Episode12.
プツ、と、イルミさんが電話のスイッチを切った。
「ダメだって」
「当たり前ですよ!」
両腕真っ直ぐ振り上げて、があ! と怒鳴るわたし。まったくもう、って気分だ。
なにしろ、イルミさんてば、「興味出てきたし」なんてつぶやいたかと思ったら、いきなりクロロさんに電話して「念起こしてもいい?」だもの。
そもそもわたし、念っていうのが何なのかもしらないし――ううん、その前に、わたしが起こしたいかどうかも確認しないでクロロさんの方に連絡しちゃうなんて、それ、とても失礼なことだと思うっ。
「ちえ」
「ちえ、じゃないです!」
まだぷりぷりした気分のまま、わたし、舌打ちするイルミさんに怒鳴っちゃった。
なんでかな。
イルミさんって、表情も声もまっ平らで、ちょっとお人形さんと話してるような感じがするけど、でも、話しやすいような気もする。
「そりゃあね、オレも、なんだか君見てると妹が出来たみたいな気分だし」
「だから、わたしの考えてること読まないでください!」
「だったら、考え事で口は動かさないように」
「うー」
それはとても正論なので、わたし、うなっちゃうより他にない。
まるで先生みたいに云うイルミさんの話し方は、でも、けっこう好きかもしれないって思う。
教えてくれる。
こうすればいい、どうすればいい――
頼り切るのはダメだって判ってるけど、そんなふうに手を引いてくれるみたいな……あ、ダメダメ。甘えすぎになる。うん、ちゃんと、距離間というものを保っておかなくちゃ、わたし、いつまで経ってもひとり立ちできないダメな子になる。
「じゃ」、
「はい! がんばります!」
云おうとしたイルミさんの言葉の途中で、わたし、びしっと姿勢を正して右腕を高々と突き上げ、選手宣誓みたいにして叫んだ。
「……うん。がんばってね」
「はい!」
ちょっぴし。
つまんなさそに励ましてくれたイルミさんの背中が消えるまでは、とりあえず、じいっと立って見送った。
――さて。
どきどきと元気な心臓をおさえて、わたしは、まだ暗いイルミさんちの庭の中を見渡した。
けっこう広いみたい。あんな大きな門があったんだから、当然といえば当然なんだけど。つまりここは、ちょっとくらいあちこち動き回っても、わたしの足で人間がいるところに辿り着けるような位置じゃないんだと思う。そうでなくちゃ、サバイバルにならない。
門をくぐったすぐの場所には、誰かがいてそうな小屋あったけど、あそこからだってずいぶん歩いた。それにもう、方向だって判らない。
――さて。
ほんとうのほんとうに、わたしは、独りきりになった。
「……がんばる」
うん。
これを成功できたなら、わたし、この世界で生きていける自信が、少しはつくと思うんだ。
だからがんばろう。
心配も不安もこれっきり。
お迎えいつかな、なんて考えない。
がんばろう。
「ん!」
気合一発。
ぱあんとほっぺた両手で叩いてランドセルを背負いなおして、わたしは、草を散らして歩き始めた。
――とにかく、野宿とかしなくちゃいけなくなった場合、最初に確保するのはご飯。
「それから、寝るところ……」
お姉さんは、いったい、わたしがどういう目に遭うと思って、このノートを書いてくれたんだろう。お月様の弱弱しい明かりの下、ページをぱらぱらめくりながら、わたしは小さく息を吐く。
改めて見てみたら、なんというのか、わたしが考えつかないようなことになったときの、対応の方法とかがずらずら書いてあるところがあった。で、そのなかに、野宿の心得っていうのも。
「ええと」
なになに。暗くてちょっと見づらい文字を、がんばって読んでいく。
うーん、ちょっと前のクロロさんのこと、云えないな。わたし。
「……手持ちの、道具の、確認?」
あ、そういえば、そうだった。
フィンクスさんが、何かいろいろ、ランドセルに突っ込んでくれてたんだっけ?
「よいしょ」
背負ったままだったランドセルを肩から外して、ひっくり返す。
どさどさどさーっ、て、教科書とノートと筆箱といっしょに、それ以外のものが転がり出てきた。これがたぶん、フィンクスさんが入れてくれたもの。
「……ナイフ、だ?」
うん。
暗くてよく判らないけど、持った感じ、それっぽい。
それから、あ、これは嬉しい。きっとライターだ。火を点けるとき、木をこすらなくてすむ。火事になったら困るから、気をつけなくちゃいけないけど。
ええと、それから、これはなんだろ。
袋詰めの四角い感覚……「あ」いじってるうちに、中で割れたような。もしかして、クッキーとかビスケットとかかな!? だったら嬉しいな。甘いの、好きだし、こういうときって、少し食べられるだけでとても嬉しい気がする。
……大事にしとこう。何があるか判らないし、もし、二日間がんばれたら自分にご褒美だってしてもいいし……
「えーと」
とりあえず、指が出る手袋も出てきたから、はめてみた。それから、ナイフはすぐに使えるように、ランドセルの横にさしてみた。定規と間違えないようにしなくちゃ。
……今、準備するのって、これくらいかなあ。
「あ、それから」
身体がちゃんと元気か、確める。
うん、これはわたしでもわかる。どこか怪我したりとかしてたら、もし、何か怖いのが出てきたときに逃げたり出来ないもの。
ミケっていう番犬は、たぶん、イルミさんの特別サービスで出てこないみたいだけど、山の上らしくてこんな大きな庭、他にどんな動物がいるのかもわからない。そのときは、食べられないようにしなくちゃ。お山じゃ、ランドセル背負って組み手とかはやったりしなかったから、少し動きが違うかもしれない。
そう思って、わたしは、道具を全部しまいなおしたあと、ランドセルを背負いなおした。
「ん」
まずは、準備運動から。
「ラジオ体操、第一!」
おっきく叫んで、わたしは、腕を真っ直ぐ空に伸ばした。
……あれはどこの踊りなのかなー。
木陰にまぎれて、眼下、唐突に何かの運動を始めた女の子を眺めながら、イルミはそんなことを考えていた。
一定のリズムで動いてるから、身体をほぐしたりするようなものなんだろうか。
イルミからすれば、とても稚拙な動作でしかないけれど、当人は至極真面目に運動を続けている。
あ。飛び跳ねた。
あ。回ってる。
あ。また最初と同じ、腕をあげておろすやつ。
それでたぶん、一区切り。
続いて、――ああ、これは判る。屈伸やアキレス腱を伸ばしたり。
ふーん。ああいうのも、一応習ってはいるんだ。
やっぱり稚拙な動作だけれど、彼の家族と照らし合わせたら月とスッポン以上の差があるのだけれど――
「キルみたいだなあ」
そういえば、たぶん、同い年くらい。
最近は見せてくれないけれど、以前は、あんなふうに一生懸命がんばってたっけ。懐かしい。
「……」
だからかな。
頼まれてない監督まで、やっちゃおうかなって思ったのは。
「あ。安心していいよ、クロロ」
押し当てた受話器に、周囲の空気がかろうじて震える程度の声量でつぶやく。
「割増料金請求したりはしないから」