Episode7.


 ――そして気がついたら夜だった。
「はっ!!」
 また何日も寝てた!?
 真っ暗闇のなか、あわてて飛び起きる。
 クロロさんに朗読してたときは、まだ少しだるかった身体は、なんだかいつもの調子にちゃんと戻ってくれたみたいだ。
「え?」
 それはいいんだけど。あれ?
 わたし、クロロさんと字の勉強してたよね。
 その後どうやって、ここに戻ってきたんだろ。ちゃんと、失礼しますってご挨拶したのかな。……してない気がする。いや、絶対に、してない。

 わたしの記憶は、クロロさんと向かい合ってた時ので止まってる。

「…………」

 さー、と、顔から血がひいてった。
 これはもしかして。もしかしなくても。
「ど、どうしよう」
 勉強の途中で、また、寝ちゃったってこと……だったりする? だったりするよね。これは。

 な、なんで、わたし、いつもいつも失礼なことばっかりしちゃってたりするんだ……!!

「疲れてたのか?」
「わあぁっ!?」

 びっくり。
 急に声をかけられて、わたしはマットから飛び上がった。
「ク、クロロさん?」
「ああ」
「おおおおはようございます、じゃない、こんばんは……!」
「どちらも不正解」
 呆れた様子も見せない、静かな声で、マットのふちに腰掛けたクロロさんは云った。片手には、小さな本。表紙には、こっちの世界の文字。
 ……クロロさんって、本当に、本が好きなんだなあ。
 でも、真っ暗な中で本なんて読んでたら、目が悪くなったりしないだろうか。わたしも、前はよくお母さんに怒られたりしたけど。
「不正解、ですか」
「前者は時刻的に。後者は関係的に」
「う」
 時間はわかる。
 それに、関係もわかる。
 こんばんは、って、普通、一緒の家にいる人には使わないよね。
「ごめんなさい」
「謝ることでもないな」
「う」
 どうしろっていうんだろう。
 頭を下げかけた中途半端な姿勢で、わたしはちょっと固まってしまう。
 そしてふと気づけば、真っ暗ってほど真っ暗でもなかった。昼間、フィンクスさんが食べ物をおいてくれていた棚のうえに、小さな明かりが乗っている。それがぼんやりと部屋を照らし出して、手元とかを見るのには困らないくらいの明るさはあった。
 でも、やっぱり本を読むのにはむいてないと思う。
「ちなみに」、
「わ!」
「今度寝ていたのはおよそ半日だ」
「ひゃ、ひゃい」
 するっと伸びてきたクロロさんの手が、わたしの顎を下から持ち上げて姿勢を正させた。
 口の両側をつかまれてるみたいなものだったから、返事する声が、あくびしながら云ってるようなものになってしまう。
「腹は?」
「は」
「空いてるか」
「……」

 ぐう。

 ――なんって正直者なんだろう、わたしのおなか……!!

 助かったのは、部屋の明かりがぼんやりしたものでしかなかったっていうこと。
 おかげで、わたしの顔が真っ赤になったのはクロロさんも見えなかっただろうし、きっと呆れてるんだろうその顔も、こっちからは見えなかった。
「食事にするか」
「あ、はい」
 なんでもなさそうに云って、クロロさんが立ち上がる。
 ついてこいって意味も含んでるんだと気づいて、わたしもその後を追いかけるためにマットをおりた。

 ん?

「あ」
「どうした?」
「わたし、さっきいた広場からあっちの部屋に戻って寝たんですよね?」
「――そうだな」
「それ、フィンクスさんかクロロさんが運んでくれたんですよね?」

 他の人たちは出かけてる。
 ここにいるのは、フィンクスさんとクロロさんと、フェイタンさんだけ。
 で、わたしが下で一緒にいたのは、フィンクスさんとクロロさんだ。
 だったら、どっちかが、わたしをここまで運んでくれたんだと思う。

 そう思って訊いたのに、
「いいや」
 クロロさんは、頭を左右に振って、わたしの質問を否定した。
「え?」
 きょとん。
 入口のところで立ち止まってるクロロさんの答えに、わたしは、目を丸くしてしまった。
「じゃあ、フェイさんですか?」
「違う」
「――え?」
 じゃあ、誰か、他の人が。

「……」
 細いため息。
 それがクロロさんの吐いたものだって気がつくのに、少し時間がかかってしまった。

「おまえは、自分でここまで戻ったんだ。覚えていないのか?」
「……え」

 えええ!?



 ――クロロさんが云うには、わたしは、勉強の途中でこっくりこっくりやり始めてしまったらしい。
 で、起きぬけなのに長居させすぎた、と、フィンクスさんに部屋まで運ぶように云ったんだそうだ。

 で。
 それを、わたし、断ったらしい。
 だいじょうぶですから、って、一人で部屋まで戻って、マットに寝転んで、すぐに寝入っちゃったらしい。

「…………」

 ほんとですか、って、訊きたかったけど、クロロさんにこんな冗談云って楽しい理由なんかないだろうから、きっと本当のことだ。だからやめた。
 わたしが食事をするところは、まだ知らない場所なんだって。だから、前を歩いて案内してくれるクロロさんの背中を追いかけながら、わたしは、教えてもらったことを頭のなかでぐるぐるまわして、どうにか自分の記憶を思い出そうとしてた。
 でもダメ。
 ぜんぜんダメ。
 だいじょうぶですから、の、だの字だって出てこない。
 記憶は勉強の途中でぶっちり切れて、その次は、さっき飛び起きた真っ暗なとこから始まってる。

 ……これはもしかして。
 わたし、夢遊病というものだったりするのかな……?


「オマエ、アホね」
「はう」

 この建物に来てから初めて、顔をあわせたフェイタンさん。
 わたしが自分でわからないまま受け答えして部屋まで移動した話(フィンクスさんも、あのときのわたしがおかしいとは別に思ってなかったみたい。びっくりしてた)を聞いて、まず云ったのがそれだった。
 あ。
 フェイタンさんもだけど、クロロさんもフィンクスさんも、ご飯はもうすませたんだって。
 一緒に食べてないんですかって聞いたら、好きなときに適当に食べてる、ってお返事をもらった。……云われてみたら、そんな感じもする。
 わたしはというと、フェイタンさんの言葉に、がくんと肩の重みが増してた。
「あ、アホですよね」
 というか、変な子だ。
 夢遊病だなんて、どうしよう。ただでさえ、ご飯代とかよけいにかかるのに、夜中、知らない間に歩き回ったりなんてしちゃったら、よけいに迷惑かけてしまう。
 うう。
 フィンクスさんがせっかくつくってくれたご飯なのに、舌の神経がどこか行っちゃったみたいだ。
 しょんぼりうなだれて、ピラフに似たご飯をつっつくわたしを見たフィンクスさんが、
「おい、フェイ。いじけてんだろが」
「……アホじゃなくて愚図だたか」
「よけい悪いわ!」
 完璧に見放した感じで云うフェイタンさんに、ど、怒鳴りつけた!?
「ほ、ほんとのことですから」
 そんなのがケンカの原因になるのが申し訳なくて、わたしはあわててフィンクスさんにそう云った。そうしたら、フィンクスさんはよくわからない表情してわたしを振り返る。
「おまえもなー……」
「は、はい」
 何か云いたそうで、でも、何か迷ってるみたいな――たぶん続きがあるんだろう。そう思って、背を伸ばして待ってみた。
 そうしたら、
「……はあ。いや、いい。なんでもねえ」
「そ……そうですか?」
「団長。マチかパクかシズク。残しておくべきだたよ」
「かもな」
「かもな、じゃないね」
 がっくりうなだれるフィンクスさんをよそに、フェイタンさんとクロロさんはそんなことを話してる。
 マチさん。パクさん。シズクさん。
 誰だろう。
 たぶん、わたしが寝てて、逢えなかった人なんだろうな。
「このままだと、皆が戻る前に焼き切れるよ」
「……それは困るな」
 あんまり困ってもなさそうな声で、クロロさんがフェイタンさんに答えた。それからどうしてか、クロロさんはわたしの方を振り返る。
「折角おもしろいものを拾ったのに」
 ……おもちゃ扱いされてると思う。いや、ほぼ確実に、されてる。
「たぶん」、
 また、フェイタンさんが口を開いた。
 最初より、ずっと多く、話してる気がする。たぶん、自分の家で自分の仲間が相手だから、なんだろうな。

 ……ちょっと、うらやましい。
 いいな。

 なんて思って見ていると、フェイタンさんは、ちらりとわたしを振り返る。
「いそ、極限まで追い込むが早いかもしれないね」
「極限?」
「そうね」
 横から聞き返すフィンクスさんに、ゆっくりとうなずくフェイタンさん。

「下手に手綱を弛めるから余計絡まるよ。こういうモノが相手の時は、一度ギリギリまで追い込むほうが効果あるね」

 …………

「それも一理あるな」

 ……真顔でうなずきあうクロロさんとフェイタンさんを見ているわたしの心のなかに、とっても大きな不安がむくむく沸き起こってきたのは、確実に、気のせいじゃなかった。
 いったい何の話をしてるんだろう。
 訊こうと思ったのと同時に、クロロさんがポケットから何か取り出す。そして、その機械のボタンを押して、耳に当てた。
 ――なんだろ。面白い、小さい形。トランシーバー?
 あんなふうにして使うってことは、もしかして、電話なのかな。でも、あんなオモチャみたいな形のって、わたし、知らない。
 待つこと数秒、電話をかけた相手の人が出たみたいだった。
「オレだ。暇か?」
 電話から離れてるわたしには、クロロさんの声しか聞こえない。でも、たぶん、相手の人は「暇じゃない」とかって答えたんじゃないのかな。
「ああ、悪い。――終わったんだろう? 今はどのあたりなんだ?」
 数秒おいて、「それなら近いな」と、クロロさん。
 それから数度、何事かやりとり。
「――いや、オレじゃない。拾いものをしたんだが、自分の手綱も握れない奴なんだ。――そう。そうだ、庭を貸してくれ。人より獣の方がマシだと思ってな。――ああ、2・3日で充分だ」
 ……庭?
 ってことは、誰かのおうちに行くってことなのかな。
 拾い物、って、わたしのことだよね。
 えっと。
 じゃあわたし、その、誰かの庭を借りて何かする、のかな?
 クエスチョンマークをぐるぐる頭でまわしてる間に、クロロさんはさっさと話を終わらせて、電話をしまいこんだ。
「そういうわけだ」
「……ど、どういうわけですか?」
 今のクロロさんの声だけで全部を判るのは、とても難しいと思う。
「すぐ迎えに来るそうだから、用意しておけ。荷物はそれで充分か?」
「え? え?」
「フィンクス」
「うーっす」
 わたしが理解してるかどうかなんてほったらかして話を進めるクロロさんが、フィンクスさんの名前を呼んだ。それにうなずいて、フィンクスさんは立ち上がり、食事してる部屋を出てって――訊き返すにも訊き返せなくて、戸惑ってること、数十秒。
 遠くなってった足音が、また、戻ってきた。
「ほらよ」
「わ」
 寝てた部屋においてたはずの、ランドセル。
 軽々と投げられたそれを、わたしはどうにかこうにか受け止めた。
「あの、わたし、どこにやられるんですか?」
 持っていけってことなんだろう。
 ランドセルを背負いながら、わたしはなんとか決心して、クロロさんに訊いてみた。その背中で、かちゃりとランドセルの口が開けられる。フィンクスさんだ。
「…………」
「貸してやるから持っていっとけ」
 どさどさどさ。
 ずしっ、と、背中が重くなる。
 いったい、何を入れられたんだろう。
 たしかめようと思ったけど、クロロさんのお返事もほしい。どっちを優先させようか迷ったせいで中途半端な空白の時間が生まれた。

 こんこん。

 窓をノックする音が、その空白を散らしてしまう。
「……え?」
 ちょっと待って。
 ここ、たしか、1階じゃなかったはず。
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