Episode17.


 ひとり、彼は森を往く。
「……」
 普段ならまったくたてない足音を、ほんのわずか、たてながら、イルミは彼の屋敷と逆方向に歩いていた。
 そうして、ほんの数秒にして数百メートルほど移動したところで、立ち止まる。
「……」
 くるり。ユーターン。
 そんなふうに身を翻す動作も、普段の洗練されたものと違って、ほんの少しだけ荒々しい。
 弟であるキルアや、他の家族たちならば、彼が不機嫌になっているのだと指摘したかもしれないが、あいにく、敷地内のこの近辺に、彼らがやってくることはない。少なくとも、この二日の間は。
 何故かと問われるまでもなく――イルミは、に先ほど要請されるよりずっと前、詳しく云うなら昨夜彼女が眠った後すぐに、そのあたりの手配をとうにすませていたのである。
 キルアの散歩コースがここまで延びたのは、単に偶然だろう。
 なにしろ、昨日イルミが伝えに行ったとき、キルアはとうに寝息をたてていた。そういえば一般人の生活をする日だったなと思い出したのはそれを見てからで、仕方なく、キルアへの伝言を父に頼んでおいたのだ。
 どうせ伝え忘れたか何かだ。あの父親、妙なところでヌケてるから。

 そうこう考えているうちに、さっきよりも短い数秒間で、イルミは自分が歩いた距離を戻り、
「――――」
 感じる気配で、留まっているのだとは判っていたものの、さすがにそんな状態でいるとは思っていなかった少女の姿に、黒目がちの目を見開いた。



 トルルルルル。

 通話開始まで、今回はやけにのんびりしていた。
「オレだ」
 すっかり聞きなれた切り出しと、
「そうか。ご苦労だった」
 仕事完了の報告に対する、労いの言葉。

「お。終わったのか」
「ああ」

 こちらもあちらも、気のおけない間柄。通話中だろうがなんだろうがと割り込むフィンクスの問いに答えるクロロも、受話器向こうの相手も、気を悪くした様子はない。
 誰だ? との問いに、オレだよー、と、のんきな声が受話器から。
「なんだシャルか」
 誰を期待してたんだよ、と、少しすねたふうを装って、シャルナークが笑う。
 そこで終わるかと思いきや、
「あ、ねえ。団長」
 ちょうど手ぶらモードにしたスピーカーから、彼の声はまだ続いた。

「あの子どうしてる?」
「サバイバルに出した」
「はあ?」

 そこでシャルナークの声は途切れる。
 クロロの手にした携帯電話からは、「どうしたって?」「サバイバルだって」「はあ?」「何だそりゃ」などなど、困惑混じりに面白がっている複数のやりとりが流れてくる。
 それからようやっと、
「どういうこと?」
 と戻ってきたシャルナークに、事の顛末を説明してやる。
 すると、どうやら向こうも周囲に音声を聞き取れるようにしていたらしい。
「バカ?」
 なんだかすごーく冷たいマチの声が、何か云いかけたシャルナークをさえぎって、クロロの耳に届いたのだった。
「バカとはなんだ」
「バカだからバカ。フェイタンには期待してなかったけど、フィンクスまでいたのに止めなかったのかい」
 オレかよ。
 顔ひきつらせて己を指差すフィンクスに、代わるか? と電話を差し出せば、首を左右に振って拒否のジェスチャー。
 どうせそんなことだろうとは思っていたクロロは、くるりと電話の向きを変えて、マチへ応じる。
「少し試してみたかっただけなんだが。まずかったか?」
「……あのさ、団長」仕事のせいだけはないだろう疲れを声ににじませて、彼女の返事が返ってくる。「団長さ、あの子をすぐ殺さなかったってことは、暫く手許においとく気なんでしょ?」
「そうだな」
「そういうのはね、最初のうちが肝心なの。その最初のうちに、他人に預けるなんてしたら信用がた落ちだよ」
「別に信用されたいわけでもないんだが……」
 捨てられていた。(もとい、落ちていた?)
 それをシャルナークとフィンクス、フェイタンが拾った。
 だから、所有権は彼らの頭であるクロロが持つ。
 信用しようがしなかろうが、あの娘が受け入れようが拒否しようが、それはそういうものなのだと、クロロは何の違和感もなく思っている。
 しばらく退屈しのぎに利用して、その後はどうするか決めていない。そんな感じだ。そう、クロロは己を判断している。
 だが、受話器から届いたのは、マチの大きなため息だった。
「異世界どうのって、本人から聞いたわけじゃないけど」
 こめかみに指でも当てていそうな声だ。
「知らない場所で、拾った相手にすぐ放り出されてたら、あの手合いの子はすぐ人間不信――ていうか、それだけですめばいいんだけど」
「……それは、勘か?」
「まあね」
 だから聞き流してくれても構わない。
 言外のそれに、クロロは少し沈黙する。
「団長」
 そこへ、気を切り替えるようにシャルナークが割り込んだ。
「サバイバルって今日明日で終わるんだろ? パドキアならちょっと寄り道すればいいし、オレたちが迎えに行ってこようか」
「おまえたちが?」
「うん。他はともかく、、オレの顔なら知ってるはずだし」
「――」
「団長?」
 返答を待つシャルナークに、
「……少し違うな」
「は?」
 とても応答とはいえない言葉をつぶやいたクロロは、すぐ「ああ」と気のない声でそう返した。
「そうだな。シャルに頼もう。ひとりでも問題ないだろう」
「あたしも行くよ」
「え? 、マチにはまだ」
「いいから」
「お。じゃあオレも行くかな」
「ちょ、ちょっと待てー! ウボーはやばい! やばすぎるって!!」
「なんでだ!?」
「わかれよ!!」
 ……大所帯になりそうだ。
 さすがにウボォーギンの同行は必死こいて制止するシャルナークの声がまだ流れていたが、クロロはそこで携帯電話の終話ボタンを押していた。
 何を云ったものかと微妙な表情で眺めてくるフィンクスを横に、
「――
「は?」
 と、つぶやいてみるのは、くだんの少女の名前。
?」
「……団長?」
 微妙な表情が、奇妙な表情に変わるフィンクス。
「いや、違うな……もう少し音の強弱が……」
 そんな彼には目もくれず、クロロは己の思考に没頭していた。

 が、

 トルルルルル。

 そんなシンキングタイムは、再び鳴り響いたコール音で粉砕される。
 面倒くさそうにディスプレイを見やるクロロを眺め、フィンクスは、これはぶつ切りされるなと思ったが、あにはからんや。ぽつりと押される通話ボタン。
「オレだ」
「あ、クロロ。オレだけど」
 ……いくら番号が出るとはいえ、オレ、で通じるというのもある意味すごいのかもしれない。
 ともあれ、今度の電話は、噂のサバイバル先であるゾルディック家の長男、イルミからだった。
「変わりは?」
 ない、と、ここで返答があればよかったのだろうが、
「ちょっとあった」
 非常に珍しい、云いよどむようなイルミの言葉に、ちょっぴり室内の空気が重くなる。
「何かあったのか」
「うん」
 一拍。
 二拍。
 クロロより先にフィンクスが先を促そうとさえ思った矢先、

「泣いてる」

 あと、

「“絶”になってる」

 ……前者はともかく後者は何だ。
 と、フィンクスが、あいつ念使えないはずだよな、と、首をひねったまさにその瞬間、クロロがソファから身を起こした。
 ご丁寧に、終話ボタンもばっちり押された携帯電話片手に黒いコートを翻し、われらが団長はすたすたと、部屋の入口へ歩いていく。
「おーい、団長」
 止めても無駄だ。
 その背中から感じる、なにやら得体の知れぬ雰囲気を正確に捉えたフィンクスは、それでも一応、声をかけるだけかけてみた。返答など期待はしていなかったが、その気のなさが功を奏したのだろうか、順調に歩を進めていたクロロの足が一瞬止まる。
 顔だけ半分振り返り、
「精孔を自分で開いたのなら、素質は相当あると見ていい。――楽しみだ」
 口元をわずかに持ち上げて告げるそれは、好奇心というか、戦力の是非を判定する蜘蛛の頭のものだった。



「…………」
 ぶっつり切られた電話を片手に、イルミは視線を少女へ戻す。
「うーん」
 ちょっとでも意識を逸らすと、すぐに範疇から逃れる少女の気配。薄いというより、全然、まったく、これっぽっちでさえもイルミに存在を感じさせぬほどになってしまったその姿を、ぱちくりと見開いた瞳でしばし眺める。
 凝視にも似た視線の先で、ぽつりぽつりと、静かに水滴が頬を伝って地面を濡らしていた。

 目を閉じて、天を仰いで涙を流す。

 あれは、そう、たとえば祈りというのだろうか。



「――――強くなる」



 この世界に、他の何に依存せずとも立てるよう。
 わたしは、強い人になる。


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