Episode16.
あれ? とキルアくんが云ったのは、そのすぐあと。
「でも、じゃあ。おまえどうやって、ここ入ったの」
「あ、それは」
いいのかな。
イルミさん、夜にわたしを連れてきたから、おうちのほかの人たちに云ってないかもしれないよね。だいたい、キルアくんも知らなかったみたいだし。
言葉をさがして迷うわたしのことを、やっぱりキルアくんはちゃんと待ってくれた。
でも、
「オレがつれてきたんだよ」
答えたのはわたしじゃなくて、後ろから来たイルミさんだった。
声と一緒に空気が揺れる。それまで、何もなかったのに。
振り返ったら、長い黒髪揺らしたイルミさんが、てくてくとわたしたちの方に歩いてきたところだった。
「げ。兄貴」
キルアくんが、ちょっといやそうに云う。どうしたんだろ。
でもイルミさんは、キルアくんのそんな態度には慣れっこみたいで、それまでとあんまり変わらない声で答えた。
「知り合いに頼まれてね。ちょっと度胸試しさせてるところ」
「……」
なんだか、そう云われると、まるで、わたし、お化け屋敷に来てるみたい。お化け屋敷なんてへでもないくらい、ここ、すごい場所だけど。……でも、そういうものなのかも。
結局納得しちゃったわたしの前で、イルミさんとキルアくんがお話を始める。
「キルこそどうしてこんなところにいるの? キルは、もうここはクリアしてるんだから、来る必要ないだろ?」
「ふん。朝のノルマがちょっと早く終わったんだよ。親父がいいっつったから散歩してたの」
「ふーん」
そっぽむくキルアくんを見てるイルミさんは、やっぱり、機嫌を悪くした様子はない。
うーん、キルアくんって今、反抗期なのかな。クラスでも、なんだか兄弟とかお父さんお母さんに、つい、強く当たっちゃう子がけっこういるけど、そういう感じなのかな。
それならいいか、って、イルミさんはつぶやいた。
それでちょっとだけ、つっぱってたキルアくんの顔が、ほっとしたものになる。あんなにしてても、家族にそっぽ向くのはあんまりよくないことって判ってるんだろうな。家族は家族って、さっきも云ってたし。
うん。
家族って、やっぱり、よいものだなあって、わたし、思った。
それから、イルミさんとキルアくんはもう少し話をしてから(仕事がどうだとか、訓練がどうだとか――そんなこと。わたしのことについては、『知り合いから頼まれた度胸試し体験中』ですんじゃった)、お別れになった。
キルアくんが、軽く手を振って、てくてくと木の向こうに歩いていく。
その背中を、わたしとイルミさんは並んで見送った。
少ししてキルアくんが全然見えなくなったあと、「よしよし」って、急にイルミさんが云ってわたしの頭をなでたから、わたし、驚いた。
「え?」
――思わず。
きゅうっと目を閉じて、そうしてくれる手の人にしがみつきたくなっちゃう気持ちを抑えて、イルミさんを見上げる。
相変わらずまっ平らな黒い目は、静かにわたしを見下ろしてた。
「褒めることが二つできたから」
わたしの質問を先回りして、イルミさんは教えてくれる。
「一つは、石をとりあえずは避けられたこと」
罠の程度を加減しておくの忘れちゃってさ。最後のはさすがにキルがいないと死んでたね。なんて、あっさりと付け加えてもくれた。
……加減、しといてほしかった。
けっこう怖かったんだけどな、……あれ。
「もうひとつはね」、意識してたかどうか判らないけど。と、イルミさんは少しだけ言葉を探すみたいにテンポを落としてこう云った。
「キルと友達にならなかったこと」
「――え?」
さっき以上に、わたし、大きなハテナマーク。
「あいつに、友達なんて要らないから」
「――え」
「君がうなずいてたら、殺さなきゃいけないところだった」
ああ。そうなんだ。
「…………」
殺す。と。
イルミさんも、云うんだ。
――ここは、そういう、世界だ。
ばしんっ、て。改めて、頬を平手ではたかれたみたいな感じがした。
思い上がるなって。気を抜くなって。怒られた気がした。ここは、おまえが今までしてたような普通には生きていけない世界なんだぞって。
……そう。
ここは、そういう、世界なんだ。
お父さんとお母さんはいない。
わたしはぜんぜん頼りない子どもだけど、守ってくれるような人はいない。
怖いときに泣きついていい人も、寂しいときに抱きついていい人も、一人で寝るのが不安なときは横にもぐりこませてくれる人も――いない。
「そしたらクロロに暫く嫌味云われるところだったよ。どうせすぐ終わるだろうけど、あんまりいい気分もしないし」
イルミさんが何か云ってる。
でも、それは、わたしの頭をするっと上滑りしてくだけみたいで、ちゃんと届いてはなかった。――ううん、届いてる。届いてるけど、でも、そうなんだって思い知りたくないみたい。わたし。
だけど知らなくちゃ。
そう。……そうなんだ。
ここを生き抜けたら生き抜く方法を教えてくれるって云ってたけど、それは、生き抜けられなかったらそれまでだってことだもの。
わたしにとっては何より大事なことだけど、クロロさんにとっては、それだけのことだ。
別の世界から来た、ちょっと珍しい人間ってだけで。だから。それだけなんだ。わたしは。
「それに、『友達』じゃ妹にはなれないしさ」
なんてね。
……わたしは、一人で大丈夫にならなきゃいけない。
一人に、慣れて、強く、ならなくちゃ。独りでは、いられない。
「友達なんて」、手のひら強く。握り締めて、わたしは云った。「ここでの友達なんて。要らないです」
「…………」
気分がどうの、から、話を聞いてさえなかったこと、イルミさんは気づいてたんだろうか。少し傾けてた首をさらに傾けて、クエスチョンマークの仕草。
そんなイルミさんを、わたし、見上げて、お願いする。
「あと一日。ひとりでがんばります。ほんとうに、もうしわけないですが、イルミさんや、ご家族の、方、お庭に。ちかづかれないように、おねがいします」
「――……いいけど」
声が少し低い。不機嫌になったのかな。
だけどイルミさんは、それから何か云うようなこともなく、ひとつうなずいたあとすぐに、足音たてずに茂みの向こうへ姿を消した。
「――は」、
息ひとつ。吐き出す。
強くなれ。
怖くない。
強くなる。
怖がらない。
口のなかが痛い。噛み切ったのかもしれない。じんわり広がる血の味。ごくりとそれを飲み込んだ。
「ひとり」
どうせ、ここは、わたしがいたのと違う世界。来るはずなかった関係ない場所。
ここでよりかかれるものなんて、期待するのは的外れ。
それならもう、最初から、
――ひとりで、いい。
目を閉じて、顔を上に向けた。
ひとりがいい。
関係のない場所なのなら。関係のない人たちなのなら。関係のないもの、見せられたって困るだけだから。
そう。わたしは、ひとりでいなきゃだめなんだ――