Episode21.
びっくりした。おどろいた。
走ってた足が急に地面につかなくなったと思ったら、何かがわたしを抱えあげてた。
「や……!!」
予想とかできなかった出来事に、わたし、悲鳴をあげかけて――必死にこらえる。夜をつんざく声は、もしかしたらこのどこかにいるシャルナークさんたちに届いちゃうかもしれない。それはだめ。
口を一生懸命引き結んで、わたし、わたしを捕まえた何かから解放されようと、じたばた。
「落ち着いて」
そしたら、聞こえてきたのは平らな声。
でも、ちょっと待ってください。これで落ち着けって、とても無理な相談。
だってわたし。走ったのは。出て行こうとしたのは。――それが、なかったことになっちゃう。
「放してください……!」
「だめ。また逃げるでしょ」
「逃げます!」
「……」あ。呆れた沈黙。「じゃあ、だめ」
最初の日と一緒。わたしは、米俵みたいにイルミさんの肩に担ぎ上げられちゃった。
「イルミさん」
お願いをこめて名前を呼ぶけど、返事はない。
代わりに、
「なんで逃げるの?」
って訊かれた。
「なんでって」どうしてそんな、当たり前のこと――「……イルミさん」
「うん?」
「なんで、みなさん、わたしのことかまうんですか?」
「面白いからじゃない?」
「……」
そうかなって思ってたけど、なんかこう、面と向かって云われるとどうしていいのかわかんない。
だけど、わたしは、どうにか考えをまとめて口にした。
「おもちゃみたいなものですよね」
「……」
返事はない。
「いつか飽きますよね」
「かもね」
「それくらいのものなんだから、逃げたらもうそのままでいいじゃないですか。……だめなんですか?」
「だから、どうして逃げるの?」
あ。質問が最初に戻った。
「放り出されるまでは衣食住確保できるのに、クロロたちも珍しく友好的に接してるのにさ。君は何が不満なわけ?」
逃げ出すほどに。
「不満とかは、ないんです」
逃げ出せない。イルミさんの腕は、わたしが暴れたくらいじゃきっと解けない。
そんな絶対的な確信が、しょうがないなって気持ちに変わって、わたしの本音の背中を押した。
「……でも、マチさんは離したほうがいいって云いました」
「まあ、盗賊集団に囲まれて育つ子供の末路は想像出来ないしね」
暗殺一家でも同じだけど。って云って、「あはは」と揺らがない声でイルミさんは笑う。
「それに」
「ん?」
「――わたし、さいしょから、ひとりでいなくちゃいけなかったんです」
……少しだけ沈黙。そして、
「それ、どういう意味?」
問いかけると、少女は言葉を捜すように口をつぐんだ。
待つことは苦痛ではない。暗殺なんて機を待って何ほどのものである。イルミはせっつくような真似はせず、言葉が再び発されるまで沈黙する。
「……わたし、ほんとは、ここの世界に関わらないはずだったんです」
「ふーん」
熱を計りたくなったが、とりあえず続きを待つ。
「だから、みなさんの手をわずらわせたりとか、お世話かけたりとか、しちゃいけないんです」
「へえ」
「自分で生きて、自分でちゃんと、自分の家に帰らなくちゃいけないから、……ひとりで大丈夫にならないと。大丈夫でいないと」
「……そう」
「ほんとなら、みなさん、わたしのことに関わらなくてよかったんです」
「……」
それはつまり。
「わたし、関わっちゃいけないんです」
関係がない、ということだ。
目を合わせ、言葉を交わし、互いの存在を確認してなお。
――合ったはずの視線を殺し、届いたはずの言葉を砕き、存在を見なかったことにして、走り抜けようということだ。
関係がない、ということだ。
関係したくない、ということだ。
ひとりでいいと少女は云う。
ひとりがいいと少女は云う。
どうしてだろう。
イルミは静かに自問する。
これではまるで、この子は逢う相手とその相手に認識された自分を同時に、殺しているようなものではないかと。
それは彼よりもずっと、――膨大な。殺人を。この少女は繰り返す。
「それでいいの?」
関係がないと云う少女に、イルミはもう一度問いかけた。
「え?」
「天上天下に死ぬまで独り。帰るまで、とかやらでもいいけどさ。それまでずっと、君は、君を知って君が知った人を殺していくわけ?」
「――――」
この少女は幼い。
この少女は愚かだ。
だが、
「……」
この沈黙は、理解しえぬからこそのものではないはずだ。
その証拠に、
「だから独りに慣れなくちゃいけないんです」
ごくりとつばを飲み込んでから、少女は震える声で云った。
気づいたのだ。
わたしが知った人。
誰かが知ったわたし。
関係がないんだって云ってくたびに、その事実を、殺しちゃう。そう、イルミさんは云った。
殺すってことを。誰かがそれを云うことを、嫌だって思ったのに、わたしがそれをするんだ。……悪い子だ、わたし。
でも。
でも、だけど。
それならなおさら。
ひとりでいないと、それを繰り返しちゃう。
ひとりでいないと。
ひとりになれないと。
独りに、慣れないと――
「誰かの傍に、いたくなるんです」
安心していいと、シャルナークさんは云ってくれた。
クロロさんも、文字の勉強の相手をしてくれたりした。
フェイタンさんは最初のあれ以来怒ったりとかしなかったし、フィンクスさんはご飯もくれた。マチさんは挨拶もしてなかったのにお迎えについてきてくれた。
イルミさんは何やっても変わらない感じで、でも訓練場所を貸してくれてつれてきてくれた。
キルアくんは友達になってやるよって云ってくれたし、さっきのおじいさんだって、とても困ってたわたしのこと助けてくれた。
みんな、誰かを殺すのだという。
でもみんな、とても優しいのだと思う。
気まぐれでも、ほんの一時でも、みんな、わたしのこと見てくれた。
時間をかけてくれて、手をかけてくれた。
だからそれが申し訳ない。
そんなこと、しなくてもいい人たちだったのに。
わたしに関わらないで生きてくのが、ほんとうは正解だったのに。
わたしはみんなに頼りっきりじゃ、いけないのに。
――ささやかに届く誰かの温度になじんでしまって、いつかそれが消えたとき、寂しくて動けなくなるのが怖い。
消えるとき、傍にいてほしいとすがるのが辛い。
頼っていいんだって、勘違いしちゃって、余計困らせちゃうのが申し訳ない。
ああどうして。
オレはこんなにいらいらするんだろう。
毛を逆立てた小動物に気まぐれで手を出したら、逃げ出した。ただそれだけのこと。
好意でやったわけではないけれど、なんだか少し腹が立った。ただそれだけのこと。
野生動物がそうするのは、当然のことだ。だけど、今イルミの肩にいるのは人間の少女。キルアと同い年くらいの、まだ被保護者であるべき幼い娘。そう――キルアでさえ、ゾルディック家の人間とはいえ、彼でさえも。まだ、生活に関しては親や家族の保護を受けねばならない身。最近、とみに暗殺という仕事を面倒くさがりだした弟は、一人でだって生きていける、家を出る、と、ことあるごとに父母へつっかかってそのたび折檻されることが増えている。
そのキルアと変わらぬ歳の子供は、自分が誰かの保護を必要としているのだと知っている。
――知らぬキルアの癇癪よりも、知ってそうする少女に苛立つ。
なんて強情。
なんて無神経。
天上天下にただ独り。出来るわけないのにね、そんなこと。
殺すことで家族以外の誰かに関わる。
殺すことで自分以外の総てを退ける。
ああ。
なんという対極。
ああ。だから――これは、気になっているっていうことなんだな。
この子供はあまりにも、見当違いな方向に一生懸命すぎるから。
誰かに傍にいてほしいというのなら、そう云って、いてもらえばいいだけのことなのに。