Episode20.


「やれやれ」

 それが最後。
 ちょっと呆れた感じの混じったおじいさんの声に、わたしは、はっとして目をまたたかせた。
 じんわりと残る熱は、ゆっくりとわたしの周囲に漂ってる。わたしの熱。そしてその外側を、今までちゃんと気づきもしなかったこの山の息吹が通ってた。
 そして、
「ほう。大したものじゃ」
 まだ幼いのにのう。
「――!」
 感心したようにつぶやくおじいさんの熱が、もっとはっきり、見えた。
 さっきみたいに曖昧な、どばーっととか、すごいとか、そんなあいまいな感じじゃない。おじいさんは、まるで、――龍。溶岩のような熱い力を静かに内側で波打たせてる、大きな容れもの。大きなあり方。
 強い、人だ。きっと。
 強い強い力を、全然そんなものあるって表に出さないで持っておける、この人は、とてもとても、強い人だ。
 おじいさんは普通に立ってるだけだけど、感じる風が、怖かった。わたし、思わず、後ずさってしまう。お礼、云わなくちゃいけないのに、口を開いたら流れてくる溶岩がこっちにまで入り込んできそうで怖くてだから――
「やれ、そんなに怯えんでも殺しやせんわい」
 ふ、と苦笑して、おじいさんは云った。
「――は。はい」
 それに安心できたわたしは、ちゃっかりさんだと思う。大きな空気のかたまりを吐き出すようにしながらも、なんとか、お返事できた。
 この勢いがあるうちに、頭も下げる。ぺこり。
「あ、ありがとうございました」
 呼吸しなさいって教えてくれたこと。
「いや。お前さんが過敏すぎるとはいえ、ワシに責任がないではないからの」
「は、はい。――はい?」
 よく判らない。
 今のは、ええと、
「りょうせいばい、ですか?」
「それでも構わん」
 今度見せてくれたおじいさんの笑顔は、楽しそうだった。でもすぐ、不思議そうに首を傾げる。
「それで、イルミはどうしたんじゃ? あれが監督しとったのではないのか?」
「あ。――あ。えっと、訓練は終わったんです」う、嘘じゃないもの。「それで今からわたし、ええと、そう、おいとまするところだったんです」
「迎えが来ると聞いておったがのう。忙しいのか?」
「は、ははは、はい!」
 うん、うん。嘘じゃない。嘘じゃない。
 少なくとも、シャルナークさんとマチさんは、お仕事に行っていたんだから、きっと忙しかったはず。
「それに、真っ暗いなか山下りるのも、特訓にいいかもしれないです!」
「ふむ。熱心じゃな。まだ小さいのに感心感心」
「あ、ありがとうございますっ」
 一生懸命に頭を上下に動かして、わたしは、
「お、おさわがせしてしつれいしました。あの、お世話になりました!」
 最後に一度、大きくお辞儀した。
「なんの。かわいらしい奮闘が見られてワシらも楽しかったぞ」
 かかか、と、豪快に笑っておじいさんが云ってくれる。
 ……見てた、って。見られてた、のかな。うわ。監視カメラとか、あったりしたのかな。お金持ちはそういうものもあるよね。わたしの世界でもそうだったし、うわ。は、恥ずかしい。
 しかもワシらって。
 うわ。もしかして、ここの家の人みんなに見られてたかもしれないの?
 ――うわ、うわ、うわわ!
 うわあん、考えない。考えちゃだめ! 恥ずかしいのが増えるとごろごろ転がりたくなるから、考えちゃだめ!
 そう、まずは真っ直ぐ町におりて、それから――
「あ! ふもとへはこっちで当たってますか!?」
「うむ? ――そうじゃな、大方間違ってはおらぬが、真っ直ぐ行くならこの方向かの」
 そういっておじいさんが指差したのは、わたしが行こうとしてたより、少しだけ右側にずれた方向だった。
 そっか。こっちか。こっちなんだね。よし。
 おじいさんと同じようにその方向を指差して、わたしはじーっと進行先を見つめる。同じようにして、ウサギクマさんもそっちを……あ。
「あ、あの、すいません。この子、ここの子ですよね?」
 野生かもしれない子を抱き上げていいのか判らなかったから、わたし、ウサギクマさんを指差しておじいさんに尋ねた。
「ん?」
「ついてきてくれてるんです。でも、連れて行ったりしちゃだめだと思うから、その」
「……そりゃうちのカメラじゃ」

「…………」

 え?

「えええぇぇぇっっ!?」
「よく出来とるじゃろ。孫が作ったんじゃ」

 ちょっぴり自慢そうに云うおじいさん。
 って。えええ!? カメラ!? この子が!?
「詳しい理屈は聞いとらんがな。野生動物の行動をそのまま再現できるらしい。……云うてはなんじゃが、おまえさんを見ておったのもこれじゃよ」
「ええええええええ――――!?」
 なんて。
 叫んだ後。
 とんでもないことに、気が付いた。

 この子はカメラ。おじいさんちのカメラ。
 この子はカメラ。わたしを見てた。
 この子はカメラ。この家の人たち、わたしの特訓を見てた。(ちょっと恥ずかしいけどおじいさんは楽しそうだったからそれはいい)

 この子はカメラ。――今もわたしを映してる?

 そして。
 ざーっと血の気がひいてく音がした。
 イルミさん。もしかして、この子。この子を、わたしの傍においたのは。もしかして、もしかしなくても。だとしたら。
「すみません! し、失礼します! あの、この子特訓終わったからお返しします!!」
 おじいさんから流れてくる熱を、一生懸命受け流しながら、わたしはウサギクマさんをぐいっと押し付けるみたいにして渡した。すっごく失礼な行動だけど、おじいさんは「うむ」と笑って受け取ってくれた。
「また気がむいたら来るといい。今度は自前でうちの門を開けられるようになるんじゃぞ」
「はい!」
 うわーん、ずるしたのも知られちゃってるし!
 おじいさんの腕でじたばた暴れてるウサギクマさんをちょっと睨んで、でも、いてくれたのは寂しくなくてすんだから、ありがとうの気持ちも込めて、でもやっぱり睨んで、もう一度お辞儀。
 ――もう、なりふりかまってられない。

 がんばれわたし、全力疾走!


 ほほう。
 楽しそうにヒゲをしごいて、老人は遠ざかる背中を見送った。
「本当に大したものじゃ。うちの子供なら、目をかけるんじゃが」
 残念残念。
「幻影旅団に先に目をつけられているとあってはな」
 盗賊から盗るのも、何というか馬鹿らしい。


「あーあ」
 彼はつまらなさそうにモニタの電源を切り、傍らの無線を手にとった。
 がんばるわねえ、と、ほのぼのお茶を飲んでいた母親と、娘もほしかったなあ考えてみるか? と、のんきなことを云っている父親を余所に、コール。
 音が一度なるかならないかのうちに、応答があった。
 そして、相手へ向けて、一言。
「イルミ兄ぃ、じいちゃんが散歩してた。あのガキに逢って、カメラのことバレたぞ」
 あの小さい身体で幼年向けとはいえ家のトラップを潜り抜けていく様は、ちゃっかり録画済み。3次元に興味はほとんどないけれど、たまに見るくらいには笑える愉快なものになりそうだったから。
 さて、弟がそんなことしてるとはつゆ知らぬ兄ことイルミは、まあ、知ってて黙殺している可能性はおいといて、さらりと一言こう返した。
「いいよ。もう捕まえるから」
 と、その声に混じって、
「や……!!」
 とても怯えた少女の声が、ミルキの耳にも届いたのだった。
「あーあ」
 もう一度つぶやく。
「ご愁傷様?」
 カメラがないのが残念だ。獲物が怯える顔は結構面白いのに。
 彼にとって、今日の出来事もあのガキも、ただそれだけのことである。
Back // Next


TOP