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信じるものは 前編


 東方司令部は混乱を極めていた。
 普段ならばそれなりに静まり返っている建物の中だが、今日に限っては軍部中の人間が動いているんじゃないかというくらい、大きなざわめきが埋め尽くしていた。
 そのなかのひとり、ハボック少尉はふと、窓から外を見てつぶやいた。
「――なーんか起きると思ったんだよ、ったく」
 今日は朝から曇っていたが、司令部に大喧騒を巻き起こす原因となった報がきた瞬間、雨が降り出していたのだから、彼がうんざりするのもしょうがないと云えたかもしれない。

 はあ、とひとつ息をつき、ハボックは再び歩き出す。
 早急に現場に向かい、綴命の錬金術師ことショウ・タッカーの身柄を抑えるためだった。
 容疑は違法練成。
 娘と飼い犬をかけあわせ、異形たる合成獣を造り出した罪で。

 ――悪魔の所業、と、心有る人がそれを聞けば、云うだろう。



 バアン!

 目の前には自分の上官。
 そしてここは、その上官の執務室。
 まかり間違っても、たかだか少尉であるが机を殴りつけていい場所ではない。
 けれど傍にいるホークアイ中尉は何も云わないし、叩かれた机の持ち主であるマスタング大佐も、それを咎めるでもなく沈黙を持って返答としていた。
「ですから、何があったんです!? タッカー氏は何をしでかしたんですか!」
 もう何度目か判らない問いかけを繰り返す。
「君が知ることではない。通常業務に戻りなさい」
 もう何度目か判らない答えが返ってくる。
 でも、そのとおりに出来れば苦労はしない。
 ――報せを。
 司令部を揺るがした、鋼の錬金術師からの第一報を、受けたのはなのだ。
 大佐に代わってくれと云ったエドワードの声は、普段の彼を知る者なら信じられないくらいに弱って、か細くて。
 訪ねた先のタッカー邸で、いったい何を見たというのか。
 気になるのは好奇心だけじゃない。
「大佐!」
 あんなに辛そうな、エドワードの声は初めて聞いた。
「いい加減にしなさい。少尉」
「――・・・!」
 目を合わそうとしないまま、大佐はそれだけを云って席を立つ。
 ちょうど入ってきたハボック少尉が、車の準備が出来たことを告げた。
 立ち尽くすの横を、3人が通り過ぎて行く。
「……ロイ兄さん!!」

 ・・・パタン

 振り返ったの目の前で、扉は閉められた。


 足早に歩く大佐殿を追いかけながら、目と目を見交わす中尉と少尉。
 何があった? というハボックの目だけでの問いに、ホークアイは軽く首を振る。
 それから、大佐に呼びかける。
「――ロイ・マスタング大佐」
「判ってるよ」
 何か云うより前に、返ってきたのはそんなことば。
 そしてまた、中尉と少尉は顔を見合わせた。
「私の我侭だ。そんなことは判っている」
 ここまでの大騒ぎだ、だけの耳に入らないことはない。
 ましてや、今回の容疑者は国家錬金術師という同じ枠内に所属する相手だ。
 ――それでも。
 たった一日とはいえ、楽しい時間を過ごしてきたのだと、昨日帰ってきたを見たとき判ったから。
「・・・どう伝えればいいのか、判らないんだよ」
「そのまま云えばいいじゃないですか」
「・・・少尉」

 踏みッ

「いでっ!」

 ホークアイが思いっきり踏みつけた足を抱えて、半分涙目になるハボック。
 その彼を振り返った大佐は、ひどく自嘲の混じった笑みを浮かべていた。
「ではハボック少尉。少尉に伝えてくれるか?」
 そのことばに、ハボックはしばし考え――も、せず。
 小さく苦笑を浮かべて。
「御免仕りたいところですな。他ならともかく」
「・・・右に同じく」
 大佐が視線を移す前に、ホークアイも先手を打ってそう云った。
 ――相手がですから――
 言外のそれを確かに感じ、ロイは苦笑した。
 たしかに、も自分たちも同じ、軍に属する人間である。
 階級の差こそあれ(尤も彼女の場合、少佐扱いで入隊出来るところを、本人がまだ若輩者だから、と、下位からの仕官を希望したのだけど)、叩き込まれたおしえに違いはない。
 ――それでも。
 鋼の錬金術師と2歳しか違わない、朱金の錬金術師に。
 どう云えば、嘆かせなくてすむのか判らない。
 嘆かせたくないと思うことが、そもそも軍人としては問題なのかもしれないけれど――

 3人が3人とも、同じような気持ちを抱えていることを、お互いはよく把握していた。

 要するに。
 に面と向かってそれを告げて、自分が泣かせたという罪悪感にも似た感情を味わうのが嫌なのだ。

「正面玄関に向かう。少尉、車をまわしてくれ」
「イエッサー」

 ため息をついて、とりあえず目の前の行動を優先した大佐のことばに、少尉が頷いて角を曲がった。
 大佐と中尉はそのまま真っ直ぐロビーに向かう。
 外に出ると、雨がふたりの身体をすぐに濡らし始めた。
 階段を下りながら、ホークアイがぽつりとつぶやく。
「――もしも悪魔の所業というものがこの世にあるのなら・・・今回の件はまさにそれですね」
「悪魔か・・・」
 だが、と。焔の錬金術師は云う。
 そのことばには、自嘲気味な感情が秘められていた。
「身もフタもない云い方をするなら、我々国家錬金術師は軍属の人間兵器だ」
 一度事が起これば召集され、命令が下れば手を汚すことも辞さず――
「・・・・・・」
「人の命をどうこうするという点では、タッカー氏の行為も我々の立場も大した差はないということだな」
 淡々と話しているように感じられるマスタング大佐の後ろ姿。
 それを視界におさめている、ホークアイ中尉の表情は微妙だ。
 哀れんでいるのか、それとも――
「ですがそれは大人の理屈です。・・・は――あの子たちはまだ子供ですよ」
 朱金の錬金術師。鋼の錬金術師。
 彼らはそれぞれの理由のもとに、国家錬金術師になることを選んだ。
 普通のこどものように過ごすことを捨てた彼らは、それでも。
 まだ、年端もいかない少年少女だということを、覚えている人間はどれだけいるのだろう。
「・・・だが、それを承知で鋼のは……あの兄弟はその道を選んだんだ」
 淡々と。語られることばの端々ににじむ、鋭い感情。
「おそらく彼らの行く手には、今日以上の苦難も苦悩も待ち受けているだろう――」
 マスタング大佐が異常にをかばうのは、鋼の錬金術師を知っているせいもあるのかもしれない。
 禁忌に手を染め、そのために地獄を見たという彼らを。
 そういう辛い思いを、せめてさせたくはないと。そう思っているからかもしれない。
 本人は語らないそれは、あくまでも憶測でしかないけれど。
「無理矢理納得してでも、進むしかないのさ」
 ・・・そして鋼の錬金術師に、多少の共感を、もしかしたら抱いているせいもあるのかもしれない。

「そうだろう、鋼の」

 階段のなかほどに、ぽつりと座っている人影。
 雨に打たれるままになっている少年と、鎧。
 自然ことばが厳しくなるのは、ロイ自身が苛立っているせいだろうか。
「――いつまでそうやってへこんでいる気だね」
「・・・うるさいよ」
 エドワードは振り返りもしなかったが、それでも、ことばだけは返してきた。
 大佐は少年を一瞥し、その横を通り過ぎる。

「軍の狗よ悪魔よと罵られても、その特権をフルに使って元の身体に戻ると決めたのは、君自身だ」
 ――これしきのことで、立ち止まっている暇があるのか?

 ふと、ホークアイの向けた視線の先で、エドワードの右手が――機械鎧である彼の手が、ぎゅ、と、握り締められた。

「これしき、かよ」
 マスタング大佐は応えない。
 そして。
「ああそうだ。狗だ悪魔だと罵られても、アルとふたり、元の身体に戻ってやるさ」
 淡々と語る声が震えているのは、激情を押し隠しているため。
「だけどな・・・・俺たちは悪魔でも、まして神でもない――」
 バシャッ、と、水音を立てて、エドワードが立ち上がる。

「人間、なんだよ!!」

 それはむしろ、怒鳴っているといった類の叫びなのに。

「たった一人の女の子さえ助けてやれない――
 ・・・ちっぽけな人間だ・・・・・・!」

 今にも泣き出しそうに、細く、頼りなく。

 エドワードの座っていた段から数段、下りた位置で。
 ロイは足を止めた。

「風邪を引く。帰って休みなさい」
 そうして、再び歩き出しながら。
「――中にがいるから送ってもらうといい」
「大佐?」
 いぶかしげに問いかけるホークアイに、ロイは苦笑を返す。
「・・・・・・姉?」
 エドワードが小さな声でそう云っているのが聞こえたが、もう、大佐は振り返らなかった。
 ちょうどハボック少尉が車を持ってきたせいでもあるし、
 ――司令部から出てきた、もうひとつの人影に気づいたせいでも、ある。


 叩きつける雨の中、車の座席に腰を下ろしたホークアイ中尉の第一声はそれだった。
「エドワード君に説明を任せるのですか? それは彼にとってもにとっても酷なことではありませんか?」
「・・・・・・大佐、あんた・・・・・・」
 またしても事情が判らず仲間外れのハボック少尉が、それでも察したらしく呆れた声になる。
 判ってる、と云いたげに手を振るマスタング大佐は、もう片方の手のひらで顔を覆ったままで。
 はあ、と、これまでで特大のため息をついて。
「いや……正直――の弱ったところを目の前にして、正気でいられる自信がなくてね」
「・・・・・・」「・・・・・・」
 まてやコラ。
 そう云いそうになったのを飲み込んだのは、どっちだろうか。
「私は大人だからね。うちのお姫様や、鋼のとは違って」
 清濁併せ呑める自覚は、ある。
 だから。
「つけこんで、何をするか判らない」

「・・・・・・大佐。一応申し上げますが、それはたぶん犯罪です」
「ていうか完璧にそうじゃないのか」

 ホークアイとハボックのツッコミが聞こえているのかいないのか。
 ようやく手のひらをどけ、マスタング大佐は背もたれに身体を預けた。
「――とりあえず、今回はお姫様を鋼のに任せておくとしよう」
 この人は同じ国家錬金術師が犯罪を犯したことより、罪のない少女と犬がその餌食になったことより、曰く大事なお姫様を鋼の錬金術師に任せる方が悔しいんじゃないだろうか――
 そう思っても、確認するのはためらわれる中尉と少尉だった。
 ただ、心のどこかでこの人らしいと呆れたような諦めたような感情がわいたのは、事実ではあったけれど。



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予告どおり(?)、前回とは打って変わって真面目な展開です。
これ、公開するの、実はちょっとためらっていました。
なんでかって......重いんだもん。話が(笑;
後編で、ちらりと、主人公が国家錬金術師を目指した理由も語られますが、
よろしければお付き合いくださいませ......
って大佐。こんなときにまで溺愛発揮せんでください←おまえのせいだろ