めずらしく天気の良かった本日の午後、日光浴もとい充電をしていたロレイラルのゼルフィルドくんはの襲撃をくらっていた。
「ぜーるーふぃーるーどー、ねーねーねーねーねーってば――――」
「……ナニカアッタノカ」
充電のために落としていた回路を無理矢理繋げられ、無駄になるからと再度のシステムダウンを試みても防がれる。
肩によじのぼり、むーっと睨みつけてくる人間の少女をゼルフィルドは嫌いではなかった(むしろ好意を持っていた)が、今日の彼女は、いくらなんでもしつこすぎた。
だもので、ひょいっとその襟首をつまむ。まるで猫のように持ち上げた少女を、ゼルフィルドはそのまま地面に下ろした。
「何するのー」
「……」
「……う」
抑揚のない(機械だから当たり前だが)声で名を呼ばれ、しゅーん、とは身を縮めた。
けれど、そのままぺったりと身を寄せてくる。
「ドウシタノダ?」
「……人恋しくて」
とても11歳とは思えない言葉遣いをするようになったのは、たぶん養い親の影響だろう。
と、いうか。人ではないのだが。ゼルフィルドは。
訓練場で汗を流してシャワーを浴びた直後なのか、まだ湿り気のある髪からはいくつかの香料の反応があった。普段ルヴァイドの傍で見られる反応である過度に弛緩した筋肉も、運動の疲れを示す微弱な電気信号を発している。
ここまですりよってくるは前例がないだけに、ゼルフィルドもどうしていいか対応を組み立てることが出来なかったが――
幸い、ちょうどその場にやってきた彼らの上官のおかげでゼルフィルドの思考ルーチンはオーバーワークにならずにすんだのだった。
「、あまりゼルフィルドを困らせるな」
「ルヴァイド様!」
「将」
はぱぁっと表情を明るくし、ゼルフィルドはいつもどおりの――いやそれ以外無理なんだが――無表情で、それぞれ、名を呼ばわる。
「すまんなゼルフィルド。子守りはもういいぞ」
「――ハッ」
「……子守りって……」
お子様扱いされたのがショックらしいがぶつぶつつぶやいているが、この場合は反対する理由もない。
一度頭を下げて、ゼルフィルドは今度こそ、予備の電源回路を落としたのだった。
シュゥン、と、金属の軋む音がして、すぐにゼルフィルドの身体が力を失う。
それを見届けて、はゼルフィルドの頭を軽くなでるとルヴァイドの処へ向かった。
ゼルフィルドの充電は、たぶん今日、夕陽が沈むくらいまではかかるだろう。一緒に昼寝してもよかったのだけれど、ルヴァイドがわざわざここにきたのが気になった。
まさか、本気で子守りの仲裁にきたわけではないだろうし。
見上げるを見て、ルヴァイドは軽く微笑んでみせる。
そのまま伸ばされた腕にしがみつけば、片手でやすやすと抱えあげられた。
落ちないように腕を首にまわす。まあまず、きっと、いや絶対、そんなことはないけれど。
「――奴の処遇が決まったぞ」
「え!?」
そうして、の目の前に、ぴら、と書類が突き出された。
請願書だ。
難しい字は読めないが、形式からしてどうやら黒の旅団総指揮官から元老院議会へのものらしい。
許可印も、もう押してある。よっぽど速攻で決裁されたのだろう。
「今日付けで奴は俺の指揮下に入る」
「……!」
「おまえにとっては後輩だな。……どうした?」
どうして顔が笑ってるのか承知しているくせに、ルヴァイドがに問いかける。
「……良かった!」
押さえきれないほわりとした気持ちのままに正直なトコロを口にすると、何がおかしいのか、の養い親は喉を鳴らして笑った。
ぱたぱたぱた、と、昨日も聞いた軽い足音が向かってくるのが聞こえて、イオスは表情を引き締めた。
彼が現在いる場所は、もう牢ではない。
いったいどういう手段を用いたのか、昨夜のうちにイオスの身柄はルヴァイドの管轄に置かれ、そのままこの兵舎に部屋をあてがわれたのだ。
まともに寝台の上で寝るのは、久しぶりだった。逆に身体がおかしくなったような錯覚さえ覚えながら、着替えている最中。
薄手のカーテンから差し込む朝陽を蹴散らす勢いで飛び込んできたのは――
やはり、というか。
飛び込んでからはっとした顔になったのは、たぶん、ノックのし忘れに気づいたからだろうか。
あと何秒か早かったらイオスの着替えも間に合わなかったかもしれないが、ちょうど仕上げに上着を羽織ったところだったのでタイミングとしては問題なし。
駆け込んできた無法者は、一瞬どうしようという顔になったものの、すぐに、顔つきを改める。
「あのね、金髪お兄さん!」
その呼びかけに、そういえば名乗りあってもいないコトに気づく。
とはいえ相手の方はそれにとんと気づかぬまま、イオスをびしっと指差して――曰く、
「あたしはあなたに命助けてもらったわけで、それもあるけどバカにしようとかけなそうとか間抜けとかは思わなかった」
ただ、目の前で命が失われようとするのがどうしても痛くて、辛くて。
それ以外何も考えずに。
「戦争だから誰かが死ぬのはしょうがないって思うようにしてるけど、思いたくないけど。でも助けられるなら助けてあげたいって思う」
だから。
「あたしは、お兄さんが間違いだと思っても、お兄さんに生きててほしいって思ったのを間違いって思わないから」
怒涛のように云うだけ云って、それから、彼女は笑った。
本当に11歳かと思わせる強い意志が、そこに垣間見えた。
「だから――やっぱり、まずは『ありがとう』」
それから、
「これからよろしく!」
差し出された手とことばに、まだ公にはされていないはずのイオスの移籍を、この少女がとっくに知っていたことが察された。
なるほど、総指揮官の養い子ならそういう情報はかなり筒抜けなわけだ。
……親馬鹿め。
「知っているか?」
意図して表情を険しくして、あえて、手をとらずに問いかけた。
さすがに養い親のように、主語がない問いの中身を察することの出来ない彼女は、でっかい疑問符を顔に貼り付ける。
「僕があの男の軍門に下るのを選んだのには、理由がある」
試すように、ことばを切って少女を見た。
黙ってこちらを見上げる彼女は、それでも、笑みを消すことはない。
そうして次のことばを聞いてもまだ、この子は笑っているだろうか。
「――奴に隙あらば、僕は奴を殺して仲間の仇を討つ。あえて敵地に留まるのはそのためだ」
馴れ合う気は、ない。
それでも。
笑みも手も、イオスに向けたまま。
「知ってる。ルヴァイド様から聞いた」
ずい、と、少女はこちらに向けて足を踏み出したのだ。
思わずイオスが後ずさると、さらに一歩。また下がればまた一歩。
壁に背中が当たってそれ以上動けなくなっても、彼女は歩みを止めない。目の前まで歩いてきた。
にこり、と、笑顔。
「だけどよろしくっ!」
「なっ……!?」
ぐい、と、強引に引っ張られた手は、気づけば少女の両手に包まれていた。
「人の話を聞いていたのかおまえは! 仲間だとか馴れ合う気はないと――」
「あたしにはあるっ!」
お互い納得ずみの条件なんだし、第一ルヴァイド様が負けるはずないもん! ってことはずっと仲間!
「……おい。」
必死に振りほどこうとしながら云っても、返ってくるのはそんな奇天烈な返答で――ふと。
……必死に?
15のイオスと11の少女。
どう考えても、本気で振り払えないわけがない。つまり――
「あ!」
ためらいがちに指を曲げかけた瞬間、ばっ、と、少女は両手を上に……つまり万歳した。
はずみでイオスの手も放りだされる。
「訓練場の掃除当番あたしだったー!! ってなわけでお兄さん! 今日は朝食後すぐさまルヴァイド様のお部屋に行ってください!」
きたときと同じような勢いで部屋を飛び出しかけて、どうやらこれが本件だったらしい連絡事項を一息に叫ぶ。将来有望な肺活量だ。
「お……おい!」
そんなふうに、背を向けて走り出そうとする彼女を焦って呼び止めれば、
「?」
と、無邪気に疑問符だけが返ってきた。
「あ」
くちごもる。
……謝ろうと思っていた。それを、砕かれたせいだ。
だってその前に、自分たちは、
「おまえ、名前は?」
そんなことさえお互い知らなかったのだから。
その事実に思い至ったさっき、ひどく、焦燥にかられた。それが、謝罪の意さえふっ飛ばす勢いであったのは、果たしていかなる理由なのやら。
――それはきっと、当人でさえ知らぬまま。
自分から名乗るもんでしょー、とぶつぶつ云いながら、それでも再び、彼女は部屋の中に向き直った。
胸を張り、誇らしげに名乗る。
「あたし、!」
己の名を。名を与えた者を。本当に慕っているのだと。
「で、お兄さんは?」
「――イオスだ」
「イエッサ了解! じゃあまたあとでー!」
……感慨にふける暇もない。
最後にびっと親指立てて、は今度こそ足音も高く、兵舎を駆け抜けて行ったのだった。
そうして。ふぅ、と、ひとつ息をつく。
「謝れなかったな……」
つぶやいて。「っ」慌てて、首を横に振った。
「……バカバカしい! 謝ったところで――どうせ敵なんだぞ、あいつは」
あいつ。……。
昨日あんなに傷ついた顔をしていたのに、今日になったらまた恐れ気もなくやってきて、敵である自分の部屋に特攻してきた。
敵である自分に笑いかけて、手を差し伸べた。
「……!」
――ぶんぶん。もう何度目だろうか、頭を振る。
敵だ。敵なんだ。恨む気はないが、帝国の敵であるデグレアの人間なのだから。
違う。絶対に。
差し伸べられた手を握りかけたのはただの気の迷いだ。
――敵。
だけどそう思おうとすればするほど、逆に、両の手に包まれた感触や、自分に向けられていた笑顔を思い出してしまう。
あたかかく。
天真爛漫な。
戻り得ぬ故郷の空白、そこを埋めてくれるとするものがあるならそれは、
「〜〜〜〜っ!!」
「……何をしているのだ」
あまりに遅いのを不審に思ったルヴァイドが様子を見にくるまで、イオスはひとり部屋のなかで苦悶していたのだった。
さて。思ったとおり、他の旅団員たちの反応は冷たかった。
イオスが軍門に入る際の条件を知る者はいなかったが、だいたいからして、元敵兵をあっさり信用するようなお人よしが、そうそういるはずはない。
だが、そんな疑いを払拭するかのように、それからも立て続けに起こった戦いで武勲を立てまくるイオスに、感嘆の視線が向けられ始めるまでそう時間はかからなかった。
実力を伴うまでは挑んでも無駄だと判っているから、イオスも極力怪しまれる行動は避けたせいもある。
また、毎晩遅くまで槍の訓練をするイオスの姿を、何も知らない兵士たちの何人かが感心して見守るようになった。
もっとも、多くの兵士たちのなかにはまだ疑いの目を持ちつづける者も多かったけれど、そういった相手を諌めてくれる者たちもいた。その筆頭が、比較的イオスとも年の近い三人組。彼らはとも仲が良く、自然とイオス側につくことが多かったのだ。その彼らを糸口に、少しずつ、互いの感情も解けていった。
そうして、それからしばらくの期間。
休む間もなく起こる戦争に明け暮れて、ほとんど話をすることもなかったイオスとが再び会話らしい会話をするのは、初めて出逢ってから数ヶ月ほどあとのことだった。
間が空いたせいか、いつぞや苦悩したことなど記憶の彼方においやっていたイオスが、いつもの訓練を終えて血豆だらけの手を抱えて兵舎に戻る途中だ。
待ち伏せでもしていたのか、唐突に現れたは、やっぱり唐突にイオスに云った。
「あたしはあなたの先輩よね!?」
「……は?」
「よね!?」
「……あ、ああ」
たしかに旅団に入った時期だけで云えば、が先輩で間違いはない。
ないのだが――目の前で仁王立ちしているちびっこを見ていると、そこはかとなく疑問を感じざるを得ない。
頷いたのは、半ば、の勢いに圧されてのものだった。
そうして呆気にとられたままのイオスを引っ張って彼の部屋に乗り込んだは、持参していた用具で器用にイオスの手当てを始めた。
放心していたイオスはそこでやっと我に返り、
「僕は敵だぞ!」
「うん、敵だったね」
「――――」
怒鳴ったそれをあっさり笑って流されて、目を白黒させたのだった。
――そんなふうに。
そんなふうな。
それは、いつかの遠い日。そしていつかの遠い明日。が違える道を選ぶ直前、懐かしく思い出すやりとりが交わされるのは、もうすぐそこの、ことだった。
それはまだ、物語が始まる前よりも、ずっとずっと前のこと。
すべてが始まったときから、ほんの少し後のこと。
デグレアに突然落っこちてきた少女が、軍人としての訓練を開始してから、何度目かの戦争を経験した日と、その数日後のこと。
それからその後日談のこと。
…………
…………………………
――ちなみに、イオスが何やらにあれこれ教え込むようになったのは、後日談から一ヶ月ほどあとのことである。
「……イオス、帝国では本当にそれが常識なのか」
「はい。(僕の中でに関しては)」
そんなやりとりが養い親と後輩の間で交わされたことを、たぶんは知らない。
なんとなればいつの間にやら、イオスの人生の目標は、ひとつからふたつに増えていたようだ。
とりあえず。
人間、目標達成のためなら結構図太くなれるいい例ということである。