Episode5.


 夢ならいいなって、起きる前に少し思った。
 おそるおそる目を開けると、いつものわたしの部屋じゃなくって、よくわからないコンクリートで出来た部屋の壁と天井が見えた。
 それから、
「よう」
 椅子に反対向きに座った眉なしお兄さん、フィンクスさんにも気がついた。

 ……ゆめじゃなかった。
 わたしはやっぱり、起きたまま、違う世界なんだっていうここに来ちゃったってことなんだ。

 やっぱり、って思う心と、まだ夢であってほしいって思う心が、お互いににらみあってる感じ。
「おはようございます」
 それでもちゃんとあいさつしなきゃって考えて、わたしは、フィンクスさんに頭を下げた。
「腹は減ってるか?」
「おなかですか?」
 タオルケットをかけてくれていたおなかに、手を当てる。

 ぐう。

 それを待ってたみたいに、震えて音をたてるわたしのおなか。
「だろうと思ったぜ」
 ちょっと恥ずかしくなったわたしを見て、おかしそうにフィンクスさんは笑った。そのまま、ひょいっ、て、自分の座ってる傍にある棚の上から赤い丸いのをとってわたしに投げる。
 あ。
「ほら」
 りんごだ。
 空を飛んでくるりんごを、あわてて腕伸ばして受け止めた。
 食べ物は、こっちもあっちも同じなんだ。ほっとして、わたしは、手の中のりんごを見下ろした。
 真っ赤でつやつや丸くって、とてもおいしそう。
 えへへ。
「何笑ってんだか。早く食え」
 椅子の背中に肘ついて、フィンクスさんがうながすので、りんごを口元に持っていく。
 皮むいて切ったほうが食べやすいのは本当だけど、食べ物くれるだけでありがたいことなんだから、これ以上お願いはできない。それに、丸齧りはキャンプとかでやったことあるし。
 しゃり。
 かじったとこから、甘くて美味しい蜜が出てくる。実も、しゃくしゃくしててすごく元気。
 えへへ。
 しあわせだ。
 しゃりしゃり、しゃりしゃり。
 夢中になって食べてたら、あっというまに、りんごは細い芯だけになってしまった。
「早」
 ぽつりとフィンクスさんが云う。
 う、だって、おなかが空いてたんだもん。
 ……でも、おかしいな。
 考える。
 あの場所に来ちゃうちょっと前に、わたし、朝ごはん食べたんじゃなかったっけ。うん、食べた。朝ごはん食べて家を出て、学校に行く途中だったんだから。
 それで、あそこでどうしようって思ってた時間とか、フィンクスさんたちとお話した時間とか、足してみても、お昼には少し遠いくらいだと思う。なのに、こんなにおなかが空くものだったっけ?
 わたしが不思議そうにしてるのが判ったんだろう。フィンクスさんは、「ああ、忘れてた」と、棚から今度は黄色い長いもの――バナナだ――をとりながら、つぶやいた。
 ぽーん。
 投げられてくるバナナと一緒に、
「おまえ、三日寝てたぞ」
「え」
 って。
 とんでもないこと教えてくれる、フィンクスさんの声も飛んできた。

「えええぇぇぇっ!?」

 ぼとり。

 受け止め損ねたバナナは、さみしくタオルケットの上に転がっちゃった。


 訊くことがあるなら、食うもん食ってから訊け。
 とフィンクスさんが云ったので、わたしは、落としてしまったバナナをはじめ、渡してもらう食べ物を、とにかくおなかのきゅうきゅうする感じが消えるまで食べさせてもらった。
 ……たぶん、いつもの二倍は食べたと思う。
 で、わたしがそうしている間、フィンクスさんは、ぼーっとしたような感じでこっちを見てた。見られてると緊張するけど、今日はとてもおなかが空いていたので、途中からあんまり気にならなくなった。
 そうしてわたしが食べ終わって、「ごちそうさまでした」って頭を下げると、次になんだか豆腐のように見えるものを出そうとしてたフィンクスさんは「そうか」って云って手を止めた。
 よくよく見たら、棚の上には今わたしが食べきったのと同じくらいの、まだ食べられてないものが積んである。あれ、もしかして全部、わたしが食べるかもって持ってきてくれたのかな。それはさすがに、都合がいい考え方かなあ。
「でだな。おまえが訊く前に、俺からとりあえず、云っとくことがある」
「あ、はい」
 最後に投げられたハンカチで手をふきながら、わたしは、ぴんと背筋を伸ばした。
「おまえは、シャルナークが運んでるうちに寝た」
「はい」
「ここまでつれてきても寝てた。それで三日」
「は、はい」
 うわあん。
 わたし、いったい、こんな立場なのに何やっちゃってるんだろう。
「その間に、こっちも仕事が入ってな」
「あ」
 そ、そうだ。
 大人の人たちなんだから、お仕事持っているはずだ。
 フィンクスさんだって同じはず。なのに、ここにいるってことは。
「あ。気にすんな。俺は今回出番じゃねえ」
「……出番、ですか?」
「ああ」
 何の出番だろう。
 俳優さんとか、なのかな。最初、探偵さんかなって思ったけど、違うみたいだし。
「で、だ。ちょうど何人か集まってたんで、おまえの顔見せをしようって話になってたんだが、おまえが起きない上に仕事ができたんで、そっちを優先させた」
「すみません……」
 謝る自分の声は、思った以上に小さくなってしまった。
「気にすんなって云っただろうが。そんなでかいヤマじゃねえから、あと2・3日もすりゃ戻ってくる」
 だから一々謝るな、と、フィンクスさんは云う。
 それから、こほん、って気を取り直して言葉を続けた。
「で、今ここにいるのは、俺のほかには団長と、あと、フェイタン。おまえの逢ったもう一人、シャルナークは仕事に出ていった」
「……団長さん」
 ――クロロさんのことだ。
 真っ黒い目をした、真っ黒い格好の男の人。
 団長さんってことは、みんなのまとめ役とかそういうことをしてるんだ。えらい人なんだ。

「以上、今の状況」

 訊きたいこと、なんだかほとんど教えてもらっちゃった。
 たぶん、今までの間にまとめたりしてくれてたんだろう。すらすらと話し終わったフィンクスさんへ、
「あ、ありがとうございます」
 タオルケット握り締めて、ぺこりと頭を下げる。
「それでな」
 そこにかけられる声。
「フェイタンはヤボ用で篭ってんだが、とりあえず、団長の方には挨拶してこい」
「はい!」
 そうだ。
 なんだか鍛えてくれるとか生き抜かせてくれるとか、そういうこと云ってくれたのは、クロロさんだった。
 そのお礼とご挨拶、わたしが自分から行かなくちゃ失礼だ。
 あわてて、それまで寝てた布団――じゃないや、マットから飛び降りる。タオルケットをたたんで隅っこにおいて、フィンクスさんにもう一度ぺこり。それから扉へ歩いてく。
 ……実はちょっと、頭が少し、まだ、くらくら。
 でも、そんなこと云ってられる立場じゃないんだから。うん、がんばれ、わたし。
「出たら右に曲がって、突き当たりの階段を下りたら広い場所がある。そこで本読んでるはずだぜ」
「はい、ありがとうございます」
「左には曲がるなよ」
「? はい」
 何か内緒のものでもあるのかな。
 不思議に思ったけど、そこで左に曲がって怒られるほど、わからずやさんにはなれない。

 それに、扉を出て気づく。
 左の方は、あんまり進みたくない空気が漂ってきてる感じがした。

 だからちょっとだけそちらを見た後、わたしはすぐに、右に身体の向きを変えて出発進行。
 真っ直ぐ続く廊下の向こうに見える階段の手すりめがけて一目散に歩いてくわたしの背中に、フィンクスさんがつぶやいた声は届かなかった。

「ったくよー。空いてるのがここだけだったからってなぁ……」

 もちろん、苦い顔して左側の壁の向こうを見透かすみたいに睨んだ顔も、わたしが見ることはなかった。



 少し気を抜くとすぐ前のめりに倒れそうだったから、いつもは使わない手すりにちゃんと手をおいて、一段一段ゆっくりと階段をおりていく。
 はいたままだったスニーカーが、鉄の階段を、こん、こん、と鈍い音たてて鳴らしてる。
 一度折り返しをはさんで、二十段くらいを降りたところで、わたしはフィンクスさんの云ってた広場に到着した。
「あ」
 いた。
 広場に、どーんと大きなソファ置いて座ってるクロロさんを、わたしはすぐに見つける。
 だって他に人も物もないし。
 クロロさんは、本を読んでるみたいだった。
 片方の腕をソファの背に乗っけて、もう片方の手で本を持って、そっちがわの手だけでページをめくってる。器用だなあ。手が大きいからっていうのもあるのかなあ。
 うーん、なんだか本当にえらい人なんだなあって思う。
 そんなして、ぼけっとしてたのが、たぶん原因。

 ぱたん。

 本を閉じる音が広場に大きく響いて、クロロさんがゆっくりとこっちを振り向いた。
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