それは喚ぶ声。
「古き英知の術によりて、今ここに、汝の力を求めん」
――誓約に応えよ!
「はーいはいはいはい!!」
それは応える意志。
突如その場に響いた脳天気な声に、たった今召喚術を行った召喚師ことヤード・グレナーゼは一瞬意識がトビかけた。
「え……?」
慌てて、手の中の石を見る。
そして、驚愕に目を見開いた。
ついさっき。
召喚術を行う一瞬前まで、そのサモナイト石にはたしかに、サプレスの天使ことピコリットと誓約を交わした印が刻まれていたはずだった。
・・・それが消えていた。
あげくに、見たこともない紋様にすりかわっていた。
そうして。
目の前には一人の少女。
赤い髪をひとまとめに、緑の双眸でヤードを見上げる、小柄な少女が一人。
術の残滓か、薄い紫の光が周囲にまといついている。
それが何よりの証。
この少女が、自分の喚び声に応えたという、何よりの。
けれど。
どう見ても、サプレスの関係者だとは思えない――というか思いっきりリィンバウムのそれなのだが。彼女の格好は。
「で、敵ってどこです?」
あまつさえ、少女はにっこり微笑んでそう云った。
「あ……あなたは……?」
「ピコリットに頼まれました。あなたのケガを治すにしても、自分じゃ力が足りないから、いっそあなたの敵を退けてやってくれ、と」
――界と界の狭間、時と空間が怪奇複雑激烈奇天烈に混じりくねった空間で。
通りすがりのちっちゃな天使のお願いを聞いて、とおりすがりの不審人物、ただいま参上いたしました。
にこやかに告げる少女を見て、ヤードは、殴られていない頭に痛みを覚えてこめかみを押さえた。
彼の召喚師としての常識が、そんなことはありえないと全力で叫んでいる。
だが事実、目の前にいるのはこの少女。
「では、あなたがピコリットの代わりに治癒を……?」
勇気を振り絞っておそるおそる問えば、晴れやかな笑顔が返ってきた。
「冗談ポイです。」
どこかの聖女さんじゃあるまいし、あたしは誰かのケガを即席治せる能力なんてありません。
「・・・・・・」
じゃあ何のために出てきたんだと。
問おうとして、思い出した。
同時に少女は、もう一度、それを口にする。
「あなたを追いかけてる敵がいるんでしょ? どこですか?」
ピコリットがいくら治しても、追われてる限りおっつかないってんで、元凶を排除しに来たんです。
――同時だった。
彼女がそれを云い終わるのと、殺気がふたつ、彼らの頭上から降ってきたのと。
それから少女が、ヤードの背中を蹴っ飛ばして、傍のゴミ溜めに頭から突っ込ませたのは。
狭い路地に、金属のぶつかる音が鳴り響く。
本来ならばヤードに向かって振るわれるはずの凶刃は、けれど彼まで届かない。
ヤードの埋まっているゴミ溜めを背に庇うように立つ少女が、迫る刃をことごとく弾いているからだ。
肉弾戦に慣れていないヤードには、彼らの動きはよく判らない。
ただ見えるのは、二つ名を持っていないとはいえ、かの組織の暗殺者から次々繰り出される攻撃を少女が一人でさばいているという、ちょっと信じられない光景。
「――せいッ!」
しばらく打ち合いが続いたあと、不意に少女が声を上げた。
同時に、暗殺者の武器が連続して弾かれる。
弧を描いて落下するそれを、少女の剣が大きく――どこぞの専門用語で云うならホームラン的に――かっ飛ばす。
暗殺者ふたりが用いていた武器は、投具。
だが、武器をひとつなくしただけでうろたえるようでは、暗殺者は半日で廃業だ。
「シャアアアァァッ!」
その証拠に、奇声をあげて、暗殺者ふたりは少女に迫る。
肉弾戦を挑むつもりだと、誰もが解釈するだろう。
だが。
ヤードは知っていた。
彼らの手甲には、糸ほどに細い毒針が仕込まれていることを。
振りかぶられる腕。
少女の重心が下がる。
腕を避け、懐に切り込むつもりだろうが――それでは、暗殺者どもの思うツボ。
「避けなさい!!」
実際に少女がそうしたら、毒針は恐らくヤードを直撃しただろう。
だが少女はそうしなかった。
ヤードの予想どおりにも動かなかった。
――白き。
――ましろき。
それは、強く烈しい、純白の閃光――