Episode19.



 音はたてない。
 声も出さない。
 静かに静かに。
 踏んじゃう草は少なく。蹴飛ばす石も少なく。木にぶつからず、風を乱さず、落ち着いて呼吸する。
 ――大丈夫。だいじょうぶ。
 お山でのかくれんぼは、わたしが一番得意だった。和尚様だって、探すの時間かかって困るって云ってたもの。
 だから、いくらシャルナークさんたちだって、そう簡単には見つけに来ないと思う。
「――」
 だいじょうぶ、だいじょうぶ。
「……」
 だいじょうぶ。もういいよ。もういいんだ。
 最初から、わたしは独りだから。
 最初から、こうなってるべきだったんだから。
「――」
 だいじょうぶ。
 申し訳ない気持ちは残しておいて、いつかわたしが、わたしから、逢いに行けたらお礼を云おう。わたしが生き延びていられたら、そしてまだこの世界にいて、もしもどこかで逢えたなら、改めてありがとうございましたを云って、そのときにはきっと、ご恩返しもできるくらい強くなってると思うから。強くなるから。
 だいじょうぶ。
「……」
 ぴょっこり。傍らで、ウサギクマさんがはねた。
 走ってる途中、いつの間にか横をついてきてたウサギクマさん。あの時川で別れたきりだったけど、わたしが偶然おうちの近くに行っちゃったとかしたんだろう。気が付いたら、一緒に並んで走ってた。
 たんに行く方向が一緒なのかなと思ってスピード落としたら、ウサギクマさんも同じようにしたから、一緒に来てくれてるのかなということで、そのまま同じペースで進んでる。
「出口は、こっちかな?」
 訊いても答えはないけど、たぶん、大きく間違ってはいないと思う。
 地面は下り気味になってるし、向かう方向から吹いてくる風が、ほんの少しだけ騒がしい。たぶん、ふもとにある街のが流れてきてるんだと思う。一生懸命に感じ取って、やっと判るくらいだから、もし、今ここで風が止まったりしたら、とても困るけど。
 だから、あんまり時間もかけられない。
 夜が深くなったら、街だって眠っちゃう。そうなったら、届く騒がしさがもっと小さくなって、もっと判りにくくなる。
 ……お月様出てて、よかった。
 真っ暗闇だったら、わたし、きっとあちこちで転んで、全然進めなかった。

 一生懸命に足を動かす。
 お昼にぶつかってた罠で使った体力は全部戻ってないけれど、そんなことは考えない。

 動けるかぎり動くんだ。
 走れるかぎり走るんだ。

 わたしが、ここにいるっていうなら。これがわたしの生きてる証明。


「おお。お嬢。訓練は終わったのかの?」
「え?」


 そうしてどれくらい足を動かしてたろうか。
 ふもとからの騒がしさが、少しずつ減り始めてわたしが焦りだしたころ、歳をとった感じの――でも元気な声が耳に入った。
「こっちじゃこっちじゃ」
 きょろきょろするわたしがおかしいのか、笑いながら声は云う。
 もし倒れたらどうしようって不安になりながら足を止めて、わたしは声のほうへ目を向けた。きゅー、と目を細める、よりも先に、風が変わってその人に気づく。
「イルミの云っとった度胸試し訓練はおぬしじゃろう? たしか二日ときいとったが、終わったのか?」
 気さくな声と笑い顔。
 でも、
「……」
 どきりとした。
 その人から流れてくる風は、とても熱い。
 火? 溶岩?
 ちがう。それを従えるくらい、強くて熱い、大きな風。
 ――和尚様に似てる感じ。でも、もっと、一度開けちゃうと、どばーっとすごいのが溢れてきてわたしなんかすぐに潰されそうな感じの風。
 風。――風?

 ……風。

 そういえば。
 こんな風、みんな持ってた。
 よくよく思い出す。
 うん。
 みんな、持ってた。
 キルアくんは違ったけど、クロロさん、フィンクスさん、フェイタンさん、シャルナークさん、マチさん、イルミさん。そして目の前のおじいさん。
 みんなみんな、風をもってる。
 いっとう強いのはこのおじいさん。
 緊張で全然だめになってたわたしに気づかせちゃうくらい、おじいさんの風は強い。熱い。

 ――熱い。
 熱が。

 わたしに届く。


「、」


 ちりり、と、火傷したような痛みが、『噴き出した』。

「わ、」あ、「――つ、」

「む?」

 不思議そうなおじいさんの声。
「熱」、
 い。
「……どうした?」
 子供には届かんようにしとるつもりなんじゃが、って、呟くおじいさん。
 でも。届く。
 届いちゃう。
 だって、わたし、お山でがんばって。だから。
 だから。届く。
 でも。へん。

 受け流すこと。
 そのために、読めるように。感じられるように。なりなさいと、和尚様は云った。わたしも、そう思ってがんばった。
 ……出来るようになった。と。思ってたのに。出来ていた、のに。

 この熱い風は、どうして、流せないの。
 どうして、ずうっとわたしにまとわりついてるの――?
「や、だ」
 どくどく。心臓が踊る。
 どくどく。血の音大きい。
 どくどく。身体のなかで、何か暴れてる。

 風は熱。
 熱は風。

 風は。
 わたしのなかからうまれてわたしのまわりをおどって。――そして逃げていく?

 何これ。
 何なのこれ。
 逃げていく熱。出て行く風。
 なくなってく。これ、は。わたしのいのち。命。

 ……命が。出てしまえば、わたしは、死ぬ?

 死。――死。

 死ぬってなんだろう。眠ること? 消えること? でも身体は残る。消えるのはわたし。こうしてここにいるわたし。考えたり思ったりしたこと、覚えてること、そういうの持ってるわたしが、眠ってもう起きなくなること。
 死ぬ。
 出てく風を捕まえなくちゃ、わたしは身体にいられない。
「――」
 ふと。
 命だけになったなら、空を飛んでもとの世界に帰れるかなって思った。
 でも。
 それはないなって、すぐに思った。
 こちらとあちらが空で繋がってるなんて思えなかったし、もし死んで帰っても、お父さんとお母さんとお話したりはできなくなる。
 それは、
「だめ」
 絶対に、だめ。
「やだ」
 戻りなさい。わたしはわたしに。に。に。
 出てく風をつかまえようと、わたし、何もない空中に手を伸ばす。他にどうすればいいのかわからなかった。

「呼吸せい」

 そこに、静かな声。目の前のおじいさん。
「――」
 何のことかって聞き返そうとしたけど、とりあえず、うなずいた。
 大きく息を吸い込んで、吐き出す。その繰り返しを、何回か。少しずつ、あわててた気持ちが落ち着いてくる。
「掴むのではなく、留める感覚を描け。己の生命を己の周囲に巡らせろ」
 あ。それは判る。それは得意。
 めぐる風。
 いつもお山で感じてた、過ぎてゆく優しい世界の息吹。それがわたしの周りにあるんだと思えばいい。
 めぐる。
 めぐる。
 ――めぐりなさい。
 優しい息吹が身体のまわりを撫でてるイメージ。包まれている感触。

 ――ああ。
 この世界の息吹も、あの世界と同じくらいに優しくて、あったかい。

 ……少しだけ。この世界を好きになれそうだと思った。
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