Episode18.



 ……たぶん、時間きっちりだった。
「迎えだよ」
 もしかしたら夜には来ないかもしれないなと考えたわたしが、日中のあれこれを終わらせて、いそいそ野宿の準備をし始めてから少しして、イルミさんがやってきた。
 そしてその後ろから、
「シャルナークさん」
「や」
 と、顔見たことない女の人も、やってきた。
「あたしはマチ」
 誰だろう、って思ったら、女の人は自分から名乗ってくれた。
 ちょっとくしゃくしゃってした感じの髪の毛を後ろでまとめた、猫みたいなつり目の人。大人、なのかな。高校生の人みたいな感じがするけど、シャルナークさんと一緒にいるってことは、仕事のお付き合いかもしれない。ということは、成人してるのかも。
 ともあれ、せっかくの自己紹介。わたしも、合わせて、頭を下げた。
です」
「知ってる。あんたは知らないだろうけど、あたしは寝てるあんたを見たから」
「――ああ」
 そっか。
 も一度、うなずいた。
 三日寝てた間に、シャルナークさんが仕事に行った。そのとき、他の人たちもいたんだよね。ってことは、この人は、旅団の人なんだ。
 ……寝顔見られちゃったのか。少し恥ずかしいな。
 なんて、ずれかけた考えを戻して、シャルナークさんに目を移す。
「お迎えにきてくださったんですか?」
「うん。ちょうど通り道だったからね」
 にこりと笑うシャルナークさん。
「ありがとうございます」
 頭の上下、三度目。
 深々と落とした頭を持ち上げると、どうしてか、シャルナークさんは、きょとんとした顔してた。
「……なんか、ずいぶん、落ち着いたね」
「そうですか?」
 首をかしげて待ったけど、シャルナークさんは首をひねってるだけで、それ以上何か云うような様子がない。
 代わりに、ってわけじゃないんだろうけど、マチさんが、わたしの方に足を踏み出した。
「怪我は?」
「あ、少しすりむいたりしたくらいです」
「どういうことしてたの?」
 このシャルナークさんの質問は、イルミさんに対して。
「まあ、普通に――石つぶてとか、獣バサミとか、かな。そういう一般的なトラップしかないからね、ここら一帯は」
「それで、すりむいたくらいですんだのかい? 普通の子供って聞いたんだけど」
「ちょっと、事情があって。身体鍛えなさいって云われて、小さい頃から、少しやってたんです。きっと皆さんには全然かなわないでしょうけど」
「…………そう」
 と、ここで、マチさんもなんだかきょとんとした顔。ううん、それどころじゃなく、きゅうっと眉を寄せて厳しい表情になってる。
 シャルナークさんといい、マチさんといい、いったいどうしたんだろう。
 でもすぐに、マチさんは気を取り直したみたいに、表情を元に戻した。
「悪かったね。拾って早々、妙なところに預けて」
「え?」
「団長もだけど、うちの男どもは気が利かないから」ため息混じりにマチさんは云って、「――もし、あんたがもうごめんだって云うなら、ここでお開きにしてもいいよ」
「マチ?」
 それで、シャルナークさんがますます目を見開いた。イルミさんも。
「どういうことですか?」
「どこか適当な保護施設の前に、おいてきてもいいよって話。そのときには、あたしたちのことを一切口外しないって誓ってもらわなくちゃいけないけどさ」
「保護施設」、ちょっと、びっくりした。「あるんですか」
「おい、マチ。団長に無許可で何するつもりだよ」
 さすがに黙ってられなくなったらしいシャルナークさんが、マチさんの肩に手を置いた。でも、マチさんはちょっと乱暴な仕草でそれを払いのける。
「シャル。こんな子はね、うちにいて耐えられるわけない」
「それはそうだけど。でも、団長が気に入ってるだろ」
「気に入らなくなったら?」
「それはどこかに――」
 売り飛ばす、とかかな。それとも、今度こそ殺される、かな。
 そんなこと考えて、ふたりのやりとり見てるわたしを、マチさんは、ちらり。そして、すぐに、イルミさんをちらり。
「そもそも、もう」、
 云いかけた何かを途中で止めて、
「――なんで」、マチさんはつぶやいた。「“絶”を使ってるの?」
「え?」
 ――ぜつ? なんだろう、それ。
「ええ? いつ精孔開いたの?」
 そうして、その傍らで、シャルナークさんのほうが少し驚いた顔になってた。
「ううん、オレは何もしてないよ」
 淡々と答えるイルミさん。
 もちろんだけど、わたしも、何もしてない。でも、マチさんは納得しないみたい。
「よく見てみなよシャル。これ、絶でしょ?」
「え?」
 それで、とうとうわたしまで驚いちゃう。
 わたし、そんなこと、しようって考えたこともないよ?
 ぱっと振り返るシャルナークさんと、最初より強くなったマチさんの視線を浴びて、わたし、そのまま固まってしまった。二人とも、何かを見透かすみたいに、さっきより強く、じいっと辛抱強く、わたしを見てる。
 何秒も経たないうちに、まず、シャルナークさんがもう一度「え?」とつぶやいた。
、ここにいる?」
「いますよ……?」
 いないんだったら、わたしは何だっていうんだろう。
 ――ああ。だめだ。それは考えない。考えちゃだめだ。また、どこまでも転がっていっちゃうから、そういうことは考えちゃだめ。
「――違う。これ」
 不意に響いた声は、マチさんのものだった。
「だめだよ」
 マチさんは云う。さっきより、ずっと強い、怖い声で。

「この子は、駄目になる前にあたしたちから放した方がいい」

 ……だめ? 駄目になる?
 わたしが?
 みんな、そういうふうに感じたから、さっきから変な顔ばっかりしてたのかな?
 でも、わたし、そんな感じないんだけどなあ。

 シャルナークさんが、いい加減不思議すぎるって表情で首をかしげた。
「マチさ、どうして今逢ったばかりの子供にそんなに肩入れするの?」
「今逢ったばかりだからに決まってる」
 苦い顔で、マチさん。
「最後に放り出すのが判ってて招き入れるくらいなら、最初から入れないほうがいい」
「もう入れた後じゃないか」
「まだ間に合うよ」

 けんけん、ごうごう。
 頭の上で交わされる強い会話を、わたし、ぽかんとして聞いてるだけ。
 うーん。
 変なのは、みんなの方じゃないのかな。
 本当に、どうして、わたしみたいなどうでもいい子供のことで、そんな口論になっちゃうんだろう。

 放したほうがいいのなら、離れるのに。

 だって、わたし、ちゃんと立ってるよ。ここにいるよ。
 決めたもん。
 ひとりでちゃんと、生きてけるようになるって。

 クロロさんとこのメンバーの、マチさんが云うなら。それがいいって、云うなら、いいのに。

 だから、
「あの。わたし、大丈夫ですから」
 どこでだって。
 生きてさえいけるなら。
「ねえ。それならこの子頂戴」
 『あの』の時点で口を開いたイルミさんが、わたしの発言帳消しにして、そんなことを云っていた。
「え」
「は?」
「どういう風の吹き回し?」
 ……黒い髪、さらさら。
 頬をくすぐる髪の主ことイルミさんは、たぶんやっぱりいつもどおりの無表情で、わたしを手許に引き寄せてる。
 そして、やっぱり平らなままの声で、驚いた表情のシャルナークさんたちにこう云った。
「なんだかそっち、もめてるみたいだし。生きていく方法なら、オレが教えてあげればいいよね?」
 そうしたら、真っ先にマチさんが、
「それも却下。あんたんとこも、うちとそう変わらないじゃないか」
「そう? 殺しはするけど、泥棒はしたことないよ」
「こっちだって、依頼受けてまで殺したことはないよ」
 というか……シャルナークさんやマチさんたちって、泥棒する人たちだったんだ。殺しとかもしちゃう。……それ、強盗とか、すごく悪いことのはずなんだけど……しかも、依頼って、頼まれてってことだよね。じゃあイルミさんのほうは、殺し屋さん? これもすごく悪いことのはずだよね……?
 え? じゃあキルアくんのお仕事って……?
「所有権は第一発見者に帰すもんじゃないのかい?」
「あ。じゃあ、フィンクスもフェイタンもいないから、この場じゃオレが」
「「黙って」」
「はーい」
 ……ほんとうに、この世界って、どうなってるんだろ。
 単に、わたしが逢った人たちが特別なだけなのかなあ。

 ――ああ。
 なんだか、言い争いがどんどん大きくなってっちゃう。
 これって、あんまり良くないことじゃないのかな。

 ……でもこんなとき、わたしが思いつく解決方法っていうのは、ひとつしかなかった。
 たぶん、すっごく短気で子供っぽいって云われそうだけど、でも、もう、大人の人たちがこんなふうにわーわー口論で大事な時間つぶしていっちゃうのは、もったいないって思ったから。
 それに、それがまたわたしのことだったりするから……正直、ちょっと、ヤになった。
「わたしどこにもいきません」
 そんな気持ちがあったからか、そう云ったわたしの声は、予想してたより大きくて強かった。

「え?」

 一斉に浮かぶクエスチョンマーク。
 一斉に浴びせられる視線。
 ほんとはそんな注目されるの好きじゃないけど、また云い合いになっちゃう前に、わたしは、ちゃんと意思表示をしなくちゃいけない。
 だから、もう一度繰り返す。
「わたし、クロロさんとこにもイルミさんとこにも行きません」
「じゃあ」
 何か云いかけるマチさんさえも、さえぎった。
「全部自分でがんばります。どうにかします」
 一気呵成に、
「シャルナークさん、フィンクスさんとフェイさんいないけど、皆さんあそこからおろしてくれてありがとうございました。クロロさんには文字も教えてもらって、ありがとうございました」
 云うだけ云って、
「それからマチさんも、保護施設のこと教えてくれてありがとうございました」
 わたしは、
「イルミさん、二日間、お庭ありがとうございました」
 最後に大きく頭を下げて、

「あ」
「ちょっと」

 ――駆け出した。



 さすがにあっけにとられた面々が動けないでいる間に、予想外のすばやさでもって、小さな人影は茂みの向こうに消えていった。
「あらら」
 淡々とイルミがつぶやく。
「門までの道わかるのかな」
「わかるわけないじゃない! ああもう!」
 すぐに走り出そうとしたマチが、「――」眉をしかめて一歩目を途中で止めた。
「やば」
 同じく、シャルナークもぼやく。
「……気配、追えないね」
 ややあって、イルミがふたりの困惑を代弁した。
「さっき気づくべきだった」
「でも、最初に逢ったときには、別に普通だったんだけどなあ」
 くやしそうなマチを余所に、第一発見者の一角であるシャルナークが、人影の消えた方向をすがめ見ながら云えば、イルミが再び口を開く。
「オレもよく判らないんだけど、あの子、どうも、一人になりたがってるみたい」
「そりゃ、こんな怪しい一団相手じゃあんまり近寄りたくもないだろうけど」
「違うよ」
 軽い調子で応じたシャルナークの声の半ばで、マチが云った。
 追おうと踏み出しかけた姿勢そのままで、まだ数百メートルすらも離れてはいないだろうに、ぜんぜん感じられなくなってしまった気配の主を木々の向こうに透かし見ようとしながら。
「精孔なんて開いてない。念なんてあの子使えてない」
「でも、“絶”を――」
「あんたまだ気づいてなかったの? シャル、その目はいつから節穴になったんだい」
「たった今、かもね」
 怒気をさらりと躱すシャルナークを少し忌々しげに見上げて、マチは視線を木々の向こうへ戻した。
「……だから、子供って怖いんだよ」
 おいた一拍。それは、言葉を探すため。

「弱いくせに。泣きたいくせに。あんな顔してるくせに、大丈夫だって本気で信じて」
 今にも泣き出しそうな顔で、声震わすこともなく、一介の大人顔負けの丁寧なやりとりを繕って。装って。
「――あれは念の絶じゃない」

 ひとりでも大丈夫だと子供は云った。

「消えたい、関わりたくない、それが、もともと閉じてる精孔をもっと頑丈にしてるだけなんだよ」

 ひとりがいいと子供は告げた。

「それだけで、絶まがいのことまでやるんだから……なんで、子供って、こんなむちゃくちゃなのさ」

 それをこちらに訊かれても。
 と、シャルナーク、イルミが思ったかどうかは定かではない。

 ただ。
 訊かれれば答えたろうことは、別にある。
 ――『どうして、こんな子供にこだわるのか』と。それは、さっきマチが問うたことだ。

 どうして?
 その答えもまた、たった今、マチが云っていたのだけれど。


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