできていたアヤとアメルとトリスに、だいじょうぶ、と答えて上身を起こす。
そのまま立ち上がろうとして――ふと。
トウヤに視線を移せば、彼は小さく頷いた。
もう、ここから出ても問題はないということなんだろう。
そう解釈して、それでも恐る恐るではあったけれど、足を踏み出した。……何かがやってくるような、そんな感覚はない。
それから、慌てて周囲を見渡す。
――ぽっかり広がったその空間には、もはや自分たち以外の気配はないように思えた。
の様子に気づいたレシィが、小走りに駆けて来て手を握る。
「もうだいじょうぶですよっ、ご主人様たちの召喚術が、みんなみーんな、すっ飛ばしちゃいました!」
ほら!
と、意気揚々と示されたのは、今も目にした、ぽっかり広がった空間。
何もないそこを、どうしてレシィは指したのだろうと思って――
「……ないね。」
文字通り、何にもない。
ついさっき、トリスとマグナが召喚術を発動させる直前まで、そこにはあの忌まわしい機械遺跡が鎮座していたはずなのに。
木が、その一角のみを避けて生い茂っていた空間には、もはや空を臨むのに、邪魔になるものは何もなかった。
「うはー……すご……」
たしか、ミニスのシルヴァーナやカザミネの居合でも、傷ひとつつけられなかったと聞いている。
それを――それをだ。
複数の召喚術のまとめがけ、なんていう、大味も大味な攻撃で、跡形もなく消し去ってしまうとは。
改めて、誓約者や護界召喚師やら、(元)魔王やら、調律者やら融機人やら天使やらの力に感嘆してしまった。
……つーかさあ。ちょっぴり遠い目になる。
あたし、今回何もしてないよね。清々しいくらいに。
むしろ、クレスメントさんに乗っ取られかけて邪魔してたような。
「…………」
――乗っ取られ『かけ』……?
ツキン。
小さな小さな違和感が、こめかみを刺激した。
思わず眉根を寄せたを、心配そうにハサハが見上げてくる。
「……おねえちゃん……?」
「あ? ああ、うん、平気。なんでもないよ」
ぱっと視線を落とし、笑顔をつくってぱたぱた手を振っているうちに、もともと小さかったその感覚はすぐに霧散した。
「――っと」
それから、さっき(にとり憑いてたクレスメントの霊)がアメルから取り上げたときから握りしめたままだった天使の羽根に気がついた。
彼女を呼んで、ごめんねと謝りながらそれを手渡す。
だけども、受け取ったアメルは、少し首を傾げている。
「どうしたの?」
「……え、ええ……? なんだか少し、力が弱くなってるような……」
ほんのちょっと、なんですけど。気のせいかもしれないんですけど。
自信なさげにつぶやいて、すぐ、アメルは「ん。でも、いいです」と、にっこり笑った。
「だって、もう一仕事してもらったら、この羽根は眠らせてあげますから」
「もう、一仕事?」
いったい何をするんだろう、と、今度はが首を傾げる番だった。
けれどすぐ、
「、アメル、何してるんだー?」
少し離れたところで、疲れきっている蒼の派閥の兄妹とをどうやって連れて帰ろうか相談していた一行からお呼びがかかり、少女ふたりは顔を見合わせる。
「行きましょう、」
差し伸べられた手を、そっととる。
さっき、クレスメントの霊たちと頭のなかで繰り広げた問答を、どう説明しようか考えながら、もまた、歩き出した。
『守護者』だと、彼らは云った。
の魂はそれを知っているはずだ、とも。
転生を繰り返し、リィンバウムのエルゴを護りつづけてきた、エルゴの守護者なのだと。
――信じがたい、というか、それ以前の問題だ。なにしろ、どう考えても無理がある。
生まれて10年間は、名も無き世界と呼ばれるあの故郷にいて、6年――もう誕生日が過ぎたから7年だが――は、この世界で暮らした。
それは先日思い出したばかりの、の記憶。
だからこそ、余計に鮮やか。
だからこそ、自分がこの世界に深い繋がりを持つと云われることに、どうしても不自然なものを――そう、は思うのだけれど。
どこか、深く、遠い、部分が。しくしくと、訴える。感覚。
それは、今はまだ、小さな小さなもの。
だから気づかずに、そのまま、押し込めてしまったのだ。
ちなみに第一声は、
「何かの間違いだろ」
という、身も蓋もないソルの一言だった。
の乗った召喚獣につけた、まるで馬の手綱のような――っていうかそのもの――紐を引きながらのセリフである。
同時に、は、その一言で、乗っていた召喚獣に……いや、もともともたれかかるようにしていたのだが、完全に突っ伏した。
「だいじょうぶ?」
クスクス笑いながら訊くのは、の後ろに乗っているアメル。問いに、片手を上げて応えた。
その斜め前を、とアメルの乗っているのと同じような召喚獣が二匹、歩いている。乗せられているのは、当然マグナとトリスだった。
ちゃっかりバルレルも乗っているが、ま、子供の体重だし。
兄妹とはともかく、どうしてアメルもかというと、彼女はついさっき、森に結界を張りなおしてきたのだ。
もともと結界のあった場所と同じ位置に、天使の羽根と自分自身の力、それから誓約者たちにちょっと力を借りて。
機械遺跡はもうないけれど、こごったサプレスの霊気が昇華されるにはまだ時間がかかるし、何より、はぐれ悪魔がまだいる可能性もあった。
ならば、今しばらくは封印しておいたほうがいい、と、そういう話になったのだ。
「俺もそう思うよ」
横手から入り込んでくる声。
「第一、リィンバウムのエルゴの守護者って、俺たち一年前に逢ったことあるんだぜ?」
いや、まあ、逢ったというか叩き壊したというか。
と、途中ごにょごにょとつづけ、
「エルゴたちに認められるための試練でさ」
そう締めて、ソルの援護にまわったのはハヤトである。
「ちゃんは一年前、何してました?」
「……デグレアで軍人してた」
でしょう? とアヤが笑う。
それはも考えたことで、だから、クレスメントの霊たちのことばを、どうしても信じられずにいるのだ。
「だいたい、同じエルゴの守護者ならカイナやエスガルドが気づかないわけがないからな」
トウヤが云って、彼の横を歩いていたカシスがうんうんと頷いた。
「こんなすっとぼけたヤツがエルゴの守護者なんてやってるんじゃ、リィンバウムも終わりだろーが」
と、これはバノッサだ。
ちなみに、その彼のセリフを聞いた瞬間アヤたちが奇妙な顔になったのを、幸い、云った本人は気づかなかったらしい。
「あ……でもさ」
くるりと振り返って、マグナがを見た。
同じようにトリスも。
「あいつら、をクレスメントに連なる者って云ったんだろ? 俺たちみたいな思いさせたくないけど、ちょっとだけ、そうだったらいいなって思った」
「ダメよ兄さん、従兄妹同士の結婚って認められてるけどあんまりいい顔されないんだからね」
真顔で制するトリスに、元気だったらツッコむのに、と、が悔し涙を飲んだかどうかは定かではない。
あはは、と、ナツミが笑った。
「仮にクレスメントのひとりが、名も無き世界に渡ってたとしても、それはその一族が滅ぶ前だから気が遠くなるくらい昔じゃない?」
だったら、従兄妹ってより血のつながりなんてとんでもなく薄くなってると思うな。
「だが……転生、という意味のことを、彼らは云ったんだろう?」
何か考える素振りをしながら、キールがつぶやく。
「だったら、血の繋がりがなくても魂は――いや」、
じっとキールを見るに何を思ったか、彼は苦笑して首を振った。
すまない、と一言謝罪の意を挟み、
「たとえ前世がクレスメントの一族だとしても、魂がこの世界の輪廻を外れて名も無き世界に行ったのだとしても、それは過去であり終わったことなんだからな」
それよりも、と、続くことば。
「今の君が君であることの方が重要だ。……きっと」
「……うん」
にっこり。
笑顔をつくって、はキールに同意する。
正にそれは、今云いたかったのと同じコトだったから。
前世を信じる信じないでなく、来世を望むとか望まないでなく――
まず、今を生きること。
それがいちばん大事なのだと、思う。
今の心。今の意志。今の願い。
『あたし』は『』だから。
『わたし』は――
森から出てすぐ、街道から大きく外れた場所で、喚び出されたのはレヴァティーンとゲルニカ。
それらを目の前にして、バルレル以外の護衛獣たちが、初めて見る大物の威風にため息をついているその横で、サイジェントに戻るというアヤたちとの、お別れの一幕が繰り広げられている。
本当に大丈夫か?
と、悪気まったくなし、好意のみで心配してくれる前置きののち、
「相手は軍隊だぞ、少人数が戦局をあっさりくつがえせるものでもないだろ?」
まだ手を貸してもいいんだが――と、言外に含むソルのことばに、マグナとトリスが首を横に振っている。
「平気だよ。もう召喚兵器はないんだ、それを知ったらデグレアだってきっと引き下がるよ」
「元々、それをアテにして始めた戦争だったみたいだしね」
ね、ネス。
振り仰がれた兄弟子は、「トリスの云うとおりだ」と、小さく頷いてみせた。
「――問題はいつそれを奴らに伝えるかということだが……まあ、まだアメルを狙っているならまた出逢うこともあるだろう」
ある意味餌にされるんだと云われたアメルは、意味を判ってないわけはないだろうに、微笑して同じように頷いた。
「そうですね。お話すれば判ってもらえますよ」
それを聞いた瞬間、果たして戦わずに話せるんだろうかとか、血の気の多い奴がうちには数名いるから危ないなとか、そもそも向こうが問答無用で向かってきたら迎え撃たないといけないんだけどなとか。
思った人間が、数名いたことはいたんだけれど。
一部を除いた全員が、アメルのことばに深々と頷いたのだった。
手持ち無沙汰なのか、ネスティが眼鏡に手をやりながら「それに」と付け加える。
「この旅はそもそもマグナとトリスの見聞の旅だから、あまり、実力者の手を借りつづけるというのも……心遣いはありがたいと思うんだが」
ぶ、
と。
実力者呼ばわりされた当人たちが、ふきだした。
「あはははははは、ヤだなぁ、あたしたちそんなんじゃないって!」
ついさっきゲルニカ喚び出したばかりのナツミが、相当ツボに入ったらしく爆笑しながらそんなことを云う。
それでどうやったら実力者じゃないとゆーのか。
呆気にとられたネスティに、アヤが微笑みながら付け足した。
「実力者とか誓約者とかじゃなくて、わたしたちは、ちゃんの大切なお友達のために力を貸しにきたんですよ。ね、バノッサさん」
「俺に訊くなッ!」
そうがなるバノッサは、ひとりだけ別口で帰るらしく、見たことのない召喚獣を喚び出していた。最初から最後まで強引グマイウェイな人だ。
それから。
「ま、後は手前ェらの問題だ、せいぜい死なねえようにするんだな」
ことばこそ、なんだか悪態のようだけど、けっして合わせようとしない視線がそれを裏切ってる。
「はい、ありがとうございます!」
だもので、そう元気に返したら、バノッサは目を丸くしてを見て、それから、ふいっと、また急いで明後日へと視線を転じた。そうしてそのまま、一気に召喚獣へ飛び乗ってしまう。
乗り合わせどころか、一緒に帰る気にさえ、ならないんだろう。
意地張ってるみたいで、なんだかかわいいと思って、くすくす笑ってしまった。
やっぱり、変な奴だと思われただろうか。――別にそれでもいいけどね。
そんな合間にも、交わされることばはたくさん。
「全部が終わったら、もう一度サイジェントに遊びにきてくださいね」
「今度はゆっくりしていけるのを期待してるから」
「うん、今度はギブソンさんもミモザさんも、全員で遊びに行くよ!」
「……入るのか、そんな大人数。あんなぼろっちぃ家に」
「バルレルッ! しつれいなこと云うんじゃないの!!」
名残を惜しむなか、一部笑いを誘うやりとりもあったが、――いよいよ、これでお別れだ。
アヤたちの乗った召喚獣が、ふわりと空に舞い上がる。
「さよ――なら――――――!!」
「またね――――!」
「お世話になりました――――――――!!!」
「頑張れよ――――!!」
上と下から、お互い声が届くぎりぎりまで声をかけあう。そして、もうそれも出来なくなると、は、手を大きく振り回した。
マグナやトリス、アメルにレシィも同じように手を振っている。
ネスティは、かなり西に傾いた太陽の光に目を細めながら、空に舞う召喚獣たちを見上げていた。
バルレルはケッとか云いながら、それでも。レオルドとハサハは黙って、同じように、顔を上に向けたまま。
――最後に、くるりと宙に大きな円が、空中に描かれた。
そうして、サイジェントからの客人は、自分たちの居場所に帰るため、遠く西へと飛んでいったのだった。
宙を往く彼らの姿が雲の向こうに消えても、しばらくは誰も動かず、朱く染まりだした空を眺めていた。
だがそれもしばらくのこと。ゆっくりと視線を戻して、たちは顔を見合わせた。
禁忌の森で真実が暴かれたあの日から立ち込めていた暗雲が嘘のように、今は、晴れ渡った空のような気分だ。
「……とりあえず」
全員と視線を見交わしたあと、頬に指を当てて、トリスが云う。
「ファナンのみんなに報告しに行かないとな」
妹に続けて、マグナが告げた。
「じゃあ、そういうことで」
ぽんっと手を打ち鳴らして、も繋げた。
ネスティが微笑んで、アメルがにこりと笑う。
護衛獣たちも大きく頷いた。
「じゃあ改めて――旅の主役のおふたりさん、次の目的地はどこですか?」
アメルの問いにマグナとトリスが顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべてみせる。
それから、ふたり揃って南の空を指差した。
「――ファナンへ!」