Episode8.
ということは、普通じゃノックなんてできない場所だから、これは、石とか何か投げてるのかな。
と、思って振り向いたわたしは、
「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ――――!!?」
窓の外。
ぶらーんと。
揺れる黒くて長い髪、逆立ちみたいにぶらさがった人を見て、初めて――ここにきて初めて、悲鳴をあげてしまってた。
しかもそれだけじゃ足りなくて、とっさに、後ろにいたフィンクスさんにしがみついてしまう。
「おっとっと」
変な声を出しながらも、フィンクスさんは、ちゃんとわたしを受け止めてくれた。
……って。
「や、ご、ごめんなさい!!」
なんてことしてるんだって気がついて、あわててフィンクスさんから離れた。
ご厄介になってる人の手、これ以上わずらわせてどうするの、わたし!
「……だんちょー」
なんだか恨みがましい目になって、フィンクスさんはクロロさんを軽く睨みつける。
「文句があるなら奴に云え」
「せっかく出向いてきたのに、のっけから悲鳴と苦情? 帰るよ俺」
するり。
いつの間にか窓を開けて中に入ってきた、たった今までぶら下がってた人が、まっ平らな――でも、どこか不機嫌そうな声でそう云った。
でも、クロロさんはそういうのに動じるような人じゃない。
「だから呼んだんだ。ついでに持っていけ」
と、わたしを示して、新しい人にそんなこと云ってる。
というか……わたし、持っていかれるんだ。
そっか。
これは、いわゆるひとつの、お払い箱というものなのかも。
そうだよね。
文字の勉強、一通り終わったし。クロロさんなら、あれだけ判ればあとはもう全部読めるくらいになると思う。漢字が難しいかもしれないけど、なんだか、この人なら大丈夫って思っちゃうし。
なんて考えていたら、
「三日後には引き取りに行く」
という、クロロさんの声が耳に届いた。
「え」
ぱちくり。
目をまたたかせて見上げると、クロロさんは別にこっちなんて見てなくて、たった今入ってきたばかりの人と向かい合って話してるとこ。
「……何考えてたかよく判るね」
それまで黙ってたフェイタンさんが、呆れたのを隠そうともしないでつぶやく。
「な、何って何ですか」
考えてたばかりの頭は、反射的に、フェイタンさんに云い返してた。
「……」
あ。
と口を押さえたけど、もう遅い。
出ちゃった言葉は戻らない。
これ、どんなにいい方向にとっても、口答えだ……!
怒られる。
また殺すとかなんとか云われるのかって、もしかしたら、今度こそ問答無用かもって、覚悟して、ぎゅうっと身体に力を入れる。
でも。
「……」
フェイタンさんは、何も云ったりしなかった。
「――」
わたしが不思議そうに見てるのは判ってるだろうに、ほんの少し目を伏せて、肩をすくめて――それだけだった。
だから。
つい、訊いてしまった。
「怒らないんですか?」
「なぜ怒ると思うね」
また肩をすくめて、フェイタンさんはそう云った。
「だって。口答え」
「餓鬼はそういうもの」
「……えらく物分りいいじゃねーか」
ぼそり、フィンクスさんが、わたしの後ろでぼやく。
物分りというのとは違う感じだけど、わたしも、そんな気分だった。
だって、フェイタンさん――だけじゃなくて、フィンクスさんもシャルナークさんもだけど――は、最初に逢ったとき、『殺す』ってとても普通に使ってた。
だからこれは、そんな人たちが何か気まぐれみたいなの起こして、わたしをわざわざ拾ってくれたんだって、思ってる。怒らせたりご機嫌損ねたりしたら、きっと、すぐにあの言葉どおりになるんだって、わたし、思ってる。――思ってた。
でも今、それ、少し変わった。
そう。
何て云えばいいのか、よくは判らないんだけど。
「気の遣いすぎで自己暗示かけるほどの馬鹿が相手なら、誰だてこうなるよ」
……………………
それは。
しょうがないなと。
しかたないなと。
頭とか、肩とか。
叩いてくれてるような、そんな――近さが。
「だいたい」、続けて言葉を零すフェイタンさん。「最初に人にへばりついておいて、何いまさら距離とろうとしてるのか」
「あわわわわわわわ」
あ、あのときは必死だったんです……!!
目をぐるぐる、腕もぐるぐる。
まわして弁解しようとするわたしを、フェイタンさんはどう思ったんだろう。ちらりとわたしを見た細い目は、やっぱり、どこかあきれたふうだった。
「ふーん」
そうしてフェイタンさんが何か云うよりも先に、窓から入ってきた人がつぶやく。
「てっきり、もっと歳いってるかと思ってた――いや、そもそも、念を使えるわけでもなさそうだけど?」
「ああ」
『ネン』? なんだろ、それ。
判らないわたしの前で、窓からの人とクロロさんはお話をつづけてる。
「正気? うちの庭がどうなってるのか、忘れたわけじゃないよね?」
正気だ、と、クロロさんは云う。
「生き延びられなければ、それまでということだな」もっとも。そう続けて、「まだ何も教えてはいないんだが」
「死ぬって。それ」
長い黒髪揺らして、窓からの人は首をかしげた。
……えーと。
なんだかわたし、すごーく自然に命の危機にさらされてたり、するのかな?
クロロさんとあの人の会話聞いてると、そうだとしか思えないんだけど。
どきどきと不安ばかり大きくしてるわたしを見て、窓からの人は、首を反対側に傾ける。また、黒い髪が揺れた。クロロさんと同じ、黒い髪。そういえば、目も同じに黒いみたい。
「とりあえずさ」
だけど、黒は黒同士でも、受ける感じっていうのはどこか違ってる。
たとえばクロロさんは、月も星もない、でも晴れた夜の空。
そして窓からの人は、真っ暗ななかに出来る、何より暗い黒。闇、っていうのかな。
「君、名前は?」
「は! はい!?」
印象のこと考えてたせいで、反応が遅れちゃった。
あわてて背筋をぴしっと伸ばし、名前以外の、たぶんこの人たちにとってはどうでもいいことまで、わたしの口は喋ってしまう。
「です、あ、じゃなくて」
「うん」
「=、で、す、よ、よろしくお願いしま――」
「他に何かある?」
「え? その、あ、ええと、小学校五年生で!」
「うん。あとは?」
「あ、家は××市○○丁目、って判らないですよね」
「そうだね」
「そうだ、お父さんとお母さん、います」
「それはそうだよね」
「はい、あと、お姉さんがいて、行方不明で、でも元気でやってるって聞いてて――」
「ふーん」
「おまえ、俺らには何も話さなかったくせに」
「…………はっ」
ジト目で見てくるフィンクスさんの言葉に、わたし、そこでようやく我に返った。
違うんですそういうわけじゃなくて――さっきまでが嘘みたいに、全然まわらなくなった口を動かそうとしたら、それより先に、窓からの人がフィンクスさんに答えてた。
「聞こうとしなかっただけじゃないの? こういう子は、ちょっと突付けばけっこう話すタイプだよ」
……突付かれたんだ。
というか、これ、刑事ドラマでいうところの、『ユードージンモン』?
ちょっとがくぜんとしていると、窓からの人は視線をフィンクスさんから動かして、改めて、わたしに向かい合う。
「それじゃ、次はオレだね。名前はイルミ。イルミ=ゾルディック」
「イルミ、さん、ですね」
「そう。ちなみに十人家族。兄弟姉妹に行方不明者は――まあ、いないよ。今のところ」
「あ、そ、そうですよね」
うん。
普通、行方不明だとかどうだとか、こんなのんびり話す内容じゃないと思う。
わたしの場合、お姉さんのことについては、お父さんもお母さんもわかってることだし、わたしだってちゃんとそうなんだっていう理由を知ってるし。
「ええと、あと、何を聞いたっけ」
顎に手を当てて、イルミさんは少し考え込んだ。
「そうそう。住所だ。パドキア共和国デントラ地区の――番地はないな。ククルーマウンテンっていう死火山」
「鹿算?」
「……君バカ?」
うわあ。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど、眉がきゅうっと寄せられちゃってる。
「活動を停止した火山のことだ」
「あ、ありがとうございます!」
やっぱりどこか呆れた声で、クロロさんが教えてくれた。
わあい、と、よろこんでお礼を云おうと振り向いたわたしの目に映ったのは、こっちを指差してるクロロさんの姿。
「で。連れて行くのか行かないのか?」行かないのなら、と、言葉は続く。「オレが連れて行って、庭においてきてもいいんだが」
暇だし。
そう結ぶクロロさんを、イルミさんは、まじまじって感じで見つめてた。
「……暇なの?」
「まあな」
「そう。でもいいよ。一応頼まれたことだしね、オレが連れて行く」
はい、と、わたしに向けて差し伸べられるイルミさんの手を、ちょっと迷って握った。
どこにつれてかれるのか、相変わらずはっきりしてないし、そ、それに、初対面の人だし。手出してくれたからって、つないでいいってことじゃないかもしれないし、『お手』とかって合図かもしれないし。
でも、
「違う」
「え?」
手の意味は、もっと違ってたみたいだった。
ふわっ、と、身体が浮かび上がる。
わたしが両手で握っちゃったのとは反対側の腕を使って、イルミさんが、わたしを持ち上げたんだ。
「わ、わ、わ!?」
そのまま、お米みたいに、わたしはイルミさんの肩に担がれる。
お、重くないのかな、重くないのかな!?
シャルナークさんとかも、けっこう軽々って感じで抱っこしてくれたけど、……もしかしてこの世界の人たち、とても力が強かったりするのかな? でも今回って、わたしだけの分じゃなくて、フィンクスさんが何か詰め込んだランドセルの分も重さが増えてると思うんだけど……
ちらりと動かした視界に入るのは、さらさらの、黒い髪。
きれいで、つやつやしてる。お母さんお気に入りの、サテンで出来てるハンドバッグとなんだか似てる。でもきっと、イルミさんの髪のほうが、ずっときれいだ。
――なんて思っても。
「うー」
ちょうどイルミさんの肩に当たってるおなかの苦しさが、楽になることはないみたいだった。
ちっちゃく呻いたわたしの声が聞こえたのか、フィンクスさんが、覗き込んでくる。
「どうした?」
「……あ、なんでもない、です」
少し押されて苦しいだけだもの。
おろしてもらえたら、たぶんだいじょうぶ。だから、それまでガマンすればいい。
どこでおろしてもらえるのか、どれくらいかかるのか――庭とか、パドキア共和国とか、だいたいここはどのあたりなのかって、そんなことも知らないから、目安のかけらだってわからないのが問題なんだけど。
ともあれ、だいじょうぶだって意味もこめて、笑ってみる。
「おー」
そしたらフィンクスさん、何か感心したみたいに、そうつぶやいた。
それから、
「わ」
わしゃわしゃ。
大きな手が頭におかれて、髪の毛、ぐしゃぐしゃにかきまわされる。ええと。これ、あれかな。撫でてもらってたり、してるのかな。
「そうそう」、聞こえる声は、満足そう。「ガキは何も考えねえで笑ってんのが一番だ」
「別の意味で笑うしかない事態になるかもしれないけどね」
なんだか不吉な感じを含んで、イルミさんがわたしの頭上でそう云った。
それから、さっきとは少し違う浮遊感。身体に伝わる振動は、イルミさんが歩き出したものだ。舌打ちこぼしたフィンクスさんの表情が、遠くなる。
「それじゃあ、三日後にお迎えよろしくね。誰でもいいから」
「あ」、少しあわてた調子で、フィンクスさんが云った。「おい、」
――わたしの名前。
「何やってもいいぞ。俺が許可してやっから、――死ぬ気で生き延びとけ」
「…………」
それにつづいたのは、とても、とっても、物騒なアドバイスだった。
ひらひら、だまったままで手を振るクロロさん。何の動作もなく、細い目をこっちに向けて、ただ見送ってくれてるだけのフェイタンさん。
それから、絶対にすごーくいい人だと思っちゃったフィンクスさんに、わたしは、不自然な体勢から、どうにかぺこりと頭を下げた。
いってきます、と。
そう云うのはまだ、わたし、別の気持ちと、それに対する申し訳ない気持ちが先にたって、難しかったけど。